キスから始まる真剣勝負
4
放課後の屋上は秋風が吹いていて、過ごしやすかった。
そこに週末と同じようにフェンスに身を預けた私と、その私と向き合う天都がいた。
「お時間をとっていただき、ありがとうございます」
「これは生徒会の役員としても、先輩としても忠告しておくが、下級生が副会長に使いっ走りなんてさせるな」
「ですが、直接会いに行くのは迷惑かと思ったんです。だってほら、キスの写真の件でって言うわけにはいきませんでしょう?」
確かに彼女と会っているところは見られたくない。相手は有名人だし、私もそれなりに知られている。あらぬ噂をたてられたら困る。
「副会長には、どこまで」
「特別なことは申し上げておりませんわ。どうやって松羽先輩に会おうかと思っていたら、ちょうど廊下で会長と副会長がお話されていたんです。それで副会長が先輩にお会いすることで決着されていたので、恐れ多くも伝言をお願いしただけです。細かいことは、何も」
じっと彼女の目を見つめると、彼女は目を細くして、少しだけ首を傾けた。これだけで彼女のファンなら卒倒してしまうであろう仕草だ。
……嘘ではなさそうだ。
「ならいいが」
「そういえば、今日の新聞を拝見いたしましたわ。お願い、きいてくださったんですね」
「あれのどこが『お願い』だ!」
「あら? どこがって、わたくしはずっと『お願い』としか言っておりませんわ」
「このっ」
どこまでも余裕たっぷりの後輩は、ニコニコとしていて、それが私の苛立ちを増幅させていった。
彼女にしてやられたのは、この松羽牡丹の最大の屈辱だ。
「……この前の写真をよこせ」
「この前の写真というと、キスのでしょうか? それとも真っ赤になった先輩でしょうか?」
「両方に決まってるだろ!」
この後輩は人の羞恥心を煽らないと気がすまないのか。
ただ、彼女はまるで逃げるように、細い足でゆっくりと一歩だけ私から距離をとると、恭しく頭を下げた。
「できかねますわ」
「……ふざけるな。要求はのんだぞ」
「ですから、あれは『お願い』だったはずです。お優しい松羽先輩が、後輩のお願いをきいてくださった。そうでしょう?」
ぎゅっと拳を握る。ただ、彼女の言うとおり。あれは取引だったわけじゃない。もちろん、お願いでもなく、脅しだった。それに私が折れただけだ。
彼女は写真を渡す義務なんかない。それはわかってるが、納得できるものか。
「生徒会に牙を剥いて、ただで済むと思うか」
この学校では生徒会はかなりの強権を有している。その気になれば、生徒を一人退学にするのなんて簡単だ。
「あら、演劇部の部長だって生徒会ですわ。きっと、わたくしを庇ってくださいます」
チッと舌打ちをした。やっぱり、こんな簡単な脅迫じゃびくともしない。
彼女は演劇部のエースだ。私と同じく生徒会役員の演劇部部長が、静観するわけがない。
「……なら、これでどうだ」
私はポケットから数枚の写真を取り出した。それは全て、この痴女が少女たちとキスをしているところを撮影したものだ。
私が必死に集めて、今日の紙面を飾るはずだったスクープ。
彼女はそれを見ると「あら」と、顔を赤らめた。
「なんだか、恥ずかしいですわ」
なぜか嬉しそうなのは無視した。相手にしたらダメだ。
「これと交換でいいだろ?」
本来ならしたくない取引だが、背に腹は代えられない。
しかし彼女は頬に指をあてて、何かを考えていた。そしてまた一歩下がる。
「お、おい」
「承れません」
「はあっ?」
思わぬ回答に、怒気の混じった声でそう返してしまった。
「交換条件だぞ、十分じゃないか」
「そうでしょうか? 私が欲しいのは、それらの写真を記事にしないという確約です。その条件が入っていなければ、取引するわけにはいきません」
また舌打ちがでた。あえてそこを伏せて出した条件だったのに、見抜かれた。
「……私は新聞部だ、それはできない」
そんな条件を飲めば、メディアとしての失格だ。
もちろん彼女は私のプライドなんて知ったことじゃないので、首を左右に振った。
「なら、わたくしも応じられません」
「いいか、私は恥をしのんでも記事にするぞ。君が報復するなら、好きなだけするといい。戦争なら受けて立つ」
