9 お茶会2
シェリュア様は、ゆっくりと話し始めた。
ハーバルク家当主にまつわる問題は、わたしの3代前の伯爵まで遡ります。
彼が次の当主として、2人いた子のうちの、兄ではなく妹を指名したこと。それが兄の激越な反感をかったこと。それを収めるために、兄妹の子供同士を婚姻で結び、兄と妹の血統を併せ持つ子をいずれ当主とすること。
その約定の子がわたし。……ここまではご存じですか。
しかし伯爵は、自分の子である兄妹だけでなく、孫である次の世代にまで大きな軋轢を生んでいたことを、計算に入れてはいませんでした。
わたしの両親は不仲、特に父が母を嫌いながら結婚しました。互いに一片の愛情もありません。よくわたしが生まれたものです。
……誤解なきよう申しますと、わたしは間違いなく父の子です。父は母の浮気を疑い、魔術で血統の鑑定をしましたから。
幸い母はわたしを愛してくれました。ただ溺愛するだけでなく、将来当主となった時の心構えやするべき仕事など、幼い頃から無理のない程度に教わったものです。
父は、母がいた頃から……そう、遠いところにいる人でした。
いえ、数日に一度は屋敷に帰っていましたが、わたしには関心がないようで、ほとんど会話もありませんでした。今思うに、わたしは性格も容姿も母親似でしたから、それが気に入らなかったのでしょう。
母が病に倒れても、病が悪化しても父はたまにしか帰ってこない、そのような生活が続きました。
「ご病気ですか? 伯爵家なら専属の治療師がいらっしゃるでしょう?」
「それが、癌だったのです。
長い間体調が優れなかったのですが、病名が分かった時には回復魔法では治せないほど進行していました」
あたしの疑問にシェリュア様が答えた。
この世界の回復魔法は万能ではない。単純な怪我ならともかく、難病となると外科的な処置や投薬を併用して、時間をかけて治療しないといけない。
「『奇跡』の儀式でなければ治せないとなって、聖王国の高位神官を頼ったのです。
ですが同様に『奇跡』を求める方が多くて、順番が何年も先という状態でした」
『奇跡』は成功すれば、治療に限らずほとんど何でもできる高位魔法。とはいえ成功率は低い。神様は基本的に、問題は人間の力で解決すべきと判断するから。
それでもダメ元で願う人は沢山いるから、順番待ちがすごい。でも貴族だからといって、順番を飛ばしてもらうことはできない。
そんなズルをやってしまうと、その神官が神聖魔法を失う可能性があるし、だいたい順番を待っているのは莫大な奉納金を払える王侯貴族なのだ。
結局『奇跡』は間に合わず、母はわたしが12歳の時に亡くなりました。
その喪が明ける前に、父は再婚しました。1歳違いの娘ラヴィルを連れて。彼女の容姿を見れば、彼女が父の血を引いていることは明らかでした。
……母の浮気を疑っていたくせに、自分はずっとわたしたちを裏切って……いえ、失礼しました。
でもラヴィルはとても愛らしく、朗らかで、人懐こい子で……そしてこことは違う世界を知っている、不思議な子供でもありました。
彼女はその頃大病を患っておりました。具合のいい時はベッドで、子供らしいたどたどしさで、異世界の不思議な暮らしを話してくれました。
魔法も魔物もない世界。多くの人を輸送する乗り物。魔力を使わない様々な道具を使った、快適な生活。
思えばあの頃は、わたしと彼女が最も親密にしていた時期でした。治療師の回復魔法で彼女の病気が完治した時は、わたしも喜んだものです。
しかし、健康になった彼女は伯爵家の贅沢な生活に慣れてしまい、また自分の美しさ愛らしさに気づいてしまった。だから物足りなくなったのでしょう。
わたしの物を欲しがるようになったのです。
『お義姉様のドレスが欲しい』『お義姉様のペンダントが欲しい』、言い出せばきりがありません。
父と義母はラヴィルがねだるまま、わたしの物を取り上げて与えました。だからといって、代わりの物をわたしにくれることはなかったのですが。
