第2話
光が弾け、意識が落ちる。
次の瞬間、俺はそこに立っていた。
目の前には、見渡す限りの草原。
大地から芽吹く草花や遠くの木々が風に揺れている。
頬を撫でる空気の流れ、微かな草、土の匂い、湿気すらも感じるほど。
「……これが、五感同期型VRってやつか」
俺は静かに呟いた。
感動というより、驚きだ。
視界のブレも、風にたなびく草も、一つ一つが現実と遜色ない。
いや、それ以上かもしれないな。
だが、どこかが違う。
この草原、あまりに綺麗すぎる。
無数の草の長さが、まるで意図的に均整を保っているようで、揺れる木々のリズムも不自然に心地よすぎた。
まるで、見せるために設計された仮想美術館。
これが、自然風という名前の人工物であることを、俺の目は見逃さなかった。
「すげぇ、まるで現実じゃねぇか!」
そんな声が、背後から聞こえた。
振り返れば、さっきのテスト会場で見かけた参加者たちが、ほぼ同じ場所に集まっていた。
服装は現実と変わらない。
どうやら、ログイン時の姿がそのまま反映されているようだ。
参加者たちは皆、驚きと興奮を隠せずに周囲を見回していた。
「これが〈アークマギア〉か」
「やべぇ、草踏んだらちゃんと沈むぞ!」
「見てください! この石、本物ですよ!」
確かにすごい。
皆が昂っているのもよく分かる。
だがそれよりも、
俺はまずウインドウを開いた。
最低限の操作性が分かってないと、攻略にこぎつかないからだ。
五感同期型という最先端を楽しむのは、その後でもいいだろう。
ピッと空中で人差し指を軽く弾くと、視界に青白い半透明のメニューが展開される。
「……やっぱり同じ構造か」
前作〈アークスフィア=コード〉と同じ、縦配置型インターフェース。
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【ステータスウィンドウ】
【名前】ミドウテンリ
【職業】剣士(Swordman)
【レベル】1
【HP】240/240
【MP】60/60
【ステータス】
・攻撃力 :30
・防御力 :22
・俊敏 :26
・知力 :22
・精神 :26
・会心率 :5%
・行動速度 :1.00(基準値)
【所持スキル】
・斬撃
【装備】ON/OFF
・銅の剣(攻撃+3)
・旧型レザーアーマー(防御+2)
現在のクエスト:戦闘任務01/10:ゴブリンのボスを討伐せよ
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「……やっぱり、基本仕様は変わってないな」
そしてパーティリストを見ると、この場にいる全員が【パーティ1】として括られている。
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パーティ1:
•ミドウテンリ:剣士
•リクト:剣士
•ミユ:精霊使い
•ケイタ:魔術師
•ユウナギ:治癒士
•カズ:盾兵
•シュウ:狩人
•サラ:鍛冶士
•レイジ:格闘家
•HINA:治癒
•シュエナ:魔術師
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確認できるのは名前とクラスのみ。
他の詳細なステータスは非公開だ。
チュートリアル用即興パーティってところか。
「なぁ」
隣から声をかけられた。
歳の近い青年だ。
金髪ミディアムで大きく丸い目。
細身ながらも整った体躯で、第一印象は、なんか少しチャラそう。
「他のやつが騒いでる中、君はずいぶん冷静なんだな」
「あ、いや。ある程度のシステムが分かってないと、クリアできるもんもできないだろ?」
突然の会話。
少し焦って、早口になってしまった。
「……プフッ!」
「えっ、何だ!?」
まさか唐突に吹き出されるとは。
まぁ現実の人間からしてコミュ障のゲーマーなんて、笑いのネタくらいにしか思われてないのかもしれないな。
「君、ミドウテンリだろ?」
「なっ……!?」
一瞬、思考が止まる。
まさか、この中に俺の名前を知ってる奴がいたとは。
いや、考えれば当然か。
アークス攻略用の掲示板にすら、ミドウテンリの名が出ていたのだ。
このβテスターの中に知ってるやつがいても、何らおかしいことはない。
ステータスウィンドウを見れば、プレイヤー名も見られるわけなのだから。
そして今、この中で最初にウインドウを操作しているのがミドウテンリだと、そう推測したのだとすれば――
かなり分析に長けた奴だったりするのだろうか?
もしくは、アークスで面識があったり?
