襲撃、そして新たな居場所
木村さんの停職処分から、三日が経過した。
職場の雰囲気は、微妙に変わっていた。
「新人君、大丈夫か?」
「はい、問題ないです」
高橋さんは心配そうだったが、俺は平気だった。
むしろ――
「木村さんがいない分、仕事がやりやすいです」
「そっか……でも、気をつけろよ」
「何をですか?」
「木村は……根に持つタイプだからな」
高橋さんの言葉に、少し不安を覚えたが――
「大丈夫ですよ。もう会社にも来れないんですし」
そう答えた。
それが、甘い考えだったと気づくのは――
その日の夜のことだった。
午後十時。
いつものように、残業を終えて会社を出る。
駐車場に向かう途中、街灯の少ない路地を通る。
「……暗いな」
少し、嫌な予感がした。
でも、いつも通る道だ。
気にせず歩を進める。
その時――
「よう」
背後から、声がした。
振り向くと――
「木村さん……!?」
そこには、木村さんがいた。
いや、木村さんだけじゃない。
その横には、見知らぬ男が二人。
屈強な体格、傷だらけの顔。
「……探索者?」
ダンジョンに潜る人たちだ。
でも、彼らの雰囲気は――
「お前のせいで、俺は停職になった」
木村さんが、低い声で言った。
「給料も減った。評価も下がった」
「それは、自業自得でしょう」
「は? お前が余計なことしなければ、こんなことにならなかったんだよ!」
木村さんは、怒鳴った。
「だから、ちょっと痛い目に遭ってもらう」
「……まさか」
「おい、やれ」
木村さんが合図すると――
二人の探索者が、俺に近づいてきた。
「ちょっと、骨の一本でも折ってやるよ」
「仕事できなくなるくらいにな」
「待ってください! これは傷害罪ですよ!」
「証拠がなきゃ、問題ないだろ?」
探索者の一人が、拳を振り上げた。
「くそっ!」
俺は、咄嗟に避ける。
でも、避けきれない。
拳が、腹部に直撃――
「がはっ!」
痛い。
めちゃくちゃ痛い。
「次は顔だ」
もう一人の探索者が、殴りかかってくる。
「やめ――」
その時――
「そこまでだ!」
大きな声が響いた。
振り向くと――
「警察だ! 動くな!」
警察官が二人、駆けつけてきた。
「ちっ」
探索者たちは、舌打ちして逃げ出した。
木村さんも、慌てて逃げようとしたが――
「君、待ちなさい!」
警察官の一人に捕まった。
「離せ! 俺は何もしてない!」
「目撃してますよ。傷害未遂、及び傷害罪で逮捕します」
「くそっ! こいつのせいで!」
木村さんは、俺を睨みながら連行されていった。
「大丈夫ですか?」
警察官が、俺に声をかけてきた。
「は、はい……なんとか」
腹部が痛むが、致命傷ではない。
「救急車を呼びましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか……では、事情聴取にご協力いただけますか?」
「はい」
警察署に向かい、詳しい事情を説明した。
木村さんとのトラブル。
停職処分のこと。
今日の襲撃。
全てを話した。
「分かりました。木村容疑者は、傷害罪で起訴します」
「……ありがとうございます」
「それと、今後も気をつけてください。逆恨みする人間は、何をするか分かりませんから」
「はい……」
警察署を出る頃には、日付が変わっていた。
「……疲れた」
家に帰り、ベッドに倒れ込む。
「まさか、本当に襲われるとは……」
怖かった。
もし、警察官が来なかったら――
「骨、折られてたな」
ゾッとする。
「もう、安心して歩けないのか……?」
不安が、胸を満たす。
翌日、職場。
事件のことは、すぐに山田理事の耳に入った。
「本当に申し訳ない……」
理事室で、山田理事は深々と頭を下げた。
「いえ、理事のせいじゃありません」
「でも、うちの社員が君に危害を加えようとした。これは、会社の責任だ」
山田理事は、真剣な表情で言った。
「君の安全を守らなければならない」
「……どうするんですか?」
「君に、専用の部屋を用意する」
