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大熊を倒せ!

タケルの能力:ごくごく一般的な十歳男子

「ねえ、みんな、この辺りでとても大きな熊を見なかったかい?」


 仄暗い森の只中、シエラがどこへともなく声をかけると、辺りから突然小鳥の囀りが聞こえてきた。それも一羽や二羽ではない。声の数から察するに、十羽や二十羽、あるいはそれ以上の数の小鳥が一斉に合唱を始めたのである。これがシエラの動物と話せる能力の真骨頂。空を飛び、極めて広い行動範囲を誇る鳥たちの持つ知識は、狩りの際に極めて貴重な情報源となっている。そのため、この森に棲む鳥たちとの間には、情報を提供してもらう代わりを鳥は狩らない、という協定が結ばれているのだ。

 まあ、鳥と話せるのはシエラだけだから本当にそんな協定が結ばれてるのかはシエラにしかわからねーわけだが、ひとまずそういう理由でここ数年は鳥を狩っていない。


「ふむふむ。ここからさらに北に進んだあたりか。そいつは、どういうやつなんだい? ――へえ、よそからやってきた乱暴者、ね。なるほど、ありがとう」


 シエラが大きな声で感謝の言葉を述べると、鳥たちの囀りは瞬く間に静まり、そこら中からバタバタと夥しい数の羽音がした。鳥たちが飛び立ったのだ。


「――ということだから、とりあえず、北に行ってみよう。相手は最近どこからか流れてきたオスの熊。ここ何日かこの辺りの森を荒らし回っていて、皆困っているらしい。体が大きいく、力もかなり強いそうだから、十分注意して進もう」




 シエラを先頭に、俺達五人は北へ北へと、深い森を分け入って進んだ。

 頭上は鬱蒼と茂る木々に覆われ、まだ昼間だというのに森の中は薄暗く、湿気を帯びた空気はひんやりと肌寒い。日光はあまり差さないが、シダやコケなどの細かい植物が地面にびっしりと生え、そこら中に小さな羽虫が飛んでいる。

 異世界のんびりスローライフなんて言えば今流行りのラノベっぽくて聞こえはいいが、実態は主に払っても払っても無限に湧いてくる虫との戦いである。前世でサンガリアの民にかしずかれていた時は上げ膳据え膳で食事が運ばれてきたが、大自然の中で食糧を確保するということは本来のんびりスローライフなんかとは程遠い大変な作業なのだ。

 夏は暑い、冬は寒い。虫は湧くし獲物は逃げる。畑はちゃんと耕さなければまともな作物は育たないし、天候の影響にも左右される。ようやく育ったと喜んでいたら、野生動物に食われてしまうことだって珍しくない。生きることはすべからく戦いなのである。


「きゃっ! 虫!」


 と、ユリヤが突然悲鳴を上げながら俺の腕にしがみついてきた。

 基本的に引きこもりのユリヤは、俺達家族の中で最も狩りに非協力的で、外に出ることは滅多にない。俺や他の姉妹はもう虫なんて慣れっこなのだが、ユリヤだけは未だに小さい虫を見ただけで出川や上島も顔負けのリアクションを見せるのだ。


「おいユリヤ、こんなんでいちいち驚いてたら命がいくつあっても足りねえだろ」

「だ、だって……気持ち悪いんだもん」

「俺からしたら、お前が研究してる魔物のほうがずっと気持ち悪ィけどな」


 ユリヤの部屋にある悪魔や魔物に関する書物には、エイリアンも顔負けのキモい魔物が数え切れないほど描かれている。もしあんな魔物が目の前に現れたら、シガニー・ウィーバーでも尻尾を巻いて逃げ出してしまうだろう。喩えが古すぎる、というツッコミは甘んじて受け入れよう。

