6 元?婚約者
ヴィエリア様が呼んで下さったメイドは、ちょっと……いや、かなり太っ……我が儘なボディを持ったおばさまだった。
メイドの鑑ともいうべき見事な無表情。
「屋敷については、この者に聞いて下されば間違いはございません」
とのこと。
まず真っ先にしたのは、厨房に行って料理人たちと話すこと。
「犯人や犯罪の手口が分からない状態で、料理をお出しするのは危ないです〜。
料理や飲み物を配膳する前に、あたしの加護でチェックしましょうか〜? 伯爵夫妻やヴィエリア様だけじゃなくて、使用人の皆さんの分も。
そうすれば安全でしょう?」
「ありがとうございます、願ってもないことでございます!」
めっちゃ感謝された。
これでとりあえず第2の事件は防げる。はず。
次。
「え〜と、マリエス……ミーティン卿との面会をお願いしたいんですけど……どうしましょう」
と、メイドさんに相談してみた。
しまったな。自分より上位の貴族に、アポなし紹介なしの突撃は失礼だ。
時間を改めて、ヴィエリア様に紹介してもらうべきだろうか。
「ではこちらに」
と案内されたのは何故か、庭の中の、屋敷に近い一角だった。
小さな噴水があるが、水はない。事件の後、あたしの毒チェック後に捜索のために抜いたらしい。まあ現場からは離れているけど。
「ここは、ミーティン卿のお部屋から良く見える場所でございます」
「はい」
なんか分かってきた。
「お嬢様がここにいらっしゃれば、ミーティン卿が釣れるかと存じます」
やっぱそういうことか。
おいマリエス、昨日今日会ったばかりのメイドにまで女好きだと思われてるぞ。
まあ他にいい方法もないので、噴水のふちに腰掛けていたら。
「愛らしいお嬢さん、僕はミーティン侯爵子息マリエスと申します。あなたのお名前をお伺いしても?」
本当に釣れちゃった。
「ご挨拶ありがとうございます〜。
あたしはオスビエル男爵が一女、セルティと申しますぅ。公爵令嬢ヴィエリア様の不安をお慰めするため、逗留いたしております。
どうぞよしなに〜」
イケメンだった。背が高くて、金髪碧眼の、華やかな王子様という感じ(そういや婚約破棄ものの王子って、何で金髪碧眼率が高いんだろう?)。
「なんだ男爵か」
おいこら聞こえてるぞ。今、あたしを見下したよな。
こちとら、異世界恋愛小説にありがちな『私には、彼が○○と言った言葉は聞こえなかった』みたいな矛盾はやらかさねぇんだよ。
とりあえず可愛い笑顔で、『聞こえなかったけど?』という体で小首をかしげる。
「ヴィエリア様のお話では、昨日何やら恐ろしい事件が起こったとか。ご存じですか〜?」
「ああ。実はね、僕の愛する女性が、目の前で亡くなってしまったんだ。それも、毒を飲まされて!」
うん。知ってる。
「ええっ!? なんて恐ろしい〜! 一体何が起こったのでしょう?
ミーティン卿、その恋人を介抱したりなさったのですかぁ!?」
『わぁーすご〜い』というキラキラした尊敬の眼差しで、上目遣いで見てあげた。
「マリエスと呼んでくれ。それはもう、長い話になるんだ。セルティ嬢、隣に座っていいかな?」
「どうぞ〜」
距離詰めるの早いな〜。
「そう、ことの始めは、僕が父から意に沿わない結婚を押しつけられたことだった」
「意に沿わない。というと、家格が釣り合わないとか、お相手と上手くいかないとか?」
「いや、家格は僕にまあまあ釣り合う伯爵だし、僕に見合うだけの財産はある。問題は、婚約者なんだ」
こいつ地味にヘイト上げてくるの上手いな。
「どんな方なんですか〜?」
「シェリュアは……ああ、婚約者の名前なんだが、これがもう不細工なんだ。
厚化粧に引っ詰め髪。古着のような野暮なドレス。身体の方も全然痩せっぽちだし陰気だし、まるで60歳の未亡人ってところだよ」
「……それは酷いですよ。好きになれないとしても、言い方があります」
「君くらい可愛いと、あんな女にまで優しくなれるんだね。余裕というやつかな?」
おかしそうに笑う。
初対面の人間に向かって何言ってんだこいつ。そんな話題で盛り上がれると思ってんのか?
