スケルツォ・コン・インガンノ 欺きを伴った戯れ 2/2
ツアーのちょうど中盤、ブラック・スワンのコモンズでささやかなパーティが開かれていた。狭い空間に詰め込まれたクルーとバンドメンバーは、これまでの成功を祝って酒を酌み交わしていた。
美咲が艦橋の隠しミニバーに追加の酒を取りに行こうとしたとき、クライブが彼女の横に立った。
「素晴らしいツアーだな、ナディア」
美咲は凍りついた。彼女の偽名を知っているはずがない。エリックが呼ぶのを小耳にはさんだだけかもしれないが。
「何の話?」彼女は平静を装いながら尋ねた。「誰と間違えてるのよ?」
クライブは周囲を見回し、小声で言った。「連邦情報局、特殊工作部隊のクライブだ。君の噂は聞いていた」
美咲は一瞬で状況を把握した。「ELCのみんなが工作部隊ってわけ?」
「いや、俺だけだ。アルセストの騒動後に潜入した」クライブは言った。「他のメンバーは何も知らない。本物のミュージシャンだ」
美咲は慎重に尋ねた。「なぜ私に接触するの?」
「カルディナル男爵が属していたコンステラツィオーネであるネクサス・ウンブラのネットワークを追っている。人身売買と薬物取引の件でね。ネットワークの各地を怪しまれずに探るにはELCは格好の隠れ蓑というわけさ」
「ああ、このセクターでは特に違法薬物の取引が盛んだ。いくつもの星系が社会の薬物汚染によって、不可逆的なまでに不安定化している。正直、社会の崩壊が薬物によって静かに延命されている状況。もう手遅れと言うことだ。こんなことは言いたくはないが、薬物によって社会がどう破壊されるか社会実験している感すらする」
「そういう星系にはあたしは行ったことはないわ。自分事として考えてもいなかった…」
「大部分の人はそうだろう。情報局は、むしろ今後の薬物対策のため、薬物汚染の調査を長年続けていた。その過程で、ネクサス・ウンブラの関与がようやく見えてきた。彼らは本当に尻尾を出さなかった。見事なまでに。その理由がようやくわかってきたところだ」
「あんたが陰でこそこそそんな調査をしているなんて、気づかない私もどうかしてたわ。あんたが優秀だってことでいいのよね?」
「これまでの調査を踏まえると、彼らは連邦宇宙海軍の上層部と繋がりがあると思われる。そして連邦貴族たちとも」
美咲は息を飲んだ。「宇宙海軍?連邦貴族?」彼女には思い当たる節がないでもなかった。
「ああ。だから公式ルートでは動けなかったし、決定的な証拠が必要だ。」クライブは続けた。「最後の講演地のオルディナが、俺がにらむ最大の黒幕の本拠地なんだ。そこで大きく証拠をつかみたい」
「オルディナは侯爵が統べる星系ね。あの侯爵は、実質的にも星系の代表よね」と言うことはターゲットは侯爵か、と美咲は思った。「大物の捕り物に、あなたもなりふり構ってはいられなくなってきたというわけね」
「そう、君たちの助けが必要だ。特に...あの子の能力は貴重だ」
「セリア?どういう意味?」美咲の声は鋭くなった。「彼女は巻き込まないわ。あんた…セリアを迫害するつもりなら今すぐ船から放り出すわよ」
「作戦に協力してくれたら、セリアの今後の身の安全は保障するということだ」クライブは真剣な表情で言った。「実は...俺の上司は君の元上司だ。ハリエット・ジェンキンス大佐だ。彼女の保証も取り付け済みだ」
美咲は目が大きく見開いた。ハリエットは彼女が心から尊敬していた上官の一人だった。美咲が入局して基本訓練を終えたのち、最初の潜入任務の教育係が彼女でもあった。ハリエットのユーモアに満ちた柔軟性は、美咲の今日を形作ったと言っても過言ではない。その後も何度かお世話になった…彼女ならば何があっても何とかしてくれるだろう。
「証拠は?」
クライブは小さなデータチップを彼女に渡した。「これを確認してくれ」
「わかったわ」
「申し訳ないが、急いでくれ。そして、黙っていてすまなかった」
「気にしてないわ、あたしも同じようにしただろうし…って言いたいところだけど、黙っておかれる立場の気分の悪さは相当なものね。すっごく勉強になったわ」
やはり収まりがつかなかったのか、美咲はクライブの顔を思い切りはたく。
「これで勘弁してあげる!」
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パーティが終わった後、美咲は一人でデータを確認した。内容は彼女の予想を超えていた。ネクサス・ウンブラは想像以上に広く蔓延し、宇宙海軍の複数の提督が関与しているようにさえ見受けられた。連邦貴族は言うに及ばず。ネクサス・ウンブラって本当は何をしているの?本当に違法薬物の取引でお金を稼いでいるだけ?
翌朝、彼女はエリックを艦橋に呼んだ。
「話があるわ」彼女は深刻な表情で言った。「昨夜、クライブが私に接触してきた」
「クライブ?新しいギタリストか?」
「彼は連邦情報局の工作員よ。アルセストの事件の後にELCに潜入した」
エリックは表情を引き締めた。「何を望んでいる?」
美咲はデータチップの内容を説明し、クライブの提案を伝えた。エリックは黙って聞き、深く考え込んだ。
「これは危険すぎる。宇宙海軍上層部を敵に回すことになりかねない。そうすれば俺たちは逃げ場がない」
「わかってる」美咲は言った。「でも...正直、連邦の腐敗にはそもそも嫌気がさしていたのよね。連邦情報局をやめたのもそれが理由の一つ。それが少しでも正されるなら気分がいい。」
「ジェンキンス大佐がいてセリアの身の安全を考えると、少し考える価値はあるか」エリックは認めた。 彼もまたジェンキンス大佐の評判を知っていた。
彼らはヴァレリーとマーカスを呼び、状況を説明した。
「セリアには絶対に危険な目に遭わせたくない」ヴァレリーは即座に言った。
マーカスは腕を組んだ。「だが、このままではいつか彼らに、ネクサス・ウンブラに見つかる。セリアだけでなく俺たちにも危険が及ぶ。であれば、先手を打つべきかもしれない。そしてこれは社会正義をなすチャンスだ。」
長い議論の末、彼らはセリアに状況を説明することにした。彼女の意見も聞くべきだと全員が同意したからだ。
セリアは大人たちの話を静かに聞き、驚くほど冷静に応じた。
「私の身の安全は…ハリエットになんて保証してもらわなくても、みんなといれば安全だと思うわ。」彼女は言った。「それより、私の能力が役に立つなら...使いたい。カルディナル男爵のようにネクサス・ウンブラが他の子供たちを利用しているなら、止めたい。」
彼女の決意に、クルー全員が静かに頷いた。
翌日、美咲はクライブに会い、条件付きで協力することを告げた。もう嘘や隠し事はなし。作戦の細部まで共有する。そうして、ブラック・スワンは、表向きはELCのツアー船として活動しながら、実は連邦史上最大の汚職と犯罪ネットワークに対する秘密作戦に身を投じることになった。
それは危険な賭けだった。失敗すれば、彼らは全てを失うかもしれない。しかし、成功すれば、スワンズはネクサス・ウンブラについて恐れる必要はなくなり、それどころか連邦の闇を変える一歩になるかもしれなかった。




