虚無の呼び声
宇宙の闇と静寂に包まれたブラック・スワンの艦橋は、美咲の一時的な住処となっていた。ELCのツアーが始まってしばらくたち、客室をELCたちに譲った彼女は、艦橋を自室とする生活に慣れはじめていた。
その夜、船内は寝静まり、美咲は船の自動操縦を確認した後、髪を梳かしていた。ジャンプ後の航行中は特に監視する必要はなく、彼女はゆっくりと自分の時間を楽しんでいた。
「ノックしていいかな?」
艦橋のハッチにエリックが立っていた。普段は完璧に整えられた彼の髪が少し乱れ、疲れた表情をしていた。
美咲はエリックの様子に少し驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻した。「ヘイ、エリック。ええ、どうぞ。着替え中でもないし」
エリックは申し訳なさそうに微笑んだ。「悪い、眠れなくて」
「珍しいわね」美咲はブラシを置いた。「あなたなら軍の訓練通り、いつも命令一つで眠れるんじゃなかった?」
「これまでは」エリックはゆっくりと艦橋に入り、定位置の航法席に腰掛けた。「でも最近は...考えることが多すぎる」
窓外には無数の星が静かに瞬いていた。二人はしばらく沈黙し、その光景を眺めた。
「クライブの件?」美咲が静かに尋ねた。
「ああ、それもだ」エリックは頷いた。「しかし、それ以上に...この船での生活のことを考えていた」
「窮屈でしょ」美咲は小さく笑った。「特にあたしの艦橋占領で」
「いや、それは...不思議と居心地がいい。船も、スワンズも」エリックは正直に言った。「ヴァレリーとセリア、マーカス、そして君...何かを見つけたような気がする」
美咲は彼を見つめた。普段は感情を表に出さないエリックが、珍しく心を開いているように見えた。
「家族のような?」美咲は半分冗談で言ったが、エリックは真剣な表情でうなずいた。みんながみんな、スワンズを家族のように思っている…それを最初は異様にも思えたが、エリックまでそうであるならむしろ自然で真実なのかもしれない。
「連邦海軍にいた頃は、常に何かを追いかけていた。出世か、任務か...」彼は操縦席に手を置いた。「だが今は、追いかけるのではなく、守るものがある」
美咲は黙って聞いていた。彼女も同じような感情を抱いていたからだ。
「俺たちは危険な賭けをしている」エリックは続けた。「宇宙海軍上層部を敵に回せば、もう後戻りはできない」
「後悔してる?」
「いいや」エリックはきっぱりと言った。「ただ...全員を守れるか心配だ」
美咲は立ち上がり、彼の隣に座った。「一人じゃないわ。あたしたちはチームよ」
二人は再び沈黙し、窓外の星を見つめた。言葉にならない理解が二人の間に流れていた。
「コーヒーでも飲む?」美咲が提案した。「どうせ二人とも眠れないなら」
エリックは微笑んだ。「ありがとう、ナディア」
コーヒーを注ぎながら、美咲はエリックに背中越しに告げる。
「エリック、内通者のことなんだけど…」
「どうしてそれを?俺が内通者の存在を疑っているといつから気づいた?」
「そりゃあ気づくわ。あなたと何年潜入捜査をしていたと思っているのよ。あなたの後天的な習性みたいなものでしょ。」
「内通者は、誰だと思うんだい、ナディア」
「ネクサス・ウンブラ側の内通者はいないわ…ラムでいい?」
美咲は、艦橋に不似合いなミニバーの様相を呈している棚から、エリックの返事も聞かず、ラムを選びだした。
「どうしてそれを?」
「この船にはセリアがいる。セリアは、エンパスでテレパス。嘘を見破れるわ。そうした船に、超能力をよく知るネクサス・ウンブラは内通者を送り込まない。バレるから。セリア自身が内通者でなければ、この船には内通者はいないわ」
「なるほど…そしてセリア自身が内通者であるわけはないか。」
「あたし、最低よね。セリアが本当にヴァレリーの娘かどうかすら調べたのよ。DNA検査をしたら、ヴァレリーの娘であることは間違いなかった。セリアに対して友人面しながら、裏で疑ってたのよ、あたし」ラム入りのコーヒーに、泡立てたクリームを丁寧に乗せるセリアは、クリームが吹き飛ぶ勢いで心のうちを吐き出した。「ホント最低!」
「仕方ないさ。それも君の後天的な習性で、君の先天的で本来の裏表のない朗らかさをセリアは気にいっているんじゃないか?」
エリックは、背を向けている美咲の頭をやさしく撫でる。美咲の強い感情は急激に収まり、彼女はエリックの手のぬくもりを非常に懐かしく感じる…いつの何を思い出させるのかはわからない。
「へへへ。あたし、あなたに頭撫でられるの好き。これは後天的なものかしら、それとも先天的なものかしら」
エリックは美咲を後ろから抱きしめる。
「どっちかだったら、結論は変わるのかい?」
「たぶん…変わらない」