 すると、自分の研究が貶されたと思ったのか、ユリヤは青筋を立てて怒り出した。


「はぁ? みんなカワイイじゃないの! これだから男は。タケル如き低レベルな審美眼しか持てないヤツにそんなこと言われたくないわ!」

「ちょっと二人とも! 大声出さないでよ! もし近くに熊がいたらどうするの!」


 言い争う俺達をヨルシカは窘めようとするが、注意したつもりのその一言がまた負けず劣らず大声だった。よく言えば天真爛漫、悪く言えば天然バカなヨルシカである。


「いいじゃないの、熊を狩りに来たんでしょ? 探す手間が省けるってもんじゃない。ちゃっちゃと私の召喚する魔物で熊をやっつけて……」

「違うって! 熊っていうのは音に敏感な生き物だから、私たちが大声上げたら逃げちゃうかもしれないって言ってるの! ……ねえ、ローザも何か言ってやってよ!」


 しかし、ヨルシカに話を向けられたローザはやはり無言のままぼんやりと首をかしげるだけだ。まあこいつにコメントを求める方が間違ってるんだがな。

 と、その時。先頭で真面目に周囲を警戒していたシエラがこちらを振り返り、右手の人差し指を立てて口に当て、小声で言った。


(しっ! 何か聞こえる)


 シエラの合図に、俺達四人はさっと口を噤み、近くの太い木の幹の裏に身を隠す。俺の腕を掴むユリヤの手の力が、僅かに強くなった。

 そのままじっと息を潜めていると、前方からガサガサと木の枝や草をかきわける音、そして何かがこちらへ近付いてくる気配が感じられる。物音は木々の間を反響しながら俺たちの頭上にも降り注ぎ、相手がかなりの大物であることが察せられた。

 間違いない、こいつがフィリアの予知夢に現れた大熊だ。ついさっきまでキャッキャと奇声を上げていた(と言っても実際騒いでいたのはユリヤとヨルシカだけだが)姉妹たちの間にも、にわかに緊張が走る。


 そして数秒後、林立する木の幹の間から、そいつは姿を現した。

 のっしのっしと地響きを立てながら歩いてくる巨大な熊。四足歩行であるにも関わらず体高は俺たちの身長を上回り、立ち上がれば体長は3メートルにまで達しているかもしれない。俺たちも狩りの際に何度か熊と遭遇した経験はあるが、それは今まで見たこともない大きさだった。


(で、でかい……!)

(頼むから落ち着けよユリヤ、ちゃんと隙を見て仕掛けないと、あいつはヤバい)


 それなりに森に親しんでいる俺らですら驚いているのだから、狩りの経験が浅いユリヤは尚更だろう。俺は震えるユリヤを小声で宥めたが、正直言って、本当にこいつを仕留められるのかどうか不安になっていた。やはりエリウや他の姉妹たちを待つべきだったか――?

 熊は俺たちの前方10メートルほどのところで不意に立ち止まり、鼻をひくひくと動かしながら周囲を見渡した。いくら姿を隠したところで、臭いまで消せるものではない。すぐ近くに獲物がいることに奴も感付いたはずだが、この世の春を謳歌している巨大熊、自分の命が狙われているとまでは思うまい。

 熊はカサカサと足元の雑草を踏み倒しながらこちらへゆっくりと近づいてくる。ヨルシカは胸の前で両手を組み、目を閉じて祈り始めた。ヨルシカの組まれた手がぼうっと淡い光を放つと同時に、俺の体はまるで温泉にでも入ったようにじんわりと熱くなり、腹の底から力が湧き上がってくるような感覚を覚える。これがヨルシカの持つ特殊能力。ヨルシカの支援を受けることによって、俺達は通常の限界を大きく超える身体能力や精神力を発揮できるのだ。ヨルシカの能力が適応される対象は血縁、つまりゴーマ本国に帰った母親を除けば俺と姉妹たちしかいない。

 ヨルシカの支援を受けて、唯一の前衛キャラであるシエラは荷物から手斧を取り出して臨戦態勢を整える。静かな森の中に緊迫した空気が張り詰め、ただならぬ気配を察したのか、頭上で鳥が羽ばたいてどこかへ飛び去る音がした。


 羽音が止み、再び森は静寂に包まれる。

 戦端を開くのは、大熊の咆哮か、シエラの雷か。

 息を呑んでその瞬間を待つ。


 しかし、静寂を破ったのは意外な声だった。足元で草がカサカサと乾いた音を立て、その直後、俺の耳元で、森の隅々まで届きそうな絶叫が起こる。


「イヤ~~~~! 蛇ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」


 その悲鳴の大きさたるや、俺はマジで鼓膜が破れたのではないかと思うほどだった。声の主はもちろんユリヤ。足元では確かに一匹の蛇が地面を這っていたが、小型の蛇だし毒も持っておらず、人間にとってはほぼ無害なヤツだ。俺はユリヤに怒鳴りつけた。


