2人の決別
6
翌日は早めに学校から帰り、自室の机に昨晩撮った写真を並べた。
念のため、今日は校内で先生の交友関係について聞き込みをしたが、有力な情報はなかった。教師にもパイプがあったけど、彼らからも『知らない』としか答えてもらえなかった。
とはいえ、あの調子なら二人でいるところの写真は近々撮れそうだ。それさえあれば勝てる。
ただどうしても、あの男が気になった。
どこかで見たことがあるし、なにより不自然だ。バーで会っていたのに、二人でバラバラに出てきた。絶対に意図的だ。
もしもこれが彼の意思で、何かを隠しているんだとすれば、そこも暴く必要がある。勝負は関係なく、新聞に載せる以上、そうしないといけない。
そうなると先生よりも、彼に探りを入れる必要がある。とはいえ、学校関係者じゃない社会人を調べるのは難しい。なにせ、どこの誰かもわかっていない。
写真と睨めっこをしながら「うーん」と唸っていたところで、コンコンとノックされた。
「誰だ?」
「私よ」
声で副会長だとわかったので「どうぞ」と返答した。
彼女はすぐに扉を開けて、中へ入ってきた。その腕に、厚い書類の束を抱えていた。
「わざわざ副会長がこんなところに何の用だ? 今日は不機嫌にしていたつもりはないぞ」
「これ、今週末の生徒会会議の資料よ。事前に目を通しておいて」
「ああ、そういうことか。悪いな」
生徒会の会議用の資料となると、他の生徒にお使いを頼むわけにもいかなかったから、彼女がわざわざ持ってきたんだろう。
「あと、また変なことをしているそうね。風紀を乱すなと言ったはずだけど」
たぶん、私が先生について調べているのを嗅ぎつけたんだろう。
「さあ? なんのことやら」
適当に誤魔化した。口論をする気はない。私はやりたいようにやるだけだ。彼女には色々と権限があるので、止められるものなら力尽くでやったらいい。
「何度も言うけど」
「品位は汚すな、だろ? 心得ているから、安心しろ」
言葉を横取りしてやると、副会長は何も言わずにため息をついた。
ただ、机の上に並べられた写真を見ると、急に眉間にしわを寄せた。
「なに、これは」
「気にするな」
「あなた、こんな男が趣味なの? 人の趣味に口を挟みたくはないけど、学校の評判に関わるから、在校中は変なことをしないで」
その言葉に「え」と反応して、彼女を見つめてしまう。
「何?」
「副会長、この男を知ってるのか?」
すると彼女は呆れた顔つきになった。
「あなた、知らないの? 顔くらい、見たことあるでしょう」
改めて写真の男を確認する。見たことがあるような気はずっとしているが、全然思い出せない。
そんな私を見かねた彼女が、あからさまに大きなため息をついた。
「幹本興業の社長の息子」
「――あの馬鹿息子かっ!」
そこまで言われて思い出した。副会長が呆れるのも無理はない、かなりの有名人だ。
幹本興業は大手芸能プロダクション。数多くのタレントを抱えていて、財界にも広い顔を持っている。
そしてそこの息子といえば、かなり悪い噂がある。
「確か傷害で警察に」
「そう、一度捕まりかけたわ。でも、もみ消したようね。あと酒癖と、女癖が悪いの。何回も問題になっているけど、全部親の力でもみ消しているわ」
さすが政治家の娘だ。その辺の裏事情に精通していた。
「なんてこった……」
思わず天を仰ぎたくなった。これはかなり厄介なことだ。ただの熱愛報道じゃなくなる。
明らかに、裏がある。
「これ、先生じゃ」
「副会長、悪いがもう出てくれ。そしてこの写真のことは忘れた方が良い」
ふざけた調子ではなく、真剣にそう忠告した。
「……ええ、そのようね」
彼女がどこまで察したかはわからないけど、触らぬ神に祟りなしとでも言うように、踵を返した。
「そうだ。あなたの悩みの種が浮かない顔をしていたわよ」
「あれが?」
想像ができない。いつだってニコニコと、こっちを馬鹿にした感じで笑っているのに。
「気にかけてあげたら?」
「なんで私がそんなことをしないといけない」
「私は関わりたくないからよ。その写真と同じでね」
とても副会長の言葉とは思えない無責任な発言を残し、彼女は部屋から出て行った。
