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第七章 離島連盟

 2049年4月11日


 バクは来月で二十一を迎えようとしていた。

 ミーヤのことは一日たりとも頭を離れることはなかったが、体を蝕むほどの憂鬱さは時とともに薄れていった。いつまでもルウ子一人に働かせるわけにはいかないと、今年の正月から、バクは蛍とともに農畜のバイトに復帰していた。

 

 その日、三人がちゃぶ台を囲んで朝食を取っていると、ニコから新たな一報が入った。

 NEXAはついに日本の電力網を復活させた。

 わずか二年……ルウ子が局長の頃に二十年はかかると見こんでいた事業を、孫はわずか二年で達成してみせたのだった。

 国家的な大工事が進んだ裏には、常に孫の策謀の糸がからみついていた。孫はこの事業を進める裏で、マスコミの掌握に全力を注いだ。ここ数年の間に新聞社の重役が相次いで入れ替わったり、有能な記者の『事故死』が頻発したのは、彼の手によるものだった。配給の不足や不公平をめぐり、政府と国民の間には積年の軋轢があった。孫は情報を巧みに操ってこの摩擦をさらに煽り、電気の復活に期待する国民を片っ端から味方につけていった。

 NEXAの独走を批判する政治家がことごとく落選し、あるいは買収され、あるいは消されていくと、この国の舵輪はもはや孫英次の思うがままだった。

 その日、孫は記者会見で語った。

「パワーショック。それは我々人類に対し、言語道断の苦悩をもたらしてきました。これほどわけのわからない、これほどはらわたをねじ切られるような災いが、過去数百万年の人類史にあったでしょうか? しかし、そこからも学ぶことはあったのです。食糧自給率は四割に、エネルギー自給率に至っては一割に満たなかった日本。世界がわが国を内心ではどういう目で見ていたか、この間の号外記事でよくおわかりいただけたと思います。

 逆鎖国? 望むところじゃないですか。我々だけが再び電気を手にした。彼らとはちがうのです。孤独を悲しむ必要はありません。我々日本国民は、科学文明の正当な継承者として、神々に選ばれたのですから」

 この会見の内容が海外で報じられることはなかった。NEXAはこの国に忍びこんでいた諜報員やジャーナリストなど、あらゆる不穏分子の完封に成功していた。


ニコのメールを読み終えたルウ子は、頬張っていた米粒とともに怒声を発射した。

「戦時中よりタチが悪いわ!」

「……」

 バクは迷惑そうな顔で、顔中にくっついた米粒を一つずつ口にしていった。

 蛍は言った。

「高速の情報網は大衆を洗脳しやすいけど、同時に抑止もかけやすい。孫が電力網の復活を段階的にやらなかったのは、テレビやネットの普及を徹底的に遅らせたいという狙いもあったんでしょうね」

「チッ……」

 ルウ子はそれから寝るまでの間、ぶつぶつと解読困難なつぶやきをくり返し、終始不機嫌だった。


 ニコのメールはその後久しく途絶えた。電力事業が一段落して、NEXAの活動が安定期に入ったのだ。彼らがほころびを見せない限り、バクたちは動きようがなかった。

 晴耕雨読。バクたちはひたすらそうして時節を待った。



 2050年6月10日


 国内の電力復活から一年と二ヶ月。

 NEXA本部に衝撃が走った。

 日本の様子を映した写真が、世界中の新聞にでかでかと載っていたのだ。

 NEXAの暗殺者はたしかに、国内に潜伏していた不穏分子を完封した。だが、執念は相手のほうが一枚上手だった。彼らは自分の命さえ囮にして、証拠となる資料をそれとわからぬ形で自国に送っていたのだった。



 7月17日


 電気はついに極東の地で蘇った。科学的に納得できない事情はともかく、まずは国交回復であると、列強諸国は我先にと密使の船を送った。これに対しNEXAは、巡視船や沿岸の砲台などをもって外国船をことごとく追い払った。


