006
こうして俺たちの異世界生活は幕を開けた。それが冒険になるか、日常になるかはまだ二人とも知る由もない。それがどんなに過酷になる可能性があることも、
けど、もしここがネット小説やアニメとかの異世界転生の世界なら、どんなことになろうときっと大丈夫。心の底のどこかでそう安心していた。
しかし、たとえ異世界とはいえど、世の中はそううまくいかないものである。
「そういえば、お兄ちゃん」
スグミヤの森の前で通り過ぎる和服のエルフやドワーフたちを前に、ふと梨央奈がそう言った。
「なんだ?」
聞き返すと、彼女は言いずらそうに俺を指差す。
「お兄ちゃんの身体、さっきからなんか光ってるみたいだけど……」
「……え?」
終わてて自分の手を確認すると、たしかに両手が怪しげな黄色い光を帯びている。
「ちょっ……なん――」
――だこれ、と言い切る暇もなかった。数秒もしないうちに俺の身体は光に包まれ、視界はまぶしげな光に染まり、そして――
「うわぁぁぁぁ」
「ちょっ……お兄ちゃん!?」
☆
「……ってあれ?」
叫んだ甲斐もなく、光はあっさりと引き、視界が正常に戻る。
特にケガがあるわけでもないし、
「んー」
俺は辺りを見回して、そして頭上を見上げた。見慣れた梨央奈の姿がそこにある。
うん、なんか特殊能力で場所を移動したとかわけでもないみたいだ。
「…………」
とはいえ、本当に何も起こらなかったわけではない。それだけは理解できた。明らかにおかしい点がいくつもある。
まず視線がいつもより明らかに低くなっている。さっきまで見えていたエルフやドワーフの姿がいまや腰のところまでしか見えないし、普段から見下ろしていた梨央奈の顔が、なぜか今は自分より高く、見上げないと見えない位置にある。
次に体勢。どうも体の体勢がいつの間にか変わっていて、両足どころか両手が地面につき、四つん這いになっている。恥ずかしい体勢だしどうにか立ち上がりたいのだけど、こう、両足だけで立とうとしても、重心が前に移動してしまって、うまく立ち上がることができない。
さらに身体の、なんだろう。パーツの位置になぜかものすごい違和感がある。音が聞こえてくる部位はなんかいつもより上にある気がするし、頭と身体を繋いでいる部位の感触はないし。加えてケツのところにはこれまではなかったはずである感覚が増えている。
そしてもっとも違和感があるのが、鼻だ。目の下にある鼻が、なぜか異様に通気性がいい。
もうこうなってくると、俺の身体に何か変化があったとしか……。
「ど、どうなってんだ?」
俺は梨央奈を見上げた。彼女は驚いたままの表情で、ポケットに手を入れると、端っこに少しだけひびの入った手鏡を取り出し、しゃがむと同時に俺に向かって差し出す。俺が覗きこむと、鏡の破片がポロリと欠けて地面に落ちた。
「なっ……」
そこに映った俺は、もはや人間の形さえ模していない。
「ぶたじゃねぇか!」
思わず叫ぶ。鏡に映った俺の姿、それは背中にコウモリみたいなちっちゃな羽が生え、頭に悪魔の角が2本生えている、なんだか魔物っぽい感じのぶた(・・)だった。薄いピンク色の肌が全身を覆い、顔には大きな穴が二つ、丸くて平たい鼻の上に乗っかっている。
いったいどうなってるんだ? 幸運なことに梨央奈はなんともないようだけど、なんで俺だけこんな姿に?