7
父親の人脈を頼ると、幹本興業の社長の息子・幹本貴秀の住所などはすぐにわかった。
セキュリティがやたらと厳重な大きなマンションだ。どう考えても当人が稼いだ金で暮らしているとは思えなかったが、それは寮暮らしの私も同じだった。
マンションの近くには公園があって、そこからはマンションの入り口がよく見えた
監視には持ってこいだ。
すでに頭の中では、見出しまで決まっている。
『不知火先生の交際相手、浮気疑惑が発覚』
これでいこう。校内で問題になるかもしれないが、先生が悪い男に捕まるよりかは良いだろう。
幹本には悪い噂が多々ある。その中でも女性の噂は絶えない。有名芸能人から、幹本興業の社員まで、とにかく親の顔がきくところで好き放題やっている。
そんな男がなぜ先生を狙っているのか知らないが、浮気をしてないわけがない。
その証拠写真を抑えれば、勝負にも勝てるし、記事も盛り上がる。一石二鳥だ。
「簡単にはいかないだろうが」
そう独りごちて、ベンチに座りながらカメラの手入れをした。
というのも、もう夜遅く、そろそろ寮に戻らないといけない。ただ、一向に幹本が帰ってくる気配がない。
彼が親のコネで関連会社に勤めているのは確認しているが、籍を置いているだけで、ぼほ出勤していないようだ。
昼間に彼がどこで何をしているかわからないから、張り込めるのはここだけだ。
腕時計を確認した。電車の時間もあるし、あと三分程度が限界だ。しかも、彼が運良く帰ってきたところで一人なら意味がない。
今日はここまでかな。そう思って、腰を上げたところだった。
その幹本が帰ってきた。思わず声をあげてカメラを構えたけど、彼は一人だった。
なんだと落胆した瞬間だった。
「そこのケダモノ」
どこかで聞いたことがある声が、幹本を止めた。
彼が振り向くと、夜道から一人の少女が姿を現して、私は「あっ」と間抜けに口を開けて固まってしまった。
天都が鋭い目をしたまま、彼を睨んでいた。
その姿を見た幹本は最初は驚いていたが、すぐに嗜虐的な笑みを浮かべた。でも、それもすぐにやめて、穏やかな表情になった。一瞬でコロコロと表情が変わる男だ。
「久しぶりじゃないか、乙女」
「わたくしの名前は、あなたなんかに気安く呼ばれるためにあるわけじゃありません」
日頃のあのふざけた態度じゃない彼女には迫力があった。たぶん、校内では見せたことのない姿だ。思わずカメラを構える。
何か起こる。そんな気がした。
「おいおい、女の子がそんなひどいことを言うもんじゃないだろ」
「黙りなさい。あなたと話す気なんてありませんわ」
そう牽制するくせに、彼女は幹本に一歩ずつ近づいていった。
そしてビシッと彼の顔を指さした。
「不知火先生に近づくのをやめなさい」
「……そうか」
そこで彼はニヤァと笑った。あまりに不快な笑顔に虫唾が走った。
「そういえば、お前はあそこに通ってるんだったな」
「わたくしのことなど関係ありません。いいですか、これは警告です。先生にはお世話になっています。もしも、あのときのようなことをしてみなさい。ただでは済ましませんよ」
自分よりずっと年上の男が相手だというのに、彼女は物怖じすることなく、そう啖呵をきった。
しかし幹本もそんな少女に怯えるはずがなかった。むしろ、まだあの気持ち悪い笑みのままだ。
「あのときってのは、いつのことだっけ?」
「っ」
「高校生にはわからないだろうけどさ、歳をとるとこういうことがよくあるんだよ」
私だって彼女の言う『あのとき』が何かは知らない。ただ、彼の言葉が嘘なのはわかる。
「だから、よかったら教えてくれないか?」
「あなたという人はっ」
「もう時間も遅いだろ? 知ってると思うけど、ここが俺の家なんだよ。せっかくだし、中でゆっくりと話でもしようぜ」
彼は自分の顔を指さしていた手を掴んで引っ張った。もちろん、彼女はそれを払いのけようとしたが、男に力勝負で勝てるはずもなかった。
「放しなさいっ」
「いいじゃないか、ちょっとだけだよ」
彼がさらに引っ張るのを、彼女が踏ん張って抗うがズズズッと引きずられてく。
「遅くなったら、送ってやるから」
「や、やめ」