 その日、NEXA本部に一つの報告が入った。海外に潜入している諜報員からだ。 日本の鎖国姿勢に危機感を募らせた列強諸国は、『地上で唯一の発電国となったのをいいことに、科学文明帝国による一極支配の野望を抱いている』と日本を悪役に仕立て上げ、制裁に向けて軍備を整えはじめているとのことだった。

自室でそれを知った孫は、珍しく怒気をこめて言った。

「今まで日本をないがしろにしてきたくせに、電気があるとわかった途端にこれだ!」

「局長……」

 和藤は不安げな瞳を孫へ流した。

「核弾頭の開発を急がせてくれ」

 日本国内には原発由来の核燃料が密かに残されていた。戦艦や要塞を一から造ることを考えたら、核ミサイルの開発などたやすい。

「……」

「心配するな、栄美。第一、わが国は直接誰かに迷惑をかけたわけではない。従って彼らには他国に攻めこむだけの理由がそろわない。それでも、権力にのぼせ上がった愚か者はなにをしでかすかわからない。だから万が一に備える。それだけのことだよ」

 ニコはこの会話を密かに録音し、翌日、隙を見てアルに送信した。 



 7月18日


 バクたちの焦りは頂点に達しようとしていた。

 孫は構想を練り上げた当初、核開発など予定していなかった。外国が日本を忘れている間に技を磨き、充分に力の差を見せつければ、大袈裟な兵器など必要ないとさえ口にしていた。だが、日本の実態は海外に知られることとなり、孫の『ささやかな復讐』のシナリオに大きな狂いが生じはじめた。このまま問題を放置しておけば世界中との開戦もあり得る。とはいえ孫の言うとおり、日本は隣国を侵略したわけでも宗教的対立があるわけでもない。諸国首脳が世論を納得させるだけの大義名分を探している間は、睨みあいが続くだろう。だが、ケンカは意外と些細なきっかけで起こるもの。一時たりとも油断はできない。


 ルウ子は手にしていた鎌を丸太小屋の外壁に突き刺し、孫の愚行を嘆いた。

「あんの腐れ納豆、本気で勝てると思ってるらしいわ!」

 バクは言った。

「勝てるもなにも、戦争なんか起こらないだろ?」

「わかってないのね。ヤバイ兵器を隠し持っているらしいっていうだけで、たしかな証拠もないのに平気で戦争しかける国だってあるのよ。そいつらがどれほど世界を迷惑させたことか……」

「それでも、孫にはきりふだがある」

「マスター・ブレイカー最大の弱点、忘れたの?」

「弱点……あ!」

 バクは手を打った。

 たとえ長距離ミサイルを開発したとしても、ニコの影響下、つまり本土上空にあるときしか制御できないのだ。

 蛍は開戦した場合の日本の未来を仮想した。

「わが国には負けしかありません。海上で現代兵器を使えない以上、物量に勝る列強は難なく日本各地に上陸を果たすでしょう」

「上陸した何万もの兵がいっせいに首都へなだれこみ、この国はっ!」ルウ子は壁に刺さっていた鎌を引き抜くと、蛍が手にしていたキュウリを奪い、これを真っ二つにした。「はいおしまい!」

 バクは草の上に落ちたキュウリの片割れを拾い、そのまま頬張った。

「クソ……どうすれば孫を倒せるんだ……」

「リスクは高いですが……」蛍は北の空を見上げた。「離島の首脳陣に本土の現実を見せ、海軍に動いていただく、というのはどうでしょうか?」

「現実?」

「ニコさんによれば、NEXAの兵器生産は大電力と送電効率を考慮し、主に統京湾岸で行われているとのこと。海の上からほんの一部でもいいんです。その恐ろしい光景を見てもらえれば、島人の心に変化があるかもしれません」



 7月23日


 バクたちは離島海軍の将、大村猛に『統京湾岸調査団』の結成を提案した。日本の『鎖国返し』に列強が色めき立っているという話に、大村は乗ってきた。離島海軍の中には遠洋調査隊という小さなチームがある。航海先で知りあった、国境や肌の色を越えた海の男同士の交流によって、海軍は海外情勢に多少は通じていた。

