第9話
街の霧は、先ほどよりも少し濃くなっていた。
骸骨たちを退けた空き地に、重苦しい沈黙が漂っている。
足元には割れたポリゴンの欠片すらもう残っていない。
ただ、ミユの呼吸の荒さと、肩で震える背中だけが、現実だった。
「ありがとう、ミドウさん……」
声が震えていた。
でも、たしかに届いていた。
その一言に、彼女がどれだけ張りつめていたかがにじみ出ていた。
あと一歩、俺が遅れていたら――
そんなもしもが脳裏をかすめる。
想像するだけで、背筋が凍った。
「しばらく休み、ますか?」
「……敬語、いらないわよ? 多分ワタシの方が歳上だろうし」
困り眉を浮かべたミユが、かすかに笑う。
一瞬の沈黙――その間に、ふと気づかされる。
このゲームは、アバターじゃない。
本人の姿そのままだ。
声も表情も、年齢感も、現実と地続きで。
だからこそ、こうして思わず敬語になってしまったんだと思う。
それほどまで、このゲームは現実に近い。
いや、もうこれは現実なのかもしれない。
もしかして現実の俺たちは今ここに居て、ダイブシートには座っていないんじゃないか?
そんなことさえ思ってしまうほど。
こればかりは全員がログインしているので知ることはできないが、自動転移ってものがあるならば、十分に可能性があること。
実はあのダイブシートでログインできるのは始まりの街だけで、クエスト自体はどこか別の世界、いわゆる異世界というやつなんじゃないか?
そんな憶測が頭の中を駆け巡る。
「ミドウさん、大丈夫?」
彼女の呼びかけで、俺は一気に現実へ引き戻された。
「あ、ごめん。ちょっとだけボーッとしてて」
「ふふっ」
ミユは少しだけ頬を緩ませた。
俺の何が面白かったのか分からないが、この場の雰囲気が少し軽くなったので、とりあえずは良しとしよう。
「あぁ、ごめんなさい。あのゴブリン戦で、あれだけ活躍した人が、そんな風に気を抜けるんだなぁと思って」
なるほど。
そういうことか。
「……そりゃずっと気は張れないよ」
「それもそっか」
ミユはわずかに口角をあげ、微笑んだ。
会話がプツッと途切れる。
だが、すぐにミユが口を開いた。
「ミドウさん、しばらく同行しても?」
「もちろん」
二つ返事で返す。
この死のゲームを乗り切るには、プレイヤーたちの助け合いが必須だから当然のこと。
「ありがとう、ミドウさん」
そして俺たちは再びこのベルカ街を歩き出した。
「……あの、呼び捨てでいいよ?」
「これワタシの癖みたいなものだから、気にしないで。ついプレイヤー名を『さん』付けしちゃうの」
「そう、なのか」
「あ、あなたはそのまま『ミユ』でいいからね」
「わかった」
なんて、たわいない会話を交わしながら。
* * *
街を散策中、俺はミユから昨日今日の話を伺っていた。
俺たちが始まりの街で準備している間、彼女が何をして過ごしていたのか。
どんな気持ちでいたのかを。
「あの会場を出て、ワタシたちはまず近くの交番に向かったの。それで……人がいっぱい死んだこと、無理やりゲームをさせられたこと、正直に全部話をした」
「それで、どうだったんだ?」
「……もちろん、相手してもらえなかった」
ミユはしかめた顔で、一息嘆息を吐く。
これはカズも言っていたこと。
やはり証拠やたしかな事件性がないと、国は動いてくれないんだろう。
「それからは、元の暮らしに戻ったわ。次の日仕事だったから、いつも通り準備して、いつも通り過ごした。ケイタも同じよ。彼はしばらく有給を取っていたから、家で寝るって。まさか……本当に自動で転移させられると、思わなかった」
「自動転移された時のこと、なにか覚えてるか?」
俺はずっと始まりの街にいたから、自動転移を経験していない。
だから、少しでも情報を集めておきたい。
ミユは少し上に目を向け、丁寧に自分の記憶を綴っていく。
「えっと、たしか……触れてもないのに、突然ウィンドウが開いて、クエスト一分前……みたいな通知が来て、それで……気づいたら、ここにいたの」
