第5話
ボスゴブリンがポリゴン状に崩れ落ちた直後、
静寂の中、ピコンッと音を立てて、
空間にウィンドウが出現した。
【戦闘任務01/10:クリア】
視界の中央に、青白く輝く表示。
「……クリア、したのか」
握っていた剣をゆっくりと地面に突き立てる。
指先の震えが、ようやく落ち着き始めていた。
その直後――
重力がふっと消えるような感覚。
突然周囲の景色が白く塗り潰され、世界が溶けるように崩れていったのだ。
* * *
次に目を開けたとき、そこは見覚えのある光景だった。
βテスト会場。
白く、無機質な地下空間。
並び立つ何台ものフルダイブシート。
どうやら、俺は戻ってきたらしい。
「生きてる……?」
すぐ隣、シートからすぐさま降りたシュエナが、目元を潤ませながら呟く。
「よかった、本当に……よかったぁ!」
「い、生きてるぞっ!」
彼女だけじゃない。
高台に残っていたメンバーたちも、全員無事のようだった。
そして――
「ちゃんと生きて戻れたみたいだな、俺たち!」
俺が声をかけるより先に、彼が肩を叩いてきた。
「レイジ!」
傷だらけだった体は綺麗に戻っている。
やはりさっきの出来事は、ゲームの中の事だったってことなのか?
「先にやられた人たちは、もう帰ってしまったのかなぁ?」
カズが顎に手を当て、首を傾げる。
「先にログアウトしてんなら、そうかもしれないっすね」
その問いに、レイジが軽口で答えた。
たしかにタイムラグはある。
本来ならもう少し次世代型VR機器を堪能してもいいだろうが、あんな目にあった後だ。
憤り、すぐさま帰ったと言われても、
十分に納得ができるというもの。
だが――
そう単純な話ではない。
さっきの痛覚。
肉体の反応。
五感すべてが、ただのゲームの枠を超えていた。
その違和感が、心の奥底にずっと燻っている。
……そんなときだった。
『おめでとうございます。初回チュートリアルクエストをクリアしました』
βテスト前にも聞いた、無機質な男の声。
『これより、報酬を配布いたします』
各自の視界にウィンドウが表示される。
【報酬一覧】
・現金:200万円(ゲーム内通貨換算可能)
・アイテム:治癒の小瓶×3
MP回復草×3
ガチャチケット×3
・ボス討伐特典:召喚のカケラ〈No.01〉
次回のクエストマップ「ベルカ街」
「お、おい、200万円だってよ!」
「うそでしょっ!?」
ケイタとミユが一番に声を上げた。
まぁ驚くのも無理はない。
なんたって現金の配布だ。
こんなの、今までのβテストじゃありえなかった。
「……いや、本当らしい。今、口座を確認したが、振り込まれてるよ」
カズがそう言う。
自身のスマホ画面を覗きながら、あくまで冷静な口調で。
しかしその目や表情からは、信じられないという明らかに驚嘆した様子が伺える。
他にも回復アイテムやガチャチケット、召喚のカケラとかいうものも入手した。
何を召喚するんだと一応ウィンドウで確認すると、アイテム欄の説明文の一行目に〈特定条件を満たすことで、英雄の召喚が可能になる〉と書かれていた。
ガチャ要素だって、アークスにはなかったもの。
この辺りは新機能ってことなんだろう。
それにベルカ街。
たしかアークスの初級クエストで、一度だけ立ち寄ったエリアだったはず。
なんとなく地形も覚えている。
だがそれよりも――
『今回の死亡者:5名』
『ご冥福をお祈りいたします』
その言葉に、空気が一変する。
「し、死亡者……?」
「待て待て、それって……ログアウトじゃなくて……死んだってことか?」
「は? ゲームで? 冗談だろ……」
ケイタが、震えた声で呟く。
「死んだって……どういうことだよ!!」
そしてレイジが、声を張り上げた。
『アークマギアにおいて、ゲーム内の死は現実の死と同じ意味にあたります』
感情のないAIの返答が、その場の誰もを凍りつかせた。
「いや、え……そんなわけない、だってこれ、ゲームなんだろ……? どうせ運営が凝った演出をしてるだけじゃねぇのか?」
すると突然一面の壁に直接、ある映像が投影された。
「……これは、さっきのステージ」
そうだ。
今俺たちが実際に足を踏み入れていたゲームの中の映像。
吹き渡る風、緑々しい草原や生い茂る木々。
まるで現実と遜色のない風景。
しかしそんな映像が暗転し、別の映像へと切り替わった。
千切られた指の肉片。
斬り落とされた脚。
無惨に崩れた肉体が、プレイヤーの末路を否応なく突きつけてきた。
どれもさっき見知った人の顔。
そう、俺たちと同じくしてログインしたβテスターたちだったのだ。
「……うぅ、おぇえ……」
「ミユッ!」
青ざめたミユは膝から崩れ落ち、俯きながら嗚咽を漏らす。
「こんなの、見せてどういうつもりだっ!」
「うう……ひどい、です……」
明らかに動揺し、怒鳴りつけるレイジに、俯き目を濡らしているシュエナ。
『このようにゲーム内で死ねば、ログアウトはできず、アークマギアの一員として生涯を終えることになります』
それでも声色を一切変えないAI音声。
「……は?」
「そ、そんなこと……聞いてないですよ」
「僕達は、これからどうなるんだ」
驚きと悲しみと戸惑い。
様々な感情が交錯していく。
俺だってそうだ。
驚きや怒り、そして――恐怖。
しかし同時に納得している自分もいる。
あの時の痛み、恐怖、肉体の反応。
さっきまでの現象を考えれば、どこか腑に落ちてしまいそうになる。
「まさかとは思ってたが……やっぱり、そういうことなのか」
現実を受け入れたくない自分と、受け入れざるを得ない自分が、中で葛藤しながらも溢れた言葉。
『次回クエストは、24時間後に開始されます』
『参加人数は、12名です』
『また皆様は以後、このARC-SHEETを通じて、〈始まりの街〉に転移することができます』
『24時間以内に、この始まりの街で、次のクエストの準備を行ってください』
全員の視界に、再びウィンドウが表示された。
その画面右上に、小さく――
【次回クエスト開始まで:23:59:59】
という、カウントダウン。
「おい、なあ……なんでだよ。なんで現実に、ウィンドウなんて出るんだよ!」
レイジが叫ぶ。
「まだゲームが続いてるのか!? これ、現実じゃねぇのかよッ!!」
そうだ。
違和感がなさすぎて気づかなかった。
なぜ、現実にウィンドウが存在する?
