吐息のハニートラップ
5
華月女子高等学校は、全寮制の女子校で、世間的には『お嬢様学校』と言われている。
実際、私だって出自はかなりのもので、副会長もあの痴女も金持ちだ。
ただ、昔はそういう家柄の子どもばかり集められていたが、時代のせいもあって、今や生徒の半分ほどが一般家庭出身者で占められている。
しかし依然として、ここが乙女の園であることに違いはない。学校名にちなんで『花園』なんて呼ぶ人もいるほどだ。
そんなところで過ごし、新聞部として活動してきた私だから知っている。
女の主食は噂話だ。
あることないこと、あらゆる噂が飛び交っている。それが事実であるかどうかは重要じゃない。むしろ、好き勝手な推測がしやすい分、事実かどうかわからない話しの方が人気だったりする。
ただし、そういう噂話が事実だったと明らかになったときの食いつきは、噂の非じゃない。
そして私はそんな噂話を、たくさん知っている。
「しばらく単独で動くから、業務を任せる」
彼女との勝負が始まった翌日、私は副部長にそう命令した。
「え」
「そろそろ私も引退だし、良い経験だ。何かあったら責任はとるから、好きにやってみろ」
二年生の副部長にはいつも私のサポートをさせていた。だから私が日頃、部長としてどんなことをしているのかわかっていて、信頼して任せられる。
彼女は初めての命令に戸惑っていたが、最終的に力強く頷いた。
これで私は勝負に集中できる。
早速、私はターゲットを絞るところから始めた。
「やっぱり、大物を狙うべきだろうな」
廊下を歩きながら、常に持ち歩いている手帳と睨めっこをする。
私が持っている手帳は、生徒の間では『閻魔帳』と呼ばれている。ここには学校中の噂が収められていて、中には多くの生徒が知らないことも書かれている。
勝負のルールは、まだ噂でしかない話しについて、それを裏付ける決定的な証拠写真を抑えた方が勝ち、というものだ。
『もちろん、松羽先輩がまだ証拠を掴んでいない噂ですわ』
あの痴女が念押ししてきた条件を思い出す。確かに、そうじゃないとあまりに彼女が不利だろう。
しかし、そんなハンディ、なんてことない。一体どれだけの噂を事実にしてきたと思っている。
「目に物見せてやる……」
そう決意して、私はターゲットをある噂話に絞った。
閻魔帳に書かれている一文。
『不知火先生、熱愛の噂』
教師を相手にした記事を書いたことは過去にもある。
敵に回すと厄介ではあるものの、そこを聖域化してしまうと、どんな新聞を刊行しても馬鹿にされる。誰に対しても特別扱いは避けなければいけない。
しかし、この噂の真偽を確かめるのは避けていた。
理由は簡単で、特段に面白いものじゃないからだ。
教師の熱愛。それが不倫だったり、相手が生徒だったりするなら盛り上がる。でも彼女は独身で、いつ誰と結婚しようが自由なわけで、これが記事になっても、多くの生徒は「あ、そう」という感想を抱くだろう。
だから特に気にもしていなかったが、勝負にはもってこいのネタだろう。
私はさっそく、その当人にアタックをしてみることにした。
職員室に行き、先生を呼び出した。
「なにか用?」
私は先生とそこまで面識がない。とはいえ、授業を受けたことがあるし、先生も私が新聞部の部長ということくらいは知っているだろう。
だから遠慮せず、切り込んだ。
「交際しているというのは本当ですか?」
そのとき、先生の眉がピクッと動いた。そしてすぐに返事はせずに、しばらく表情を変えずに私を見下ろしてきた。
「どうです?」
「……いいえ」
返事が遅れたうえに、少し目を逸らした。間違いなく『クロ』だ。
「そうですか」
深入りはしないように、それだけで要件を済ませた。
先生はそのまま職員室の中へ引っ込んでいった。クールな人だ。
しかし、認めてくれなくて助かった。
秘密は暴くから、秘密なんだ。
寮に戻り、私服に着替えて、学校側に外出許可届を提出して街へ出た。
全寮制ではあるが、基本的に外出は自由。ただし平日は許可書がいる。手続きが面倒だが、これをしないとあとで副会長から怒られてしまう。
電車を乗り継ぎ、私はある駅に着いた。キャップ帽を深くかぶって、駅構内にある喫茶店に入ると窓側の席についた。
そこからは改札がよく見えた。時間は六時。あと一時間ほどで先生が、自宅の最寄り駅であるこの駅に帰ってくるはずだ。
それまでは暇だが、ここで待機するしかない。カウンター席の端で、買ったばかりのアイスティーのストローを咥えた。
そこで耳に、フゥーと甘くて生暖かい息を吹きかけられた。
