第一週 地獄の隔離病棟
一日目
かくして再び救急車に乗り込んだ私は、危うく病院が見つからないと帰されそうになったが、結局TS病院という精神病院(遠い)に運ばれることになった。そこで日常生活が困難になったことを説明し、入院の手続きの種類を渡された。
しかしブルっちまった。五日間の隔離病棟行き、そして入院すれば様々なものを失うことに……再び訪問看護師に電話するが入院しろとの圧。私に選択肢はなかった。
それから隔離病棟の自分の部屋に移されたがそこはベッドと簡易トイレがあるだけの、囚人の方がまだ文化的な暮らしをしているぞと言わんばかりの部屋だった。しかも驚くことにナースコールもない。じゃあ何かあった時どうやって人を呼べばいいかというと、ひたすら閉じられた房の前で叫び続けるしかないのだ。運よく職員が通りがかればいいが、大概は気付かない。無視されることこそ、最大限人間の尊厳を奪う行為なのだ。
そういうわけで、初日から絶望の二文字を味わった。
二日目
この日はコロナのPCR検査とCT検査があった。結果が夜も真夜中まで明かされず、一日やきもきした。
その間独房(あえてこう言う)生活にも少し慣れた。トイレは水を流すところもないので水筒の水で手を洗った。
ついに結果が夜中に伝えられたが、肺に不穏な影があるとかで、再検査が明後日に決まった。つまり隔離生活が二日延びたと(その時は)思ったのだ。グレた私は退院してやると房の前で吠え散らかす。しかし見かねてやってきた職員は明日にして寝てくださいという塩対応だった。
三日目
「退院してやる!」という元気はどこへ行ったのか、急激に体調が悪くなり入院時よりもひどい状況に。
これでは退院どころではなくなってしまった。薬の副作用か? 医者は私を殺すつもりなのかと思った。
そういうわけでその日は寝て過ごすしかなかった。無為な一日だった。咳もし始める。
四日目
PCR・CT検査再検査の日。だが昼頃にはクリアしたと報告が入り、そのまま慌ただしく部屋移動となった。
しかし隔離は終わらず、相変わらず要求を無視され続け人でなしと叫ぶこともままあった。
またこの新しい部屋が少々曲者で常時冷房がついてないのである。
その日の夜冷房をかけさせてもらうことに、職員三人目にしてやっと成功した。歴史的勝利であった。
また主治医が登場したのもこの日だったと思う。
五日目
明日主治医が来ると言ったものの、今日は特にやることのない一日であった。
その日の夜も冷房をかけさせるのに苦戦した。人でなし共と叫んでなおようやく人が現れ冷房を付ける約束をしたのだが、結局その日は冷房が付かなかった。ウソをつかれたのだ。人を信じられなくなった瞬間であった。
六日目
この日の昼に主治医が来て(予定通り)隔離病棟を解放していった。途端に自由行動が増えたが、その分制約もまた追加された。まず食事は食堂で取ること。このシステムに最初戸惑う。トイレも共用になった。
初日にしてトイレで汚物を床で踏み、スリッパを洗うのが大変だった。最悪だ。
それから回診にも現れず結局来ないと思われた主治医が急に現れ一対一で話し合うことになった。
彼の言い分はこうだ。
「薬を大きく動かすことはしない。減らして様子を見る」
「寝る時の痛みについては何もしない。精神的なものなら直に治っていくだろう。そうでなければ専門に任せる」
ようは現在薬の副作用による体調の不良にもかかわらず薬を使い続け、寝る時の痛みには何もしてくれないしで現代医学の悪いところを煮詰めたような印象を受けた。
そういう本人は自信満々だったが。
七日目
解放されて二日目だが、わざわざ食堂で食べるのも煩わしさを感じるのだった。
朝十時から作業療法(OT)といって本を貸し出す時間があったのだが、老眼か? 目がひどく集中できなくて、まともに読むことが出来なかった。これも入院前からある副作用だったがさらに酷くなったようで病院を恨んだ。
その日は便秘が酷かったが、下剤の使用も考えられたものの、自力で解消した。しかしその後幾度となく便秘にも悩まされていくこととなる……。
次回 第二週 進展と挫折