戦う事情
「大丈夫。タケルには私がついてるから」
迫りくるゴーマの軍勢を前に、エリウは俺の肩をそっと抱いて優しく微笑んだ。
敵は鬱蒼と茂る森の中、獣道に近い一本道を進軍してくる。多勢に無勢とはいえ、こちらは一騎当千のチート戦士揃い。それに加えて俺達は普段からこの森で狩りを行って地形を熟知している。姉妹たちも既に配置についた。本来戦闘タイプではないフィリアも、自分の預言の結末を見届けるため、今日は俺と共に戦場にいる。
イリーナからの情報によると、敵の兵数も十五年前のサンガリア侵攻の際と比べればかなり少ないらしい。だからこそ、行軍しやすいが察知されやすい広い街道ではなく、森の中の細い道を選んで進軍してきたのだ。一方、こちらは十五年前と比べてアランサーが使えなくなったものの、全体的な戦力は上がっている。
天の時、地の利、人の和、全ての条件は整った。負ける要素はない。必勝の態勢である。
にもかかわらず、俺の心はこの曇り空のようにどんよりと暗かった。
話は一旦数日前に遡る。
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フィリアの預言から瞬く間に二年が過ぎ、俺たちは十五歳になった。
元の世界で言えば中学生から高校に進学する年齢。姉妹たちは皆JCからJK、少女からオンナの体に変化する時期である。十人もの美少女プラス三人の美熟女に囲まれたウハウハな生活をR-15指定では一切描写できないのが残念だ!
フィリアの預言にあった災厄に備え、姉妹たちはそれぞれの特殊能力に磨きをかけて、戦闘タイプの奴らは皆一騎当千の戦士に成長していた。前世の俺とエリウがゴーマの大軍を退けた聖(性)剣アランサーと比べると威力は及ばないものの、特殊な条件も必要ないし人数も揃っている。迎え撃つ態勢は整った。どんな大軍が押し寄せようと、負ける気は全くしない。だから、フィリアの預言だけが唯一の不安要素だった。
フィリアはあれ以来、その不吉な予知夢の続きも、預言を覆すような夢も一切見ていないという。フィリアが予知夢を見た時点と比べれば、鍛錬を積んだ今の彼女たちはさらに強くなっている。喩えるならば、精神と時の部屋に入る前後ぐらいの成長。セルでもフリーザでもどんと来いってな感じである。
姉妹たちの成長にはエリウも確かな手応えを覚えているようで、フィリアが予知夢の内容を告げたときに流れた絶望的な空気は、タイムリミットが近付くにつれてむしろ薄れている。だがその間も、フィリアが時折視る予知夢が外れたことは一度たりともなかったのだ。
一度でも外れてくれていれば気が楽になったかもしれない。フィリアの予知夢も決して完璧ではないのだと思えたら、未来は変わるものだという証明が得られていたら、100%の自信を持ってゴーマ軍を迎え撃つことができるはず。
毎日鍛錬に励んだ。できる限りのことはした。それでもやはり、絶対に外れない予知夢を視るフィリアが俺達の死を預言した、その事実が、積乱雲のように俺たちに暗い影を落としている。
ちなみに、俺も一応姉妹たちと一緒に剣の手ほどきは受けたものの、その成果はエリウに呆れられるほど全く身に着かなかった。チート能力といえば無尽蔵の精力ぐらい。そっちだけはマジで自信ある。まあプロスポーツ選手でも、特に女子はセックスとかホルモンバランスとかがコンディションに影響したりするらしいし、鍛錬で心身共に疲弊した姉妹たちのケアという意味では役に立っていると言えるのかもしれない。せっかく異世界転生したのにチート能力で無双できないとか一体どうなってんだよこのフザけたタイトルのラノベはよお!!