 大村はバクたちに言った。

「それは連盟としても無視できねえ問題だ。離島は正式に日本から独立したわけじゃねえからな。大戦に巻きこまれんのはゴメンだ。俺がジジイどもに話をつけてやろう」

 あくまでも離島の安全を中心に据えた考えだが、この際、協力が得られれば理由はなんでもよかった。



 7月27日


 その日、宮根島で伊舞諸島地区だけの臨時会議が開かれ、各島の首脳陣から一人ずつと、バク一行と大村、計十三名の調査団を送り出すことが決定した。



 7月31日


 統京湾での偵察を終え、母港で船を降りた調査団に言葉はなかった。



 8月5日


「NEXAがいかにヤベえ連中か、それはわかった。だが、各島に散らばる兵力をあわせても三千に満たない小勢が、政府をも手なずけちまった巨人相手にいったいなにができるってんだ……ってのが、ジジイどもの言い分よ」

 大村は口をへの字にしてだらしなく両手を挙げた。

 大村は隣島で開かれた連盟本会議に出席し、ついさっき宮根島に帰ってきたところだった。

 先日の調査団の報告を受け、会議は紛糾した。独立宣言。列強との交渉。他国への移住。無為静観。様々な意見が出た。NEXA討伐派はごく少数だった。海戦ならともかく、現代兵器で迎え撃たれる上陸戦は自殺行為である。というのが大方の批判だ。

「根性なしめ!」

 バクは桟橋に転がっていた空の木箱を蹴り壊した。

 大村はバクをなだめた。

「まあそう言うな。あんたらと島の民じゃ、生きてきた環境がちがいすぎる。血路を開く、なぁんてことはほとんど経験してねえからな」

「海軍だけでもなんとかならないのか?」

「なると思うか?」

「聞いてみただけだ」

 バクが下を向くと、大村はぼそっと言った。

「ただし、民が動けというのなら、動く」



 8月6日


 離島連盟には、地区人口の八割分の『署名血判』を持ってくれば、その地区の海軍は独自の判断で動いてもよいという、有事における超法規的な例外が存在した。

 その日バクたちは、単純に数を稼ぎたいという理由から、伊舞諸島最大の島である雄島おしまへ渡った。

 島の人間関係は都市の人々とちがって濃密であり、人数が集まれば批判が批判を呼んで、それだけ保守的になってしまう。その経験からバクたちは、一軒また一軒と、しらみつぶしに民家を訪ね歩くことにした。

 一行はNEXAの脅威を説き、海軍をもって彼らを討つべきであると、署名血判の必要性を訴えていった。

 現実は厳しかった。誰一人として耳を貸す者はなかった。千の言葉より一枚の絵、ということで軍需工場のスケッチや写真を見せもしたが、人々は「創作だ」「偽造だ」と一笑するばかり。果てしない空と美しい海と小さな大地しか知らない彼らにとって、世界でこれから起ころうとしていることは、想像力の彼方にあるようだった。

 ある民家でのこと。ルウ子が玄関をノックすると、引き戸が開くや砲弾のような拳が飛んできた。近所の噂を聞きつけていたのだろう。バクはとっさにルウ子をかばった。そんなことが何度か続き、バクの顔は最終ラウンドでマットに沈んだボクサーのようになってしまった。

 それを見かねたのか、ルウ子は珍しく弱音を吐いた。

「バク……もう帰ろ」

 バクはニヤと紅白まだらの歯を見せた。

「戦争になったらこんなもんじゃすまないさ」

 それからすぐ、滝のように雨が降ってきた。

 結局、その日の活動はそこで終了。

 バクたちは港にとめてある〈シーメイド〉のキャビンで一夜をすごした。



 8月7日


 朝、雨が上がったのを機に、バクたちは活動を再開することにした。バイト先がくれた休みは二日間だけだ。全住民に説いてまわるのは当然無理である。だが、島民の性格上、口コミというのはバカにならない。たった一人からでも、全体を揺るがす連鎖反応が起きる可能性はある。

