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第二章 富谷コミュニティー

 11月3日


「……ハッ!?」

 バクは三秒だけ記憶が飛んだ。

 富谷関の警備は睡魔ばかりが襲ってくる。動かない景色と睨めっこしてなにがおもしろいというのか。

 提頂にはバクの他に兵士が九人いる。その誰もがあくび一つせず、頬を紅潮させつつ下界を見張っている。なぜなら、そこに例の迷彩女……高森昭乃たかもりあきのが見まわりに来ているからだ。彼女が隊長だからということもあるが、もう一つの『理由』のほうが彼らにとって重要らしい。

 バクが磔にされている間、村の有力者たちによる裁きがあった。本来、富谷において食料窃盗犯は極刑なのだが、唯一の目撃者である昭乃の計らいでバクは死を免れ、彼女の下に就くことになった。

 昭乃は二十五歳。富谷コミュニティー防衛の全権を握る、若き警備隊長だ。自給自足社会である富谷では、なにをおいても農畜業に人手を割かねばならず、警備隊は慢性的に人員不足だった。賊の者を村に入れるなど前代未聞のことだったが、昭乃はバクの才を惜しんで長老たちに嘆願したのだった。

 バクは命を助けられた恩と、仲間の貧窮との板ばさみとなった。しばらくは従ったフリをして、富谷の食料をこっそり流すことはできないか。そんな虫のいいことを考えていた。 

 バクは双眼鏡から目を離すと、おかまいなしに大あくびした。

「こんな高い絶壁、誰が上ってくるっていうんだよ。見張りなら二人も置けば充分だろ?」

 昭乃は言った。

「おまえは上ろうとした。ちがうか?」

「すぐに諦めたよ」

「そう判断させた理由はなんだ?」

「数、だけどさ……」

「弓や刀をふるうだけが兵士の役目ではない。血を流さずにすめばそれでいいのだ」

「……」

 バクは不満げに口を尖らせた。

「わかったのなら、もっと仕事に集中しろ」

 昭乃はその長い脚で、バクの尻を蹴り上げた。

「!」

 バクはあまりの痛さに跳び上がった。

 先日、格闘術の訓練でバクは昭乃と正式に手合わせした。結果は惨憺たるもの。プロレス流の力比べでは指を折られそうになり、柔術では絞め落とされて失禁、ムエタイではキック用のサンドバックにされた(尻の負傷はそのときのものだ)。ついでに習った弓術の模範演技では、百メートル先の的に連続ピンホールショット。まるで戦うために生まれてきたような女だ。

 昭乃はここ富谷で生まれ育った。小さな頃はひ弱な少女だったが、道場で体を鍛えるようになると、兄弟子たちをごぼう抜きにして、十代のうちに師範代まで上りつめた。現在、道場の師範は昭乃である。道場を開いた彼女の師は、ある事件がきっかけで失踪したらしいのだが、村人は詳しく語ろうとはしなかった。彼らにとってバクはまだ昭乃の弟子ではなく、賊上がりの少年でしかなかった。

