003
「不思議の国のアリスかよ!」
ようやくそんなツッコミを入れることができたのは、
穴に落ちてから数分が経ち、
まるで底なしであるくらい長いことに気づいてからだった。
「なーにー聞こえないー!」
梨央奈がこっちへ向かって大声で叫ぶ。風圧によって大声で叫ばないと互いに声が届かない。
茨? おそらく茨だろう。落ちているせいでよく見えないが、周りは緑と茶色の壁に囲われていた。蔦状の植物が丸く伝って円形の空間を作っているようだ。
俺たちは互いに手を繋いで、ヒトデのような大の字を作って落ちていた。無論、俺たちはなんの特殊訓練を受けた人間でもない。受け身の作り方さえ知らないのだから、このまま地面にたどり着いたらきっとそのままぐちゃりといくに違いない。
「なーんでもなーい!」
俺はそう返事をすると、状況の打開策を考えることにした。といっても特に良さげな案は思いつきそうにない。空中遊泳したら落ちたところまで泳げないかなとか、くだらない妄想にすがりついてみるか? 一番可能性があるのは、周りに生えている茨に捕まることだろうが、いや、反動で腕がもげやしないだろうか。たとえ俺だけ捕まれても梨央奈はどうなる。あはは、このままではブラジルへとゴールインしてしまうな(笑)。なんて、こんな状況でも軽口を言ってられるのは平和ボケと創作に歪められたゆとり特有の『笑ってれば勝ち』という冷静さ勝敗概念によるものであるわけだが、くそー思いつかない。解決策。案外自分これ焦っているのちゃいます? って感じかもしれない。ていうか、正直地面にたどり着かなくてもこのまま永遠に風圧を受け続けるのも拷問に等しいわけだから。いずれにしろ、これ詰んでね? もうゲームオーバーじゃね?
いよいよ悲観的になりつつあったその時、梨央奈とは違う声、機械じみた女性の声がした。
「ポータ、準備中。ポータ、準備中」
ポータ? ポータル? いや、明らかにポータと言っている。
その声は茨に覆われた穴の上方から、降り注ぐように聞こえてくる。
俺は梨央奈の手を離さようにつなぎ換えながら、どうにか風圧に背中を向ける形で仰向けになると、その声がする方に叫んだ。
「お前は!」
これ聞こえてるのか? なんて無意味な逡巡に数秒をかけるも、
「誰だ!」
と続ける。
返事はしばらくこなかった。風圧の音しか聞こえない中、やはり声は届かなかったかと思い、もう一度試すか悩んでいると、声が、
「音声認識完了。転移開始。ゲンゴノウリョクノカクトクを始めます」
と抑揚のない声で答えた。
「はぁ!?」
転移、転移と言ったか。つまりこれは本当に異世界へ行くための扉、いや、穴ってことでいいのか。それなら安心……いや、できない。てか、何を始めるって? と情報を噛み砕いている矢先、
とてつもない頭痛が、思考を邪魔するように訪れた。
「あ、ああ、ああ……!」
頭蓋骨がくだけちりそうだ。
じりじりとした痛みによる叫び声が喉の奥から漏れる。
視界が霞み、両目からは涙がこぼれる。
「梨生奈っ!」
思わずそう叫ぶも、あまりの痛さに、両目を開いて妹がどうなっているか確認する余裕さえもない。
せめて離れ離れにならないように掴んでいる手をぎゅっと握る。
☆
気絶していたらしい。何分ほど経っただろうか。30分、いや、1時間だろうか。
気づいたら痛みはなくなっていた。しかし、あの茨の穴を落下していることに変わりはない。
さっきとは何か感触が違うなと視線をほんの数ミリ下げると、梨央奈が腰に手を回してのしかかるようにしがみつき、両目を真っ赤に晴らしている。どうやら心配してくれていたらしい。
俺が頭を撫でると彼女は顔を上げ、俺が痛がっていないことに気づくとほっとしたようになり、抱きつく力をぎゅっと強めた。
そして、
「ショジノウリョクノカクトクカイシ」
そのちょうどのタイミングで、またあの機械的な音声が何かを言った。
妹の口から鈍い声が漏れたのはその時である。
「いっ」
腰の手が離れて、俺は慌てて彼女の周りに手を回す。
梨央奈は離した手を頭に当てた。風圧の音が耳をかすめる中、彼女の悲痛な声がする。
「い、痛い。痛いよぉ。お兄ちゃんっ」
俺はこの時、初めてここに来たことを後悔した。
もう勘弁してくれ。なんだってこんな苦しみを味わわなければならないんだ。
俺だけならまだしも、梨央奈まで苦しめられるなんて耐えられない。
「……」
しかし、ここで嘆いても、誰かに怒りをぶつけても仕方がない。
俺は周りの風圧で思わず手を離さないように、けど同時に痛くもならないように、彼女をそっと抱き寄せる。
「大丈夫、大丈夫だから」
行き場のない不安を飲み込んで、そんな無責任な言葉と共に、彼女の頭を撫でる。少しでも痛みを和らげられるように、少しでも楽になるように。
☆
また気絶していたらしい。
気がついた時、さっきまでの風圧は綺麗に消えていた。身体は背中から地面に横たわり、仰向きの体制になっている。同時に瞼の裏で、辺りがさっきより少しだけ明るいことが確認できる。
肩を少しだけ動かすと、聞いたことのない鳥の鳴き声がした。
「んっ……」
疲れ目がたたった朝のごとく重い瞼を開くと、視界に入ったのは尖った、針葉樹の葉っぱだった。それが軽く入り組んで、赤い……何かを覆っている。
異世界に――来たのか? これまでの記憶が鮮明になってゆく中、そんなことを想う。俺は妹と茨みたいな植物に囲まれている穴に落とされて――そうだ、妹、梨央奈はどうなった?
「梨央奈……」
「……あ、お兄ちゃん」
ふと横から声がした。そっちを見ると、
梨央奈がこっちを見ていた。
ぼんやりしていた意識が、彼女の黒い瞳を見た途端にはっきりとして、同時に身体からまた軽く力が抜ける。
よかった。本当によかった……。
「ここはどこだ?」
俺は仰向けのまま、彼女に聞く。
だが、それに答えたのは彼女ではない別人の声だった。
誤字、脱字、誤用などありましたらご指摘いただけると幸いです。
よろしくお願いします。
2019/1/3:サブタイトルが半角だったので修正しました。




