第17話
ログインの起動音が耳をくすぐる。
久々に聞く、アークスの起動画面。
視界を埋め尽くすローディングエフェクトの後、俺のアバターが仮想空間に投影された。
「……久しぶりだな。この格好も」
視線を落とす。
黒基調のハーフコートに、ショートブーツ。腰に一本の細身のソード。
〈アークスフィア=コード〉、通称〈アークス〉で使い慣れていた俺のデフォルトアバターだ。
だが今は懐かしんでいる暇はない。
「空中庭園。中央ブロック……だったか」
脳内の情報を整理しつつ、辺りを見渡す。
ここは空中庭園。
全体の構造は、空中に浮かぶ巨大なホール状の円形大地で、外から「外縁→内縁→中央ブロック」の順にそれぞれが高い壁で区切られている。
今俺がいるところは、外縁区画。
宿屋やアイテムショップ、鍛冶屋など、始まりの街にもあるようなお店が建ち並んでいる、いわば非戦闘エリアだ。
中央ブロックに行くには、この高くそびえ立つレンガ状の高い壁を抜けて、その先の内縁区画をさらに越さなければならない。
といっても外縁の内縁も非戦闘エリアのため、ただ歩いていけばいいだけだが。
「しかしまるで、別世界だな」
ここではプレイヤーたちがのんびりと歩き、雑談を交わし、ショップ巡りをしている。
和気あいあいとしている雰囲気に、つい自分たちの経験したアークマギアと比べてしまった。
あまりにも世界観が違いすぎて。
「……っと、今はそんな場合じゃないな」
目指すべきは中央ブロック。
一刻も早く向かわねばと、
歩き出したその時だった。
「おーい、ミドウ!」
聞き覚えのある声に、足が止まる。
振り向けば、そこには一人の青年。
グレーの鬣をなびかせた、アバター上は獣人ということになっている彼がこちらに手を振ってきた。
「……ライナス!? 久しぶりだな」
「ほんとだよ。最近全然見なかったじゃん。てっきりアークス引退しちゃったのかと……」
「いや、ちょっと忙しくてな。お前こそなんでここに? 空中庭園なんて来るタイプだったか?」
そう、獣人ライナスが普段アークスで訪れるのは、第34エリア〈ザングラード〉という、主に獣人プレイヤーの交流場所だったはず。
「あ、いや……」
ライナスは言い淀み、どこか探るような視線をこちらに向けていた。
まるで俺たちβテスターのウィンドウを意識しているかのような……いや、〈アークス〉にもウィンドウはある。
深読みしすぎか。
「そういえばさ……ミドウ、お前。アークマギアのβ、受けてるんだろ?」
「……っ」
タイムリーな話題に、返答に詰まる。
だがβテスターの名簿が出回っている以上、ライナスが知っていても不思議ではない。
「おれさ、この前βの当選通知来たんだよ! 今、順番待ちだからさ、その間に色々話聞かせてくれよ」
……その言い方に、一瞬だけ違和感が走った。
軽口の裏に、妙な「間」があった。
それにライナスの性格上、ここまでゲームにのめり込もうとするタイプじゃないはず。
どちらかというと、彼はプライベートでのゲーム時間は四割くらいの男。
事前に情報を聞いてまでとなると、俺の知ってるライナス像と少しだけ解離している。
もしかして、何か裏が……?
いや、今のところなんの根拠もない。
ただ五感同期型のフルダイブに興味があるってだけかもしれないし。
「わかった。今急いでるからまた今度な」
「おぉー! じゃ、後でメッセ送るわ!」
彼が本当にβテスターに選ばれているなら、このクエストが終わったら必ず連絡を入れよう。
「このゲームには来るな」と――。
だが、今は中央ブロックへ向かうのが最優先。
俺はライナスと別れた後、走り出した。
* * *
中央ブロックへの壁を通り越した。
そこは〈空中庭園〉の名が示す通り、巨大な空中の庭園だった。
そこには巨大な立方体が、あちこちに転がっている。
外見は無機質なキューブ。
だが、その内部にはそれぞれ異なる環境が構築されている。
森林、遺跡、湖沼、迷宮……。
各ブロックごとが「異なる独自ステージ」として機能しており、プレイヤーは内部転移によってその一つに挑む仕組みだった。
しかしそのステージ名は、外から確認不能。
だから、どこに仲間たちがいいるのか、見た目だけでは判断できないのだ。
そんな中央ブロックだが、ここには今他のプレイヤーの姿が一切ない。
理由は明白だった。
キューブ内のクエストは内縁区画のギルドで申請し、専用の転移ゲートから入場する。
それが正式なルートだからだ。
そう、
ここはいくつものキューブが転がっている、ただのお庭に過ぎないのである。
そりゃ普通のプレイヤーが来るはずもない。
だが、俺は違う。
普通のプレイヤーじゃない。
バグチェッカーだ。
あらゆるバグを見つけ、解析する者。
「だから……まずは、試す」
俺は全てのキューブを見渡せる位置に立ち、模写眼で一つ一つのコードを覗き見ていく。
「……どれだ?」
違う。
あれも違う。
あのキューブも……。
「くそ、どのキューブなんだ……」
