距離の違和感
海軍艦船の中で居場所を探しあぐねている美咲は、とりあえず許される範囲内でアーカンソー内を見て回ることにした。特に避難ルートは念入りに。どこからでも格納庫のブラック・スワンに最短で戻れるようにしておきたい。
ちょうど居住区のあたりを通りかかっていると、美咲を見つけたカオルが寄ってくる。今日のカオルは海軍制服にお団子頭。
「よっ、美咲!」
「ちょっと、カオル、距離が近い近い!」
粗雑に見えつつ、彼女がこうして体を近づけてくる相手をちゃんと選んでいることに美咲は気づいている。
「あんたとの距離、いつも詰めなきゃと思ってさ!まずは物理的な距離からって感じ?」
「カオルって、なんか独特よね…。今日は制服なのね?」
「そりゃああたしだって、一応は海軍士官だからね」
「でもあんたの初印象が強すぎて。だって、花柄ワンピースで登場よ?海軍でああいうの許されるものなのかしら?」
「あたしは非番で、湖畔で私的なパーティに参加中だったのよ。それをヘリが来て強制的に連れてかれたの。それを海軍から文句言われてはたまらないわ」
「そうかぁ」
「あなただって大概よ、美咲。真面目な海軍士官さんたちが正視できないようなショートパンツ姿じゃない」
「うっ、そんなこともないと思うけど…。若い子たちと一緒にいるから、気が若くなっちゃったのか。気を付けなきゃ。というかあたしなんてここでは何者でもないんだから、みんな気にしてないんじゃないの?」
「美咲、違うわ。そもそもあんた自分で思っている以上に人目を惹きつけるんだから。それになんて言ったって、ネスラー中将とガチでやりあったんだから。あんたは目立ちたくないだけで、そういう態度こそが目立つのよ。さ、こっちおいで、お茶しましょ!」
カオルが、美咲を引っ張る形で、メスルームへいざなう。
その道すがら、カオルに対して、下士官たちは立ち止まって敬礼し、たいていの士官はカオルに対して先に敬礼する…しかし彼ら彼女らの表情には、階級に対してなされる場合には見られない親愛の情が読み取れる。カオルは美咲に何事かを話しながら、海軍のルーティーンを器用にこなす。
メスルームで、ミルクたっぷりのコーヒーに口を付けた後、話始めたのは美咲だった。
「カオル、あんたってこの船で結構好かれているのね」
「そう?まああたしはこの船のクルーと言うわけではないから、逆にしがらみなくいろんな人と話をしたからかな。裏表があるわけでもなし。」
「あんた、人と距離詰めるの好きなのね」
「そりゃそうでしょ!だいたい相手のことをわかるには距離詰めるしか方法ないんだし、それで嫌われるならさっさと嫌われた方が無駄に引っ張らなくていいでしょ?」
美咲は自分のやり方とは全く違うとはいえ、カオルのやり方も対人関係構築においては一理あるなと感じた。ただ、美咲が仕事で行う場合には、嫌われて関係断絶になるわけにはいかないこともよくあるのだが。
「カオル、あんた結構愛されて育ったんじゃない?テレパスだとわかってしまった後、あなたどう育てられたの?」
「あたし、普通にネクサス・ウンブラに売られて、用済みになったという普通のテレパスよ!」
「普通に売られるって聞くだけで壮絶だけど…」
「でもね、あまりに小さいころに売られたらしくて、あたしそういう記憶がないの。むしろ、そのあと学校にも通わせてもらったし、育ての親には感謝しているわ。コンステラツィオーネの一員だったとしてもね。」
「なんか、その、いい性格しているわよね、カオル。海軍にはどう救われたのか聞いて良い?こないだの中将の話だと、処分されるなんて最低の経験を伴いそうだけど」
「あたしの場合は、薬物輸送の船に乗っているときに、たまたま海軍の哨戒艦に拿捕されてね。大人に混じってあたしだけが子供だったから、目を付けられてさ。哨戒艦の艦長がたまたまテレパスの件を知ってて、中将につながる情報部に連絡してくれたのよ。だからあたし、捨てられる経験なしに海軍に保護されたの」
「運がよかったのね、よかったわね、カオル!」
「そう。だから、あたし、他のテレパスたちを助けなきゃって思うのよ。で、情報部入りしてネクサス・ウンブラへの潜入もしていたわけ」
メスルームに、抑制された嫌にクリアな声色で、交代時間を告げるアナウンスが響く。
「ヴァースの存在は、あなたの性格形成に影響を与えたと思う?」