「専用の……部屋?」
「ああ。このビルの最上階に、社員用の居住スペースがある」
「居住スペース……?」
「本来は、遠方から来た役員が泊まるための部屋だが、一室空いている。そこを、君に提供したい」
「でも、それは……」
「遠慮はいらない。君の安全が最優先だ」
山田理事は、資料を広げた。
「この部屋には、ベッド、キッチン、バスルーム、書斎、全て揃っている」
「……すごいですね」
「しかも、会社のすぐ上だから、通勤時間ゼロだ」
「確かに……」
「食事も、社員食堂を自由に使っていい。二十四時間営業だから、いつでも食べられる」
「それは助かります」
「それに」
山田理事は、別の資料を出した。
「この部屋には、最新のパソコンも設置してある。仕事も、勉強も、全部ここでできる」
「……完璧な環境じゃないですか」
「ああ。君には、安心して働いてもらいたい」
山田理事は、真剣な目で言った。
「君は、この会社の宝だ。だから、全力で守る」
「……ありがとうございます」
胸が熱くなった。
会社が、俺を守ってくれる。
こんなに大切にしてくれる。
「恩に着ます」
「いいんだ。これは当然のことだから」
山田理事は、微笑んだ。
「今日から、引っ越してくれ」
「はい!」
その日の夕方。
俺は、新しい部屋に引っ越した。
「……すげぇ」
部屋は、想像以上に広かった。
ワンルームではなく、1LDK。
リビングには大きなソファとテーブル。
寝室には、キングサイズのベッド。
書斎には、最新のパソコンが三台。
「これ、役員用だろ……」
キッチンも、フル装備。
バスルームは、ジャグジー付き。
「マジで、ホテルのスイートルームみたいだ」
窓からは、夜景が一望できる。
「……最高だな」
荷物を置いて、ベッドに横になる。
「ここなら、安全だ」
木村さんも、もう近づけない。
「そして――」
起き上がり、書斎に向かう。
「ここで、もっと勉強できる」
デスクには、参考書が並んでいる。
いや、並べたのは俺だが。
「よし、やるか」
税理士試験の勉強を始める。
集中できる。
静かで、快適で、完璧な環境。
「これなら、もっと効率が上がる」
それから一週間。
俺は、新しい環境に完全に慣れていた。
朝起きる。
エレベーターで下に降りる。
すぐに職場。
通勤時間、ゼロ。
「楽だな……」
仕事を終える。
エレベーターで上に昇る。
すぐに部屋。
「最高すぎる」
しかも、食事は社員食堂。
二十四時間営業で、メニューも豊富。
「栄養バランスも完璧だ」
時間が、圧倒的に増えた。
通勤時間が削減され、食事の準備も不要。
「この時間を、全部勉強に回せる」
結果――
一週間で、税理士試験の全範囲を終えた。
「よし、これで準備完璧だ」
そして、思いついた。
「会社に、恩返ししたい」
山田理事が、俺を守ってくれた。
この環境を、用意してくれた。
「だったら、俺にできることをしよう」
翌日、俺は山田理事に提案した。
「業務マニュアルを作りたいんです」
「業務マニュアル?」
「はい。今、うちの部署には明確なマニュアルがありません」
「……確かに」
「だから、新人が入ってきても、教育に時間がかかる」
「そうだな」
「それを、標準化したいんです」
俺は、資料を広げた。
「業務マニュアル、標準作業手順書、業務フロー図、FAQ、テンプレート……全部作ります」
「……全部?」
「はい。それに、スキルマップと体制図も作ります」
「スキルマップ?」
「誰が、どのスキルを持っているか、可視化するんです」
山田理事は、驚いた顔をした。
「それ、全部君が作るのか?」
「はい。一ヶ月ください」
「……本気か?」
「本気です」
山田理事は、しばらく考えて――
「分かった。やってくれ」
「ありがとうございます!」
それから、俺は猛烈に作業を開始した。
業務の洗い出し。
手順の整理。
フロー図の作成。
全て、完璧に仕上げる。
「寝るスキル」を使えば、時間はいくらでもある。