俺はあるコードを綴ったキューブを探している。
それはアークマギアで今までプレイしていたステージ、ゴブリン集落とベルカ街、二つの共通点。
アークスにおける〈初回限定〉特殊ステージだ。
通常の常設エリアではなく、クリア後には閉鎖される特殊インスタンス型。
この空中庭園にも、確か一つだけそういうブロックがあったはずだ。
【イベント限定型】一度のみのクエスト。
「……あれだな」
明らかにコードの違うキューブが一つ。
イベント型独自の文字列。
俺は急いでそこに向かう。
壁際に立った。
「……そうだ、このキューブだ。このキューブだけ、すり抜けバグが適用したんだった」
改めて手で触れ、コードの波を読み取った時、俺はそう確信する。
手順を思い出し、慎重に操作を進める。
すると、アークス時代に培ったバグの感覚が蘇ってきた。
「頼む……っ!」
――スッ。
身体が半分、壁の向こう側に滑り込んだ。
「……通った!」
喜びかけた、その時。
異変に気づく。
壁の向こう側――
抜けた部分の感覚が、明らかに「アバター」ではなかった。
生身。
現実の、俺自身の身体感覚に近いフィードバックが返ってきている。
「やはり……アークマギアと、繋がっている……!」
ここで確信は決定的になった。
壁の半身を抜けた状態のまま、慎重に視線を巡らせる。
そこに広がっていたのは、一面の濃緑。
――いや、違う。
これは霧を孕んだ樹海だ。
上方を見上げれば、枝葉が絡み合った巨大な天蓋が、まるで空を閉ざすかのように重なっている。
僅かな光が、葉の隙間から筋のように降り注ぎ、霞がかった空間を照らしていた。
左右を見れば、巨木の幹が幾重にも並び、その間を埋め尽くすように、蔦と苔が這い回っている。
耳に届くのは、時折どこからともなく聞こえる「パキ……パキ……」と木が軋む音と、遠くで響く獣の低い唸り声。
間違いない。
ここがイベント限定型ステージ【翠影の樹海】。
そして今回のアークマギアの戦場だ。
そして次の瞬間――
「た、助けてっ!!
甲高い悲鳴が飛び込んできた。
振り向く。
少し先で、一人のプレイヤーがモンスターに追われていた。
見覚えのない装備、ぎこちない動き。
おそらく、今回の初参加βテスターだ。
目が合った瞬間、向こうは一瞬驚きで目を見開くも、咄嗟に大声をあげた。
「お願いっ! 助けてくださいっ!!」
「……わかった、今すぐ――」
俺は一瞬たりとも迷わず、壁から一歩踏み出そうとした。
しかし、
【エラー発生】
【該当エリアはデータ通過のみ許可】
【プレイヤー本体の侵入は現在ブロックされています】
視界に、黒地に赤の文字で染まった不気味なウィンドウが強制表示された。
「……っ、これは……っ!?」
体が動かない。
否――じわじわと押し戻されている。
データのみ通過……?
つまり俺は通れないってか?
だが、壁の向こうからはβテスターの叫び声が続いていた。
「お願いっ!! 誰か――!!」
視界がじわじわと外壁側に戻される。
あと数秒もすれば、俺は完全に外へ追いやられるだろう。
「くっそ、せっかく、ここまで来れたのにっ!」
結局俺は、除け者かよ……。
自分の無力さに心底反吐が出る。
【パーティメンバー〈カズ〉 HP30%以下】
【パーティメンバー〈レイジ〉 HP50%以下】
【パーティメンバー〈シュエナ〉 HP30%以下】
さらに通知が俺に追い打ちをかけて来る。
「みんな……っ!」
俺は……なんのためにここまで来たんだ。
なんのためにあれだけ時間をかけて、召喚のカケラを解析したんだよ……。
「これじゃ……なんの意味も、ない」
その時、ふと思った。
「召喚のカケラって……」
もしかしてデータじゃないのか?
さっき、データなら通るって――。
〈召喚契約コード:ヴァルティナ〉
俺専用のユニーク召喚アイテム。
解析したんだから、データに決まってる。
「……やってみるしかない!!」
即座に、ウィンドウを開く。
【特殊召喚〈ヴァルティナ〉使用可能】
【発動エリア指定:翠影の樹海】
【発動しますか?】
「頼む、ヴァルティナ――!」
迷っている暇はない。
俺は即、発動を選択。
召喚のエフェクトが壁の内側へ滑り込んでいった。
だが、
【強制戻し処理、実行中】
その瞬間、俺の身体は完全に壁の外側へと弾き出されてしまった。
「くそ……っ!」
ぐっと拳を握りしめた、その時――
アークマギア側のウィンドウが、不意に立ち上がった。
【召喚中:英雄シグル・ヴァルティナ】
【現在位置:翠影の樹海】
【行動指示を入力してください】
「っ……通った!!」
つまり――
ヴァルティナの召喚コードは、データとしてあのステージに侵入成功しているということだ。
俺は即座にウィンドウのコマンド入力欄に手を伸ばした。
『対象:現場の敵対モンスター群。可能な限り速やかに殲滅』
震える指で、確定を押す。
【指示受領】
【戦闘開始――】
「……頼んだぞ、ヴァルティナ」
俺は見えない壁の向こうへ、祈るように呟いた。