「うぉい! 耳元でデカい声出すんじゃねえよお前!」

「だって気持ち悪いんだもん!」

「お前魔術の研究とやらで蛇の死骸とか使ってんじゃねえか!」

「生きてるのは無理なの!」

「二人とも、ケンカしてる場合じゃない! 来るよ!」


 シエラの一言で俺たちは我に返った。前方を見ると、ユリヤの悲鳴を聞いた大熊はハッキリと体をこちらに向け、むき出しの牙からは涎が滴っている。シエラはその正面に立ち、小さな体で大熊と対峙していた。


「タケル、ここは私が何とかするから、君はヨルシカを頼む!」


 俺たちの戦闘能力を大幅に底上げしてくれるヨルシカの祈りだが、ヨルシカは祈りの最中全く動くことができず、敵の攻撃などを受ければ祈りは中断されてしまう。そのため、誰かがヨルシカを守らなければならないのだが、ローザはヒーラーだしユリヤはサモナー。ここにいる面子の中で適役は俺しかいない。

 いや、いくらヨルシカの能力で強くなってるとはいえ、俺は他に何の能力も持たないごく普通の十歳男子なんすけど――?


 戸惑っていると、大熊はその場で立ち上がり、ウゥゥ、と低く唸り始めた。四の五の言ってる場合じゃない、ここは俺が何とかするっきゃねえ!

 その次の瞬間、大熊はその巨体に見合わぬ素早さでシエラに飛びかかった。


「ふんっ!」


 シエラはそれをひらりと躱し、そのまま熊の背後に回り込む。元々前衛タイプで身体能力が高いシエラは、ヨルシカのバフを受けて吉田沙保里並みの敏捷性と反射神経を獲得していた。シエラの姿を追い振り向く大熊。その一瞬の隙をついて、シエラは体に電気を集める。


「くらえ! 雷矢(ライトニングアロー)!」


 シエラがそう叫びながら右手の人差し指と中指で大熊を指差すと、その指先から大熊めがけて一筋の電撃が走り、熊の体を直撃した。


「ウガッ……!?」


 電撃を受けた大熊は、やや掠れ気味の情けない声を上げながら一度大きく体を震わせ、その場にドサリと倒れ込む。熊は地面に突っ伏したまま微動だにしない。何だ、楽勝じゃねーか、ビビらせやがって。その巨体の割には、実にあっけない幕切れだった。やっぱフィリアの予知夢は外れねえな。

 シエラは倒れ伏す熊に対して瞑目し、数秒間祈りを捧げたあと、こちらを振り返って言った。


「あれ? ユリヤは?」

「……え?」


 言われてみれば、近くにユリヤの姿はない。逃げ出したんだろうか? 蛇に驚き大声を出して足を引っ張った挙句、結局一人で逃げ出すとは、ホントに使えねえやつだなアイツ。

 祈りをやめたヨルシカも、心配そうに辺りを見回す。


「逃げちゃったのかな? 森に慣れてないユリヤが一人でウロウロしたら、絶対道に迷うと思うんだけど」

「うん。まあ、まだ遠くには行ってないはずだから、今のうちに皆で手分けして探したほうがいいね。この熊は重すぎてシェリーが来るまでは動かせないし……」


 シェリーとは、十姉妹の一人で、重力を無効化したり空を飛んだりすることができるヤツのことである。あの大きさなら少なく見積もっても体重は4~500キロありそうだから、さすがに俺たちだけであれを運ぶのは――と、俺は何気なく熊の方を見た。


