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自らが蒔いた種

タケルの能力:特になし

 自分の子、タケルとして異世界転生を果たして早くも一年の時が流れ、俺は一歳になった。


 一年とはいっても、一日の大半は寝て過ごしているから、体感では二、三か月ぐらいだろうか。エリウの母乳を飲んで眠るぐらいしかすることがないので、若干退屈なことを除けば、まあ悪くない生活である。


 俺はエリウの居室で、エリウの腕に抱かれていた。窓から差し込んでくる柔らかい日差しとエリウの体温が非常に心地よく、俺の心は得も言われぬ幸福感に満たされる。何となく口が寂しくなった俺は、エリウの顔を見上げながら声を上げた。


「ぁあぅ」

「ん? なあに、タケル。おっぱい飲みたくなったの?」

「あぅば~」

「あ~よちよち、ちょっと待ってね」


 一歳にもなると、生まれた直後に比べれば視力がだいぶ上がってきて、周りの状況が視覚だけでもかなり正確に把握できるようになった。エリウはおもむろに服の胸元を開く。


「は~い、どうぞ、タケル」


 前世でも赤ん坊の頃は母乳を飲んで育ったはずなのだが、当時の記憶は全く残っていない。牛乳のイメージが強いせいか、なんとなく母乳も濃厚な味わいなのかと想像していたが、実際はもっとサラサラとしていてクセがなく、ほんのり甘味を感じる程度の薄味である。


「どう? おいちい? タケル」


 母乳を吸う俺を見下ろすエリウの表情は慈愛に満ちていて、かつての彼女にはあまりなかった母性と包容力が感じられる。母親になるということが、こんなにも大きく女を変えるのだろうか。できれば夫として、子の父親としてエリウの側にいたかった――俺はその思いを一層強くした。

 エリウの腕の中で母乳を飲むうち、再び強烈な眠気に襲われて、エリウの乳首をくわえたまま、俺はまた深い眠りに就いた。



 目を覚ますと、エリウは俺を抱いたままうたた寝を始めていた。

 当事者である俺が言うのも何だが、赤ん坊の世話というのは大変な仕事だ。自分一人で何もできないのはまあ当然としても、赤ん坊になってみて一番辛いのは、大人だったら当然我慢できるはずのものが我慢できないことである。

 たとえば空腹。大人だったら一食や二食抜いたって死にゃしねえし別にどうってことないんだが、赤子になった今はほんの少しの空腹が耐えられない。エリウが授乳してくれるまで、本能的にひたすら泣き喚くしかないのである。

 だが、より辛いのは、尿意や便意を堪えられないことだ。催したら即垂れ流し。情けないったらありゃしない。そんで、漏らしたら今度は不快に耐えきれず泣いてしまう。

 しかも、空腹にしろ排泄にしろ、生理現象なものだから、昼夜問わず、場所を選ばずである。それでも嫌な顔ひとつせず全ての世話をこなしてくれるエリウには、本当に頭が上がらない。だから、エリウが疲れて眠り込んだとしても、俺はそれを責める気には到底なれない。むしろ、もっとゆっくり休ませてやりたいとすら思うのだ。


 エリウの寝顔を見上げながらそんなことを考えていると、突然、耳懐かしいイケボがどこからか聞こえてきた。


「久しぶりだな、主殿。達者で暮らしているか」


 え、俺を主殿と呼ぶこの声はもしや、

 タクシー?

 辺りを見回しても当然タクシーの姿(無生物に対して姿というのもどうかとは思うが)はなく、しかしタクシー以外にこの声で俺を主殿と呼ぶ者は……。


「主殿、私はここだ。窓辺を見てくれ」


 窓辺――?