まあそんな感じで剣と狩猟と愛欲の日々を送っていた俺達だったが、やはり平穏は永遠には続かなかった。行商や独自の情報源からゴーマの動静を探っていたイリーナが、ゴーマ帝国の一部でサンガリアへの出兵計画が持ち上がっているらしいとの情報を得たのだ。
ついにこの日が来たか。
柔らかな陽光の差す、よく晴れた昼下がり。じっとしていると俺たちは眠気を振り払い、気を引き締めて広間に集った。
「本題に入る前に、まず現在のゴーマ帝国の状況から説明させていただきます」
イリーナは冷静な口調で言うと、反応を確かめるように一度俺達の顔を見回してから続ける。
「サンガリア侵攻の失敗以降、ゴーマ領内で反乱が頻発していることは既にご存じでしょう。鎮圧のため各地に軍を派遣してはいますが、兵の士気の低下も相俟って苦戦が続いています。首都ゴーマは占領地から送られてくる富によって栄華を築いてきましたが、長引く戦乱によって物資の供給が滞り、市民の不満も蓄積しているようです。一言で表現するなら、現在のゴーマ帝国は内憂外患の状態ですね」
「なるほど。今の話だけ聞いていれば、ゴーマには再びサンガリアに侵攻するような余力はない。私たちにとってはありがたい情報だと思えるのだが、それで話は終わらないのだな?」
エリウが厳しい表情で尋ねると、イリーナは重々しく頷いた。
「その通り。本題に入る前にもう少し、帝国内部の事情についてお話させてください。ゴーマの衰退が始まり、先帝グインが突如病に斃れて以降、帝宮内では血で血を洗う熾烈な権力抗争が繰り広げられました。そして今から五年ほど前、この骨肉の争いを制し玉座を手中に収めたのが、先帝の甥にあたる現皇帝オスエロスでした。オスエロスは反対勢力に対して苛烈な粛清を行ったため、帝位に就いてから現在に至るまで権力基盤は安定しています。尤も、有能な人物も数多く殺めてしまったので、むしろ国力の衰退を速めているとも言えるのですが……」
「我がサンガリアのラスターグ王は、先の大戦においてこれといった武勲もなく王位に就いたせいで、十五年経った今もまだ指導力を発揮できずに大臣や貴族の操り人形となっている。隣国の王同士、両極端な例というわけだな。いい加減妃でも娶って血を残せば自ずと権威も増すものを……」
エリウによるラスターグ評は辛辣である。俺の前世の時代には王家の血を継ぐ唯一の人物として敬意を払っていたが、その後のラスターグ王の執拗な求婚とストーカーぶりに完全に呆れてしまったらしく、今ではこの言い様だ。
ラスターグ王には子を成し血脈を保つ責務があるため、周囲から結婚を急かされているはずなのだが、未だに結婚や婚約の報が聞こえないということは、おそらくまだエリウに未練があるものと思われる。しかし当のエリウはこの通りである。一度女に嫌われたら死ぬまで陰でこき下ろされると覚悟しておいた方がいい。ま、全ては自業自得だし、いけ好かないEXILE似のイキリパリピ野郎がこっぴどく振られる様は実にいい気味ですね!!!!(最高の笑顔)!!!!
「そのお話とも少々関連するのですが、オスエロスは帝位に就く以前から好色で知られており、今は亡き前皇后エマとの間に儲けた二人の皇子の他にも数多くの庶子がおります。私が知り得た限りでも、その数は二桁に上り……実を申しますと、私もゴーマにいた頃に声をかけられた覚えがあります。当時の私には夫がいたのに、夫の目を盗んで何度もしつこく……」
と、イリーナは僅かに表情を曇らせた。まあ確かにイリーナほどの上玉が身近にいたら、人妻だろうと放ってはおけねえだろうな。その気持ちはよくわかる。さすがにオスエロスっていうだけのことはあるぜ。オスにエロスだぞ? あ、なんかラスターグ王より向こうの皇帝のほうが馬が合いそうな気がしてきたわ。
「ゴーマの皇帝は伝統的に妾を置かなかったのですが、オスエロスが即位してから側室という身分が設けられました。そして、事情を知る者達の間では公然の秘密となっていた庶子たちが、皇子に引き上げられたのです。ただそれだけならば単に色を好む皇帝として後世に名を残す程度に留まったでしょう。しかし、ゴーマにとっての真の悲劇はここから始まりました」
ゴーマにとっての悲劇ってことは俺たちにとっちゃ喜ばしい事態のはずなんだが、イリーナの表情からはむしろ悲壮感が滲んでいた。まあ、イリーナにとってゴーマは故郷だし、旧い知り合いもいるはず。簡単に割り切れるもんじゃないんだろうな。
「オスエロスの即位から一年後、前皇后が崩御されました。大きな病もなく健康だったにもかかわらず、突然亡くなられたのです。私も面識がありますが、大変優しくお美しい方でした。その死には不審な点も多々あったようですが、詳しく調べられることもなく……。そして、前皇后亡き後、皇帝の寵愛を受けたのは、側室の一人であるミースと、ミースとの間に産まれた皇子オセローでした。問題は、このミースが絶世の美女であると共に、稀代の悪女でもあるということです」
「傾国の美女というやつか」