 午後三時の鐘(廃寺の鐘を拝借している)がなった。

 交代の時間。これで今日の仕事は終わりだ。

「やーれやれ」

 バクが大きくのびをしながらその場を離れようとすると、昭乃の手がバクの襟首をつかんだ。

「おまえはここで特別授業だ」

 昭乃は見張るべき峡谷とは反対側、富谷の慎ましくも豊かな田畑や、その先に広がる薄黄葉色の山海を指した。

 バクはそばにあった木箱に腰かけた。

「またその話かよ」

「なにを言ってる。初等の子供らと一緒に受けるのが嫌だというから、こうして貴重な時間を割いてやっているんだぞ」

 バクの富谷における教養レベルは七歳児以下だった。自然と共生することが人間にとっていかに大切か、などと言われてもさっぱりわからない。

「俗っぽい話の一つくらい、ないのかよ」

「なら、今日は趣向を変えて、現代史にしよう」昭乃は小さくせき払いした。「さて、今から二十八年前、原因不明の電気消失事件が起こった。いわゆるパワーショックのことだ。それまで人々の生活を支えてきた電化文明や自動車文明は一夜にして崩壊した。その後の過酷な食糧難の末に起こった秩序なき暴動……俗に言う『飢餓闘争』のことだが、それによって旧政府が倒れると、日本人は四つの種族に分かれた。一つは我々のようなコミュニティー、一つは離島連盟、一つは賊、そして人口の九割以上を占める一般市民だ。電気を失った人々は、それまでの消費社会を反省し、かつてのように自然とともに生きる道へ還っていくと思われた。

 ところがだ。正しい道を選んだのはコミュニティーと離島連盟だけだった。大多数の国民は、豊かだった時代をいつまでも懐かしみ、光に満ちあふれていた当時の物語を語り継いで、親子ともども電気の復活を信じてやまない。彼らは新政府による欠陥だらけの配給制度にすがりつき、どうにか今日まで生きのびてきたというが、地域によっては配給が滞り、餓死者は十万とも百万とも言われている」

「ふーん」

 バクは一応は話を聞いている、という返事をした。

「それでも、私はこのまま電気のない世界であってくれればいいと思う。少々不便かもしれないが、長い目で見れば、より多くの人々に平和をもたらすはずなのだ」

「じゃあ、今まさに飢餓の淵で苦しんでる多くの市民は放っといていいのかよ。できることなら電気が復活してくれたほうがいいんじゃないのか?」

「人類は自らを育んでくれた自然を破壊していった。パワーショックはその報いだと我々は考えている。その大罪を償おうともせず、電気を復活させようというのなら、私が身をもってそれを阻止する!」

「何万人が餓死しようが疫病にかかろうが、あんたらには関係ないわけだ」

「自業自得だ」

「それってさ、あんたらの嫌いな賊となにも変わらないぜ?」

「なんだと?」

「結局、自分のことしか考えてないのさ。賊は仲間が食っていければそれでいい。市民が腹ぺこでのたうちまわろうと知ったこっちゃない。あんたらだって同じだろう。富谷を残してこの国が滅んでもなんとも思わない。俺たちと同じ、獣だよ。クッ!?」

 昭乃はバクの胸ぐらをつかみ上げた。

「それ以上言ったら……」

「殺すかい?」バクは息苦しさに顔を歪めつつも笑ってみせた。「なら、あんたは獣以下だ」

「……」

「そんなに怒るなよ。もしパワーショックが本当に人類への罰なら、あんたの望み通り、要らない人間の屍がいい肥やしになる世界になっていくさ」

 昭乃は手を放し、低く言った。

「宿舎に帰れ」


 翌日、バクは警備隊から外され、しばらく田畑で働くことになった。 



 11月11日


「どうだい坊主。百姓も悪かぁないだろう?」

 真っ黒に日焼けした老農夫が大根の収穫に取りかかっている。

 バクは大根の茎に手をかけた。要領が悪いのか、なかなか抜けない。

「強制労働じゃなければな」

 バクは苦笑いを返した。

 バクは昭乃の命令でこの老人の助手となった。農作業というのは無駄な動きを極力減らさないと、思いのほか体力を消耗する。長期の栄養不足でスタミナのなかったバクは早々に根を上げた。宿舎に帰って夕食をすませると、あとはもう寝ることしかできなかった。だが、食欲が満たされる喜びを考えたら、どんなに疲れていても翌日は自然と体が動いた。アジトの仲間にはとても見せられない恥ずかしい野良着も、三食がそろっていることに比べたらなんとも思わなくなってきた。人間、飢えたときにはどんな誇りも捨ててしまうらしい。食うためなら盗賊もやるが、百姓にだってなれる。配給をもらうだけなんて半端な態度だ。今は誰もが飢えている時代なのだから、皆が畑や海に出るようになれば少しは満たされるのではないか、そんな発想が浮かんだ。