 身なりを整えたバクたちは、ヨットを下りて桟橋を歩いた。そして、埠頭に足を踏み入れようとしたときだった。

 どこからともなく人が集まってきて、三人の行く手を塞いだ。

 ルウ子は立ち止まると、微笑んだ。

「署名血判の件、興味を持っていただけたかしら?」

 地元衆は互いに顔を見あっている。

 誰が代表して答えるべきか、段取りができていないのだろう。

 ほどなく群衆の後方で動きがあった。どよめく扇が二つに裂けていき、その間を槍を手にした禿頭が突貫する。

 老人はルウ子に穂先を向けて叫んだ。

「出ていけ!」

 続いて竹刀を持った婦人が進み、上段にかまえる。

「島に本土なんかの災いを持ちこまないで!」

 ルウ子は山のごとく落ち着いていた。

「離島連盟が日本から独立したなんて、海外の連中は誰一人思っちゃいないわ。誰かがNEXAの暴挙を止めなければ、いずれこの国は滅ぶ。離島も例外じゃあない」

 老人は衆に言った。

「騙されるな! こいつらはな、海軍が出払った隙に島を乗っ取ろうとしているだけなのだ!」

「そうだ!」「海賊だ!」「殺し屋だ!」「要塞を造った意味を忘れるな!」

 地元衆は手持ちの農具や漁具をかかげ、ルウ子につめ寄った。

 ルウ子は一歩も引かない。

「どうすれば話を聞いてくれるワケ?」

「出ていけと言っとろうが!」

 老人が銀光をちらつかせると、ルウ子は笑った。

「いい歳こいて恥を知りなさい。そんなものがなければ、女一人とも話せないの?」

「だ、黙れ、本土者!」

 老人は女の喉もとめがけて槍を突き出した。

 ルウ子は老人を見据えている。

「くぬ!」

 老人は前足をざざとすべらせ踏ん張った。おそるおそる槍を引いていくと、女の喉もとからツツと赤い筋が流れた。

 ルウ子は老人を見据えている。

 老人は持ち手のふるえが止まらない。

「ワシらは……ワシらはただ静かに暮らしていたいだけなのだ。頼む!」

 老人は槍の握りを短くすると、穂先を自分の喉へ向けた。

「!」

 ルウ子はカッと目を剥き、拳を突き出した。

 間一髪……セーフ。

 ルウ子は槍を手放すと、力無く言った。

「今日は……帰るわ」



 8月23日


「ここに住み続けるのはかまわない。だが、他の島でトラブルを起こすことだけは勘弁してくれ」

 その日、宮根島の長はバクたちに対し、向こう一年間の原則渡島禁止を命じた。


 バクたちは雄島の事件の後にも二つの島を訪ねたのだが、すでに噂が伝わっているらしく、渡ったその日に限ってどの地区もゴーストタウンだった。まるで姿を見られたら石にされてしまう、といったあわてぶりで、人々は窓も玄関もすっかり閉め切ってしまうのだった。

 誤算だった。味方にするはずの島人たちから逆に疎まれ、肩身の狭い生活を強いられることになるとは。宮根島の人々が中立の立場を取ってくれなければ、バクたちの希望は完全に絶たれてしまうところだった。

 バクたちは宮根島に引きこもり、ニコからの情報を悶々と待たねばならない日々が続いた。



 9月3日


 調査団の派遣からひと月。

 離島連盟の姿勢は今後どうあるべきか。諸派の小競りあいだったものは、やがて三つの派に絞られていき、対立を強めていった。

 一つは、離島の独立を正式に宣言して、もはや日本ではないことを国際社会にアピールし、戦火を回避しようという、独立派。

 一つは、戦争などそう簡単に起きるわけがなく、余計なことはせず流れにまかせればよいとする、静観派。

 一つは、独立も静観も無駄であり、海軍をもってNEXAを討ち鎖国を解除せんとする、討伐派。

 前者二つが拮抗する多数派で、討伐派はバクら三人と大村をはじめとする一部の海軍関係者だけの小勢だった。

 離島連盟の足並みはそろわず、バクたちの訴えは通らず、時間だけがむなしくすぎていった。

 