一日二十時間、マニュアル作成に費やした。
そして――
三週間後。
「……完成した」
膨大な資料が、目の前にあった。
『業務マニュアル ver1.0』
『標準作業手順書 (SOP)』
『業務フロー図』
『FAQ 500項目』
『テンプレート集』
『スキルマップ』
『体制図』
全て、完璧に仕上がっている。
「これで、新人でもすぐに戦力になれる」
山田理事に提出すると――
「……すごい」
理事は、唖然としていた。
「こんな完璧なマニュアル、見たことない」
「ありがとうございます」
「これ、全社で使えるぞ」
「本当ですか?」
「ああ。他の部署にも展開したい」
山田理事は、興奮していた。
「君、本当にすごいな……」
「いえ、会社への恩返しです」
「恩返し……」
山田理事は、しみじみと言った。
「君を守って、本当に良かった」
それから一週間後。
俺は、また理事室に呼ばれた。
「おめでとう」
山田理事は、満面の笑みで言った。
「君を、課長に昇進させる」
「……課長、ですか?」
「ああ。マニュアルの件、本当に素晴らしかった」
「ありがとうございます」
「それに、君にはもっと大きな仕事を任せたい」
「……どんな仕事ですか?」
山田理事は、真剣な表情になった。
「新設部署を作る。『ダンジョン支援課』だ」
「ダンジョン支援課……?」
「ああ。今までにない、全く新しい部署だ」
山田理事は、資料を広げた。
そこには――
『ダンジョン支援課 構想案』
という文字が躍っていた。
「これは……」
「見てくれ」
資料には、詳細な計画が書かれていた。
『小型高性能カメラ搭載ドローン』
『レーザーポインター機能』
『煙幕展開装置』
『リアルタイム通信システム』
「ドローンを使って、探索者を支援する……?」
「そうだ」
山田理事は、熱く語り始めた。
「今、ダンジョン探索で最も問題なのは、情報不足だ」
「確かに……」
「探索者は、常に未知の危険に晒されている。罠、モンスター、未探索エリア……全て、情報がない状態で進まなければならない」
「はい」
「でも、ドローンがあれば違う」
山田理事は、資料の図を指差した。
「ドローンが先行して、危険を察知する」
「なるほど……」
「そして、リアルタイムで探索者に情報を伝える。『前方十メートル、罠あり』『左の通路、モンスター三体』みたいにな」
「それは……すごいですね」
「さらに、レーザーポインターで目標を指示できる。『この宝箱が目標』『この扉が出口』ってな」
「視覚的に分かりやすい……」
「そして、緊急時には煙幕を展開して、脱出ルートを先導する」
山田理事は、興奮気味に続けた。
「つまり、戦闘以外の全てをフルバックアップするんだ」
「……すごい構想ですね」
「ああ。そして、君にこれを任せたい」
「俺が……ですか?」
「ああ。君は、データ処理のプロだ。情報収集、分析、共有……全て、君の得意分野だろ?」
「確かに……」
「それに」
山田理事は、別の資料を出した。
「最終的には、AIに学習させたい」
「AI……?」
「ああ。君と、部下の行動パターン、判断基準、指示内容……全てをAIに学習させる」
「それは……」
「そうすれば、いつか――」
山田理事は、真剣な目で言った。
「AIが自動で探索者を支援できるようになる。人間の判断ミスもなくなる」
「……なるほど」
「目標は、『誰も死なせない』だ」
「誰も……」
「ああ。ダンジョン探索で、もう誰も死なせない。それが、この部署の使命だ」
俺は、震えた。
なんて、壮大な目標だ。
「……やります」
即答した。
山田理事は、満足そうに頷いた。
「よし。期待してるぞ」
「それで、部下は……?」
「ああ、一人配属する」
山田理事は、時計を見た。
「今日の午後、紹介する。ドローン操縦の専門家だ」
「分かりました」
午後三時。
会議室で、俺は待っていた。
「ドローン操縦の専門家、か……」
どんな人だろう。
ゴツい男性? それとも、技術オタクっぽい人?