「ミドは、どこにいてもミドなんだなぁ!」
「っ!? その呼び方……まさか、レイジ!?」
まるで裏表のない屈託ない笑みで「気づくのがおせぇよ」と吐き出した青年。
レイジは、派手で明るくて、パーティ内でもいつも誰より声を張る男だった。
正直、うるさいくらい。
でもアークス時代の数少ない――友達とも呼べるプレイヤーの1人だ。
少なくとも、俺はそう思っている。
「まさか、こんなところで会えるとはな」
驚きと興奮が入り交じった感覚。
そして本心から会えて嬉しいと思った末に、ようやく喉から出た言葉だ。
「あぁ久しいぜ! ログインしてステータス開きゃ、ミドの名があったもんでな! オレの次にステータスを開くヤツがミドだと思って声をかけたら案の定だよ」
ニシシッと満面に笑むその姿は、俺の中でアークスの頃のレイジとピッタリ重なる。
そう思えば、前作のクオリティにおいても相当高かったんだと今更ながらに思わされるな。
「……にしてもレイジ、お前の性格なら、テンション上がりまくってステータスなんて二の次だと思っていたけど?」
そう、レイジは感覚派であり、情熱家の男。
彼の性格上、まずは五感をフルで楽しむと思っていたが、俺より先にステータスを確認したというのは、少し違和感を感じる。
「え、お前、そりゃ……アークスで一緒だった友達がいるかもしれねぇだろぉが!」
レイジは目を見開き、さも当然かのように、そう答えた。
「……ふっ」
ガシッ――
「おい、笑い方までアークスの頃まんまじゃねぇか! ミド、懐かしいなぁほんと!」
乱暴に肩を組んでくるレイジこそ、ゲーム世界そのままだと思う。
「離してくれ、暑苦しい」
「おい、なんだとコノヤロー!」
と、懐かしい会話を繰り広げていたその時――
突如として状況は変わった。
「ギィィッ!!」
草むらの奥から、獣のような叫びが響いたのだ。
「なっ……」
「うわっ!? 今の、なんだよ!?」
振り向くと、そこには一体の小柄な緑の生物――ゴブリンがいた。
身長は子どもほど。
だがその腕には鋭いナイフ。
口元には牙、目には殺気。
「リアルすぎる……っ!」
誰かが震え声で呟いた。
「ふん、驚くようなもんじゃねぇよ」
前に出たのは、さっきのテスト会場でも声を張っていた強面の男だ。
腕まくりをしながら、笑う。
「俺ァ、アークス出身なんだ! ゴブリンなんて、余裕だっての!」
そう叫ぶと、男はステータスウィンドウの装備をONに切り替え、剣を手に持った。
が――
「う、うおっ!?」
剣の重みに身体が沈む。
「……おい、思ったより重くねぇか?」
ゴブリンが飛びかかった。
男は慌てて両手で剣を構え、防御する。
キィィィン!
剣とナイフがぶつかる音。
続いてゴブリンは、男の剣にしがみつく。
「ぐっ……!」
そして剣を支えていた左手を――
ガブリッ!
「ぐあぁあああっ!!」
ゴブリンが噛みついた。
「指がっ! 俺の、指がああああ!!」
バチッ、と何かが弾け飛ぶように、肉の千切れる音がした。
数本の指が、ゴブリンの牙に食い千切られてしまったのだ。
「「「う、うわぁぁあっ!」」」
「くそっ! おらぁっ!」
周囲から悲鳴が上がる中、一人勇気ある中年の男が、ゴブリンをタックルで吹っ飛ばした。
負傷し、取り乱す強面の男を、男性陣が二人ほどで無理やり立たせる。
「早く! 逃げましょう!!」
その声に呼応するように、他のプレイヤーたちも悲鳴を上げながら散開した。
「きゃああああ!」
振り返ると、さっきのゴブリンが指を吐き出し、こちらを見てニタァと笑っていた。
そして同じ方向からは、さらに数体のゴブリンが集まり始める。
「……どうなってるんだ」
「ミド! オレたちも行くぞ!」
正直俺もパニック状態だったが、レイジのひと声で正気を取り戻した。
「……あぁ!」
もちろん、本音を言えば怖い。
手の震えも、喉の渇きも、それが証拠だ。
しかし恐怖なんてものは、あくまで処理すべき感情に過ぎない。
今はそれを棚に上げて、どう生き残るかを考える方が合理的だ。
そう思える自分を、少しだけ気味が悪いと感じながら、俺はレイジと共に、ゴブリンがきた逆方向へ、駆け出していったのだった。
