10 お茶会3
長い話が一段落して、シェリュア様は紅茶を召し上がった。味を確認してから砂糖と乾燥ハーブを入れて味を調節し、スプーンでかき混ぜ始める。
「そのような中で、領地や事業の経営をなさってたのですね」
いたわるようにおっしゃるヴィエリア様。
「こんな小娘に出来ることなど、たかが知れています。周囲の皆に支えてもらっているだけ」
「異世界の品物を参考にして、貴族向けの魔道具を作ってらっしゃるんでしたっけ?」
季節のベリーのタルトを切り分けながら質問した。
とろりと甘いクリームに、ベリーの酸味とタルト生地のさくさく感が絶妙に映える。
「さようです、セルティ様。わたしは昔ラヴィルから聞いた話を職人に伝えるだけで、実際に商品化しているのは現場の人たちですけれども。
異世界の知識によるアイデアは出尽くされたとも言われますが、時代が変わればまだまだ出来ることはあります」
と言いながら、シェリュア様は閉じた扇を取って見せた。
彼女の商会のヒット作、冷風の扇だ。
「例えば、これです。
ごく最近まで、貴族にとって魔道具は、照明や冷暖房など召使いに使わせる物でした。
わたしたちの親の世代ですと、ご自分では魔道具を使えない方も多いですわね。魔力を操作したことがありませんから」
シェリュア様の口調に熱がこもってきた。
「けれど今は、貴族が自分で使う物も発明されてきています。この扇のような、個人で使う、なくてもいいけれどもあれば便利な魔道具。
あるいは時代の変遷によって受け入れられるようになる、斬新なデザインの服や装身具。わたしはそういう新しい需要に、商機があると考えています。
異世界の情報は、その新たな思いつきのヒントを与えてくれるのですわ」
「なるほどぉ〜」
素で感心してしまった。
あたしも異世界知識は持っているけど、そんなの考えない。発想力がある人は目のつけどころが違う。
「失礼ですけれど、ラヴィル様が亡くなったから、その異世界のお話は、もう……」
「聞くことは出来なくなりました。ですが、以前からそのような話をする間柄ではありませんでしたから。
今までの情報の蓄積もまだあります。それを参考にして、時代の変化を見ながら少しずつ商品にしていくことになるでしょう」
あたしのわりと失礼な質問にも、丁寧に答えてくださった。
「じゃあ、新しい商品のアイデアなんかはお待ちなんですか〜? もちろん秘密だったら答えなくて結構ですけど〜」
「いえ大丈夫です。実はこの扇が試作品ですのよ」
さっきの扇を広げてかざす。
「冷風の術式と一緒に、念動の術式が書かれています」
魔道具とは、品物に術式と呼ばれる魔術呪文を刻んだものだ。これに魔力を流すと、一般人でもその魔術を発動させることができる。
シェリュア様は着けていたシャトレーンから豆手帳を取り外して、テーブルの上に置く。
「この手帳にも扇に対応する術式が書かれていまして、発動させるとこのように」
扇を近づけると、手帳がふわっと浮き上がって扇の面に張り付いた。磁石のようだけど、よく見ると密着ではなくて数センチ離れている。
扇の角度を変えても、手帳は垂直に上下を維持したまま扇面近くに浮いている。くるりと反対側に返すと、小さな手帳は完全に隠れて見えなくなった。
「儀式の時などに、周りから見えないようにカンニングペーパーを準備できる扇です。さらに魔力を操作すると」
もう一度裏表を返して、あたしたちに見せる。
手帳の表紙がゆっくりと開き、ページが勝手にぱらぱらとめくれていった。
「術式に決められた単純な動きになりますが、こういう操作も可能です。
もっと滑らかに動かせる試作品は義妹に取られたので、この程度ですが……」
「他の使い方も出来そうですわね。
