せめぎあうメグと美咲
その日、あたしは前日の調べものによる夜更かしがたたり、ちょっと警戒心が薄くなっていたかもしれない。理科室での授業が終わり、昼休みのために教室への移動中。クラスメートやビーのする噂話をいつものように聞き流していた時、興味があるふりをすることもせずに、ただ気をぬいてしまっていた。
「メグさん?」
あたしは突然話しかけられ、目をしばたいた。目の前に、制服に包まれた体に、知った顔。
「ん?スティーブン?!」
あれ、あなたこの学校の生徒だったの?
「メグさん、髪まとめているときとずいぶん印象違いますね。年下だったんですね」
アレ?あたしが年下?スティーブンは上級生?でもあたしは、スティーブンの前でかなり大人ぶっていた。というか、実際はあたしの方が大人だし。ん?じゃあ今は、どうすればいいんだっけ?混乱してきた。
「え?あ?そ、そうみたいね…」
周りがざわついていることに気づく。ドロシーさえもなんだかざわつきに一役買っている。そういえば、スティーブンという2年生は、中長距離の当校のエースだとはあたしもおぼろげながら聞いたことがあったと思い出す。成績優秀、衆目美麗、清廉潔白。噂に興味のないあたしにも、今付き合っている女性がいないということまで耳に届いていた。あ、この学校のスティーブンって、ジョガーのスティーブンだったんだ?
「メグさんって、本当に高校一年生…?」
「しーっ!!!」それは言っちゃだめなんです!「たんまたんま、後で後で!」
あたしはスティーブンの腕をつかんで走り出し、とにかく皆から引き離す。
屋上への階段の踊り場で、ようやく皆から引き離せた。ジョギングよりも息が上がっているあたしを、スティーブンは上級生の余裕をもって見つめてきた。
「メグさんは病気か何かで留年したんですか?病気の時も走ってたんですか?」
「そうそうそう!そんなような感じ。だから言いたくないのよ」
「道理でフォームも安定していると思ったんですよ。見ていて気持ちのいい重心の運び方だしね」
「そ、そう?ありがと」
彼はふっとため息と一緒にやさしい笑顔をこぼした。「やっぱ、留年もせずに普通の下級生ってことなんですね」
「うっ…そう…なの。」あたしはほっとしたが、それは彼に新たな嘘をつかないで済むからだった。「ごめんなさい。大人ぶりたかったみたい」
「でも、メグさんの走り方は本当だよね。前から、あなたの意見を聞きたかったんです。なんか年が近いなら、勇気を出して言えそう。
メグさん、ランニングシューズを買いに行くのに付き合ってもらえますか」
「そ、そう?わ、わかったわ。うん、いいわよ」挙動不審な状況を終わらせるため、あたしはとりあえずうなずいた。
次の土曜日、あたしはスティーブンと待ち合わせをした。以前にビーたちと待ち合わせたモール。あたしは、なんだかよくわからなくなって、ランニングシューズを買いに行くというのに制服で来てしまった。スティーブンを待ちながら、あたしは突然気づいた。
ちょっと待って、これってデート?あたし、高校生とデートしようとしているの?それって犯罪では…?相手は高校生よ?なんかあたしがかどわかしている感じじゃない?でも、あたし、うれしいの?うれしいとしたら、何がうれしいのかしら。
待ち合わせの時間の5分ほど前に、スティーブンは現れた。各種の混乱に目を回しているあたしと対照的に、きれいな洗い立てのジャージに爽やかな笑顔を浮かべて。
「お待たせしてしまって、申し訳ない。メグさん。僕から誘っておいて」
「いえ、あたしも今来たばっかり…」
あたしは返答しながら、なんだか青春ドラマのくさいセリフのような問答にますます混乱した。あたし、何しているのかしら?あたし、もともと情報局員で潜入捜査していて、息抜きに走っていて出会った男性の前で大人ぶって、高校生のふりしているだけなのに後輩だと思われて、デートみたいなものをしている…。あたし、どうふるまったらいいんだっけ?
スティーブンは、モールのはじのランニングシューズ専門店へ迷わず進む。順路も知らないあたしはそんな彼に付き従う。それはまさに、運動部のエースが、運動に興味がない彼女を連れて専門店に行く感じ。でも、そうした彼の都合に合わせていることを、彼自身もよく知っているから彼女をいたわるし、彼女は運動には興味がないながらも彼の日常には興味があるから付き合う。なんだかはたから見たら、あまりにも健全な青春の一ページだ。
でもその実、なんだか無茶苦茶。
あたしは混乱が極まった挙句、突然ヒューズが切れた。何をどうしたらいいかなんて考えず、ああ、もう感じるままにふるまおう!
