デーモンも倒せ!?
「フッ……どうかしら、これが私のかわいいかわいいデーモンちゃんの力よ」
あのクソデカい熊を、たったの一撃で。まるで赤子の手をひねるように、あっさりと殺してしまった。ユリヤが召喚したデーモンの、大熊よりさらに一回り、いや二回りは大きい巨体を、俺とヨルシカは息を呑んで見上げていた。
ユリヤが召喚術の研究に没頭していることは知っていたが、実際にその召喚獣を見るのは初めてだった。こいつがいなかったら、俺たちはあの大熊に成す術なく皆殺しにされていただろう。しかし、命の恩人だと思いながら見ても尚、薄気味悪いグロテスクな容貌。手にした巨大な包丁から地面に鮮血が滴り、ブラックホールのような頭部には当然目も鼻も口もなく、一体どこを見ているのか全く窺えない。そもそも意思を持っているのかどうかすら怪しいところだ。
「ちょっと、あんたたち! 何とか言いなさいよ!」
あまりの衝撃に言葉を失った俺たちに、ユリヤは少し腹を立てたようだった。
「お、おう……助かったぜ、ありがとな、ユリヤ」
「今までチビだの陰キャだの根暗だの引きこもりだの厨二病だの色々言ってくれたけど、これが私の実力よ」
「いや、被害妄想激しすぎだろ、誰もそこまでは言ってねえよ。つかお前が厨二病とか言うと世界観が崩れるからやめてくれ。そもそもお前まだ十歳だろ」
「じゃあ、どこまでは言ったの?」
「え? いや……」
よくよく思い返してみれば、陰キャと根暗と引きこもりと厨二病は俺も言った覚えがあるわ。答えあぐねる俺に対して、ユリヤは追及の手を緩めない。
「え? どこまで?」
「何も言ってねえって」
「嘘! 知ってるんだからね! みんなが色々あたしの悪口言ってることぐらい!」
壁に耳あり障子に目あり、口に戸は立てられぬってやつか。しかし、ホントのこと言ったら絶対面倒なことになるし、この場はとりあえずシラを切り続けるしかねえ。
「ホントだって! ユリヤは可愛くて賢くて大人しくていい姉さんだなあって思ってたよ」
すると、ユリヤは急に頬を赤らめ、照れ笑いを必死に噛み殺しているのがバレバレの奇妙な表情を浮かべた。顔が可愛いのは客観的な事実として、他の二つはまったくの出まかせだったのだが、褒められ慣れていないユリヤには効果覿面だったようだ。
「……そ、そ~お? やっぱり?」
「おお、ホントホント!」
「うんうん、そうそう」
ヨルシカが空気を読んで俺の言葉に同調した、まさにその時、ローザの治療を受けていたシエラが目を覚ました。
「ん……」
「シエラ!」
俺達三人は急いでローザとシエラの元へ駆け寄る。シエラはまだ地面に横たわっていたが、意識はハッキリしていた。
「みんな……無事かい? 熊はどうなった?」
「熊なら、あいつがやっつけてくれたぜ」
と、俺はユリヤが召喚したデーモンを指差す。デーモンはこちらを見下ろしながら(目がないから見下ろしてるかどうかはわからんが多分)、のっしのっしと、大熊より更に大きな地響きを立てながらこちらへ近付いてくる。
「あれは……もしかして、ユリヤが呼んだ……召喚獣?」
「そーよ。感謝しなさい」
ユリヤは小さな体を目一杯伸ばしてシエラに胸を張る。シエラは苦笑しながらユリヤに握手を求めた。
「一瞬の油断が命取りになるね……わかっていたはずなのに。ユリヤ、君がいなかったら、私はきっとあの熊に殺されていただろう。ありがとう」
「……わ、わかればいいのよ」
再び頬を赤らめるユリヤ。この会話の間にも、デーモンは歩みを止めず、のろのろと俺達の方へ向かってきた。その巨体が発する威圧感と禍々しさは大熊の比ではなく、絶体絶命の窮地から救ってもらったとはいえ、やはりまだ気味の悪さのほうが勝る。
ところで、とシエラが尋ねる。
「ねえユリヤ、あのデーモンって、どうすれば帰ってもらえるの? 放っておいたら自然と消えるのかな?」
「そんなの簡単。命令すればいいのよ。さあ、私の可愛いデーモンちゃん。あなたのおうちへ帰りなさい」
しかし、デーモンに変化はない。
「……え?」
と、困惑した表情を浮かべるユリヤ。デーモンはおうちに帰る素振りは全く見せず、短い右手に持った鮮血滴る包丁をおもむろに持ち上げた。
――なんかめっちゃ嫌な予感するんだけど。
え? これってヤバくね?
