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エントラータ・マスケラータ 仮面の入場 1/2

 始業式から一週間が過ぎた火曜日の朝、あたしは鏡の前に立つ。鏡の中の自分は、緊張して表情を失った眼差しはむしろ静かな落ち着きをたたえているように見える。まっすぐ伸ばしてバレッタで留められた黒髪は、肩に触れてさらりと揺れる。これまでずっと短く切って、動きやすさを優先してきたのに、今日からは違う。自分でも驚くほど清楚に見える。自分ってこんなんだっけ?

「こんなイメチェン、私らしくない」

 イメチェンと言うより、嘘に見える。でもこういう自分もありえたのだろうか。

 真新しい制服は、あたしに似合っているかどうかすらわからないほど、かたく自己主張している。その制服の終わり、スカートからは脚が伸びている。自分の脚を海以外でここまで露出したことがあっただろうか。あまり気にしないようにしていても、膝小僧が何か言いたげに堂々と顔を出している。

 あたしは思わず頭を振る。すると、これまで髪につけたこともない桃の香りに改めて気づかされて余計に戸惑いが増す。

「内面までイメチェンする必要はない。むしろ、素性がバレるってハリエットも言ってたから、自然体でいないと」

 自覚している内面のおてんばさと、考えすぎる癖を、ここでうまく中和したかった。コミュニケーション能力は低くはないという自覚は、ここのところの訓練で確信に変わった。揉め事の処理も、場の空気を読むことも、苦手ではない。でもいつも、どこかで距離を置いてしまう。親しくなりすぎる前に、一歩退いてしまう。それが当たり前だと思っていた。これまでの高校時代には仲がいい友人は一人しかいなかったけれど、それで十分だと思っていた。

「それでも、一歩踏み出してみよう。いろんな人と仲良くなってみよう。それも任務だし」

 今回は、高校生活の、やり直しでもある。言葉にしてみると、少しだけ背筋が伸びる気がする。


 軽い朝食を済ませ、玄関を出ると、空気が冴えていた。早朝の匂いが街角に残り、少し冷たい風が頬を撫でる。新しく借りた小さなアパートから学校まで、坂を二つ越える道のり。新品の自転車のチェーンの音と呼吸のリズムが、あたしの心の中の緊張をほぐしていく。

「坂を越えるまで、向こうがわが見通せないのは不安だわ。高空に観測用のドローンでも飛ばしてもらおうかしら」

 通学路の途中、古い低い石塀の向こうに、よく手入れされた庭園が広がっていた。高い木々が縦に並び、窓には細い鉄格子の装飾。子爵の私邸の一つだと聞いている。塀の隙間から見える芝の線の整い方に、ふと足が緩んだ。秩序、という言葉が似合う風景。この社会では約束の重さがとても強いと転入前にくどいくらいに釘を刺されていたことが嫌でも思い出される。まだ学校にも着いていないのに、理由もなく呼吸が整う。

「本日は、変化なしっと。というか、子爵が住んでいる気配がないのよね…いずれは忍び込まないといけないのかな」

 このあたりにはいくつかの高校があるのだろうか。多様な制服を着た学生たちとすれ違いながら、自分の着ている制服と同じ制服を着る学生の比率が上がっていくのを実感する。

「でも高校生たちにあたしは溶け込めるかなぁ…溶け込めない場合は潜入から引き戻されるのかな。はっ!な、なんかあたし、朝から一人で謎語しゃべって、はたから見たらまるで中二病っぽくね?」


 学校につく。国で最も優秀と評判の高校。編入試験には通ったとはいえ、正直あたしには場違いに思える場所。これまた何か全体が嘘に感じる。とはいえ、気を引き締めなければならない。今回はそれでいくと決めたのだから。

 始業チャイムにはまだまだ間がある。しかし悪目立ちは避けたい。構内に入るとすぐに、職員室へ向かうことにした。早く担任に挨拶して、空気を掴んでおこう。それが一番落ち着く。

 廊下に出ると、すれ違う幾人かの生徒のスカート丈が目に入った。ふと、自分の裾に視線を落として、あたしは頬に血が上るのを感じる。

「やられた…みんなそんなにスカート短くないじゃん…事前の調査が不完全だったか時代遅れだったってこと?なんかあたしだけ攻めている感じ…どうしよ…」

 国外から来た転入生に見合うバランス、のつもりだった。清楚でありつつ、少しだけ大人っぽく。制服のルールの中で許される範囲の、ぎりぎりの調整。けれどこの学校、全体に落ち着いている。揃っている。ルールに無理やり従わされているというより、個々が自分を律している感じ。足元の靴まで磨き上げられているような、静かな統一感。その中であたしだけ、わずかに目を引いている。

