幕前 プレリュード・デッリンディーツィオ 手がかりの前奏 1/2
ヴァグァ星系の連邦情報局本庁舎は、外観こそ簡素だが内部の空気はいつも濃い。
「ジェンキンス中佐、本條美咲訓練生、到着いたしました」
呼び出された統計調査部のブリーフィングルームは、壁一面のスクリーンに、星系ごとの人口曲線が重ね描きされている。薄い青、緑、灰色の線が幾重にも重なる中、ひときわ細い赤のハイライトが波打つ。
「はい。席にお付きなさい、訓練生」
あたしは、背筋を伸ばしつつ顔も動かさず、ただ不安げに、部屋の内部を目でスキャンする。探査部のハリエット・ジェンキンス中佐だけでなく、ジェンキンス中佐の上司であるディクシー・フォルマ―大佐もいる。なんの大ごとだこれは?
「あの、最初に一つだけ質問よろしいでしょうか」
「何にも始まってないのにもう質問?あなたらしいわね。いいわよ」
「あの、あたし、何かいきなり失敗しましたでしょうか…?」
「ああ、訓練生、楽にしていいわ。あなたが食堂で昼食を二回食べることがこれまで数度あったことくらいでは、その程度の連邦資金の過剰使用では、優秀な新人に対して懲罰なんてしないから」
「ぐは!」ばれてる…しかも女子として大食いなのはやや沽券にかかわる…。
「今回、新たなミッションが発生したので、本條訓練生、あなたに担当してもらおうと思っているの。初めての任務だから、危険は少なく、訓練の延長線上だと思ってもらっていいわ。もちろん十分な支援を付ける。では、ブリーフィングを始めます」
統計調査部のロン・ナカタニ中佐が眼鏡を指で押し上げ、静かに切り出した。「人類連邦の全星系について過去四百年分の人口動態を深層学習にかけた。その結果、いくつかの星系に異常が見つかった。サスカチュワン星系が、その一つだ」
あたしは、こっそりと彼を「眼鏡中佐」と呼んでいる。無駄口を叩かず、指先でグラフの節を示す癖がある。統計調査部のクリステル・ダゴノー中尉もそばにいる…彼女は調査部の中でも辺境地域の担当分析官だったような気がする。
「異常って、どのくらいですか」あたしは問いを重ねる前に、赤の波の周期に目を凝らした。「ナカタニ中佐、差異ってほとんどないように見えるんですが」
「変数が少ない指標ほど、逸脱は目立つ。人口動態はその代表だ。サスカチュワンでは、若年層、特に十代の増減が周期的に起きている。しかもその周期が短くなっている。振幅は小さいが、四百年全域を相関で捉えた結果だから、見過ごせない」
「十代の寿命でも異常が?」と別の分析官。
「平均寿命そのものではなく、十代の死亡率が、特定の年にわずかに高くなり、異なる特定の年にわずかに低くなる。統計上は“ノイズ”に見えるが、周期化している以上、ノイズではない可能性が高い。連邦中央まで届く公知情報ではここまでしかわからなかった」
腕を組むジェンキンス中佐が、あたしの顔を観察するように目を細めた。「十代の社会に何かがある。学校、労働、儀礼、あるいは非可視のネットワーク。潜入で調査の切り口を作る価値はあるわ」
あたしは眉を寄せた。「…潜入?」
ジェンキンス中佐は頷く。「訓練名目の軽い投入。あなた、基礎訓練課程では対人関係構築の能力が抜群だった。でもあなたの裏表がなさすぎるところが、未来の実務で躓きにならないか、それを見たいの。現場の空気でしか学べないことがあるから」
「あ、ありがとうございます、中佐」訓練担当ではなく、現場である探査部の中佐がそこまで自分を理解していることに驚いたあたしは、身が引き締まると同時に顔が火照るのを感じた。
「十代の人口動態に対する調査なので、転校生として高校に潜入してもらうことになるわ」
「そ、そうなんですか…。中佐、お気づきでしょうけど、あたし若く見えすぎるのがコンプレックスで…高校に編入って、子どもに戻るみたいで抵抗が」
「それでいいのよ、訓練生。潜入って違和感が無いように行うものだから。それに、子供たちの間での生活は、あなたの何が幼く見せているのかを理解できるかもしれないわよ」ハリエットは柔らかい笑みを浮かべた。
「サスカチュワン星系クベクの最優秀校に一年次編入。住居は学校から自転車で数分のアパート。通学路は、子爵の私邸の一つの前をわざと通る設定にする。何しろ、その学校は子爵が理事長だから」
「サスカチュワンは子爵が領主なんですね?」あたしは首を傾げる。
「サスカチュワン子爵。五十代の男性。公の露出は少なく、写真もほぼない。メディアに映らない権力は、しばしば地域の“不可視の構造”に関与する。十代が周期的に影響を受けるなら、成人の儀礼や奨学金制度、徴募に似た非公開の仕組み……何かが絡んでいるかもしれない。」
ダゴノー中尉が簡潔に補足する。「学校行事、成人前の通過儀礼の年次と相関があるかも未検証」