 そして、驚愕した。熊と視線がぶつかったのである。

 死んだ熊の虚ろな瞳ではない。虎視眈々と獲物を狙う、肉食獣特有の鋭い眼光。

 熊はまだ死んでいない! 俺は咄嗟に叫んだ。


「シエラ! 熊はまだ生きてる!」

「なにっ!?」


 と、シエラは慌てて振り向いたが、時既に遅し。熊はその巨体を躍らせて、シエラ目がけて凄まじい勢いで突進してきたのである。


「うわぁぁっ!」


 ヨルシカも既に祈りをやめており、バフの効果もなく反応が遅れたシエラは、熊の突進をモロにくらって数メートル吹き飛ばされ、近くの木の幹に叩きつけられた。


「シエラ!」


 そのままずるずると力なく地面にずり落ちるシエラ。熊は次にヨルシカに狙いを定める。


「ヨルシカ、危ない!」


 ヨルシカ目がけて猛然と突進を始める熊。ヨルシカはシエラのダメージを軽減するべく再び加護の祈りを始めようとしていたらしく、熊の動きに対して反応できていない。俺は十歳の一般男子が持てる全脚力を動員してヨルシカの体に飛びつき、そのまま地面に押し倒す。


「うおおおっ!」

「きゃっ!」


 熊の突撃は俺の背中数センチのところを掠めていった。あれが直撃していたら、俺もヨルシカも無事では済まなかっただろう。


「ヨルシカ、もうのんびり祈ってる余裕はねえ、シエラもやられたし、このまま撤退だ!」

「で、でも……ユリヤもまだ見つからないのに」

「あ~~~、もう!」


 そういやユリヤも探さなきゃならねえんだった。一体どうしたらいいんだよ!

 熊の様子を窺うと、奴は今度はシエラの治療を始めたローザに狙いを定めていた。すぐ傍にいたヨルシカと違い、二人のいる場所までは距離があり、助けに行けそうにない。俺は声の限りに叫んだ。


「ローザ! シエラ! 危ねえ!」


 シエラから顔を上げたローザと大熊の視線が交わる。ヨルシカの加護がない状態で熊の突進の直撃を受けたシエラはまだ自力で動くことができず、ローザは逃げるべきかシエラをかばうべきか迷っているようだ。その一瞬の判断の遅れが、この状況では命取りとなる。熊は一瞬体勢を低くし、充分に力を溜めて、ローザ目がけて突進を始めた。


「畜生!! やめろぉぉぉぉ!!!」


 もはや万事休すかと思った、その刹那。


『辺獄の尖兵、呪われし魂の落とし子よ。契約に基づき、彼の者に闇の裁きを与え給え……出でよ! 審判者(アジュディケーター)!』


 と、中二病っぽいイタい台詞の直後、なんと、ローザの前に突如として巨大な異形の怪物が現れたのだ!

 身長は熊の体長より更に高く、5メートル、いや6メートルはあるだろうか。でっぷりと肥満した体、手足は短く、その右手には血と錆によって著しく刃こぼれした巨大な包丁のようなものが握られている。髑髏や骨をチェインメイルのように数珠繋ぎにしたものを体中に巻きつけており、しかし本来顔があるはずの頭部には、ブラックホールのような、あるいはトトロのまっくろくろすけのような黒い塊があるだけだった。

 突然現れた自分より大きなバケモノにさしもの大熊も驚いた様子だったが、最早突進の勢いを止めることはできず、大熊はそのままバケモノのでっぷりした腹に飛び込んだ。熊の体はバケモノの腹にめりこみ、低反発枕のCMのようにやんわりと衝撃を吸収されてゆく。腹の肉に包まれて身動きのとれなくなった大熊を、バケモノは短い腕を伸ばして左手でむんずと掴み、4~500キロはあろう巨体を軽々と持ち上げると、そのまま思い切り地面に叩きつけた。


「ぐわふん!」


 大熊の巨体が叩きつけられた衝撃が地面を伝ってこちらまで響き、あの恐ろしい大熊は子犬のように情けない声を上げた。そして、まだ身動きのとれない大熊に対して、バケモノは右手の包丁を振り下ろす。ボロボロに刃こぼれしたそれは、刃物というより鈍器に近かった。


 振り下ろされた包丁は大熊の頭部を熟れすぎたトマトのようにべっちゃりと叩き潰す。

 大熊は微動だにしなくなった。


「フッ……どうかしら、これが私のかわいいかわいいデーモンちゃんの力よ」


 得意げな声に背後を振り返るとそこには、いつの間に戻ってきたのか、誇らしげな笑みを浮かべて仁王立ちするユリヤの姿があった。

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