 廊下の向こうから、数人がこちらを見る。ひそひそと囁きが波紋のように広がり、時間の膜が薄くなる。国外から来たらしい、という空気はすぐに伝わる。攻めた感じは、きっとスクールカースト上位の人たちに届くだろう…いい意味でも悪い意味でも。そう直感できるくらいには場数は踏んでいる。

「まあ、いっか!」

 それでも、心臓は一拍、余計に打った。


 探し当てた職員室に入り、担任の葛川先生に挨拶を済ませる。

「国外から来た人には、この学校は古風な雰囲気に感じられるかもね。あなたがなじめることを祈っているわ」

 続いての、他人事のように聞こえる簡単な説明のあと、クラスに案内された。校名のプレートが重厚に輝いていて、扉の枠に手を添えるだけで、温度が伝わってくる。教室に足を踏み入れると、着席していた視線が一斉に持ち上がり、静けさが少しだけ高く鳴った。

 担任が前に出る。「今日から転入する柿崎マーガレットさんです。国外からの転入生は珍しいから、いろいろお話が聞けるといいわね」

黒板の前に立ち、軽く頭を下げる。「柿崎マーガレットです。メグって呼んでください」

 葛川先生が手を泳がせて、あたしに何か言葉を付け加えさせようとするが、国外からの転校生と言うだけですでに情報過多。そこになにがしかを付け加えることはやめておく。

 短く、落ち着いて。視線を広く配り、教室の端から端まで、輪郭を掴む。誰が中心か、誰が周辺か、誰が面白がっているか。何人かとしっかりと目が合う。男子とは目を合わせない。上位のグループであろう一人が口角を上げる。予想通り。受け入れる柔らかさと、値踏みする目が混ざった笑い方。ここでは心の底から笑っておく。要注意人物を知ったという意味で。

 指定された後ろの席に、慎重に歩みを進めて席に着く。何かをひっかけてもつまらないし、こちらが引っかかっても仕方ない。

 質問は正面から返す。転入の事情は簡潔に。国外から、という言葉はあたりが強いからできるだけ使わない。どんな内容についても、詳しさは避ける。話せることだけ話して、あとは笑って眺める。自分の話はしたくないのはこれまで通り。興味の矢印が広がるとき、矢面に立つのはしかたない。でもまずは、みんなとの距離感、みんなの中の距離感を測りたい。


 午前の授業は流れるように進んだ。教室の空気は、思った以上に整っている。発言する人は、他者の発言を重ねない。先生の指示を待つ時間に、誰も無駄口を挟まない。静かだからといって停滞しているわけじゃない。節度を持って自分を律している、それが自然に共有されている。誰かが「約束」と言ったとき、教室の空気がほんの少しだけ引き締まったのがわかった。ここでは事前の情報通り、約束が強い意味を持つのだ。あたしにはまだ、その肌感覚はわからない。でも全く嫌いなわけじゃない。全くそうではない。

 また、高校生たちの、自分たちが世界の中心であるかのような眩しく一本気なふるまい方について、すぐに気づいた。以前も今も、あたしはそれにはどうもなじめない。母子密着から解き放たれ、だんだんと自分の所属する世界が広がり、一般社会との接触が始まる高校時代。社会からは守られつつ、いわばもてはやされる、甘い幻想の時期。それは社会に出るまでのはかないモラトリアムではあるのだから、現実を突きつけるべきであろうはずがない。しかし、現実を知っているものとして、そのノリについていけるか、自分もノッていけるかと言うと全く別物だ。


 放課後、学校の仕組みや手続きなどで職員室に詰めていたら、すっかり遅くなった。校内の寮から通っている生徒もいるとはいえ、おそい夕方ともなると学校には人気も少ない。最初の一日目の過ごし方としてはこれでよかったのだろうか。

 あたしは、通学路の街並みを楽しみ、道路の凹凸さえ噛みしめたくて、自転車を押しながらゆっくりと帰る。通りの向かい、石塀の私邸の門が開いたので立ち止まると、老執事のような男性がゆっくりと掃き掃除をしている。塀の隙間から見える庭の線が、朝よりも柔らかく見える。

「柿崎マーガレットさんでしょ?」ふと真後ろから声がかかる。振り返れば、一人の女子学生がカバンを前に両手で持って、立っていた。茶色の髪が風にそよぎ、まあるい目が本当に無邪気に楽しそうにあたしをのぞき込んでくる。今朝のホームルームで目が合った子の一人。虚飾ではない自信に満ちていて、ずっと眺めていたくなる子。