ブリーフィングルームの空調が微かに唸り、スクリーンの赤波が淡く呼吸するように見えた。あたしは、胸の内で小さくため息をつく。早く自立したかったし、お金もなかったので大学には行かなかった。けれど、情報局に入ってからの勉強は楽しく、そして思ったよりよくできた。訓練課程では、初めて会った人と自然に距離を作ったり、詰めたりすることが苦手ではない気づいた。
「軽い潜入。大事にはならない。秘密なんて、そうそう転がっていないわ」ジェンキンス中佐は、わざと少し明るい声で続けた。「あなたは教科書やレクチャーで学ぶことが不得意でしょ?潜入捜査の間に、潜入捜査に必要なことをつかみ取ってほしいのよ。自分でね」
ジェンキンス中佐が自分のことを訓練成績以上によくわかっていることに驚いた。「が、頑張ります」
「でも、あなたに少し“楽しんで”もほしいの。高校時代のあなたは、高度な対人スキルを持っていながら、あまり楽しそうじゃなかったように聞いているから。健全な精神の獲得のため、もう一度高校生生活をやりなおすのよ」
「楽しむ……ね」あたしは目線を落とし、机の艶を指先でなぞった。楽しむ。任務で。笑って、観察して、気づいたことを持ち帰る。できるだろうか。でも、チャンスをくれるならそれはつかみたい。
「あたしは潜入調査に参加します。拒否権はないのでしょうけど」
「よく言ってくれたわ、本條訓練生。今この瞬間をもって、あなたの訓練課程は記録上、準優等で早期終了したこととし、あなたは残り4か月の訓練課程の修了を待たずに本任務に取り掛かりなさい。たとえ、訓練の延長線上だと言っても、実際の任務です。気を引き締めて取り組みなさい、本條少尉!」
「はい!」
「ではまず、編入試験に合格しなさい」
「へ?それは何か無試験で転入生をねじ込む特別な方法があるのでは…?」
「潜入はね、特別な何かで目立ってはいけないの。できる方法があるなら、至極自然に潜入する方がいいのよ。特にあなたは不器用なんだから、ちゃんと編入試験に合格するのよ」
あたしは、合格しなかったらどうなるのかは考えないことにした。
準備は速やかに進んだ。編入試験は、事前に送られた過去問の傾向からあたしが得意とする論述形式が多いとわかり、なんとか通過した。偽名の履歴は過不足なく整えられ、出身地も出発地を偽装する手はずも取られた。引き続いて制服の寸法合わせ、アパートの手配。
並行して、二つの座学が続いた。
一つは、どの国であっても普遍的に教えられている応用数学と科学。あたしが高校にて優等生でいられる程度には事前に学習させられた。実際は、連邦情報局に入局する前は高校でよい成績をとっていたので、どちらも復習と言うところ。ただし、サスカチュワンでの数学がどの程度まで学ばれているかわからないので、通常の高等学校で教えられる数学をはみ出したところまで学習が行われた。
もう一つは、サスカチュワンに特有なその社会について。これは試験の成績のためと言うより、まさにこれから潜入する社会に溶け込むためだ。しかしこれらを学ぶにつれて、あたしにはだんだんと疑問がわいてきた。
「あの、クリステル・ダゴノー中尉、質問をしてもよろしいでしょうか」
新進気鋭の若手士官、憧れのダゴノー中尉に直接手ほどきを受けることは、あたしにとってボーナスのようなものだった。
「どうぞ、少尉」
「通常の潜入捜査は、こんなに準備期間がないものでしょうか。」
「少尉、いい質問ですね。通常は、潜入捜査については年単位の時間をかけます。今回のように、4か月で投入ということはほぼありません。今回は、最も怪しまれにくい新学期への潜入開始と言う事情から、こうした予定が組まれました。あくまで例外です」
「ありがとうございます。もう一つあるのですが」
「どうぞ、少尉」
「どうしてサスカチュワン星系についての情報はこれほど少ないのですか?」
「それも大変よい質問よ、少尉。私もそれには大いに疑念があります。たとえ主要航路から外れた星系であっても、ここまで情報が少ないのは何か異常です。星系からの情報がどこか意図的に隠されているようにすら感じます」
「サスカチュワン星系のサボタージュと言うことですか?それとも、中央でサスカチュワン星系の情報が消されているということですか?」
「わかりません。どちらかと言うと前者に近く、サスカチュワン星系が意図的に最低限の情報しか連邦に上げてきていないのでしょう。今回、ナカタニ中佐が発見したこの小さな人口上の異常があるサスカチュワン星系について潜入捜査を行うことについては、私は最初こそ疑問でしたが日に日にその必要性を感じます。私の勘ですが、何かがこの星系にはありますよ、少尉。ジェンキンス中佐の言う通り危険はないかもしれませんが」
「それは、この星系で重要視される約束を守るという行動に理由があるのでしょうか」
「可能性はあります。そのために、私がまとめたすべての情報を伝えます。少尉、促成教育を続けますよ」