「ええ、まさに。ミースはオスエロスの権力を利用して贅沢の限りを尽くし、ゴーマに遺された限りある富を湯水のように使っています。その影響は既に市民生活にも及び始めており、かつては無償で提供されゴーマの繁栄の象徴であったパンとサーカスも、最近では供給が滞り始めているようです」
「無償で提供されていた、という点が気に食わないが……それは軍が侵略して得た占領地から搾取した物だろう? いや、それはさておき。では、市民には相当不満が溜まっているだろうな」
「はい。皇帝の求心力は急激に低下しています。しかし、軍の実権を握っているダング将軍は愚直なまでに忠義に厚い人物で、市民に対しても厳しく取り締まりを行っているため、辛うじて治安が保たれているといった状況です。オスエロスが死んでも帝位を継ぐのはオセローですし、さらに悲惨な結果を招くのは時間の問題でしょう。ただ、この状況を憂いて立ち上がった人物がいます」
「ほう……? それが、今回得られた新しい情報というわけだかな?」
エリウが眼光鋭く尋ねる。
「お察しの通り。それはエマ様が遺した二人の皇子、兄ローリアンと弟ロズリック。エマ様がご存命なら帝位を継ぐはずだった皇子たちです」
「つまり、現在ゴーマ帝国内部ではオスエロスの皇子たちの間で帝位後継者争いが起こりつつあるというわけか」
「当のオスエロスがまだ健在なため、まだ争いと言えるほど表立ってはいませんが、水面下でそうした動きがあることは確かなようです。そこで持ち上がったのがサンガリアへの再侵攻計画。二人の皇子の中でも、兄ローリアンは弱冠十九歳ながらゴーマ国内では並ぶ者なき剣の達人と言われています。ローリアンが自ら軍を率い、ゴーマの衰退の契機となったサンガリアでの大敗の汚名を雪いで、更なる領土拡大の足掛かりにする。彼はその武勲と名声を欲しているようです」
「解せんな。武勲を立てたいのなら、わざわざサンガリアを攻めずとも、各地の反乱を鎮めればよいのではないか?」
「ええ、傍から見ればそうなのですが、既にゴーマ領内の反乱は個別に対処することが難しい状態になっています。ならば、反乱軍に希望を与えたサンガリア、その国王の首を挙げたほうが、反乱軍の士気を削ぎ、また新たな武装蜂起を抑止する上で効果的なのではないかと考えているのでしょう。先程エリウ様がおっしゃった通り、サンガリアも決して一枚岩ではありません。ゴーマ側もきっとその情報を掴んでいるはずです」
「……確かに、今のラスターグ王が呼び掛けたところで、果たしてどれだけの兵が集められるか。首都ロンディムを奪還し、サンガリア領からゴーマ帝国の軍勢を駆逐して早十五年。ゴーマからの反撃がなかったのは向こうの国内事情が混迷を極めていたからであって、サンガリアが強くなったからではない。再び大規模な軍が襲ってきたら、ロンディムはひとたまりもあるまいな」
エリウはそう言うと、遠い昔を懐かしむような眼差しで首都ロンディムのある北西の方角を眺めた。エリウはロンディムで生まれ育った。一度サンガリアに奪われ、奪還したと思ったらすぐにまた離れなければならなかった彼女の故郷である。その視線を追いつつ、イリーナは続けた。
「しかし、今のゴーマには当時ほどの軍を差し向ける余力がありません。率いるのがローリアン皇子と言えど……むしろ、ローリアン皇子だからこそ、率いる軍は小規模になるものと推測されます。ミースから見れば彼はオセローの後継者争いのライバル。易々と軍功を上げさせたくはないでしょうからね。オスエロスに働きかけ、妨害工作を行う可能性もあります」
「ローリアン皇子に失敗させた後に改めて、今度はオセローに大軍勢を率いさせて侵攻してくるかもしれない。有り得る話だな」
「ええ。ですから、まずローリアン皇子の軍勢を退ける際、彼を討ち取るか否かについては、対応を考えておく必要があると思います」
「ローリアン皇子を敢えて逃がした方が我々にとっては得策かもしれない、ということか」
「はい。後継者争いの火種を残しておいた方が、我々にとっては好都合かもしれません」
「ふむ。武人としては不本意かもしれんが、互いに戦う事情がある、か……」
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サンガリアとゴーマの国境線は峻険な山が多く、進軍できるルートは限られている。その中でも最も警備が手薄なのが、俺達の住む館がある森林地帯というわけだ。
そして今日。イリーナの得た情報では、ローリアン皇子率いる敵の軍勢は500人ほど。一つの国に攻め入るにはあまりにも寡兵だ。500人程度の兵数ならば負けることはない。ローリアン皇子は殺さずに逃がしてやる、という方針で俺達は敵を待ち受けていた。
相手はこの進軍ルート上に敵が潜んでいること、しかもそれを率いるのが前大戦の英雄エリウで、率いられるのは超能力を備えた戦士ばかり(俺を除く)であることなど知る由もない。やはり何度考えても負ける要素はないのだ。
進軍してくるゴーマ軍の姿を高台から見下ろしていたエリウは、上空で待機していたシェリーとクロエに合図を送る。シェリーの背に乗ったクロエが矢を番え、たっぷりと弓を引き絞った後、敵軍の先頭を歩く兵士めがけて矢を放つ。それが戦闘開始の合図だった。