『質問への回答機能は搭載されておりません』
だがAIは淡々と、そう返すだけ。
「くそっ、ふざけやがって! 誰がこんな危ないクエストに、また参加するかよ! ミユ、帰ろうぜ!」
ケイタがミユの手を引いて、出口へ向かう。
だがその途中――
『無駄ですよ。貴方たちは〈アークマギア〉のβテスターとして、すでに登録されています』
『次回のクエスト開始時に選ばれたメンバーは、自動的に〈始まりの街〉へ転送されます』
『では――ご武運を』
そこで、AIの声は途絶えた。
「ふざけんなっ!!」
怒鳴りながら、ケイタはミユを連れて扉を乱暴に開け、立ち去っていった。
そしてここに残ったのは、俺、レイジ、シュエナ、カズの四人。
場の空気は、重い。
「……どう、しようか?」
先に口を開いたのは、カズだった。
落ち着いた声音。
やはりこの中では最年長らしい、判断力と理性を感じる。
「わ、私……帰りたいです。でもさっきの説明に、自動転移って……」
シュエナが、か細い声で言った。
「いやいや、さすがにそんな、非現実な話……あるわけねぇだろ? な、ミド」
レイジは、半ば願うように言う。
「じゃあ、このウィンドウは?」
俺は静かに、装備欄をONに切り替え、目の前でそれを実体化させる。
そしてゆっくりと、地面に剣を突き立てた。
刃の金属音が、カツンと響く。
そうだ。
俺たちは今、ウィンドウを開ける。
操作だってできるのだ。
これができる時点で、もう十分にファンタジー。
現実的に考えても仕方ない。
「……ミドくん、君ならどうする?」
第一声はやはりカズ。
話を全て飲み込んだ上での提案。
すでに覚悟は決めた、そんな顔にも見えた。
視線は一気に俺へ向く。
問われた通り、ここは俺の考えを述べるべきか。
「まずは始まりの街に行くべきだと思う。あのAIは、そこで準備を整えろとか言っていた。だから最低限準備は整える。それからは、各自好きに帰ればいい」
「……帰っていいのかよ?」
レイジの疑問に、俺は続けて答えていく。
「本当に自動転移されるのか試したい。それに、されないならされないで、このゲームとはおサラバでいいわけだし」
レイジが黙った。
シュエナは唇を噛み、カズは深く息を吐いた。
そして数秒の沈黙の後、
それを破ったのはレイジだった。
「……だよな。今さら普通の生活に戻れるかって言われりゃ、正直分かんねぇし」
「同感です。どのみち、時間が来れば転送されるなら……」
「……行くしか、ないようだね」
それぞれが決意を固めるように、ダイブシートの前へと立つ。
「じゃあ、行ってみようか。始まりの街へ」
俺の声に、誰もが頷いた。
そして、それぞれが再びARC-SHEETに身を委ねていく。
俺は乗り込む前に、天井の隅に目をやった。
おそらくあの監視カメラの奥には、運営の誰かが覗いているはず。
そう、こんなのをゲームだとほざくクソ運営が。
知ってたか?
俺は一度、アークスのゲーム構造からお前ら会社の機密情報にだって触れたことがあるんだぞ。
経験上、どんなゲームでも、攻略を進める中で、必ずそのヒントはゲームの中に存在する。
それはこのアークマギアだって、例外じゃないだろう。
そして、そんなプログラムの綻びを見つけられるのは、おそらくアークス経験者じゃ俺くらいだ。
待ってろよ運営。
必ずお前らの正体を暴き、民衆の前にさらけ出してやる。
そして後悔しろ。
このβテストに、この俺、
バグチェッカーを選んでしまったことを。
そんな心情をカメラに目で訴えたところで、
俺はシートに乗り込んだ。
そして再びゲーム世界へダイブしたのだった。
【次回クエスト開始まで:23:43:11】
カウントは、確実に進んでいる。