なんてこった。これじゃ異世界で無双するどころじゃない。いや、それどころか、これからどうすんだ。
「お兄ちゃん……」
梨央奈は震えた声で俺を呼ぶ。ああ、兄がこんな姿になってしまったことがショックか妹よ、と悲しみの同意を求めると、彼女は、
「なんでそんなかわいい姿に!?」
と火照った顔で俺の身体を抱き上げた。
「ちょっ……おまっ」
なんで喜んでんだよ。そんか場合じゃないだろ。
「わっ、かるーい」
ぶたになっているとはいえ、庇護する対象である妹にそう軽々と持ち上げられると情けなくなってくる。
てかやめろ、普通に抱っこされる年齢でもないんだよ。俺は暴れる。
「えーい放せ!」
「放しませーん。てか、なんで悪魔みたいな尻尾生えてんの?うわ、お肉ぽわぽわだぁ」
くっそー自分のがでっかくなったからっていい気になりやがって。
今に見てろよ。
抱き抱えられた腕の中、どうにか這い出そうともがいていると、ふと通気性のよくなった鼻が何かを感じ取る。動物の醸す刺激臭、一言で言うとそうなるだろうか。その匂い、いや、臭いは自分を抱き抱えている腕から香ってくる。
俺はニヤリと笑った。
「……お前なんかすっげぇ汗臭くね?」
俺は梨央奈に言う。
「え?」
「いや、前から思ってたけど、お前結構臭うよな。いや、毎日風呂入ってるのは知ってるけど、それでも消えないというか」
「そ、そうかな?」
お、効いてる効いてる。
「たびたびそう思ってたんだけど、お前結構そういう話しづらいとこあるじゃん? まぁそりゃ兄妹仲は仲良い方だと思うけどさ、それでも若干壁があるっていうか」
「……」
「友達少ないのもそれが理由だったり。
なんて、あ……いや、冗談だけどさ」
妹とこんな話はしたことがない。どうもぶたになったせいで混乱しているのか、いけないいけない。さすがに一線を超えるなデリケートな話題に触れてしまいそうな自分を収める。
そういえば、梨央奈だけじゃなくて、周りも臭いな、なんてことを思う。少し離れた場所で闊歩しているエルフやドワーフからも同じ臭いが漂い、あたりは汗の匂いで包まれている。もしかして、通気性がよくなったせいで、ちょっとした匂いにも敏感にーー
そこまで考えたところで思考が途切れた。
俺を覆っていた梨央奈な両手が突如、柔らかい腹回りをがしりと掴んだ。そして、ゆっくりと空高く持ち上げたかと思うと、
「うるせぇよこのぶたぁぁぁぁぁぁぁ」
聞いたこともないような声と共に平らな地面へダンクをした。
「……!」
リアクションも取れないまま、俺は地面へ叩きつけられて、二回、三回と地を跳ねる。そして地べたに這いつくばった瞬間、頭を中学校指定のローファーで踏みつけられた。
「このぶた野郎。そんなこと思ってたのか? 匂いなんてだれでもあるだろがぁ! それに私は友達が少ないんじゃなくて、作らないだけなんだよ。余計なお世話だ。謝れよ、謝れよぶたデビル。なぁ」
な、なんてことだ。あの可愛らしい妹が、お兄ちゃん、お兄ちゃんと俺を呼んでいた、まるで子猫のような可愛らしいその声で、下品で汚い言葉を使っている……。こ、これじゃ……思わず……、
「ギャップ萌えしてしまうじゃないか……」
「あ?」
梨央奈はガンを決めながら俺を足で踏み詰る。
「何ごちゃごちゃ言ってんだ……謝れよ。梨央奈様、もうしません、許してくださいってなぁ……。それともてめぇのそのぽっこりした腹から小腸抜き出して、脂肪と汁たっぷりのバラ肉詰め込んだろうか……? 乙女の心傷つけた罪、償えよ……」
声は可愛らしいままだが、『普段怒らない人がキレたら怖い』の法則によるものなのか、気迫がすごくてやばい。語彙力どころかまともな思考さえ奪い去って行く。
「……り、梨央奈様」
理性が働かないなら反射的に動くしかない。本能を頼りに俺は言う。
「も」
「……」
「もっと踏みつけてください!」
「は?」
「その尊い体重を一点にかけてあなたの生を感じさせてください!」
「……きめぇんだよ!」
街の方を向いていた梨央奈は、くるりとターンを決めると俺を森の方に向かって蹴りつけた。ぶたの身体はマッツの幹に砕け散るような勢いで当たる。
「むきゅっ!」
変な声こそ出たものの、脂肪の包まれた身体であるせいか、痛みは全く感じない。
むしろまるでマッサージを受けているかのような快感が全身を襲った。
「ごちそうさまです!」
そんな感情に押し出され、口と歯がそんな言葉を発する。
同時に理性の波が彼方から戻ってきて、俺は自分の行いに気づく。
「はっ……俺は何を?」
自分の妹をなじったあげく投げられ投げられを喜ぶなんて。まともな兄がすることではない。
「お兄ちゃん」
梨央奈は息を切らしながらも、俺を見下していた。怒りを発散してスッキリしたのか、声色はいつもの調子に戻っている。
「なんでぶたさんになったんだろうって思ってたけど」
そして、呆れた果てた顔で告げる。
「転生前からぶた野郎だったんだね……」
第1章に入る前に000話を追加します。
掲載は明日または明後日頃になるかと思われます。
よろしくお願い致します。