ドアが開く。
「失礼します」
入ってきたのは――
「……っ!?」
若い女性だった。
二十代前半、長い黒髪、整った顔立ち。
スラッとした体型に、きちんとしたスーツ。
「……美人だ」
思わず、見とれてしまう。
「初めまして」
彼女は、無表情で挨拶した。
「私、今日から配属になりました、白石さくらです」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「よろしく」
そっけない。
いや、冷たい?
「えーと、白石さんは……」
「さくらでいいです。敬語も不要」
「え、でも……」
「私、年上に敬語使われるの嫌いなんで」
「……はあ」
「それに、課長って呼ぶのも面倒」
「じゃあ、何て呼べば……」
「名前で。あなたの名前、なんでしたっけ?」
「……あの、俺の名前、知らないんですか?」
「資料に書いてなかったんで」
「……そうですか」
俺は、自己紹介した。
「じゃあ、その名前で呼びますね」
「はい……」
なんだ、この子。
美人なのに、めちゃくちゃそっけない。
いや、毒舌?
「それで、ダンジョン支援課の業務内容は?」
「あ、はい。ドローンを使って……」
「分かってます」
さくらは、タブレットを取り出した。
「小型高性能カメラ搭載ドローンで探索者を追随。リアルタイムで情報提供、レーザーポインターで目標指示、緊急時は煙幕展開。私の担当はドローン操縦、あなたの担当は情報分析と指示出し」
「……全部、知ってるんですか?」
「当たり前じゃないですか。事前に資料もらってるんで」
「そうですか」
「で、いつから実戦ですか?」
「え、実戦?」
「ダンジョンに入るんでしょ? いつからですか?」
「えーと、まずは協力してくれるパーティーを探して……」
「もう見つけました」
「……え?」
さくらは、タブレットの画面を見せた。
「『鉄壁パーティー』。中堅の探索者チームです。リーダーと交渉済み。来週から協力してくれるそうです」
「……早いですね」
「当然です。時間がもったいないんで」
「……はあ」
「それより」
さくらは、俺をじっと見た。
「あなた、本当に課長なんですか?」
「え? どういう……」
「見た目、全然リーダーっぽくないです」
「……すみません」
「謝らなくていいです。事実を言っただけなんで」
「……はあ」
「でも、資料見た限り、能力は本物みたいですね」
「ありがとう……ございます?」
「褒めてないです。客観的評価です」
さくらは、タブレットを閉じた。
「とりあえず、来週までにドローンのセットアップ完了させます。あなたは、情報分析のシステム構築しておいてください」
「は、はい……」
「じゃ、今日はこれで」
そう言って、さくらは会議室を出て行った。
「……なんだ、あの子」
美人なのに、毒舌で、容赦ない。
でも――
「優秀そうだな」
少し、笑ってしまった。
「これから、一緒に働くのか」
その夜、部屋に戻って。
俺は、ベッドに横になった。
「白石さくら、か……」
毒舌で、容赦ないけど――
「面白いな」
そして、美人だ。
「ダンジョン支援課、か」
新しい挑戦だ。
今までの事務作業とは、全く違う。
「でも、やりがいがありそうだ」
最弱スキルが、最強のキャリアを作る。
そして――
「新しい仲間も、増えた」
これから、どうなるんだろう。
期待と、少しの不安を胸に――
俺の、新しい章が始まった。




