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キスで終わるスキャンダル

11




「ここに来てくれるのは久々だな、乙女」


 耳障りな声で目が覚めた。


ざらざらとした声で、傷にならない、嫌な感触だけを残していく。これ以上ないほど不快な目覚ましに殺意すら覚えた。


 まだ意識が遠い。景色がぼやけているが、自分がどこかに寝かされているのはわかった。背中が冷たくて堅い。床だろうか?


 ぼやけている景色の中で見えるのは、大きな照明だった。円形で白とオレンジが混じったような色を発している。


「会いたかったよ」


「……このゲスめ。どの口が言うのですか」


 声のする方に首を向ける。そういえば、体全体が痺れている。たったこれだけの動作さえ、ゆっくりとしかできなかった。


 私は広い部屋の隅で寝かされていて、部屋の中央には二人の男女がいた。男は立っているが、女は座り込んで男を見上げていた。


 天都と幹本だった。


 天都は手を背中で拘束された状態で座らされていた。そしてそんな彼女を見下ろしながら、幹本が笑みを浮かべている。


 彼女の顎をつまむようにして、目を合わせる。


「おいおい、お前だって会いたがってたじゃないか。だから、ずっと外で待ってたんだろ?」


「――――っ」


「ばれないと思ったのか? お前は馬鹿だな」


 幹本が声をあげて笑うのを、天都は恥辱にまみれた顔で見ていた。


 気づかれていた。私たちはどうやら、完全に嵌められたらしい。幹本からすれば、尾行していた私たちは、飛んで火に入る夏の虫だったんだ。


 悔しい。私も気持ちは天都と同じだった。


「お前から会いに来てくれるなんてな。お前に近づくなって言われてたから嬉しいよ」


「ならっ、すぐに私たちを解放しなさいっ!」


「おいおい、俺から近づいたんじゃないだろ。お前らが来たんだよ。俺は招き入れただけだ。どうだ、相変わらず良い部屋だろ?」


 幹本が両手を広げて、自身の部屋を自慢する。


 広々とした部屋には、高そうなソファーや、ガラスのテーブルがあった。そして壁にはインテリアなのか、多くのCDが収められたラックや、一メートルはあるだろう熱帯魚が泳いでいる大きな水槽まであった。


 熱帯魚と目があったような気がした。気持ち悪い……。


「ここに来たかったんだろ?」


「馬鹿を言わないで。わたくしの目的は前に伝えたとおりです。先生に近づくのをやめなさい!」


「あいつが誰と付き合おうが、あいつの自由だろ。ほっとけよ」


「あなたのような男でなければそうしますよ、ゲス」


 明らかに不利な状況だというのに、天都は強気な態度だった。


 ただ、彼女を見下ろしていた幹本にはわからないだろうが、背中で拘束された手が小さく震えていた。


 助けてやりたいのに、まだ意識が覚醒しきれないし、体が痺れている。口を開くこともできない。


 生意気な態度の天都を、幹本はフッと鼻で笑った。


「じゃあ、お前の言うとおりにしてやろうか?」


「え」


 思わぬ提案に彼女が不意をつかれた。


「不知火とはたまたま知り合っただけで、本気じゃないんだよ。キープってやつだ」


 最低なことを当然のように言う幹本。そこには罪の意識なんて、微塵も感じられなかった。


「お前がどうしてもって言うなら、別れてやるよ」


 彼の口角がつり上がった。


「条件はあるけどな」


 言わなくても、彼が望んでいることはわかる。それは到底、受け入れられないものだ。


 幹本は天都と目線を合わすために、しゃがみこんだ。


「お前、前よりいい女になったな」


「…………」


「あのときは悪かったよ。だから、やり直そうぜ。それが条件だ」


 やり直すって言葉を辞書でひいて来い。そう怒鳴りたくて、口を開ける。ゆっくりとだが、やっと開いた。


 ただ、喉が鳴らない。言葉が出てこない。


 くそっ!


「今度はあんなことはしないよ。俺も大人になったし、お前も色々、わかるようになっただろ?」


 そんな軽薄極まりない言葉で笑いかける。


 天都はそんな彼を黙って見つめていた。いつもの彼女なら、丁寧ながらもキツい言葉で拒否するはずなのに、唇をピクピクと動かして、どう答えるべきか迷っているように見えた。


 そしてそんな彼女が、視線だけをこちらに向けた。きっと、間抜けに寝転がっている私が目に入ったはずだ。


「……いいでしょう」


 さんざん迷った天都が出した答えに、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。


 ありえない! なんで、どうして!