あたしは、サスカチュワン星系で大変重要視される「約束を守る」ということを様々な角度から学んだ。それは、想像以上にあいまいでありながら想像以上の重要さを持っていた。個人と個人が明確に約束をした場合、その約束は名誉をもって遂行されるようだった。それこそ命を懸けて。約束を破ってはいけないという法律があるわけではない。約束には、その約束を行った当事者の名誉がかかっており、それがなされなかった場合には当事者の名誉は失墜する。結果的に、果たす見込みのない空約束はなされないし、約束を破ったような人はもう社会的に生きていけないほどの不信の目で見られるようだ。そしてその不信を払しょくするには、数年では済まない誠実な態度が必要とされる。
この約束は、他人に知られることがなくとも個人が自分自身とする強い決意にも適用されるようだった。自分自身の決意を守れない場合、それがたとえ他人に知られることがなくても、自分で自分への信用を失い、心理的にダメージがあるようだ。
「中尉、約束をここまで重要視するようになったのは、何か背景があるのでしょうか。例えば、宗教的なものとか」
「わからないわ。ただし、サスカチュワン星系には宗教的要素がほとんどないの。これは約束を重視する社会として秩序が保たれているので、秩序を保つための宗教を必要としていないのかもしれない。歴史的には、サスカチュワンには日系の移民が多かったようだから、それも影響しているかも。本條少尉、あなたも日系だったこともこの潜入にふさわしいと判断された理由です」
結果、サスカチュワン星系は非常に清廉な世界に見える。少なくとも、公開されている情報だけからは。
訓練と並行して行われていた、彼女の公開情報による分析によって、論点が絞られてきた。
「分かったのは、星系規模と社会全体の生産性および消費の傾向が合わないということね」
「改ざんされているということですか?」
「おそらく改ざんはされていない」
「どうしてこんな短期間にわかったんですか?」
「永年の多数の星系経済統計の解析の結果、改ざんされていない統計に使われている数字については、その出現頻度が偏ることがわかっているの。統計を13進数に変換するとなおさら。改ざんされた統計では、その出現頻度が変わるということね。サスカチュワン星系に関しては、数字の出現頻度解析をざっと行ったのだけど、結果は改ざんされていない統計に近いわ」
「へ?頻度?13進数?」
「また今度教えてあげるから、まずは信じて。統計の改ざんはされていない模様」
「…はい」
「それなのに、社会全体の生産と消費が多すぎるの。普通の星系の約二倍。普通の星系の二倍の生産と消費って、普通に考えるとどういうことだと思う?」
「…裏経済があるってことですか?」
「そうよ。経験上、たいていの場合はマフィアの経済があるってこと」
「違法薬物の取引とかですか」
「そう、これがどう人口動態とかかわるのか不明。でも、人口動態が不自然なのは違法ではないし、それは何かにつながるきっかけに過ぎない。ここで、経済の異常さが発見されたらこれは明白な調査対象となりうる。つまり、あなたの調査目的は、この経済の異常を調べることと言い換えられるわ」
「連邦中央へ税金を払っていないということですか?」
「そうではないの。サスカチュワンはこの2倍の経済に対応する税金を払っている。だからそれはいい。むしろ、これが闇経済だとして、その影響が他星系まで波及しているとなるとそれは連邦の関知するところになるということよ」
「なるほど…」
「まとめると、サスカチュワンでは、人口動態と経済に他の星系に見られない特徴がある。人口動態の異常は微々たるものだから調べにくいかも。そうだとすると、二倍であるという経済の方が調べやすいか。いずれにしても、人口動態の変動がある十代の社会に何かがある可能性が高いから、引き続き潜入はあなたに高校生として行ってもらうことになるわ」
やっぱ、そうなのね…。
ダゴノー中尉は、ふと眼鏡を取って、制服のすそで拭き始めた。それはのちに、彼女が落ち着かないときに行う無意識の儀式だと気づくことになる。しかしその時あたしは、もう一つ大変重要なことに意識を奪われていた…中尉は、眼鏡を取ると細面の超美人だった。なんでそんなに似合わない額縁みたいな眼鏡をかけているんだ?そんな美人を隠すぐらいなら、あたしに分けてほしい…。というか、この優秀な若手士官がこんなに美人だと、ちょっと完璧すぎて何かがまずいんじゃ…。
あたしの邪念をよそに、中尉は続ける。
「ああ、もう一つだけ私個人が気になることがあるの。それは、サスカチュワン星系から連邦情報局への志願者が皆無であるということ。連邦海軍にはある程度の応募者があるのに。何か異様です」
数か月の教育期間にあって、ダゴノー中尉はますますサスカチュワン星系について興味を掻き立ててられたのか、あたしの潜入と同期して投入される巡視船による定期訪問に志願したようだった。あたしとしては、ダゴノー中尉はあたしのどんなしょーもない質問にも嫌な顔せずに付き合ってくれるため、彼女が近くにいることを大変心強いと感じた。たとえその近くと言うのが、光の速度で数秒以内という程度の近さであったとしても。