 その日の夕暮れ。山麓の丸太小屋。

 台所の竈に火が入り、バクたちはせわしなく夕食の準備に取りかかっていた。

 バクが釜の蓋を閉め、湯の温度を上げようと薪を手にしたときだった。

 バクは薪を山へもどした。

「林に誰かいる」

「?」

 ルウ子は青菜を刻む包丁の手を止めた。

「島人の気配じゃない。気をつけろ」

 バクは壁にかかっていた手斧を取ると、勝手口の脇に身を寄せた。

 ルウ子は包丁を持ったまま、扉をはさんでバクの向かいに立った。

 蛍は壁に通してある細管に片目を近づけ、外の様子をうかがう。

「男が一人、木陰から出てきまし……あっ!?」

 蛍は手にしていたおたまを取り落とすと、膝をふるわせ、土間の上にへたりこんでしまった。

 バクは蛍に代わってのぞき穴から外を見た。

 男の姿はない。気配も消えてしまった。

「密偵かもしれない。捕まえて吐かせてやる」

 バクは勝手口から外に出た。

 正面、島の中心にすわる『宮根富士』の裾野に夕日が沈み行こうとしている。

 一歩踏み出すごとに、毛羽だった無数の黒い触手が迫ってくる。

 怖れることはない。夕暮れの疎林が影絵のように映っているだけだ。

 なだらかな上り坂を少し行くと、島人たちが御神木と呼ぶ古樹が近づいてきた。樹齢五百年はあろうかという巨木。その幹には注連縄が巻いてあり、縄には紙製の稲妻が数本下がっている。古くなったのか、そのうちの一本がちぎれて太い根の上に落ちていた。

 嫌な感じだ……。

 無数の羽音。

「!」

 バクは身がまえた。

 カラスの一族だった。

 しばらくそこで待ってみたが、怪しい気配を再び感じることはなかった。

 行ってしまったか……。

 バクふっと息をつき、夕日に背を向けた。

 そのとき、後ろでなにかが風を切った。

 半身で飛び退くと、手前の若木にナイフが突き刺さった。

「誰だ!」

 バクは神木を見上げた。

「雑魚のほうが釣れちまったか」

 神木の枝から人影が一つ舞い降りると、西日がその半顔を照らした。

 傲りと嗜虐に満ちた目。火柱のように尖った赤髪。

「シバ!」

「調査団をくり出したのはマズかったなァ、ボウズ」

 シバの唇が左上がりに歪んだ。

「ク……尾行つけられてたのか……」

「ところで、橋本ルウ子は殺し屋でも雇ったか?」

「いきなりなんだ」

「あの殺気……一瞬熊楠ヤツかと思ったぜ」シバは真顔で言った。「てっきりそいつがかかると思って退いてみたんだが……。まあいい。ウォーミングアップぐらいにはなってくれよ」

 シバは左右の五指をならした。

「ルウ子が目的か?」

 シバはちらと歯を見せた。

「バカを治すイイ薬がそろったンだとよ」

「!」

 それがなにを意味するか、バクにはすぐわかった。孫はルウ子を薬漬けにして忠実な操り人形とするか、あるいは電話番号を吐かせてから殺してしまうか、いずれにしてもアルをNEXAのものにするつもりなのだ。孫はあれほどの権力を手にしていながら、なぜ役立たずのアルにこだわるのか。訊きたいことは山ほどある。だがその前に……。