 幹本は上機嫌にヒューッと口笛を鳴らした。


「ただし、わたくしからも条件があります」


 そして彼女は私の方を見つめ、そして幹本と向き直った。


「先輩を解放しなさい。それが条件です」


 そこだけは譲れないと言わんばかりに、彼女は強い視線で幹本を睨んでいた。


「いいぜ。お安いご用だ」


 幹本はそんな条件はなんてことないというように頷いた。


 天都っ、馬鹿なことを言うな! 早く、そいつから逃げろっ。そう叫びたい。


 ただ、わかっている。どうして彼女がそんな条件を飲んだのか。ここに何もできない私がいるからだ。幹本の提案を拒めば、先生だけじゃなく、私だってどうなるかわからない。


 天都は私のために、トラウマを刻んだ男に、身を差し出すことを選んだ。


「……ぁ」


 きっと二人には聞こえないほどの小さな声が、やっと出てきた。ただ言葉にならない。


「すぐに解放しなさい」


「せっかちだな。わかったよ。元々、タイプじゃない。お前と一緒にいたから、連れてきただけだ」


 幹本が立ち上がって、私の方に向かってくる。


 その彼の姿に隠れて、一瞬だけ天都が見えなくなった。


「――やぁっ!」


 私に近づいてきていた幹本が、背中から体当たりをされてそのまま倒れた。


 バタンッという派手な音をたてながら倒れた彼は、顔を床に打ち付けて、鼻血を流して苦しんでいた。


 そしてそんな体当たりを敢行した天都は、両手を拘束されているせいで芋虫みたいに床に這いつくばっていたが、幹本が動きを止めた隙を見逃さなかった。


「誰かっ! 誰かぁっ!」


 日頃の彼女からは想像できないほどの大声で助けを呼び始めた。


「――このっ!」


 ただ、防音設備が優秀なのか、誰も来なかった。それどころか、起き上がった幹本は彼女の反撃に激高していて、さっきまでとは別人のような形相を浮かべていた。


「調子に乗りやがって!」


「きゃっ」


 床に転がっていた天都の口を塞ぐが、彼女もドタバタと暴れ、何度も彼を蹴っていた。


 そんな彼女の抵抗に、彼はついに我慢の限界を迎えた。


「こっちが下手に出てやったら、女はすぐにこれだよ!」


 口を塞ぐのを諦めると、天都の頭を掴んで、ドンッと床に打ち付けた。


「いっ!」


「女が男に勝てると思ってんのか! ばぁか!」


 今度は痛がっている彼女の髪の毛を掴み、無理矢理立ち上がらせて、そのまま引っ張っていった。


「……ああ」


 小さく声が出た。あと少しで動ける。指先がピクピクとしていた。


「二度としないって誓わせてやる!」


 幹本は天都を部屋の端に連れて行くと、そこにあった大きな水槽の蓋を乱暴に外した。


 おい、やめろっ。


「おらっ」


 力任せに天都の顔を水槽に突っ込んだ。


 彼女は暴れるが、拘束されている上に、押さえ込まれていて苦しそうにもがくだけだった。


「謝れ、謝れよ!」


 やめろ、やめろっ!


 天都が苦しそうに暴れている。ただ、最初こそ激しく抵抗していたのが、徐々に大人しくなっていった。


 ダメだ――。


 首が少しだけ動いた。


 それを利用して、精一杯の力を出して、自分の頭を床にぶつけた。


 激痛が走ると同時に、まるで呪いが解けたように、思考がクリアになって、わずかに痺れが残るものの、体も動くようになった。


「天都っ!」


 そう叫びながら、近くにあったトロフィーを手に取ると、助走をつけて幹本の頭を殴打した。


 痛みに負けて幹本が天都を放した。


 その隙を逃さずに、今度は私が彼に体当たりをすると、彼は吹っ飛び、CDが大量に収納されたラックに背中をぶつけた。


 すると、ラックの上に置いてあった段ボールが落下してきて、彼の脳天を直撃した。


「がっ」


 そんな声を残して、彼はそのまま倒れた。


「はぁはぁ……」


 荒い呼吸をしながら、倒れた彼を見下ろす。演技じゃない。白目をむいて、完全に気絶していた。


「ざまあみろ、ゲス」


 いや、彼なんてどうでもいい。


「天都っ」


 幹本から解放された天都だったが、顔と唇を真っ青にして、床に倒れていた。


「おいっ」


 そう呼びかけて体を揺らすが、返事はない。


「……やめてくれ。冗談だろ」


 自分の声が絶望に染まっていた。


「天都、あまつっ!」


 何度も呼びかけて、体を揺するが返事はなかった。


 ただ、苦しそうに、呻き声を出した。まだ大丈夫だ。


「天都っ」


 保健体育で習った心臓マッサージをやってみると、彼女はゴホッと水を吐き出した。


「ええと」


 そう、わかってる。この後の処置くらい、ちゃんと知っている。


「――――っ!」


 こんなときに変なことを思い出してしまい、一人で悶えた。ただ、馬鹿をやってる場合じゃない。


 目をぎゅっと瞑ると覚悟を決めて、唇を彼女と重ねた。


 すると、なぜか背中に手を回された。 


「っ」


 目を開けると、弱々しくも微笑んだ天都の顔が飛び込んできた。


 やられた!


 彼女はまたあのときみたいに、私の唇を堪能してからキスをやめた。


「き、君ってやつはっ」


「ああ、相変わらず先輩は可愛いですわ」


 こんな状況なのに、彼女はさっきまで真っ青だった顔を少し紅潮させ、とろんとした笑顔をしていた。


「でも……本当に助かりましたわ」


「……こっちこそ。悪かったな。ギリギリになって」


 二人で立ち上がって、諸悪の元凶を見下ろす。幹本は未だに気絶したままだった。


 その間抜けな姿を、近くに置かれていた私のカメラで撮影した。


「とにかく、今日はもう撤収しよう」


「……そうですね」


 この後はどういう展開になるか、まるでわからない。今晩のことで幹本がさらに怒って、今度は何をしてくるか……。


 それでも今は、ここから立ち去ろう。そう思って天都の手をとったときだった。


玄関の扉がすごい勢いで開けられた音がした。それに驚いて二人して手を引っ込めた。


 ドタバタという何人もの人間が走る音が近づいてきて、正体を見せた。


「どうかしましたか!」 


 数人の警察官が姿を現した。そして私たちと、気絶した幹本、無茶苦茶になった部屋の有様を見て、顔を見合わせた。

次回が最終回となります!

できれば最後までお付き合いください。

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