ヒューズが切れたら、あたしは目が覚めた。スティーブンには、それはあたしが緊張から解放されたと映ったのか、目に見えて安心し楽しそうに笑った。あたしも笑った。
実のところスティーブンは買おうと思っているシューズのモデルに見当がついているようだった。それでも似合う色や紐との組み合わせについて、あたしの意見を聞いてきた。あたしは純粋に彼に似合うであろう組み合わせを答えた。その過程で、彼はこの土地でのシューズの選び方を教えてくれた…そうだ、あたしはダート用のランニングシューズを探していたのだった…というか、この町ではダート用が普通なんだろうけど。ん?もしかすると、スティーブンはむしろあたしにランニングシューズを勧めるためにこのデートをセッティングしてくれたのか?だったとしたら、なんて優しいの…そんなこと、高校生で思いつくもの?
そうであればと、あたしもいくつかのランニングシューズを履いてみる。飛び跳ねてみる。もちろんモールにはダートはないけど、走る際の雰囲気はわかる。よさそうだ。気に入ったモデルがようやく見つかり、ようやく鏡の前に立った時、制服のミニスカートから伸びた自分の脚にランニングシューズが履かれているのって、なぜだかなんだか脚の露出が居心地が悪いほど目立つ。なぜだろう。だからみんなじろじろ見てたのか。ん、それにこれって、ジョガーの彼氏に勧められて初めてのランニングシューズを買おうとしている彼女みたいなんじゃ…いやいやいや、時間的年齢的にはむしろしっかりとジョギングし始めたのってあたしの方が先なんですけど!ヴァグァでは、死ぬほど山を走らされたし!
「メグさんの脚は本当に長距離走向けの脚ですよね」
そう言うスティーブンの方を見ると、彼もなにかちょっと顔を赤らめている。それを見ると、こっちこそ恥ずかしくなってくる。この恥ずかしさ、無様に脚を眺められている恥ずかしさか、それとも制服コスプレをしていることへの恥ずかしさか、よくわからない。
「あ、ありがとう」
あたしはランニングシューズを買った。
スティーブンは、あたしを休憩のためにモールのカフェテリアへいざなった。
「メグさんって、どこかミステリアスですよね」
「うぐ!!そうでもないのよ…」ミステリアスと言うより、ただ混乱してよくわかんなくなっているだけなのです…。
「それより、別にあたしあなたより年上じゃないし、呼び捨てにしてもらったほうが安心する」
何かをごまかすためにカフェオレをすする。
「わかったよ。ありがとう」
なんでこの子は、こんなに優しいのだろう…。あたしの精神年齢が下がったのかもしれないけれども、スティーブンへの好感がますます上がる。
「メグの不思議な所、誰にも言わないから大丈夫だよ。約束するよ」
「えっ…そんなこと約束するの?いいよ約束しなくて。重いでしょ、約束」
「ん?」
「サスカチュワン星系での約束の重要性、あたしここに来るまでに学んだわ。約束を破ることってとっても社会的に重いじゃない?その年で、そんなあいまいな約束したら、縛られてよくないわ」
「もしそんなことがあるとしたら、その場合は約束を取り消すことになるよ」
「約束は取り消せるの?って、まあ取り消せるに決まってるわよね。なにか、取り消すための儀式があったりするの?」
「儀式って言うか…約束した相手と話し合って約束を取り消すことをちゃんと伝えて、約束がもう存在しないことをお互い確認するだけです。ほかの国では違うの?」
「まあ、同じようなものね。でも約束を約束と思わず、相槌の延長線みたいな軽い約束は、お互いにそもそも約束と扱わない場合もおおいわね」
彼はぶるっと体を震わせた。ああ、生理的に嫌いなのだ、そういう環境。
その時あたしは一つのことを悟った。今晩報告しなきゃ。
あ、やばい。また頭でっかちモードになってた。いけないいけない。
あたしは、横を歩くスティーブンに振り向き、ごめんねと言う意味を込めてにっこりと笑った。
スティーブンは、何か雷に打たれたような表情。
「メグさん、触れてもいい?」
「え?ん?いいけど…?」
彼は突然あたしをひっぱり、あたしは抱き寄せられた。
彼は一度だけ、あたしの顔を確かめるみたいにのぞき込み、唇を重ねてきた。
え、これ、どういうこと?あたしは真っ赤になった自覚があった。高校生からのキスに赤面した自分に、また動揺して赤くなった。確かにイケメンだけど、イケメンなくせに浮ついてないようだけど。でもこんな嘘っぱちな女をたぶらかすなんて!というかあたし、たぶらかされているの?たぶらかされうるの?