いや、盛り上がれるような友人ばっかりで固まってるんだろうな。悪い意味ですごいわ。
いやいや、今は話に集中しなければ。
「それに比べて義妹のラヴィル、彼女は僕に相応しい美しさだった。僕と彼女が愛し合うのは必然だ。
幸いハーバルク伯爵も、シェリュアとの婚約をラヴィルに換えることに賛成して下さったんだ。
だから、昨日のパーティーで婚約破棄をしてやったんだが」
色々とツッコミどころ満載なんですけど。
「あの〜、どうしてパーティーで婚約破棄を?」
「あの女は不細工のクセに、僕にベタ惚れなんだ。皆の前ではっきり言って、分からせてやらないといけない。ラヴィルの発案だったんだけど、いい考えだ」
「それは色々どうなの……それにハーバルク伯爵って……いえ、それより、それからどうなったんですか〜?」
マリエスが、あたしの胸元をめっちゃガン見しながら語る。
ちなみにあたしは小柄で胸が大きい。
「そう、それであの女に婚約破棄を申しつけてやったんだが、そこで急にラヴィルが倒れたんだ。
最初は、彼女が悪辣な義姉と対決する緊張から、貧血を起こしたのだと思った。彼女は元々蒲柳の質で、よく具合が悪くなったり失神していたから」
昔は今よりコルセットがきつかったし、照明が蝋燭の炎だったから(今の灯りは魔道具)、室内が酸欠気味になったりした。それで失神する女性が多かったそうだけど、今はそんなことはあまりない。
とはいえ今は、女性がわざと気絶したふりをして狙った男性に抱き起こしてもらいつつ、気付け薬を嗅がせてもらうことで合法的に顔を寄せたり密着するという技が、恋愛の駆け引きとしてはある。
瓶そのものもデザインが美しいので、装飾品として持ってる人も多い。長い説明終わり。
あたし誰に説明してんの?
実際はどうだったんだろう。本当に身体が弱かったのか、イケメンに抱き上げて欲しくて気絶のフリをしていたのか。
「マリエス様の気付け薬ですか?」
「いや、彼女のものだ。シャトレーンに付けていて、簡単に取り出せたから。
それを嗅がせたのに効果はない。彼女から何か、植物的な甘い香りがしていたな。彼女を失う恐ろしさで息もできず、胸が苦しくてたまらなかった……」
深刻な顔で語りつつ、しれっとあたしの手を取って顔を寄せてくる。
「いやそれ、その方の口から漏れた毒ガスを吸って、物理的に具合が悪くなってた可能性がありますよね」
思わず素で突っ込んでしまった。
手を離して距離を取り直すのも忘れない。
よく考えたら、ナッツの香りがしたってことは、その臭いのする毒ガスを吸ったってことだ。酸と反応したメッキ毒って、そこまで危ないのか。
これが屋外で、まだ良かった。現場が換気の悪い室内だったら、2次被害が起こってたかもしれない。
自身も危ない目に合ったから、マリエスは犯人ではない?
いや、これだけでは何とも言えない。単に、メッキ毒の危険性を見誤ったのかもしれない。まさか毒を飲んだ人だけでなく、その呼気を吸った人にまで被害が及ぶとは思わない。
「治療師もそう言って、回復魔法をかけてくれたんだが。
結局家には帰してもらえず、この公爵邸で足止めを食らっているんだ。でも君のような可愛い子に出会えたのが、不幸中の幸いだよ」
「うわぁ……じゃなくて、マリエス様がご無事で良かったです〜。それにしても大変な事件ですね〜。
それでぇ、マリエス様は、あやしいと思われる方はいらっしゃいますか〜? 不審な行動をとった方とか」
マリエスが背筋を伸ばした。珍しく、あたしの胸から視線を外して顔を見る。
「それは勿論、シェリュアだよ! ラヴィルに醜い嫉妬を起こして毒を盛ったに違いない!