「一つ、あんたにたしかめたいことがある」

「ほう? 生意気だな」

 シバの頬に走る爪でかいたような傷痕。海で遭ったときはなかった。

「富谷を攻め落としたとき、警備隊長を処刑したのはあんたか?」

「あァ!?」シバは片目を細めた。「なんで島に籠もってる奴が、んなこと知ってんだ?」

「いいから答えろ。あんたなのか?」

シバは頬の傷痕を淫らな手つきでなぞると、笑った。

「イイ声で哭いてたぜェ」

「てめえ!」 

バクは手斧をかまえた。

「そうこなくっちゃな!」

 シバも短剣を抜いた。

 怒りにまかせてバクが突進すると、シバはそれを軽くいなした。

 バクはキッと向き直り、なおもがむしゃらに斧をふるった。

 シバは上体を左右や後ろに揺すってこれをかわす。

 勢いあまってバクの体が横に流れた。

 シバはすかさずバクの小手を狙った。

 バクはハッとした。斧の腹を盾に、かろうじてこれを受け止めた。

 形勢は逆転。シバは速射砲のごとく剣をくり出し、興奮から醒めたバクはひたすら受けにまわった。

 シバのスピードに慣れてきたバクは、いつ攻撃に転じるべきかと思案しはじめた。

 その矢先、シバの左手でなにかが光った……と思った次の瞬間。

「ウッ!?」

 バクは手斧を取り落とし、バランスを崩して尻餅をついていた。

 シバは機を逃さなかった。バクの上に馬乗りになると、喉もとに切っ先を突きつけた。

 バクはそこでようやく脚の痛みに気づいた。シバは手ぶらだった左手に、密かに二本の投げナイフを忍ばせていたのだ。一つは持ち手、もう一つは右脚を狙われた。

「さァてと、ショーのはじまりだ」

 シバはバクの太腿に刺さっているナイフの柄を、ぐいと横にひねった。

「うああああああ!」

「イイー声だァ」

 シバはオペラの聴衆のようにうっとりしている。

 我に返ったシバは次の出し物にかかった。バクの左手を捕まえると、短剣で甲から串刺しに……。

「!」

 シバはなかばで手を止め、ギロリと目を流した。

 包丁を携えたルウ子と蛍が、シバに迫ろうとしていたのだ。

「ラストの噴水ショーには間にあったみてえ……」言いかけたところで、シバの顔から狂気じみた笑みが消えた。「なんだテメェは?」

 シバの威にも、蛍は歩みを止めようとしない。 

「よくも……お父さんとお母さんを……」

 あの温厚そうな蛍は見る影もなかった。その形相はまるで、激しい離脱症状にあえぐ薬物依存者のようだ。

「なんの話だ?」

「ゆ、許さない……」

「ああ、あんときの娘か」シバは卑猥な目つきで舌なめずりした。「そこの魔女さえ来なけりゃ、俺様のもんだったのによ」

「こんな日が来るのをずっと待ちこがれてた」

「あの夜の続きをしてもらえる日をか?」

「……」

 蛍は黙って一歩進める。

「このガキは許してやってもいいンだぜ?」

 シバは左手でCの字を作ると、その中に切っ先を二度三度と挿入した。

 蛍はそれでも止まらない。秘めていた怨念にその体を乗っ取られてしまったか、肩を左右に揺すり、呼気をふるわせ、開ききった瞳孔で、ひたすら仇の男だけを見据えている。

「こ、殺してやる……」

 蛍はついに必殺の間合いに入った。