 イケボに言われるまま窓へと視線を転じると、そこには一匹の黒猫が座っていた。黄色い瞳の、何の変哲もない黒猫がじっとこちらを見つめている。黒猫は俺の視線に応えるように、小さく喉を鳴らした。


「そう、それが私だ。どうやら私は、この世界に猫として転生してしまったようなのだ」

「あぅばばば」


 お前がタクシー??? と言おうとしたが、まだまともな言葉を話すことができない一歳の俺である。猫が人の言葉を話しているのに、人間である俺が喃語しか使えないとは、これいかに。


「無理に喋らずとも構わぬよ、主殿。お互い姿は変わってしまったが、転生が成功したようで、ひとまずよかった」

「あぅぁ~」

「ところで主殿、この世界のこと――つまり、今のサンガリアのことについてはどれぐらいご存じだろうか」


 転生して以後、俺はエリウに抱かれて見える範囲、つまりせいぜいこの屋敷と周辺ぐらいの狭い範囲しか出歩いておらず、外の世界のことはとんとわからない。

 屋敷の主はエリウ。その他に、見知った顔はカルラとイリーナだけである。使用人は俺の出産の際に立ち会ったあの産婆だけで、家事などはこの四人で分担してやっているようだ。

 しかし、実はこれでもまだ屋敷の住人の半分にも満たない。どういうことかというと、


 この屋敷には、俺を含めて、なんと十一人もの赤ん坊がいるのである。


 大人四人で十一人の赤ん坊。母親一人で自分の子供の世話をするだけでも大変なのに、その約三倍である。通常の三倍の赤ん坊。シ〇ア・アズナブルもびっくりだ。

 ちなみに、俺以外の赤ん坊は全て女子。つまり、この屋敷の住人の中で男は赤ん坊の俺一人ということになる。何故十一人もの赤ん坊がいるのかはよくわからんが、その中にカルラとイリーナの娘がそれぞれ一人ずつ混じっていることは確かなようだ。


 ……ほんとは薄々感付いてるだろって?

 いやぁ、まさか……。


「猫として転生してから、私も自分なりに現在のサンガリアについて色々と調べてみたのだ。まず、この屋敷にいる十人の赤ん坊たちのことについてだが、これは皆、生前の主殿の子供たちだ」

「あぁぁ??」


 って、そのまさかかよ!


「主殿、カムロヌムでのことを覚えているか。ゴーマ人の女を十人も捕えて、一晩随分楽しんだそうではないか。今ここにいる赤子たちは、その時に主殿が孕ませた子供たちだ。カルラとイリーナの娘も含めてな。百発百中、ワンショット・キラーとはまさにこのことだな、はっはっは」

「えぇ……」


 喃語と母音しか発することができなくても、案外多彩な感情を表現できるものだ。ジ〇ン軍最強のエースパイロット、ブレニフ・オ〇スの異名を何故お前は知っているんだ、という疑問が湧いたが、喋るタクシーから喋る猫に転生したこいつに今更何をツッコんでも無意味であろう。

 それはそれとして、カルラとイリーナ以外の八人の女はあの一晩しか抱いてないはずだが、その一発で全員孕ませちまうとは。現代の男は精子の運動率が落ちていると言われているが、ここまで元気なのもそれはそれで考え物である。


「ロンディムを奪還し、ゴーマがサンガリアから手を引いた後、捕えられ奴隷となったゴーマ人たちは、ゴーマ本国に送られたサンガリア人の捕虜と交換で本国に送還された。しかし、主殿の子を孕んだ女たちは、主殿の子を産むまでサンガリアで身柄を預かることになったのだ。何しろ、未だ戻らぬサンガリアの救世主の種だからな。その後、女たちはこの館で無事に主殿の子を産んで、本国へと帰っていった。カルラとイリーナの二人はサンガリアに残ることを自ら望んだようだが、他の八人にとっては、無理矢理孕まされた、全く望まぬ赤子だ。特に愛着も湧かなかったのだろう」

「ぅぅ……」


 いやぁ申し訳ねえ。でもさぁ、地位と権力を得たら女を抱きたくなるのが男の性ってもんだよなあ?


「しかし、赤子たちのことについては主殿もそれとなく察していたかもしれぬが、エリウ殿たちがロンディムを離れてこの館に居を構えた理由については、おそらくまだ見当もつかないのではないかな」

「ぅん……」


 たしかに、言われてみれば妙である。この館は森と草原に囲まれた丘の上にあり、周りには町も集落も見当たらない。ロンディムにいた方が、使用人も大勢雇えるだろうし、何かと便利なはず。わざわざこんな辺鄙なところに住む必要はどこにもないように思える。

 それに、転生前の俺が現世に帰る前、エリウはロンディムを一日でも早く復興しなければと意気込んでいたはずだ。そのエリウがロンディムを離れるとは――何か抜き差しならない事情があったのだろうか。

 猫となったタクシーによって、答えはすぐに齎された。


「エリウ殿がロンディムを出た最大の原因は、ラスターグ王子……いや、現在はラスターグ王か。彼による執拗な求婚だったのだ」

「ぁぁぁぁ!?」


 し、執拗な求婚だとぉ?

