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背中の感触

 クライブとの話し合いで、あまりに疲れ、ベッドルームに倒れこむと寝てしまった。気が付くと、ヴァレリーとの相室であるベッドルームに、ヴァレリーはいない。他に2つあるベッドルームはどれも扉が開いていて、中を覗き込んでも人影はいない。リビングルームにも誰もいない。時間はちょうど昼過ぎ。みんなは買い物か食事にでも出かけたのだろうか。美咲は、ちょっとほっとする自分に気づく。

 お腹が減っていることに気づき、ルームサービスを取ることにした。コンチネンタルブレックファスト。チーズ入りのオムレツに、グラノーラが振りかけられたヨーグルト。ジャムはブルーベリーで、バターの香りが食欲をそそるであろうクロワッサン。コーヒーは濃いめで、フレッシュな牛乳ももらうことにしよう。時間外れだけど、注文が通ってよかった。

 到着までの間、シャワーを浴びることにする。湯船にお湯をはって、足を延ばしてはいる。やはり、最初からお風呂であるように設計された湯舟は、背中が当たっても冷たくはなくとがっているところもないから快適だ。一人でいることを謳歌するため、美咲はわざと下手に歌を歌う。呼び鈴が聞こえるような気がするが、放置しちゃえ…いつしか呼び鈴はおさまる。ごめんね、ボーイさん。

 お風呂から出ると、扉の向こうにコンチネンタルブレックファストが乗ったカートがおかれている気配がする。少しだけ扉を開けて、バスローブのまま、左右を見渡して誰もいないのを確認。コーヒーポットが落ちないように気を付けつつ、すばやくカートを部屋に引き入れる。扉に挟んでおいたチップはきちんと回収されている。ボーイさんも許してくれるだろう!

 ポットからカップにコーヒーを注ぐと、湯気と共にかぐわしい香りが立ち上る。小さな牛乳のカップを持ち上げると、それが温められていることに気づく…やっぱいいホテルは違うなぁ。気分よく牛乳をカップに投入し、白い雲が黒を背景にそこから沸き立つのを見つめる。だんだんと味が変わるのを確かめられるので美咲はコーヒーをかき混ぜない。酸味が少なめで苦みが強いコーヒーに、満足する。結局ジャムは、ヨーグルトに入れちゃった。オムレツから出てきたとろける卵を、最後はクロワッサンで拭う。周りに人がいないのを確認して。

 要するに、人に見せられないことをしてるということだ。美咲は一人、久々に自分らしく過ごせることがうれしくなる。みんなとの生活、ストレスもあったのかな。


 思い返せば、一人でいることが好きだったのに、ブラック・スワンにいろんな人を迎えて、みんなで過ごすことが普通になっていた。それはそれでとても楽しくもあり、安心することは意外な発見。けれども、やっぱり一人が気楽であることを改めて実感できる。そういう時間が、自分には必要なのだと確認できた。考えてみれば、ブラック・スワンでも、結局は皆がステートルームに滞在する間でも、美咲は一人で階上の艦橋で星を眺めていることが多かった。

 美咲は、ずっと忘れていたことだけど、対人コミュニケーションのレクチャーの際に教官から言われたことを思いだした。連邦情報局の最初期のトレーニングで、美咲の対人コミュニケーション能力が高すぎることについて、彼はその影響を冷徹に指摘したのだ。要は、普通の人がコミュ障の人と普通の話を成立させることが疲れるように、美咲にとって普通の会話は普通の人にとっては高密度すぎて、それを成立させるためには美咲の側が疲れるのだ。つまり、通常の環境下にあっては美咲はただ疲弊し、結果的に美咲が孤立することになるという予言だった。

 幸か不幸か、美咲はそもそも一人でいることを好んだ。これは、幼いころからの孤立が生んだ性癖なのか、そもそも生来の性癖なのかは美咲にもわからなかった。しかし、いずれにしても今日は楽しい一人生活をエンジョイするぞ!


