一話
一話
つまらない男。うだつが上がらない男。そんな風に言われたことがある。それは口喧嘩の中の益体のない言葉だったろうか。それとも口喧嘩の中で思わず出てしまった本音だろうか。状況の如何では殺意すら抱くだろうその言葉。正鵠を得ていようが得ていまいが関係はない。そして男はその言葉を口にした女に殺意を抱き、しかしだからといって殺すことはせずに距離を置いた。
いとも容易く、実に簡単に人を傷つける言葉を吐き散らかすその女から距離をとった。
だが、呑み込んだ怒りと憎しみ、傷つけられた心。本来は時間が薄め癒すであろうそれらを真新しいままに抱えて自身は他人には容易に信じてもらえない経験をした。
異世界への転移。漫画、アニメ、ゲーム。中世の欧州を非常に大雑把に下敷きにしたファンタジーと言うしかない世界。そこに、俗にいう異世界モノのようにまるでゲームのキャラクターにでもなったかのような能力を与えられて、その世界に放り出された。
やるべきことは、魔王退治。強力な魔王を倒すために能力を与え云々とかいう、実に異世界転移モノの基本を押さえた転移であり、与えられた能力も強力無比。それこそ世界最強をささやかれる程の能力で暴れに暴れて魔王すらをも倒し、そして……
「結局疎まれて帰ってきましたとさ」
そう呟いた男は、人の形をした炭を一瞥した。時間にして十年程だったろうか。異世界にいたのは。しかし元の世界、つまり地球上においてはそれは僅かに三か月程の期間だったらしい。すでに炭になった女の言うには仕事に出勤したきり連絡が取れなくなり、消息がまったく掴めなくなった、とのことだった。警察にも捜索願が出されており、会社もあちこちに連絡をして探してくれた。そういった情報をヒステリーと言う言葉が可愛いくらいの罵声、詰るという言葉が優しいくらいの台詞から聞き取った男は、何かこう、ひどく自動的な滑らかな動きで指を中空で動かし、何かを呟いた。それはいわゆる『呪文』なのだろうか。その結果、妻だったはずの女は悲鳴を上げる暇もなく燃え尽きて、床に焦げ目の一つもつけずに炭となって転がった。
正直、自身でも燃やして倒れた直後に「あっ」と声を漏らした程に反射的な、いやどちらかといえばひどく自動的な対処のような、そんな感覚だった。だからといって後悔とかそういう感情に今苛まれているかといえば、特段そういう訳でもない。この炭をなんとかしないといけないな、ということは冷静に考えているし、その手段も幾つか頭の中で並べている。異世界に渡った時に得た能力、そして異世界で培った技能の類をもってすれば、こんな炭をこの世から警察に見つからないように処分するのはいとも容易い。敢えて問題があるとすれば人一人がいきなりいなくなってしまったことで、彼女の実家に関してはともかく友人関係はあまり詳しくない。生きていれば情報の入手も容易いことだが流石に炭にしてしまったものから情報を抜き出す技能は獲得していなかった。
「まいったな。蘇生魔術までは習得してなかった。まあ流石にそこまで手が回らなかったが」
男は、いわゆるパーティーメンバーにいた女司祭のことを思い出す。捻りを加えているなら別だが基本的に魔法のあるゲームの類において司祭とか神に仕える神官系の職業である者らしく、彼女は回復魔法が得意だった。男自身も回復魔法はそれなりに会得していたが、彼女には及ばなかった。その差の際たるが蘇生魔術で、そうそう目にする機会はなかったが、半身を失った者ですら見事に半身ごと蘇らせてみせた。女を見る目がないと自負する男がみても器量といい性格といい良い女で、目の前に転がっている炭がいなかったら一か八かで口説いていたかもしれない。向こうの世界で疎まれ、花道と言う名の殆ど強制送還をされることが決まったときにも彼女はそれを強制することには反対の立場をとっていた。
「なんとか残る道を探していればよかったかな」
もっとも、それは難しいことだったろう。魔王をも屠る力を持つ者を人が恐怖の目で見ることは避けられない。また男にはパーティーにいた他の面々のように何がしかの繋がりでもって社会的に残れる立場を持っていなかった。ただ異世界より呼び出された強い力を持つ戦士。言うなれば自律行動可能な兵器。存在の必要がなくなったのであれば壊すか封じるか送り返すか。内に取り込めば災いとなる、と思われての果ての結果である。殺されなかっただけマシというものだろうか。いや実際のところ、殺されかけもしたのだが。
さて、そんなことを思い出しながら男は炭に目をやる。感情を揺さぶられないことを意外と感じないのは、彼女に情の欠片も残していなかったからだろうか。男は窓を開けると呪文を呟き指を動かす。不自然な風がヒュウと吹き、炭を窓の外に運ぶと散り散りに吹き散らした。
男の頭はすでに彼女についてのことではなく、彼女が不自然にいなくなったことに対してどうするか、という対策を考えていた。
男は気付いていなかったのだろう。その有り様は、普通の人間とは最早言い難いものであるということに。