さすがにまずいと思い、公園から飛び出して、わざとらしく大声をあげた。
「天都、どーしたんだ?」
急に登場した私に驚いた二人は一気にこちらを向いた。
そして幹本はすぐに彼女の手を放して、彼女はやっと解放された手首を押さえながら、彼から距離をとった。
「せ、先輩?」
「いや急にいなくなったから驚いたぞ。おや、こちらの男性は? 知り合いか?」
なんて芝居がかった言葉なんだろうと寒気がする。
ただ、とりあえずこの場はこれで通すしかない。
「私の後輩に何か用ですか?」
ニコッと笑いながら、いかにも『何も知りません』というアピールをした。
幹本は私の突然の乱入に驚いてはいたものの、すぐさま笑顔に戻った。
「いや、昔からの知り合いでね。そこでたまたま会ったものだから、会話が弾んでいたんだ。なあ?」
天都は同意を求められても、悔しそうに視線を逸らすだけだった。
「そうですか。――ほら、そろそろ門限だし、学校に戻ろう」
「そうなのか。いや、引き留めて悪かったね。じゃあな、乙女。また今度」
幹本はへらへらと笑いながら、マンションの中へと消えていった。それを見送ってからホッと一息ついた。
「何してるんだよ」
「…………」
天都は目を逸らしたままだった。
「危ないところだったぞ? 言っておくが、こんなところで問題を起こしてみろ。演劇部は活動できなくなるからな」
これは脅しじゃなくて、本当にそうだった。彼女がここで何かしてしまえば、部としての連帯責任は免れない。
「……問題ありませんでした」
「は? いや、明らかに危なかっただろ」
できれば、幹本の前に出たくなかった。絶対に顔を覚えられたから、このあと活動しにくい。それでもさすがに無視できなかったから助けたのに、なんだこの態度は。
天都はこちらを向いたかと思うと、ふんっと鼻を鳴らした。
「まだ奥の手もありましたし、あれでよかったんです。あの男がどういう行動をするかくらい、わかっていましたから」
そのあまりに不遜な態度に、私の中で何かがキレた。
「おい、ふざけるなよ。あの状況じゃ、奥の手なんて出せなかっただろ」
「出せたんです」
「はんっ、強がりだな。あの男に手を引かれてたとき、怯えてたぞ。はっきり見たからな」
「あら、芝居ですわ。ご存じありませんか? わたくし、演劇部なんです」
「ほう、そうかそうか。いや見事な演技だったな。あんなに怯えるなんて。ガキみたいで、よく演じられてたよ」
それからしばらく、嫌味のぶつけ合いが続いた。育ちのせいか、二人とも遠回りな悪口を言うことに長けていた。
そんな醜い言葉のキャッチボールに嫌気がさしてきたところで、彼女がやってられないと言わんばかりに、くるりと背を向けた。
「帰らせていただきます。一人で」
「勝手にしろ。私も帰る。一人で」
カツカツという足音をたてながら、彼女が遠ざかっていく。しかし不意に足を止めると、急にこちらを振り向いた。
「ご忠告いたします。あの男を狙うのはやめた方がいいでしょう」
「自分が狙ってるからか?」
「いいえ。わたくしは今回の勝負のために、あの男に会いに来たわけではありません」
それは嘘じゃないと思う。私は今日、彼女の尾行がないか再三確認したが、彼女はいなかった。
でも彼女はここに来た。彼の家がここだと知っていたんだろう。何らかの因縁があるのは間違いない。
「あれは碌でなしです。関わると、よくありません」
「噂は聞いてる。言っておくが、そんな男はどこにでもいる」
むしろ、碌でなしじゃない男の方が少ないとさえ思う。
「それでもやめておくことをお勧めいたします。あれは、学生の部活動なんかが手を出していいものじゃありません」
「……なんだと?」
到底、聞き流すことができない言葉だった。
「学生の部活動なんかが、だと? おい、いい加減にしろ」
自分でも驚くほど低い声が出た。それでも収まらない。
「私は遊びでやってるつもりはないっ! ふざけたことを言うなっ!」
「……忠告はいたしましたから」
彼女は怒りに震える私を無視して、そのまま夜道に消えていった。
「……目にもの見せてやるっ」
というわけで折り返し地点くらいです。
土日は更新をお休みしますので、来週月曜日から更新を再開します。