 食事を終え、カートを部屋の外に出しても、美咲は下着もつけずにバスローブのままで改めてベッドに倒れこむ。バスローブのタオル地は、上質の綿でできているからかクリーニングが上手なのか、非常に柔らかい。美咲はベッドの上で左右に転がってその感触を楽しむ。その根源的な幸せなイメージについて、美咲は描きとめる欲望を感じる。

 美咲は、ずいぶん開けていなかったスケッチブックを開ける。紙の香りを大きく深呼吸することで取り込み、同じくずいぶん開けていなかった筆箱の中から色鉛筆をいくつか取り出す。ベッドで腹ばいになって向き合う無地の紙面に、紙面の引っ掛かりすら楽しく鉛筆を動かす。美咲が、今感じてている幸せの根底には、いったい何があるのか、自分でも気になる。美咲も気づかないうちに、彼女の脚はパタパタと陽気に動く。

 ひとしきり、手を動かし、スケッチブックに描かれたものが紫色の龍…サスカチュワン子爵の貨客船だと気づき、美咲の鉛筆は止まる。ちょっと待って、あたし、スナイデルのことを考えていたってこと?今の、とっても楽しい気分ももしかすると、スナイデルのことを考えていたから?


 美咲はスケッチブックに色鉛筆を挟んだままとじ込み、ベッドの脇に追いやって、顔を枕にうずめる。眠り込む前には、クライブと話をしていて、スナイデルが美咲と話をするために時間を作ってくれたことを思い出させられたのだった。それを思い出して、心臓が大きく高鳴り、美咲は自分が火照るのを感じた。

 スナイデルは、あたしの事を大切だと思っていたから、何年もたった後に突然訪ねた先日に、何も聞かずに時間を作ってくれたのだろう。でもその気持ちは、今のあたしが感じている…その…好きだという気持ちと同じなのだろうか?でも思い返せば、あたしの去り際、彼はあたしを後ろから抱きしめた。あの時、彼の左腕はあたしの鎖骨のあたりに、右腕はみぞおちのあたりに回され、意図してかどうかあたしの胸を避けるようにあたしを抱いた。あの腕には、もしかすると、あたしへの好意も乗っていたのだろうか。

 美咲は、自分の体がおののくのを感じる。

 美咲は、彼に後ろから抱きしめられたのは二度目だと思いだした。最初の一回目は、純粋に美咲の行動をいさめつつ、美咲を保護するためだった。二度目のあれは、あたしを引き留めるためだったか、それとも好意をしめすためだったか。でもあいつ、ボディタッチ多いしな…というか、あいつ、あたしにボディタッチ多いだけで、他の人たちには朗らかに分け隔てなく接するだけでタッチしてるところ見てないな…。彼の背中からお尻へのタッチは、どういう意味だったんだろう?美咲は頭を抱える。

 美咲は、ベッドに腹ばいになりながらも、背中からお尻にかけて今まさにスナイデルになでられたような感触を覚えた。


「ふぎゃあん…!」

「どうしたの、美咲?猫がつぶされたような声出して」

 美咲が枕に顔をうずめて想像に浸っているうちに、ヴァレリーは買い物から帰ってきたようだった。無防備なバスローブ姿の美咲に対比して、嫌にきっちりした紺のツーピースのヴァレリーがのぞき込んでいた。

「あ、あんたが、いきなりなでるからよ…ヴァル」

「だって、美咲のお尻が小さいのにぷっくりしてかわいいんだもの。思わず背中からなでちゃったのよ」

 美咲は混乱する感覚を治めるために何度か深呼吸する。

「あ、もしかして、子爵になでられるところを想像しちゃった?美咲かわいいわね~」

 なんでそんなにピンポイントで当てるんだ、ヴァルは…。やっぱりヴァルに話しといてよかった。

「でもほら、あなたの毒のない白昼夢もいいんだけど、そろそろ現実に戻りなさい。下着も付けるのよ!」

 う、やっぱヴァルに子ども扱いされている。


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