例えば扇に隠れてこっそりお菓子を食べるですとか。こんな風に扇をお菓子にかざして、そのまま口に持っていけませんこと?」
「それも考えたのですけど、その場合はお菓子の1つ1つに術式を刻むことになりますの」
「あら、それは現実的ではございませんわね」
皆でくすくす笑い合った。
シェリュア様は相変わらず顔色は悪いものの、表情や声が生き生きしてきた。
「お仕事がお好きなんですね〜」
「そう言われると、確かにそうですわね。今のところ苦労しても、それに見合う結果が出ていますから」
このために新商品の扇と手帳を準備してたのか。用意がいい。何もなければ、パーティーの出席者にアピールして売り込もうとしてたのかも。
ラノベの多くのドアマットヒロインのように、シェリュア様も商売や経営に関してはやり手っぽい……シェリュア様、脳内とは言えドアマット呼ばわりしてごめんなさい。
「こういう魔道具はすぐに術式を解析されて模倣品が出回りますので、最初のうちにしっかりと売り上げておくことが大事なのです」
「ああ、海賊版が出回るんですね〜。魔術師なら、術式の模倣や改造は難しくないですもんね」
この世界には職業的魔術師はたくさんいる。貴族なら1人や2人は抱えているくらいだ。
「ええ。ですけれど、うちの商会には目新しくて品質の高い商品が揃っている、そういう評価をいただいております」
「それでミーティン侯爵令息と婚約をすることになったんですか〜? 業務提携の都合ですとか?」
好奇心でプライベートに首を突っ込む奴になってるけど、事件解決のためには婚約関係の話は避けて通れない。
「いえ、商会や領地経営とは全く関係ありません。侯爵からの申し出でしたが、要するに婚姻によって愛息の一生の面倒を見てくれということです。
父はあまり考えずに侯爵家との繋がりと、マリエス様、婚約者の名前ですが、彼の持参金に目が眩んで了承したようです」
いや一時的に大金が入っても、そいつを一生養うならマイナスだろ。親父大丈夫か。大丈夫じゃない。
「婚約者は、どんな方ですか〜?」
シェリュア様は、
「見目麗しい方です」
と言ったきり黙った。……つまりあれだ、顔以外に見るべきものはないと暗に言っておられる。
あたしたちは、そのニュアンスを正確に読み取った。
「な、なるほど〜。
あれ? でも、シェリュア様は普段領地にいらっしゃるんですよね? デートというかお2人でご一緒することは?」
ていうかシェリュア様の領地ってどこだ。
「月に1度、王都の屋敷でお茶を共にいたします。
領地は帝国にほど近いアルバリ地方で、王都への転移陣設置は禁じられております。ですから、その都度領地から馬車で移動しておりましたの」
転移陣、要するにワープゲートだけど、国境と主要都市など、場所によっては設置が許されないルートがある。
理由は言うまでもない。隣国から攻められてゲートが奪われたら、転移で一気に主要都市に軍隊を送り込まれるからだ。
とは言え転移陣は両方を同時に起動させる必要があるから、そこまでリスクは高くない。閑話休題。
「アルバリから王都? ルートの近くに魔物の未討伐エリアがありますね? 最近魔物が活性化してますから、万一街道まで魔物が出てくると危ないですよ?」
ゆるい喋り方をするキャラを捨てて、わりと真面目に注意喚起してしまった。
元冒険者の性、魔物の厄介さは身に沁みている。
「お詳しいのですね。秘書のガーディス卿もそう申しまして、アーウィズ国公認の傭兵団を長期で雇っているのですけど」
「ああ、それがいいです。アーウィズは戦闘民族修羅の国ですから、そこの傭兵ならガチで強いです。魔物にも勝てます」
「「そ、そうなのですか……」」
お2人が若干引いていた。
なんで? 魔物は強いよ? 素人が遭遇したら絶対死ぬよ?