* * *
数分後、駆けた先には、廃墟のようなコンクリートの集落が見えてきた。
崩れかけた壁、倒壊した建物。
元は家々だったのだろうが、今では瓦礫の山だ。
どことなく見たことのある景色。
それが何かまでは思い出せないが、俺の脳内の何かと重なりそうな気がする。
だがそれを解き明かすのは、もう少し先だ。
今は逃げるのが先決。
俺たちは全員で、その集落へ駆け込んだ。
「あの塀に隠れよう!」
ここまで先立って俺たちを引っ張ってくれた中年の男。
彼が差すのは、比較的背の高い塀。
あそこなら迫るゴブリンから姿を隠せるはずだ。
人数が多いため四つの組に別れて、それぞれ塀の裏に身を置いた。
「……痛ぇよぉ……血が、止まらねぇ……」
強面の男は、俺のところとは異なる塀の裏で座り込んでいた。
左手は真っ赤に染まり、未だに血が流れ出ている。
「ど、どうすれば……」
「回復アイテムもないですし、スキルだって……」
「と、とりあえず布で縛るしか……」
誰も、何もできなかった。
アイテムを持っていなければ、回復スキルもない。
そして今も尚、ゴブリンたちは俺たちを塀の向こうで探し回っている。
――最悪の状況だ。
「……ミド」
声をかけてきたのは、レイジだった。
「これ、どういうことだと思う?」
不安に溺れて、縮こまったような声。
こんな彼は、アークスの頃でも見たことがない。
「五感を全て同期させ、可能な限りリアルに近づけた場合、どうなるか……」
俺は小さく息を吐いた。
「それを図った実験……それがこのアークマギアのβテストだ、ってことなのかもしれない」
震える声を抑えながら、俺は仮説を述べた。
血の匂い。
噛み千切られた肉の痕。
震えながら隠れるプレイヤーたち。
ここまで仮想を突き詰めてしまうと、
そんなのは、もはや現実だ。
「そ、そんな……こんなの、もうゲームじゃねぇだろ! ログアウトだ、みんな、ログアウトしよう!」
レイジの叫び。
皆の表情は一転し、明るくなる。
「そうだ、その手があったか!」
「ウインドウにそのボタンがあったはず!」
「やったぁ、ここからおさらばできる……」
「ダ、ダメッ! ログアウトできない!」
一人の女性が声を上げる。
ピッ――
俺も同時に操作していたが、自分の画面にもそれは表示された。
一瞬だけブラックアウトした画面。
どこか濁ったノイズ混じりの文字列。
【クエスト受注中はログアウトができません】
俺の画面にそんな表示が出た。
同じパーティなのだから、当然他のプレイヤーにも同じ表示が出ているんだろう。
「ど、どうなってるんですか!?」
「おい、いい加減にしろ! ここから出せ、運営!」
参加者は総じてパニック。
「ふ、ふざけんな。俺ァ、普通にゲームがしたかっただけなのによぉ……。クソがぁ……」
強面の男は力なく、呟いている。
そんな中、俺はずっと思考を巡らせていた。
もちろんログアウトできないことは辛い。
怖いし、今すぐこの場から逃げ出したい。
だが、逃げられないのが今の現状。
ならば考えるしかない。
怖いという感情をできる限り排除して、死なない方法を探すしかないのだ。
だからこそ、一つ分かったことがある。
ここに来た時に抱いていたデジャブ感と、
この塀を触った時に感じる、プログラムの異様な乱雑さから、俺はこの土地の正体を暴くことが出来た。
「ミド、どうし……」
俺はレイジの口に、手を被せた。
それから人差し指を立てる。
同じ塀に隠れる他二人にも指を立て、静かにする意思を示す。
ゴブリンは音に反応するからだ。
他の塀の者たちには、パーティ用のチャットにメッセージを送った。
『知っていると思うが、ゴブリンは音に反応する。だから静かに。そして折を見て、俺が西へ走る。ついてきてくれ』
ここから逃げ切る方法だ。
そして俺が考え至った末に編み出した、現状唯一と言っていい、生き残る術。
皆、チャットに気づいてくれればいいが。
そんな時、
カツ、カツ……と、乾いた音がした。
誰かがここに近づいてくる。
その次にくん、くん……と、鼻を鳴らすような音。
「……!」
塀の向こうに感じるいくつもの気配。
さっきのゴブリンたちがやってきたのだ。