中でも、あの指輪を取り上げられたのは辛かった……。
話し疲れたのか、シェリュア様はいったん話をやめて、ゆっくりスープのカップを口にした。
「美味しい。スープにとろみをつけているから飲みやすいわ」
「お気に召されて何よりですわ」
ヴィエリア様が微笑みながら、宝石のようにつややかなフルーツタルトを取った。
あたしも、白身魚のパテを乗せたカナッペを取る。
白いパテの上の、野菜ピューレの緑が鮮やかだ。
「指輪というのは?」
お辛い記憶だろうけど、重要な情報かもしれない。
「昨日わたしが嵌めていた指輪です」
「あの毒の指輪ですか?」
「ええ、幸い先日取り戻せたのですけど。あれは何百年も前から伯爵家に伝わるものです。
昔は領土をめぐっての戦や小競り合いが多く、女伯爵あるいは伯爵夫人は、自決用の毒をあの指輪に入れて代々引き継いでいました」
あたしたちはうなずいた。先祖から伝わる品は、その歴史と伝統を担うことで、大きな価値を持つ。
「ですが今は平和な時代。わたしはあの指輪を亡き母から継いだ時、母の遺髪を入れて嘆きの指輪にしていたのです。
それを父は奪いました。『この指輪は代々の伯爵のものだ。お前ではなく娘のラヴィルにこそ相応しい』と言って。
わたしだってあなたの娘……わたしこそが伯爵当主、指輪の正当な持ち主なのに!」
声が大きくなった。だけどそれも一瞬で、彼女は静かな、激情を抑えた声で話し続けた。
ああ、彼にとって娘はラヴィルだけでした。彼にとって妻であるエミリンや娘のわたしは憎むべき血統、自分たち父子から伯爵位を奪った血筋の人間でしかありませんでした。
指輪、そう指輪でした。ラヴィルがそれを着けることはなかった。わたしから奪うだけ奪って後はどうでもいい、その程度のものだったのです。長い間、あの指輪を見ることはありませんでしたから。
それがつい先日。ラヴィルが『いらないから捨てておいて』などと言って、他の装飾品と一緒に指輪を家令に渡して。流石に驚いた彼が、わたしに返してくれたのです。
指輪は薄汚れていた上に、入っていた母の遺髪が捨てられていましたが、指輪が返ってきただけでも良しとすべきでしょう。職人に磨き直させて、ずっと嵌めております。
「シェリュア様……」
「そのような持ち物のことだけではなく、わたしが義妹に嫌がらせをしているなどと、あらぬ噂も立ちました」
「そうなんですか?」
そう言えば、婚約者のマリエスもそんなことを言ってたな。
あたしは貴族の養女になったものの、淑女教育で手一杯で社交界の噂なんかは全然分からない。
「やれ彼女に暴言を吐くですとか、ドレスや装身具を奪われたとか」
「そのお噂はうかがったことがございます。
ですが正直申し上げて、そのような嫌がらせを受けていたのは、ラヴィル様ではなく……」
「ヴィエリア様のお話によると、昨日のパーティーではシェリュア様は粗末なドレスを着てらしたとか?」
「父が、ラヴィルよりも目立つ装いをするなと。
それに良い物を身につけたところで、ラヴィルに奪われるだけですから」
実際は逆ということか。
「ヴィエリア様のような方もいらっしゃいますが、多くの方々は噂を信じてしまわれまして。
王都には身の置きどころがなくなりましたので、わたしは両親と義妹と離れて1人で領地に下がることにしました。
その頃存命だった祖母の助けで、領地経営を学び始めたのもその頃です」
「前伯爵であるお祖母様の元に身を寄せたのですか?」
出来るだけ丁寧な口調で尋ねた。うう、気をつかう。
「祖母も高齢と持病のために、当時は地方で療養生活を送っておりました。数年前に亡くなりましたが……。それでも経営や屋敷の維持に必要な人材を派遣してくださいました。
中でも侍女のベッキラや秘書のガーディス卿は、本当に良くしてくれています」
大事な人たちなのだろう、この時はこわばった口調が和らぎ、瞳が柔らかくなごんでいた。