彼女が例の写真で報復してきても、私は彼女の新たな秘密を暴き、また記事にしてやる。この女は間違いなく、叩けば埃が出てくる。ネタには困らないだろう。
さすがに彼女もそういう勝負だと分が悪いと思ったのか、眉をひそめた。
「私が辱められるのは一度だけだ。ただ、君が何度になるかはわからないぞ。新聞部を甘く見るなよ」
「……そうですか」
彼女に残された選択肢は少ない。黙って条件をのんで、一度だけの記事で済ませるか、そうはせずに私と泥沼の戦争をするか。
恥をかく覚悟はできている。私はどちらでもいい。
「松羽先輩、つまり……ほかの記事があればいいのでしょうか?」
「は?」
思わぬ質問に素っ頓狂に返してしまった。
「わたくし、やはり記事になるのは辛いです。多くのファンを悲しませてしまいますし、きっと、傷ついてしまう子もいるでしょう」
「まあ、そうだろうな」
「ですから、こうしませんか? わたくしと松羽先輩で、勝負をいたしましょう」
「勝負?」
思わぬ提案だったが、発案者はニッコリとしたままだった。
「はい、スクープ合戦です。ルールはシンプルにいきましょう。新聞の紙面を飾るようなネタをいち早く入手した方が勝ちです」
「……舐めているのか?」
そんな勝負、私が有利に決まっている。それでも仕掛けてくるなんて、勝てると思い上がっているからだ。
ただ、彼女は首を左右に振った。
「滅相もございません。ただ、今の状況はわたくしに不利。ならば、それ相応の提案しかできません」
「その勝負なら私が乗ると思ったのか?」
「先輩が勝てば、写真をお渡しします。そしてわたくしのことを記事にしていただいてかまいません。ただ、わたくしが勝ったら、写真をいただきますし、記事にするのはやめてください。いかがでしょうか? 悪い話ではないと思っているのですが」
確かに悪い話じゃない。圧倒的に私が有利な勝負だ。それに私が勝てば、彼女から写真を奪い取れて、報復の心配もせずにすむ。
万が一、彼女が勝っても、これはスクープ合戦だ。代わりのネタは手に入る。
私が迷っている間、彼女は細い足でステップを踏んでいた。体を動かさないと暇だったのかもしれないが、その動きはバレリーナのように華麗で見惚れるものがあった。
「いかがでしょうか?」
くるりと体を回転させて、スカートで円を描きながら彼女が確認してくる。
「……いいだろう。後悔するなよ」
結果、私は彼女の勝負に乗ることにした。
勝算は十分にある、大丈夫だ。
それに覚悟できているといえ、あの写真が出回るのは、やっぱり避けたい。人の好奇がどれだけ恐ろしいかは知っている。
彼女はステップをやめると、こちらに近づいてきた。
すると、急にスピードを速めて、目の前に迫ってきていた。逃げ出す暇もなく、みっともなく「へ?」と戸惑うことしかできなかった。
ただ彼女は私が逃げられないように、自分の体とフェンスで私を挟んだ。
「これは、親睦の証です」
私の顎をくいと持ち上げると、また唇を重ねてきた。
あの柔らかくて、温かい感触が直に伝わってくる。熱い、そして……脳が溶けそうになる。昇天しそうなほど、彼女は上手だった。
ああ、やばい――。
目の前の彼女がすっと、顔をはなした。ただ、まだ体は引っ付いたままで彼女の豊満な胸部が息苦しいほど押しつけられている。
「き、君っ」
また顔を真っ赤にしながら、唇を隠すと、彼女も照れたように笑った。
「ごめんなさい。ただ、先輩の顔を見ていると、どうしてもキスをしたくなってしまって」
舌を出して、ウインクをする。
「勝負、よろしくお願いいたしますわ」
「絶対後悔させてやるからな!」
泣かせてやる。もう決めた。見出しは『美女の正体はキス魔!』だ。この女の危険性を知らしめてやる。
「ところで先輩、ご相談があるのですけど」
「……断る」
「もう一度しません?」
「とっとと離れろ! この痴女!」
こうして私と彼女のスクープ合戦が始まった。
やっと勝負を初めてくれました。
とはいえ、勝負が始まっても二人はこんな感じです。
明日は祝日ですので、お昼12時にに更新します。