第四週 恐怖のコロナ陽性
二十二日目
真夜中に入院以来では初となる尻の痛みで目が覚めた。それ以降は特筆すべきことのない一日だった。
何もないということは、つまり暇で暇で仕方なかった、ということだ。でも明日新しいノートが届いたら小説の執筆を始めようと思う。
二十三日目
夜中の三時に尻が痛くなって目覚め、以降痛くて眠れなくなって困った。受付で痛み止めをもらうもあまり効き目はなく、苦しんだ。
コロナ検査体制が終わった今週になってもOTは再開されなかった。代わりにM氏という方と知り合いオセロをし、しばし会話やM氏が書き溜めたノートを見せてもらった。M氏は中々壮絶な人生経験をお持ちだったが、それを感じさせないような親し気な態度であった。自分のような人間にもそういう風に接してくれる人は貴重だ。これから親交を深められるかは自分次第であったが。
それから臨時購入していたノートの二冊目が届いた。そういうわけで小説の執筆を始めた。精神病棟を舞台にした二人の女の子の出会いと別れを描く話だ。これから暇な時間はなくなるだろう。
二十四日目
尻が痛くならないような寝方を模索してみたが、結局他の部分が痛くなって夜中に起きるので本末転倒感があった。これから安眠はできなさそうだ。苦しい。
実は入院以来痛む耳の件で今朝皮膚科の先生に診てもらったのだが遠目に見てカットバンでも貼っときの一言で終了だった。二十四日もずっと痛いなんて普通の傷じゃないのに、少し納得いかなかった。
OTは今日もなかった。どうにもしばらくなさそうだ。
入浴日なのでお風呂に入った。
その後は執筆に精を出した他は特段何もない一日であった。
二十五日目
相変わらず尻の痛みでよく眠れないのが私を悩ませる。何か良い寝方はないものか。
そしてまた便秘のために朝から下剤を飲んだ。おかげで昼には便が出た。
今日コロナ絡みで何かあったらしく、急遽PCR検査が実施され、昼と晩御飯を部屋で食べることになった。随分ゴタゴタしていて何が何だかわからない。
二十六日目
今日もPCR検査が行われ、ご飯を部屋で食べた。それもそのはず、なんと四人部屋の同居人からコロナ陽性者が出てしまった。自分も感染するのでは……と恐怖する私。所謂クラスターという奴では……陽性者を隔離せず相部屋のままなんておかしいよ。
その後熱を測ったら37.6℃でもう駄目だ……おしまいだ……主治医の診察もコロナの関係でないとわかって退院が遠のき、悲嘆にくれた。夕方には陽性であることが明かされた。
こうしてコロナ闘病記まで始まってしまったのである。
二十七日目
コロナ二日目の朝、喉が腫れている感じがあった。これからどんどん悪くなっていくと思うと気分が沈む。それ以外で不調はないため執筆はした。
晩御飯の際トレイをいつまで経っても回収しないから持っていったら居合わせた人に罵倒されるというトラブルがあった。私を陽性と知ってのことだろう。この先こういうトラブルが多発すると思うと気が重い。
その後厄介な同居人に暴力を振るわれた挙句、部屋を追い出されるという最悪のトラブルがあった。厄日だ。
二十八日目
朝から喉がすごく痛い。39.1℃の高熱があった。なので寝てるしかなかった。
今夜からコロナの薬を飲むことになったが、大きい錠剤のみで粉にできないと知って絶望した。
昼頃いくら汗をかいても首のところが暑くて死にそうだった。夕方には熱は少し下がった。代わりに咳が酷くなった。コロナの薬は結局粉になると聞いたので良かった。コロナの恐ろしさを思い知らされる三日目だった。
ちなみに薬は実際には錠剤でした。やだー大きすぎて吐いたので二つに割ってくれた。
次回 第五週 コロナ闘病生活