 くっそ~あのEXILE野郎め、俺のエリウにTi amoしてChoo Choo Trainしようとしやがったとは、顔面以上に許せねえ! ファック!


「我々が現世に向かって一月ほど経った頃。未だ姿を見せぬ主殿に対して、サンガリアの民たちの中では、救世主はもう帰ってこないのではないか、そもそも神話の救世主はサンガリアの窮地を救うためだけに訪れた存在なのではないかという意見が大勢を占め始めた。そうなると、黙っていないのは、ロンディム奪還後即位したラスターグ王だ。彼は主殿の不在を利用してエリウ殿を正式に妻として迎えようと、あらゆる手段を尽くしてエリウ殿に求婚した。毎日のように彼女の屋敷に押しかけ、エリウ殿の周囲の人間にも調略の手を伸ばしてな」


 俺の居ぬ間に何とやらってか。クッソ~、俺様が成長したら、二度とRising Sunできないようにコテンパンに叩きのめして玉座からランニングマンさせてやるからな……!


「サンガリアの民たちもまた、二人の結婚を望んでいた。新たな若い王とエリウ殿の結婚は、サンガリアの新しい船出に相応しい慶事。戻らぬ暴君を待つよりは――とな。しかし、エリウ殿は頑として首を縦に振らなかった。主殿は必ずこのサンガリアへ帰ってくると信じていたからだ。それに彼女は、その腹に新たな命を宿していた。つまり、現在のタケル殿、貴方のことだが」

「ぅぅん」


 ヘタレ野郎にしつこくつきまとわれ、周りから結婚への期待とプレッシャーを受けながらも、王からの求婚を断固として拒み続けたエリウ。女ってのは大体寂しくなるとす~ぐ、秒で浮気する生き物だし、しかも空気に流されやすい。その点、エリウの貞操観念の揺るぎなさに対しては、驚嘆の念を禁じ得ない。こんないい女、どこの世界にも二人とはいねえだろ!


「しかし、この頃まではまだ、エリウ殿もロンディムで主殿を待ち続けるつもりだったようだ。風向きが変わったのは、主殿の子を身籠った十人の女たちの身辺までもが騒がしくなってきたから。ラスターグ王はもしや、主殿の血を引く子供たちの命を狙っているのではないか。そう疑念を抱いたエリウ殿は、心から信の置ける者を通じて、ロンディムから遠く離れた、ゴーマとの国境に近いこの丘に、急遽館を建てさせた。そして、十人の女たちと共に身重の体を押し、闇夜に紛れ、馬車に揺られてこの館へと移り住んだのだ」


 十一人もの妊婦が大きな腹を抱えてひっそりとロンディムを脱出する様を思い浮かべると、ドラマや映画で泣いたことのない俺でも、あまりの不憫さに涙が零れそうだ。


「えぐっ……」


 ……あ、今の俺、こういうの一切我慢できねーんだった。

 溢れる涙を堪えるどころか、声を抑えることすらできない。赤子の俺の体は、俺自身の意志に反して、声を上げて泣き始めた。


「あぎゃぁぁぁああああ!!」

「……ん? あらあら、どうちたの、タケル? またおっぱい?」


 うたた寝をしていたエリウが目を覚まし、猫撫で声と赤ちゃん言葉の合わせ技で俺をあやそうと試みる。しかし、俺の心を癒したのは、猫撫で声でも赤ちゃん言葉でもなく、『おっぱい』という魔法の単語であった。単純にもぱったりと泣き止んだ俺を見て、エリウは顔を綻ばせる。


「きゃっきゃ!」

「タケルったら、ほんとにおっぱい好きなんだから……きっと、あなたのお父さんに似たのね」


 おっぱい大好きで誠に申し訳ございません! 似てるどころか本人でございます!

 ふと窓辺を見ると、黒猫として転生したタクシーの姿はもう消えていた。

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