「そうかい。誰も死なずにすんだのによ」

 シバは蛍の手首めがけてびゅっと剣をふり上げた。

 手練れの素早い迎撃に蛍は反応できない。

 蛍の手首が飛ぶ寸前……。

「!?」

 シバの手が動かなくなった。

 バクが上半身をぐっと起こし、シバの腕をつかんでいたのだ。

 バクは苦しげに片目を閉じ、かすれた声で言った。

「あんたの相手はこっち……だぜ」

わりぃ悪ぃ、忘れてたぜ」

 バクの太腿で再び肉が裂ける音。

「ぐがあああああ!」

「バク!」

 ルウ子の絶叫。

「はわっ!?」

 正気にもどった蛍はよたよた後ずさり、腰から砕けた。

 バクは痛みのあまり、思わず本音をもらした。

「ク、クソ、早く沈みやがれ……」

「沈む? なにがだ?」

 シバは切っ先をバクの喉もとに返した。

「太陽さ」

「太陽?」シバは山に目をやった。「とっくに沈んでるじゃねえか」

 夕日はすでに山の向こうに隠れているが、空はまだ明るさを残している。

「あと少し……もう少し……」

「?」

 顔をしかめるシバ。

 一番星がチカと光った。

「俺の時間だ」

 バクはカッと目を見開くと、跳ね起きる勢いでシバを吹っ飛ばした。

「な!? その脚、まともに立てるワケは……」

 シバは狼狽えつつも、すぐに立ち上がって剣をかまえた。

 バクは静かに宣告した。

「あんたの負けだ」

 シバは片目で笑った。

「聞いたことあるぜ。稀にだが、地下賊ン中に闇のチカラが異常発達したガキが生まれるってな」

「蛍の両親、そしてミーヤの仇」

 バクは太腿に刺さっていたナイフを引き抜いた。

「チッ……プライベートタイムはここまでか」

 シバがすっと手を挙げると、木陰から一人また一人と戦闘服の男が現れた。

「条件はフェアじゃねえとな」

 シバは神木の枝へ跳び、二十人の傭兵軍団と素早く入れ替わった。

 一人高みの見物というわけだ。

「二人とも下がってろ!」

 バクは右脚が壊れていることも忘れ、ナイフ片手に男どもの中へ飛びこんでいった。



 9月6日


 バクはうっすらと目を開けた。

 そこは丸太小屋のいつもの寝床だった。

 小鳥のさえずり。朝日が目を突く。

「あれ……俺……」

 バクは体を起こそうとしたが、すぐに右脚を押さえて悶絶した。

 シバに刺された場所が包帯でふくれている。

「ったく、無茶するわ。まる二日も寝こんでたのよ」

 傍らにいたルウ子は、絞った手ぬぐいをバクの腫れ上がった瞼に押しつけた。

 バクはそのまま口を開いた。

「俺……」

「うん?」

「はじめて人を殺した……いや、厳密には二度目か」

「そう」

「あんな奴らでも、気持ちのいいもんじゃないな」

 ルウ子はクスと笑った。

「あんたはまだ、免停にならずにすみそうね」

「メンテイ?」

「人間の普通免許よ」

「フ……そんなんじゃ笑えねえよ」

 そう言いながらもバクの口もとは緩んでいた。

 あの晩の記憶が曖昧だ。最後の一人を倒したところから先が、どうしても思い出せない。

 バクは訊いた。

「シバは?」

「逃げたわ。部下を見捨てて」

「そうか……」

 バクは再び眠りに落ちた。

 ブーン! ブーン!