「ま、まあ、そのですね。そうまでして王都へ向かってもですね、マリエス様、いえ婚約破棄されましたからミーティン卿ですね、彼はわたしに興味がありませんでした。
わたしに魅力がないとおっしゃっていつも不機嫌でしたし、そのうちにあの方はお茶会をすっぽかしては、ラヴィルと親密に……」
「こう申しては何ですが、婚約破棄されてむしろ重畳でしたわね」
ヴィエリア様は素敵な笑顔で、手でフィナンシェっぽい焼き菓子を2つに割った。お菓子を奴の首と胴体に見立ててるんじゃなかろうか。
割ったお菓子に豪快にクリームとジャムを塗り(なんで太らないの)、優雅に召し上がる。それから横の召使いがスッと出したフィンガーボウルで指を洗われた。
シェリュア様が、遠い目をして嘆息なさった。
「でもわたしとしては、別に彼がラヴィルと結ばれても構いませんでした。
侯爵は、息子のミーティン卿をわが伯爵家で養って欲しい。ミーティン卿とラヴィルは互いに結ばれたい。わたしは夫婦となった2人を養ってもいい。
円満に全員が納得する話だったのです」
そしてシェリュア様は元婚約者への愛情は一切ない。ラヴィル様に押しつけられるならむしろウェルカムだった。
あたしたちは、彼女のそういう言外のメッセージを正確に読み取った。
「それで、警察のようなことをお聞きするのは心苦しいのですけど〜。事件が起きた時について教えていただけますか〜?」
「分かりました。とは申しましても、大したことは覚えておりませんが……。
わたしには親しい友人がおりませんので、1人でガゼボで食事を摂っていました。
そこへラヴィルとミーティン卿がやって来て、少し話をしました。まあラヴィルがわたしを揶揄して、ミーティン卿がその肩を持つということですが。
それから突然、彼が大声で婚約破棄の話を始めました。
全く、どうして公爵家のパーティーでそんな騒ぎを起こしたんでしょう? あまりのことに驚いて、話を遮ることも出来ませんでした。
そうしたら、横にいたラヴィルが倒れて……それからは大騒ぎです」
「倒れる直前、ラヴィル様は何かしていらっしゃいました〜?」
「いえ、普通に顔に扇をかざして立っていたと思います。昨日は暑いくらいの陽気でしたから、冷風を送っていたのかと」
「何か飲んだり食べたりなさってました?」
「たしか、こちらに来た時に少し飲み物を飲んで、グラスをテーブルに置きました。それからは何も」
「マリエス様ことミーティン卿が婚約破棄宣言をした時、彼がラヴィル様に何かしました? 腰に手を回して引き寄せるとか」
婚約破棄ものでありがちなムーブ。
「いえ、何も。
ミーティン卿に注目していましたので、ラヴィルは視界の端でしか見ていませんが、どちらも特に動きはなかったかと」
「そうですか〜。
こんな事件が起こって、婚約はどうなるんでしょう?」
「事件がなかったとしても、公爵家のパーティーを台無しにしてまでおっしゃったことです。まさか破棄の撤回は出来ないでしょう。
ましてラヴィルが亡くなったからといって、わたしとの婚約を継続するなどあり得ません」
うーん。目新しい情報はなしか。
「あと、意味があるか分かりませんが」
「はい?」
「以前ラヴィルが、異世界の毒について語っていたようなのです。侍女のベッキラが偶然聞いていたのですが」
「異世界の?」
「ええ。なんとか……カリ? 金属メッキに使う猛毒で、ナッツのような香りがすると」
──!? 青酸カリのこと!?
一瞬顔が強張りかけたが、すぐに平静を装う。
「なるほど〜?」
「飲むと少量でも死に至るのですが、口に含むだけなら無害らしいのです。
なんでも胃酸に反応して猛毒の気体を発生させるので、胃に入れなければ毒も発生しない……でしたかしら……」
う〜ん、なんか記憶にある。
誰か歴史上の有名人が青酸カリを盛られたけど死ななかった。一説にはその人は無胃酸症とかいう病気だか体質だかで、毒を飲んでも反応する胃酸がなくて、青酸ガスが発生しなかったとか。
「そのことは、警察の人には」
「申し上げました。ですけれど、それは異世界の毒の話ですし、ラヴィルは被害者です。偶然なのかもしれないと、取り合っていただけないようでした。
セルティ様、ヴィエリア様」
シェリュア様は顔を上げ、張り詰めた表情であたしたちを見た。
「……わたしは犯人ではありません。ラヴィルを害する理由もございません。長い間別居しているのに、彼女を虐げることができるはずもありません。
わたしやラヴィル、両親については、ベッキラと秘書のガーディス卿、彼らにも尋ねていただければ分かります。今朝着替えを持って来てくれましたから、まだ王都にいるはずです。
ヴィエリア様セルティ様、なにとぞわたしの容疑を晴らしてくださいまし」
無胃酸症説のある有名人:ラスプーチン。
昔の推理小説に時々この説が載っていたけど、今は廃れているのかなぁ。全然見ない