シエラが咄嗟に叫ぶ。
「みんな、危ない!」
その直後、デーモンはそれまでの鈍重さとは比べ物にならない速さで、巨大な包丁を振り下ろした。
「うわわっ!」
「きゃっ!」
俺達五人はどうにかギリギリのところで飛び退き直撃を免れたが、振り下ろされた包丁は地面に深くめり込み、飛び散った土が俺の顔にまで降りかかってくる。すぐにまた包丁を構え直すデーモンに向かって、ユリヤは声を荒げた。
「ちょっと! あんたは私との契約に基づいて召喚されたデーモンでしょ!? 私の言うことを聞きなさい!」
だが、デーモンはその言葉に従うどころか、構えた包丁を主であるユリヤ目がけて振り下ろそうとしている。おいおい、お前らの雇用契約どうなってんだ!? 手取りいくらだよ!?
「ちょ、なんで……」
「ユリヤ! 何ぼーっとしてるの!」
戸惑いのあまり呆然とその場に立ち尽くすユリヤを、ヨルシカが力一杯に引っ張って手繰り寄せる。まさに間一髪、僅か0.5秒前までユリヤが立っていた地面に、デーモンの包丁が大きな溝を刻み付けた。
「無理だ! こいつは私たちの手に負えない! 今度こそ逃げるぞ、皆!」
シエラが叫んだが、デーモンは逃げ遅れているユリヤに狙いを定め、再び包丁を振り上げる。
「ユリヤ! しっかりして!」
「――! ヨルシカ……!」
ヨルシカがユリヤの肩を揺さぶり、ユリヤもようやく状況を理解したらしかったが、包丁を握ったデーモンの右腕は既に振り下ろされつつあった。
やべぇ!
「ユリヤ! ヨルシカ! 逃げろぉ!」
俺は声を振り絞って叫んだ。頭では無駄とわかっていても、そうせずにはいられなかった。一撃で頭を潰された大熊の最期の姿が脳裏をよぎる。
しかし、その刹那。
「間に合ったぜぃっ!!!」
と声を上げながら、ヨルシカとユリヤの前に、俺たちと変わらないぐらいの小さな影が、躍るように飛び込んできたのだ。その影は、デーモンの強烈な一撃を身の丈より長い大剣で受け止めながら、二人に声をかけた。
「大丈夫か、ユリヤ、ヨルシカ!」
「ベルちゃん……イザベル!? どうしてここに? 夢じゃないの、これ?」
九死に一生を得たヨルシカが、裏返るほどに声を弾ませる。
二人を絶体絶命のピンチから救ったのは、姉妹の中でもズバ抜けた怪力の持ち主、イザベルであった。赤毛で天パのショートヘア、男口調も相俟って一見すると美少年にしか見えないイザベルが、大熊を一瞬で葬った巨大なデーモンの一撃を、その小さな体で防いだのだ。
なんつータイミングだよ! もっと早く来いよ!
いや、でもイザベルが何故ここに――?
さらにその直後。
「瞬間凍結!」
「炎鞭!」
突如としてデーモンの周囲に超低温の霧が発生したかと思うと、霧は氷となってデーモンの体にまとわりつき、動作を制限する。そして、動けなくなったデーモンの頭部へ、長い炎のムチによる一撃が加えられた。
「ウォォォォォ!」
デーモンは鼓膜が破れるかと思うほど大きな呻き声を上げながら仰け反り、その巨体は震度7クラスの揺れを起こしながら地面に尻餅をついた。
「……ソフィー、いつも言っているでしょう? 私と貴女の能力は相性が悪いのです。せっかく氷で動きを封じたのに、貴女の炎で半分ほど解けてしまったではないですか」
「あ~、わかってるって、めんどくさいなぁ」
と、イザベルと共に現れた二人の姉妹。氷を操るフリーデルと、炎を操るソフィーである。
フリーデルはヘーゼルの瞳に空色のショートボブ。透けるような白い肌が映える美少女だが、まだ十歳とは思えないほど冷徹で、常に無表情。ずっと一緒に暮らしている俺でも、フリーデルの喜怒哀楽は一度も見たことがない。
ソフィーはカルラの娘で、母親譲りの褐色の肌と橙色の髪が特徴。暑がりな上に極度の面倒臭がりで、髪型はベリーショート。いつも最低限の部位が隠れる程度の布しか身に着けず、今はまだロリっこだが、成長すれば歩くセックスアピールになるになること間違いなしの逸材だ。
フリーデルの言葉通り、ソフィーの炎によってデーモンの体に付着した氷はかなり解けてしまっており、デーモンは短い手足を踏ん張って再び立ち上がろうとしている。その様子を観察しつつ、フリーデルが言った。
「しかし、ソフィーの炎鞭が頭部を直撃した瞬間、奴は大きく怯みましたね。頭部が弱点だと見て間違いないでしょう。聞こえていますか? シェリー、クロエ!」
フリーデルが空を仰ぐと、木々の間を黒い影が飛び交うのが見え、頭上から声が降ってきた。
「聞こえてるよ、フリーデル!」
「ちょっと、うるさい! 今集中してるんだから喋んないでよシェリー!」
「ご、ごめんクロエ……」
シェリーはライトブラウンの瞳、髪色はアッシュグレーのセミロング。風の力を操り自由自在に飛ぶことができる上、自身や触れたものにかかる重力を無効化できるという超便利能力を持っており、狩りの際の移動には欠かせない存在である。にもかかわらず、何故かネガティブで自虐的、真面目な性格が空回りしがちな、妙な奴なのだ。
クロエは燃えるような赤い瞳に栗色のポニーテール。幼いながら天才的な弓の使い手で、その精度はまさに百発百中。数十メートル離れたところから小さなテントウ虫を射貫いたことさえある。神経質で怒りっぽく、少々扱いにくい性格の持ち主ではあるのだが、その能力は折り紙付きだ。
つまり、今この場には、館で寝ているフィリアを除いた九人の姉妹全員が揃っていることになる! 九人揃えば、いかな異形の悪魔といえども――!
