密偵たちの夜
「ダッダラダッ〜!ダッダトゥルルー!」
クラシック音楽が鳴り響く防音室に女はいた。
殺風景な白い空間に椅子と蓄音器が置かれ、その周囲を女は奇妙な踊りで練り歩いていた。ときおり大胆に腕を動かし可憐に舞う。
現在時刻は深夜の0時。
窓から見えるフェルロシア国はもう既に寝静まっている。
月の明かりだけが城下を照らす子夜に、音楽に酔いしれる女は呟いた。
「あ〜なんて素晴らしい夜なのかしら。今夜は誰にも邪魔されない極上のひととき。最高のナイトルーティン!!」
彼女は御八瀬学園に勤める学園寮の寮長であった。
名前は不破裁火。
実績、名声、出身、どれをとってもエリートである彼女は若年ながらも学園寮を治める最高位として名を轟かせた。
名前の如く強烈な印象を植え付けるその鋭い眼光はどんな悪事でも逃さない千里眼として知られ、いつしか「不死身の災禍」の異名で呼ばれるようになった。
当の本人はまさかそんな恐ろしい異名が付けられているなど夢にも思ってはいない。
ただ胸を張って自身の正義を貫き通すだけなのだ。
つまるところ、普段の勤勉な姿勢からは想像もできないほどに異様という言葉以外の何者でもないこの様子を扉の隙間から密かに覗くものがいた。
右手にランプを持ちガクガクと足を震わせている。
それは夜間寮内監視を任される新人の男であった。名前は不明。
男はこの現場を目撃してしまったことに冷や汗をかきつつも、今か今かと何やらタイミングを窺っている。
その瞳には緊張感と恐怖の色が滲んでいた。
( どうしよう…このまま引き下がったら俺が怒られるし、かと言って扉を開けて中に入るわけにもいかないし…。)
男は御八瀬学園の寮長の下で働く部下のような存在であり、仕事ができないと毎日のように罵られ苦闘する日々を送っていた。
今日こそは頑張るぞと意気込み寮生の就寝チェックをしていた矢先、緊急事態は起きてしまった。
寮内の一室、205号室がなんと、も抜けの空であったのだ。
もちろん、生真面目であった男はこの事態に目を瞑って通り過ぎようなんて愚行、考えもしなかったし、何より寮長に大目玉を喰らうことを恐れていた。
いち早く寮長に知らせねばと汗だくになりながら寮長室にやってきた次第だが、案の定、上司の不気味な演舞現場に鉢合わせてしまったのだ。
( くそっどうして俺ばっかり…)
男は小心者だった。
一人では意見を言うことすらままならなかったし、ゴキブリだって倒せない。
そんなんだから夜の寮の見回りを押し付けられるのだ。
一度深呼吸をするために扉を閉めて真っ暗な廊下に向かい合った。
そして大きく息を吸って腕を大きく振り上げた。ガチャっという音共に息を吐いて…ガチャ?
「あら寮内監視の新人くんじゃない。こんなところで一体なにを?」
「り、寮長様…えっとこれは…」
「これは?」
いきなりの登場にホラー映画並みにビックリしている男をよそに「不死身の災禍」は目を光らせる。
上から見下ろすように仁王立ちする寮長と、目を泳がせ冷や汗まみれの寮内監視の男の図はまるで毒蛇に睨まれたカエルのそれだった。
恐ろしいくらいの声のトーンで強要される"これは"の続きを男はどう言い出そうか迷っていた。
「えっと…ぼ、僕は今さっきここを通りかかってその…」
( 決して寮長様の風変わりな趣味を見てしまった訳ではありません。)
そう言いかけたところで男は今自分が最も言わなければならない重要なことを思い出した。
そうだ、寮内の生徒がいなくなったんだ。
恐怖と、いきなりのアクシデントに自分を見失いかけている男だったがなんとか現実を取り戻した。
「そ、そうです。りょ、寮長様。寮内の生徒が就寝時間を過ぎているというのにいないんです。」
「何!?」
「205号室の…女子党です。」
「うーむ…間違いないんだな!?」
驚くほど目をむいて聞き返す寮長こと通称「不死身の災禍」に男は、間違いないですというふうに何度も頷いて見せた。
「ふむ。分かった。一様確認しに行くわ。お勤めご苦労。」
「は、はい。」
何事もなかったかのように205号室へ向かう寮長の後ろ姿を見守り男は安堵のため息をついた。
バレていない、バレていないぞ!