 ルウ子の懐で、アルがしゃべらせろと体をふるわせている。

 ルウ子は蛍を連れて小屋の外に出た。


 ルウ子はケータイを開いた。

「なによ」

 アルは上目遣いで言った。

「それがその……電話だよ」

「電話? 誰から?」

「出ればわかるよ」

 アルは自分の姿を消した。

 スーツ姿の男の半身はんしんが映った。細筆で引いた傍線のような目がさらに細まる。いつものメガネはない。

『お久しぶりですね。元気そうでなによりだ』

「孫」ルウ子はため息をついた。「あんたはもう少し利口な男だと思ってたわ」

『その物言い……どうやらこちらの情報がもれているようですね』

「!」

 ルウ子はしまったという顔で舌打ちした。

『フフ……そんなに気にしなくてもいいですよ。これからはむしろ知って頂きたいくらいだ』

「たいした自惚れっぷりね」

『それにしても、シバ君率いる精鋭がたった一人の青年にやられてしまうとは……。彼の能力を見落としていたことには、少しだけ後悔してますよ』

「そうまでしてアルを欲しがる理由はなんなの? 太陽光しか扱えないアルに、決死隊を送るほどの価値があるとは思えないわ」

『ところがあるんですよ。今日明日のことしか見えていないあなた方では、一生導き出せない発想でしょうけどね』

「で、お次はどうするわけ? 海兵隊を満載した艦隊でもよこす?」

『まさか。近海の王者を敵にまわすつもりなど毛頭ありませんよ。離島海軍かれらにはこれからも日本の海を守ってもらわねば』

 ルウ子は不敵な笑みを浮かべた。

「あたしに時間をあたえたら、後悔することになるわよ」

 孫も微笑んだ。

『それはお互い様でしょう?』

「フン!」

 ルウ子はそっぽを向いた。

『そんな顔しないでください。あなたがそこに閉じこもっている限り、私には短い栄光はあっても勝利はない。いや、地上の誰にとっても勝利はないのです』

「どういうこと?」

 孫はその理由わけを語った。

『発電の大黒柱だった国内の石炭はいずれ尽きる。それにともない、科学頼みだった国力も先細っていくでしょう。再び飢餓の底に落ちた国民は、わが国の資源の少なさを改めて痛感し、私の首を差し出して世界に救いを求める。そうなればニコをめぐり、一介の島国を脅すつもりで整えていた各国の軍備が、別の目的で行使されることになる。今度こそ第三次大戦のはじまりです』

 ルウ子は不服そうに言った。

「ニコを分かちあうって発想にはならない?」

『あなたは人間というものをなにもわかっていない。私的な欲望を抑えられるのはほんの一握りの聖人だけです。パワーショックの襲来によって世界のつながりは希薄となり、国連は事実上消滅した。そんな今、発電の全権が集中したユニット……マスター・ブレイカーをいったいどこで誰が管理するというのです』

「だとすれば、人類の運命はもう決まったようなもんじゃない」

『まだですよ。あなたが私に従っていただけるのなら、最悪のケースは回避できます。わが国が圧倒的な科学力を維持できるうちは、誰も手出しはしない』

「アルには、それを長く叶え続けるだけの秘めた力があると?」

『あります』

「大陸でつながってる国々も、ある程度の資源や相互援助があるってだけで、決して豊かになったわけじゃない。仮にあんたの話が正しいとして、アルを手にした後、他の国の不便や貧困はどうするのよ」

『知りません』

「は?」

『かつて彼らもそう答えましたよ。痩せこけた我々使節に向かってね』

 ルウ子は激しくかぶりをふった。

「くだらないわ」

『私もそう思います』

 孫は笑顔で言い放った。

「……」

 ルウ子はなにか言い返そうと口を開きかけたが、出てきたのはため息だった。「ま、島に引きこもってても、ロクなことにならないのはたしかなようね」

『従って、いただけますね?』

「……」

 ルウ子は答えず、空を見上げた。

 まぶしげに浮き雲を見つめていたかと思うと、登頂に失敗したばかりの冒険家のような顔になり、成果がなかったわけではないと慰める友人の顔になり、表情を消すと、キッと眉を逆立てて微笑んだ。

「一つだけ作戦が浮かんだわ。結果の是非はわかんないけど、あんたのよりは全然マシよ」

『ほう、それは?』

「……」

 ルウ子は肩をすくめるだけだ。

『それを成就するためには、私を倒す必要があるのですね?』

「そのようね」

 孫は寂しげに微笑んだ。

『そうですか……。では、せめて良い舞台をご用意しましょう』

「信用の証しは?」

『この失った左腕に誓って』

 孫は右手でそこに触れた。

「いいわ。鼻クソでもほじりながら待ってなさい」

 ルウ子は孫の招待に応じた。

 孫は現代最強の武装を脇に置き、ルウ子と対等の勝負をしようというのだ。

 二人の打ちあいを見守っていた蛍は不安でならなかった。

 孫は本当に約束を守るだろうか?

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