「なるほど。言葉のとおり、本当に転移したと。もしくは誰かに眠らされて、テスト会場まで運ばれたか……いや、クエスト一分前に通知が来たということは、始まりの街までの移動は約30秒。どう考えても有り得ない」
「それと家には鍵をかけていたし、なんたってうちのマンション、エントランスからオートロックなの。だから入りようがないはずよ」
ミユは俺の独り言のような呟きに、さらなる根拠を付け加えた。
「 つまりこれは意識のみ、それか本当に肉体ごとこの場へ転移したか、どっちかになりそうだな」
「っ!? そんなことって……」
戸惑いの色を隠しきれない様子。
「まぁ、今分かるのはそこまでってところか」
だけどこれ以上は、一度クリアして外に出ないと分からない事実。
再度クエスト攻略に焦点を置くべきだと、俺たちは気持ちを切り替えて歩みを進めていった。
それからしばらくの静寂。
沈黙の続く空気に耐えかねたのか、ミユは独り言と思えるほどの声量で小さく囁いた。
「……ケイタ、大丈夫かなぁ」
「えっと、二人は……どういった関係で?」
不安そうに俯き、男性の名をつぶやく女性に対して、返す言葉が思いつかず、少し辿々しい口調になってしまう。
「最初はね、アークスのギルメンだったの。でも会話しているうちに現実でも会うようになって……気づけば付き合うようになってて」
視線はどこか遠くを見ている。
「彼、あぁ見えて優しいの。気性が荒い時もあるけど、それも全部、人のため。自分のことなんていつも後回しにしてて……今もきっと、どこかでワタシのことを……」
ミユの震えた声。
それでも彼女の言葉はどこか力強く、恋愛に疎い俺にも、相手を想う気持ちが伝わってくる。
俺自身、ケイタのことを何一つ知らない。
彼とは一度、共に戦っただけの仲だ。
だがミユにとっては違う。
大切なパートナーであり、世界の中心。
無くてはならない存在なのである。
だからこそ、かける言葉がなかった。
彼女の抱える不安を、その重みを、俺は知ることができないのだから。
「……ごめんなさい、急に。ミドウさんに話すことじゃなかったわよね」
「いや。話してくれて、ありがとう」
俺はただ、それだけを返す。
ミユの唇が、かすかに緩む。
その笑みに宿るのは、割り切れない哀しさと、かすかな希望。
きっと今、彼女はほんの少しだけ前を向けた。
俺の言葉じゃなく、自分の想いで。
その時だった。
ミユの顔色がみるみるうちに変わる。
「……ケイタ?」
彼女が震える指で宙を弾く。
「ミユ、どうした!?」
「ちょ、ちょっと待って……こんなにHPが……ケイタのHPが減ってる……!」
ミユの声が震え、息が詰まる。
画面を掴むように、彼女の指が何度も何度も空中を叩く。
だけど俺には何も見えない。
それは彼女のウィンドウだからだ。
しかし、そこに何が映っているのかは見なくても、何となく分かる。
「やだ……やだやだ、お願い、行かないで……!」
ミユはディスプレイに縋り、指で何かを止めようと必死に撫でる。
その目から溢れた涙は、止まらない。
「ケイタ……っ!」
そして、数秒後。
「あああぁぁぁぁ……っ!」
ミユの声が、喉から漏れる。
叫びにもならず、ただ静かに――嗚咽だけが、この空間に広がった。
俺は、口を開けなかった。
目の前で崩れ落ちた彼女に、何もしてやることができなかった。
ピコンッ――
俺のウィンドウにも通知がきた。
パーティ共有のチャットだ。
俺が前回のクエストの時、ゴブリンから逃げるよう指示したあの。
そしてそこには、
『ミユだけはつれかえってやっt』
途中で切れた短い一文。
でも、その言葉の先は、痛いほどわかる。
彼が、何を想って死んだのかも。
分かったよ、ケイタ。
俺が君の意志を引き継ぐよ。
そして必ず、このクエストを終わらせてみせる。
この――理不尽を肯定するような世界に、俺たちの答えを叩きつけるために。