思わず「ヒャッ!」という声をあげて、席から立ち上がってしまった。我に返って店内を見渡すと、店中の視線が私に突き刺さっていた。
そしてそんな私の横では、クスクスと笑う彼女の姿があった。
「先輩、目立たれていますよ?」
私は息を吹きかけられた耳を抑えた。
「き、君ってやつは!」
「照れている先輩はやはり可愛いですわ。耳が弱いんですか? そそられますわ」
なぜ彼女がここにいるのかという驚きと、いきなりされたセクハラ的行為に対する苛立ちで、頭が沸騰しそうだった。
ただ店内の視線がそんな私を正気でいさせてくれた。咳払いをしてから席に座り直し、彼女を睨み付ける。そして周りに声が聞こえないように、顔を近づけて小声で訊いた。
「どうしてここにいる?」
「そんなに近づいてくるなんて、先輩ったら欲しがりさんですか?」
急いでバッと離れて距離をとろうとしたが、カウンター席の端っこだったので逃げ場はなかった。
「ご安心ください。冗談ですわ」
「……訴えてやろうか」
「おやめになってください。そうしたら、法廷であの写真を見せないといけませんから」
くっそ。今まで散々やってきたことだけど、証拠を握られると本当に何もできない。
もう怒るのも無駄と諦めて、はあとため息をついた。
「どういうつもりだ?」
「スクープを掴む必要があるのは、わたくしもですから」
「それで私を尾行して、ネタを横取りしようって魂胆か?」
「はい」
堂々と肯定してきやがった。
最初からこうするつもりだったから、こんなに私に有利な勝負を提案してきたわけだ。
「あのな」
「先輩の目的もわかりましたし、わたくしは別の場所で待機いたしますわ。それでは」
文句を言ってやろうとしたのに、彼女はぺこりと頭を下げてから席を立ち、そのまま店を出て行った。
あの女のことだから、きっと学校から尾行していたはずだ。私が先生を狙っていることもわかっているだろう。
「ふん」
身の程知らずな後輩。同じ相手を狙ったら、私の方がいい写真が撮れるに決まってる。
だから私は余裕をもって、もう彼女のことなんて考えず、先生が帰って来るのを待つことにした。
それから一時間経つと先生が疲れた顔つきで、駅の改札から出てきた。
そして改札を出ると、そのまままっすぐと飲食店街へと向かった。
急いで店を出て、距離をとりながらその跡をつけはじめる。
帰宅ラッシュから少し過ぎた時間の飲食店街は、仕事の疲れを癒やすサラリーマンたちで繁盛していて、先生はその中を淀みなく歩いて行く。
ちなみに先生の自宅は調査済み。こっち方向じゃない。つまり、どこかのお店に向かってる。
「ラッキーだな」
初日からいい写真がおさえられそうだ。
先生はしばらく歩くと、小さなバーに入っていった。さすがに店に入ることはできないから、入店する姿を写真に撮った。
近くの物陰に隠れ、その入り口を監視していると、先生が入店してから十分ほど過ぎたところで一人の男が現れた。三十代前半くらいの、紺のスーツを着た男。やたら目立つ金色の腕時計をしていた。
どこかで見たことがあるような気がするが、誰か思い出せない。違和感を覚えたまま、写真を撮った。
慌てていた様子を見ると、あの彼が先生と待ち合わせていたのだろうか。そうなると、あとは先生と彼が二人で店から出てくるところが撮れれば完璧だ。
ということで、今度は先生たちが出てくるまで待機。忍耐あるのみ。
一時間半ほど経ってから、動きがあった。
まず店から出てきたのは先生だった。表情を柔らかくして、上機嫌に駅の方へ向かっていった。おそらく、家に帰るんだろう。写真は撮ったが、一人ならあまり意味がない。
そして五分ほど遅れて、金色の腕時計の男が出てきた。彼はそこまで上機嫌なわけじゃなかった。先生とは逆方向に消えていった。
その姿を撮って、今日はこれで切り上げることにした。門限だ。全寮制は本当に不便で、嫌になる。
ただ、やはりあの男をどこかで見たことがある気がする。どこだっただろうか?
そんな疑問でモヤモヤとしていたら、近くの物陰で私と同様に身を潜めていた天都を見つけた。
しかし、彼女は私に気づいてなくて、目を大きく見開き、さっきの男が消えていった方を見つめていた。なぜか拳を握りしめながら。そこにいつもの笑顔はなかった。
でもそんな姿さえ、女優の娘は美しく、私もしばらく動けなくなってしまった。
以前、とある週刊誌の記者が、別の週刊誌の記者のネタを横取りしたとスクープされてましたね。
文春砲も大変なんだなぁと思いました。