そう心の中で拳を振り上げながら一仕事終えた達成感を味わっていた。いつもならば何かしら嫌味を言われたり罵られたりしているというのに今日はご苦労様という労いの言葉をもらうことができた。
( 今日は帰ってワインでも開けるか〜! )
新しい門出を迎えた新人は明日からは新人くんではなく名前で呼んでもらえるだろうと暗闇の廊下を歩き始めた。その時だった。
「ところで、新人くん。部屋の中覗いたりしていないわよね?」
「へ?」
ーーーーーーー
「こちら開闢。みずは〜応答願うよ。」
真っ暗な闇の中を駆ける一人の少女がいた。
銀髪の髪の毛を靡かせながら隙のない動きで生影に隠れスティレットを構える。
彼女の名前は開闢リオ。御八瀬学園に通う寮生にして平凡な一般生徒を装うフェルロシア国の密偵だ。
フェルロシア国の平和と繁栄のために結成された影の組織、通称 「久遠の使徒」は御八瀬学園に通う満17歳で構成された切れ者集団だった。
ちなみに開闢の立ち位置は一様、この小隊の隊長である。
フェルロシア国の参謀本部長、ジジイ( と呼ばれている ) に鍛え上げられ戦闘スキルはもちろんのこと、学園の勉強は既に終えていた。
本気を出せば学園のトップに上り詰めるほどの実力を兼ね備えていたが、任務に忠実な開闢はあくまでも一般生徒として振る舞っている。
つまり目立ちたくないのだ。
話は変わって現在時刻は深夜0時。
自国の城下で自国のスパイが何してんだよとツッコミを頂けば、もちろんこれはミッションなのですと答える次第だ。
「こちらみずは。どうぞ〜。」
「こちら開闢。反応遅い。敵の位置情報。」
「こちらみずは。りょうっかい!」
光を頼らない漆黒の闇の中、輝く琥珀色の相貌はターゲットを捉えていた。送られた位置情報を左腕の通信機で確認し目で追う。
短髪の銀を片手で払いフードを深く被ると開闢は勢いよく地面を蹴った。
フードを被るのは敵に顔を見られないようにするためと、闇に同化するため。そして、体の動きを出来るだけ相手に悟られないようにするためだ。
「くそッ…あんにゃろ、ただじゃすまさねぇ。」
愚策にもターゲットは闇の中で最も有効な音という手段で位置情報を送ってくれた。ミッション遂行にご協力ありがとうと両手を広げてハグしてあげたい気分だ。まぁその場合は縄越しのハグとなること間違い無いのだが。
開闢はスティレットを再び構え街灯のない城下の町を駆け抜ける。
今回のミッションはフェルロシアから盗まれたある文書を取り返せとのこと。
つまり私たちの任務は敵を見つけて捕獲し中身を見ずに文書を回収すること。
フェルロシア城の機密図書館に保管されていた重要文献がこの無駄に声のでかい泥棒さんに盗まれたとは思いたくはないが、みずはから送られてきた命令であるから仕方がない。
しかし、こういう感は大抵的中するのがお約束だ。ため息が溢れるのも許して欲しいものである。
「いた。」
とはいえ、これは悪魔でも与えられたミッション。
無駄な感情や疑念は任務遂行の弊害にしかならないし、需要もない。ただ機械のお人形さんのように言われるがまま動けばいい。
「ひっ!!」
振り返った男はコートを着ていて大きなスーツケースを大事そうに抱えていた。細身で足取りもしっかりしているが接近戦向きの体型では無かったし、何よりこちらを振り返ったときの間抜けな悲鳴がこの男がハズレであることを物語っていた。
「一様捕獲しておく?」