一瞬の静寂の後、頭上から一筋の矢が降り注ぎ、デーモンの頭部に突き刺さった。言うまでもなく、クロエの精密な狙撃によるものだ。立ち上がりかけていたデーモンは、再び轟音で呻きながらその場に崩れ落ちる。フリーデルの分析はやはり当たっていたらしい。
「シエラ、戦えるか?」
イザベルが声をかけると、シエラは大きく頷いてヨルシカを見る。ヨルシカは胸の前で手を組み、静かに祈り始めた。
「うおおおお、これこれ! 力が漲ってくるぜ! クロエは引き続き頭を狙撃して奴の動きを止めてくれ! シェリーとフリーデル、シエラ、ソフィーの合わせ技で攻撃した後、俺が止めを刺す! わかったな!」
興奮気味のイザベルが叫ぶと、すぐに頭上からクロエのヒステリックな声が降ってきた。
「なんであんたが仕切ってんのよ! イザベル!」
とは言いつつも数秒後、糸を引くように正確なクロエの矢が再びデーモンの頭部を射貫き、行動の自由を奪う。その直後、俄かに頭上に暗雲が立ち込めたかと思うと、辺りに強風が吹き始め、地面に落ちていた木の葉が高く舞い上がった。シェリーの準備が整った合図である。
「では、まず私から行きますよ――大氷雪!」
フリーデルがそう唱えると、フリーデルの周囲に発生した氷の礫が風に乗り、猛吹雪となってデーモンに襲い掛かった。
「オオオオオ!」
体感温度にすればおそらく絶対零度に近いであろう猛吹雪を浴びたデーモンは、悲鳴を上げながら短い手足をさかんに動かしてもがき始めるが、その体にはみるみるうちに氷がへばりつき、瞬く間に全身が氷漬けにされてしまった。
「続けて行くよ! 落雷!」
間髪入れずにシエラが叫び、氷漬けになったデーモンに、極太の稲妻が直撃する。シェリーとフリーデルの能力の副産物として発生した雷雲によって増幅された雷の一撃の威力は、シエラが大熊に対して放った雷矢とは比較にならない。数百万、数千万、いや数億ボルトにも達するかもしれない雷の直撃によって、デーモンの手足は氷ごと砕かれ、肥満した体を覆う骨の鎧も粉々に砕け散った。
「はぁ……だるいから、さっさと終わらせるよ。炎嵐!」
続いてソフィーが気だるげに唱えると、その口調とは対照的に、風に煽られ勢いを増した凄まじい炎の舌がデーモンの体に執拗に絡みつく。手足をもがれ鎧を失ったデーモンの体は、数百度、あるいは数千度に達する高熱の中で焼かれ、表面が溶け、あるいは爛れ始めた。
以前にも何度かこの三人の力を目にしたことはあるが、今回の威力はヤバすぎる。まさにチートじゃねーか。これがこいつらの本気――。
「よぉ~っし、トドメだぁっ!」
雄叫びを上げながらイザベルが飛び上がり、その体は風に乗って上空へと舞い上がる。炎が鎮まり爛れた体を晒すデーモンの脳天目がけて、イザベルは二メートル近くはあろう特大剣を振り下ろした。
「くらえ! ドタマかち割りアターック!!」
と、クソださい掛け声によって繰り出された一撃は、その技名の如くデーモンの頭部を真っ二つにカチ割ると、勢いに任せてその巨体を一刀両断してしまった。めちゃくちゃ画になるシーンなのに、なんで技名があんなクソなんだよ! 全然締まらねえじゃねえか!