「こんにちは。声をかけてくれてありがとう」

「サスカチェワンへようこそ。なじみにくいよね、ここ」

「それはどういう意味なの?」

「統制が取れすぎているというか。規律がありすぎるというか。窮屈なのではなくて?」

「そう感じる人がいてもおかしくないのはわかるわ…あなた、ここ以外で生活したことあるのね?」

「…おじさまに連れられて、隣の国でしばらく過ごしていたわ」

「それはぜひお話を聞いてみたいわ!」

 彼女は楽しそうに笑った。「おもしろいわ!あなたの方が広い世界を知っているというのに、私の話を聞きたいと言うの?私、桜咲ビアトリス。ビーと呼んで!お友達になりましょう!」

 裏表なく人と接する社会なのかな。あたしにとっては過ごしやすい。

「あたしはメグと呼んで。こちらこそお友達になりたいわ、ビー」

 第一日目から友人ができるとは幸先がいい。ビーは、石壁の私邸の脇の道に消えていった。


 幸先がいいなら、もともとの習慣も取り戻す方がよかろうと、翌朝から再開するつもりだったこれまでの日課のジョギングを、もう始めてしまうことにする。帰宅早々に制服を脱ぎ捨てジャージに着替え、ひっつめ髪に整えてキャップをかぶり、外に走り出る。うん、あたしらしい。これでいいと思える。なんだか肺活量が二倍に増えた感じがする。

 学校と反対方向に進み、川沿いに出る。今日のところは短めにしよう。夕方の空は薄く薄紫で、道の端の器用に植えられた木々が影を落とす。ジョギングは、あたしにとって瞑想のようなもの。今日と言う転校して登校する第一日目の記憶がよみがえる。

 彼女が窮屈かもしれないと言ったのは、やはり約束を守るという姿勢だろうか。その姿勢は実力組織としては当たり前のことでもあり、少なくとも今はあたしにとって違和感はない。しかし、それが緊張感を持たないですむはずの家庭生活や友人との関係でさえ当たり前すぎるほど当たり前になった空気が、どのような社会現象まで引き起こすのかには予断をしないほうがいい。帰ったら公共衛星放送でも見ようかな。

 都合のいい公園を見つけたのでストレッチにはいる。そこで男子高校生らしき人影と目が合うが、自然と目線がそれる。そこで、あたしは自分が高校生だと言うことを思い出した。やはり同じ年代の男性に自然に興味の目線が向くものかもしれない。しかし、そもそも同じ年代では、気恥ずかしさが先に立ってむしろ目を向けないのかもしれない。女子高生メグとしては、目をそらすものなのか、声を掛け合うものなのか?

すると、その男性が近づいてくる。

「あの…何か俺、悪いことしましたか。進路妨害とかしてたらすみません」

「え?」

 背はあたしよりも少し高い。と言うことは男子高校生としては平均的と言うところか。成長途中の骨組みだけ先に大きくなったような体つき。日焼けした肌は、よく屋外にいる証拠。細面がやや曇っている。

「ずっと俺をにらんでいるから」

 いや、そんなわけはない。あたしは自分のしょーもない考えを整理しながら、漠然と彼を見つめていただけ。

「ごめんなさい。ただ逆光で目を細めていただけ。そんな風に気を遣わせて本当に申し訳ないわ」

「ならよかった」本当に安心した感じだ。それが逆にあたしの申し訳なさを加速する。

「あたしが悪いのよ。ごめんね。」あたしは公園の脇にある、目を付けておいたバーを指さす。「そこで一杯おごらせて」貸しは作らない。これはあたしの小さな職業病。

「あの…」

「何?」

「俺、未成年なんですけど」

 やられた!そりゃそうだ。って言うか、あたしもそうなんじゃん!自分は高校生なんだった。しかしこれ、どう言い訳する?嘘で言い訳はしたくないし、あたしはそもそもそういうのは不得意だ。少なくともいくばくかの真実を混ぜて答えよう。

「あ、そうね。あたし国外から来たばっかりだからさ、気づかなかったみたい。ここでは成人の年齢はもう少し上なのね…」これでごまかせるだろうか。成人の年齢は地域によって異なるし、間違いではないのだから。

「国外からの訪問者は、ここでは珍しいです」

「それはそうとして、こういう場合、ちょっとした無礼を謝る場合、ここではどうすればいいのかしら」

「どうでしょう。特に何もしなくてもいいと思いますよ。そこまで無礼ではないし、何より俺自身もあなたに悪いことをしてなくてほっとしています」

 いい子だな。というか、この国の人はなんだかみんないい子だな。社会に規律があると、こうなるのかな。その弊害は、はけ口はどこに向くものだろう。「わかったわ。あなた、ここに良く走りに来るんでしょ。今度見かける時までに、なんか考えておくわ!」

 一日を終えて部屋に帰り着く。一人はありがたい。少しフルーツをかじってからシャワーを浴びて髪を乾かした。そのあとあたしは規程通りに日誌を書いて、鍵のかかるロッカーにしまってから眠りについた。



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