ため息紛れに地面を蹴った開闢は軽快なステップで男の正面へと降り立った。一様、警戒した姿勢は保ちつつスティレットの側面を男の首に押し付け足元を掬って地面へと叩きつける。任務完了。
「グハァ…。」
「こちら開闢。捕獲完了。」
「こちらみずは。あーちょっと厄介なことが起きたんだけど…。」
「こちら開闢。何?端的に話して。」
「んー不死身の災禍が今205号室にむかってる…?」
「何!?」
耳に装着した通信機からは幻聴と勘違いしそうなくらい場違いな名前が紡がれた。
けれど耳にがっちり固定されている通信機から幻聴なるものが聞こえてきたならばそれは何かの不吉の前触れか、耳鼻科への推薦状に他ならない。
混乱する頭を整理し、音源化された言葉の意味を理解した開闢の頭はさらに混乱の渦へと突き落とされる。
「不死身の災禍」といえば鬼寮長の総称じゃないか。目をつけられた生徒は寮内で出歩くことができなくなるほど酷い目に遭わされるという伝説の。
もし寮内を深夜0時に抜け出していたということがバレれば確実に学園内で目立ってしまう上に、退学も免れないかもしれない。
(これはまずいことになった。)
開闢は鋭利な頭脳を全力で回転させ、打開策を考えた。
強い風がフードを揺さぶり動揺した開闢を嘲笑っているかのように吹き付ける。サラサラと溢れる銀髪は開闢の知らぬ間に外気に触れていた。
「グゥ…まさかその銀髪、貴様久遠の《くおん》使徒の…」
「黙っていろ。命が惜しくばな。」
はっとした開闢は首を絞めるスティレットに力を入れて垂れた銀髪をフードの中へと押し込む。
(不覚だったな。)
ふぅと深呼吸をした開闢は通信機に表示された0時12分という数字を見ながら再びみずはに応答を願った。
「こちら開闢。」
「分かってるって。もう準備してるよ。」
「おい、規則に従え。」
「は〜いはい。こちらみずは。寮内のシステムに侵入後、不死身の災禍の注意をひきま〜す。あと、舞は使用可能だから。」
返信を待たずに切断された通信に少々不満を覚えたが、改めて仕事のできるやつだと感心した。あれでもう少し大人に対応できたらなぁと叶わない願望を呟いてみる。
フッと笑みを浮かべた開闢は「了解」と一言呟いて通信を断ち切った。
「舞。至急任務変更だ。出てこい。」
真っ暗な闇の中、開闢は舞という言葉を空中に投げた。冷たい風が開闢の背中を押すと隠れていた月が顔を出す。漆黒の闇は光の前に平伏しながら避けるように逃げていく。
「早く行きなよ。あとは任せて。」
後ろから声をかけられて振り返ると建物の影に、同じくフードに身を包んだ者がいた。月光を浴びて近づいてくる人影は碧眼の相貌を光らせ押さえつけられた男を一瞥した。
足音の全くしない身のこなしと凛とした声に舞であると確信する。毎度毎度登場がカッコ良すぎなんだよこの野郎と戯れ会いたいところではあるが任務であると自制し咳払いをする開闢であった。
「じゃあ、あとは頼んだよ舞。」
「承知。気おつけてね。」
舞の目に憐れみの色が映ったのを見た開闢は冷静になって自分が置かれている状況を再確認した。
やばい。
その一言で現状の全ての説明が終わってしまうくらいにはまずい状況だった。
押さえつけている男を軽く殴って気絶させ乱雑に舞に投げた開闢はスティレットを仕舞って振り返った。あとは頼んだよともう一度強く目で訴えかけたあと、開闢はワイヤーガンを放ち空へ飛び立った。
月明かりは駆ける開闢の後ろ姿を照らす。