なんか全身の力が抜ける。え、あたし本当に高校生に戻っちゃったの?あたしは今、どんな自分としてこの感情を感じているの?
「メグ、やはり僕は君が好きだ」
彼は、あたしなんて好きになるなんて、本気?本気ではないの?どうであれ、こんなまがい物の女を好きになるなんて、どうかしている。彼はメグを好きであって、美咲を好きではないのに。それでもあたしは美咲でしかありえないのに。でもそうであるなら、どうしたら彼にとって良いの?
「スティーブン、ちょっと待って…」
「突然、ごめんなさい、メグ。自分を抑えきれなくて。」
「それはいいのそれはいいの。でもあたし、混乱してて。ごめんなさい」
ん?キスされてもいいのか?それは女子高校生の正常な反応ではないのでは?
あたしの今日何度目かのヒューズが切れた。
「あなた、あたしなんて好きなの?どうして?」
「何だろう、あなたの芯の強さ。あなた自身が揺らいでいるわけではなさそうなのに、とっても複雑な心のうちが透けて見える。ほっとけない危うさがありながら、あなた自身はいつもそれを切り抜けてきたんだろうなと思う。あなたが大人でも全然不思議はない。とても心惹かれます」
なんか、真剣にあたしの事好きなんだな。あたしよりよっぽど頭よさそうだけど。
「スティーブン、あたしも、あなたのこと好きよ。でも、それが、恋心なのかどうかはよくわからない。あたし、あなたのせいではなくて、勝手に混乱しているの。ごめんなさい、少し時間を頂戴」
彼はそれを拒絶の一種と受け取った。見てわかるくらいにしょんぼりした。
「メグ、僕にとってあなたは本当に特別だ。冷静でいようとしても、常に君の何かに振り回されて、でもそれが心地よくもある。自分のこれまで知らなかった感情をわき起こさせてくれるから」
あたしは、そんな彼に、背伸びをしてほほに口づけた。
「え、メグ、これは…?」
「あたしもあなたを好きだということよ。でも時間をください。お願いよ、スティーブン」
あたしは、本気の気持ちで彼を見つめることができ、彼はようやくそれを本気で受け取った。
その晩、あたしは連邦情報局への定期報告書を書いた。報告書を書きながら、あたしの考えは巡った。
サスカチュワン星系から連邦中央に就職するものが少なかったりすること、スティーブンが感じたような居心地の悪さが原因か。ただでさえ、国外での常識に生理的な嫌悪に近い悪寒を感じるなら、そもそも国外に出たいと思えないだろう。それでも出るとしたら、組織として約束というか指揮命令系統がしっかりしている海軍に所属するという選択肢を取るのか。あたしのいる連邦情報局と言う機関は、情報機関だけあってスパイ活動の場合などによっては、約束をたがえることも多いかもしれない。そりゃあ好き好んで志願する者がいないのもわからないでもない。
でも…情報局は別にスパイ活動だけをしているわけではない。未踏破の星系を調査するとか、冒険にあふれている面もある。あたしが情報局に入ったのもそれが理由の一つ。サスカチュワン星系の人々には生理的な嫌悪があっても、冒険心がある人はいるだろう…例えばこのスティーブンのように。そのような人材は、情報局に進んでもおかしくない。しかしそれでも志願者が全くいないというのはどうしたことだろう?冒険心溢れた人々は、どこ行くのだろう?
定期報告書を書くことであたしは平静にもどれた。いつものルーチンをこなし、目をつむるとそのまま眠りに落ちた。
あたしは当然気づいていた。これはスティーブンを好いているかどうかという話ではなく、連邦情報局の本條美咲と高校生としての柿崎メグのアイデンティティのせめぎ合いだと。それぞれが年齢だけでなく、連邦よりなのか、サスカチュワンよりなのかという違いもある。こうしたせめぎ合いにあたしを陥れたジェンキンス中佐に心底感謝した…あたしの根幹にかかわる問題をあぶりだしてくれたからだ。その中であたしの本当はどこにあるのか。本当は考えるまでもなかった。あたしはあたしであるのだ!