あの女の指輪。実はあれは、毒の指輪といって、薬を仕込める指輪なんだ。先祖から伝わる品で、いつも後生大事に嵌めているとラヴィルが言っていたんだ。それを使って毒を盛ったんだよ」
「えっ」
毒の指輪。それ、加護で鑑定したよ!
被害者の遺品かと思ってたけど、シェリュア様の持ち物だったのか!
おそらく警察がご本人の許可を取って押収して、あたしに毒の有無を確認させたんだろう。
「そういえば、僕が来た時、あの女はグラスの上に手をかざすような動きをしていた! きっとあの時に毒を入れたんだよ、間違いない!
すぐに逮捕してもらわないと!」
そういう重要な証言を後出しで言うのは、意図的な偽証か思い込みの可能性が高い。第三者であるヴィエリア様は、そんなことをおっしゃっていなかったし。
それに、もしそれが事実だとしても、説明のつかないことはある。
指輪に毒を入れた痕跡はなかった。たとえグラスに毒を入れたところで、ラヴィル様が飲む機会はなかった。
「それは、警察におっしゃれば調べてくれるはずです〜」
証言が信用できるかどうかというところからな。
「それと、もう一つ気になることが。
先ほどマリエス様は、シェリュア様とラヴィル様のお父上を『ハーバルク伯爵』とお呼びになりましたね?
現伯爵は、シェリュア様じゃありませんか?」
マリエスは、我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「そう、それなんだ! それもあの女の悪辣なところだ!
奴は、どのようにしてか本来の伯爵家当主である父君から地位を簒奪し、烏滸がましくも女伯爵を名乗っているんだ!」
「……はあ?」
え、何言ってんの? 妄想?
家系から言ってもシェリュア様が正当な当主だろ?
「え〜と、ラヴィル様のお父上が、そう主張なさっていると」
「主張じゃなくて事実だ。
あの女は、伯爵位を奪うだけでは飽き足らず、ラヴィルに嫉妬して殺したんだ。
君からも、早くあの女を逮捕するよう、公爵家の方に口添えしてもらえないか? 言うことを聞いてくれたら、悪いようにしない」
マリエスがあたしの顎をくいっと持ち上げる。同時に肩に手を回して抱き寄せようとする。
「ちょっと、離して離して」
「そういう初心なところも可愛いよ。どうだい、話の続きは僕の部屋で……」
ぐいぐい顔を寄せてくる。こっちも両腕で押し返す。
やべえなこいつ。気の弱い令嬢とかだったら、このまま部屋に引きずり込まれかねない。
面倒くさくなってきた。もうこいつの腕でも捻りあげて、痛い目に遭わせてもいいかなあ。
「旦那様、お嬢様」
「「うわあ!?」」
突然、至近距離からおばさまメイドに声をかけられて、2人でビクッとなってしまった。
すごい。視界に入っていたのに、今の今まで認識から外れていた。気配の消し方が半端ない。
この人、今からでもダンジョン中層で斥候ができる。
「無礼だな、召使い風情が! 退がってろよ!」
「警察の方々がご覧になっておられます。あまり目立つことはなさらない方がよろしいかと」
周囲を見ると、確かに制服の警官が庭園のところどころにいる。そりゃ殺人事件の現場なんだから、警備とか遺留品捜査の人とか何人もいる。
そのうちの1人が、こちらに向かってきていた。私服の若い貴族だが、明らかに警察組織の人だ。歩き方が軍人みたいにきびきびしている。
「……ちっ。お嬢さん、先ほどの話、よろしく頼むよ」
マリエスが身体を離し、反対方向に退散していった。その後ろを、彼の担当らしい男性使用人が無音で付き従っていく。この人も気配が読めなかった。
一部の使用人のレベルが高すぎる。
メイドさんが、うやうやしく頭を下げたまま、小声で言った。
「お嬢様、公爵邸において物理的な攻撃はご遠慮願います」
殺気を読まれていた。
「申し訳ありません」
「痕が残らないからといって、関節技もご遠慮願います」
脳内シミュレーションした時の、わずかな筋肉の動きまで読まれていた。
前言撤回。最下層だ。この人ならダンジョン最下層で斥候ができる。
「以後気をつけます」
もう絶対、この家の使用人には逆らわないと誓いました。