引き裂かれたデーモンの体は、シュワシュワと炭酸飲料のような音を立てながら霧消する。気付けばいつの間にか頭上の雲も晴れていて、森は普段の静けさを取り戻した。
「やったぜ!」
「も~う、ベルちゃんたちが来てくれなかったら、どうなっていたか……」
これが、ヨルシカの祈りによってバフがかけられた姉妹たちの真の力。その恐ろしさを、俺は改めて思い知らされた。こいつらは絶対怒らせちゃいけねえ、マジで。
「よくやった。強くなったな、みんな」
と、物陰からエリウが姿を現す。そうだ、五人はそもそもエリウと共に朝から別件の狩りに出ていたはず。こいつらがどうしてここにいるんだ?
しかしその疑問は、エリウの言葉によってすぐに解消された。
「狩りが早めに終わって館に戻ったら、タケルたちがフィリアの預言に従って狩りに出たことをカボタから聞かされてな。フィリアの預言があるとはいえ、どうにも胸騒ぎがしたから、返す刀で、タケルたちが向かったという森の方へ来てみたんだ。まさかデーモンと戦うことになるとは思わなかったが、何はともあれ、皆が無事でよかった」
もう三十路に差し掛かったエリウだが、その美貌は全く色褪せることなく、むしろ成熟した大人の色香が加わってますますエロさに磨きがかかっている。
空から降りてきたクロエ、シェリーを交えてハイタッチを交わす姉妹たちの中で、唯一ユリヤだけは暗い表情のまま地面に座り込んでいた。いかに空気の読めないユリヤといえども、自分が召喚した悪魔のせいで姉妹たちを危険な目に遭わせてしまったことに対して、深く反省し、自分を責めているのだろう。だが――俺はユリヤに歩み寄り、手を差し出した。
え? らしくないって? 何のチート能力もない最弱主人公としては、やらかした奴のフォローぐらいはしとかないと存在意義が一つもなくなるのである。
「おいユリヤ、そんな凹んでんじゃねえよ」
「だって……みんなに迷惑かけちゃったし……」
ユリヤはそう言うと、そのまま顔を覆って泣き出してしまった。おいおい、これじゃまるで俺が泣かせたみてぇじゃねーか。普段は無駄にタカビーなくせに、ちょっと失敗したぐらいでメソメソしやがって。
「結果オーライだろ? お前があのキモいデーモンを召喚してくれなかったら、俺たちは熊に皆殺しにされてたかもしれねえんだぜ」
かもしれない、どころじゃない。もしユリヤがデーモンを召喚していなかったら、俺たちは、エリウ達が助けにくる前に全滅させられていた可能性が高いのだ。つまり、ユリヤも俺たち皆の命の恩人ってこと。
ユリヤは涙に濡れた顔を上げる。
「……ほんと?」
「ホントも何も、れっきとした事実じゃねえか」
俺と同様、ユリヤに命を救われたシエラ、ヨルシカ、ローザの三人も、こちらに気付いて駆け寄ってきた。
「そうだよ、ユリヤ。私たちを最初に助けてくれたのは君じゃないか」
「ありがとね、ユリヤ!」
「……」
ローザは無言のままユリヤに優しく微笑みかける。いや、そこはさすがに何か声かけてやろうぜ?
すると、ユリヤは指で涙を拭いながら立ち上がった。
「みんな、ありがと。でも、ごめんね。あんなに強いコを召喚するの、今回が初めてだったんだ。どうなるかわかんなくて、まだ実験もしてなかったの。けど、あの大きい熊を倒すためには、今の私に呼べる限りの強いコじゃなきゃって思って……」
「ま、いいってことよ。次の機会までには、ちゃんとデーモンをコントロールして、後始末もできるようになっといてくれよ」
なにしろ、あの巨大な熊を一撃で屠ったデーモンである。もしあれを意のままに操ることができれば、あらゆる場面で貴重な戦力となることは疑いようもない。俺の言葉にユリヤは大きく頷き、しかし、いまだ涙に潤んだ瞳で俺を睨みつけてきた。
「……な、なんだよ、その目は」
「タケル、さっき私のデーモンちゃんのことを『キモい』って言った」
「……え? 言ったっけ?」
「うん。この耳でしっかり聞いたもん」
「そうだったかな? でも、だってそりゃあ客観的なじじ――」
事実、と言い終わるより早く、俺の体は突然飛びかかってきたユリヤに押し倒されていた。
「キモくないもん! カワイイって言いなさい!」
ユリヤはそう叫びながら、馬乗りになって俺の胸をポンポンと叩き始める。召喚士としての素質があること以外はごく普通の十歳女子であるユリヤのパンチは全く痛くはなかったが、エリウや他の姉妹たちがその様子を見て一斉に笑い始めたことによって、俺は大きな心理的ダメージを受けた。
その夜、俺たちの館で、熊肉による盛大なパーティーが行われたことは、言うまでもあるまい。