「ああ、それは間違いないわ!というか、当たり前すぎて言ってなかったわ、ごめん!ヴァースは、本当にホームみたいなもの。初めてデビューした時は、その安全で安心できる雰囲気に泣いちゃったくらいだもの。変な話、理解してもらえない家族に疎まれて生活するくらいなら、お互いを包み隠すことなく受け入れ合えるヴァースでの生活は、ずっとストレスがなく人格形成にもいい影響を与えると思うわ。だってほら、テレパスやエンパスたちって、みんないい性格しているでしょ?」
「確かに!」
突然、カオルはめったに見せない暗い顔をする。
「ヴァースという包み隠さない生活の良さを知っているから、あたしは人と距離を詰めたがる。でも、ヴァースの弊害も知っている。例え安心できる環境でも、社会の中でそれは一部に過ぎない。ヴァースに逃げ込むだけでなく、そこをホームとして社会の荒波に出ていかねばならないわ。ヴァースは避難所であっても天国ではない。あたしは、社会でもヴァースのような関係を求めるのって、間違っているのかも」
「いやカオル、あんたの距離感ってびっくりではあるけど、あたしは嫌いじゃないわ。最上のコミュニケーション、最上の関係性を知っているからこそ、まずはそれを目指すということでしょ。むしろ、誰ともきちんと向き合ってるってことじゃない?」
「…ありがと、美咲!そんないい風に解釈してくれて。大好きよ!」
「わかったから、顔、近い近い!」
「でも不思議よね。顔近づけると美咲でさえ違和感感じちゃうのに、唇触れてゼロ距離になったり舌入れてマイナス距離になると違和感ないでしょ?どういうことなんだろ」
「なんか戦闘艦のメスでかなり不適切な会話のような気もするけど…あんた面白いこと考えるわよね。まあ熱力学の遷移状態理論になぞらえて説明付かなくもないと思うけどさ」
「あたしは理論は不得意」
「あたしも実践派!」美咲は、カオルに身を乗り出して唇をゼロ距離にした。
「ふふ、美咲と距離が縮まってうれしいわ」
「あんた、セリアやサスキアはまだ未熟だから、あんまり変な距離感取らないであげてね…」
「うん!それにあの二人はタイプじゃないし!」
「そういう問題じゃないでしょ、カオル…」
メスルームに、何人かの下士官が入ってきた。一応は士官であるカオルとは礼節ある距離をとって、彼らは彼らの時間を過ごす。
「でもあんた、そんなに誰とでも距離詰めるの?そういえばエリックとも親しくしてたわよね」
「え、あたしって、もしかしてあんたのオトコを取っちゃった?」
「いや別に、エリックはあたしのオトコってわけじゃないし…というか、あんた、取っちゃったの?」
「うーん、まだようやく親しくなる入り口にたっただけというくらいかしら?」
「案外、あんたとエリック、お似合いかもね。あいつ、まじめすぎるから、あんたがいると人生が彩り豊かになるんじゃないかな。お互い海軍を選んだという近しい価値観持っているわけだしね…そういえば二人とも情報部でもあったしね。元から面識あったの?」
カオルはその質問には答えず、違うことを聞いてきた。「美咲、あんた人生の整理をしているの?」
「どゆこと?」
「あなたって、友達とか親しい人を今わざと手放そうとしていない?」
「え?」
「なんか、あなた、遠くに行こうとしているように感じるわ。距離を取ろうとし始めていない?なんのため?」
「遠くにね…そうなのかな。あたし、遠くに行くことを考え始めているのかな」
「ヴァースってさ、物理的な距離は関係ないのよ。ホームだって同じ。家族だって友達だって、距離関係なくあなたのそばに心情的にいるものよ。何も手放す必要なんてないわ」
下士官たちの食器とカトラリーが作る金属音を背景に、抑えた調子の笑い声が響く。
美咲は、心から自然に湧き出た反論めいたものをこぼす。
「…でも時間的に離れる場合は?時間的にノルムがある場合っていうかさ、同じ時間を生きることがなくなったらどうなると思う?」
「それは…考えたことなかったわ。美咲、あなたそんな難しいことを考えているの?実践としてどんなことを指しているのさ?」
今度は美咲が暗い顔をする番だった。
「まだちょっと考えているだけ。説明できるようになったらきっと話すわ」
カオルは美咲の額にキスをした。それは美咲を安心させた。