「なあ、爺さん」

「ん?」

「この国をぜんぶ富谷のようにできたとしたら、飢えも争いもなくなるかな?」

 老人はカカと笑った。

「それができりゃおめえ、人間はこんなに苦労しねえって。協力しなけりゃ死ぬしかねえ。そこまで追いつめられてやっと、すべての『一人』が全員のために動く……それが人間ってやつよ」

「……」

 バクの脳裏に、アジトの老司書が語った小説のイメージが浮かんだ。

 イジメ軍団に抗う少女たちの話。大国に屈しなかった小国の話。宇宙人に侵略された地球人の話。実話もあればSFもあるが共通しているのは、一つまちがえば死、というところまで追いつめられて、ようやく皆が己を捨てて手を結びあうところだった。

「それにな、オイラたちのような生活を実践するにゃ、この国は土地が全然足りねえんだ。富谷の人口、知ってっか?」

 バクはうなずいた。

「二千……たった二千でこんなに広い土地が必要だってのか?」

 土地の名前こそ『富谷』だが、小さな盆地といってもいいほど利用できそうな平地は多い。住むだけなら今の十倍の人数は収容できるはずだ。

「自然に負担をかけず、ともに生きる。ってのがここでの流儀だからよ。そうなると、そこに平地があるからって、むやみに耕すわけにはいかねえのよ」

「そっか……」

 富谷のやり方では、この国の人口を支えることなど到底できそうにない。

 バクは大根の茎に手をかけた。要領が悪いのか、なかなか抜けない。



 2045年2月9日


 バクが富谷にやってきてから、五ヶ月がすぎた。 

 バクは富谷関の堤上でふるえていた。真冬の地下もそれなりに寒かったが、そこが常春の楽園に思えるほど、乾いた北風が吹きさらすコンクリートの上は冷える。

 ここのところインフルエンザが流行っており、警備兵に欠員が多く出た。そこで、バクが臨時で駆り出されることになったというわけだ。

 昭乃は白い息を吐くだけで、身じろぎ一つせず監視を続けている。

 バクは人影一つない峡谷を見つめながらつぶやいた。

「女はいいよな。コートを余分に一枚着てるようなもんだ」

「なにが言いたい」

 昭乃は下界を見つめたまま言った。

「その体脂肪、俺によこせよ」

 バクは昭乃のわずかな腹の肉をつまんでやろうと、片手を差し出した。

 すかさず昭乃は手刀をふり下ろす。

 バクはさっと手を返してそれを受け止める。思わず笑みがこぼれた。

 昭乃は鼻をならした。

「フン、少しはやるようになったな」

 バクは農夫となってからも昭乃の道場には通っていた。この間の暴言を根に持っているのか、昭乃はバクを直接指導することはなかったが、道場をうろついていても追い出すことはしなかった。バクは昭乃の技を盗むべく目を凝らすのと同時に、耳も凝らしていた。

 昭乃はときどき、歯がゆい胸の内を友人たちに明かしていた。殻に閉じこもらなければ維持できない、ひ弱な社会の発想では、この腐りかけた世の中は変わらない。なんとかしたい気持ちはあるのだが、自分の立場ではこれ以上どうすることもできない、と。

「なんだ、またおまえか!」

 そばにいた兵士の大声に耳を打たれ、バクは記憶の海底から浮上した。

 左右の兵たちの矢尻がそろって下界を向いている。

 何事かと欄干から身を乗り出すと、バクは堤下の川辺に痩せこけた少女を認めた。

 それまで死人のようだった少女の瞳に光がもどっていく。

「バク!」

「ミーヤ!? ミーヤなのか?」

 ミーヤは胸に両手を重ねて吐息をついた。

「よかった……元気そうで……」 

 バクはミーヤの哀れな姿から目が離せなかった。

 糠床で暮らしていたのかと見紛うほど汚れきったコート。フードの下からのぞいたかつての幼顔は今や、棺の中で千年の時をすごした生け贄のようだ。いったいアジトでなにがあったというのか。

 バクは富谷で暮らすようになって以来、小さな無理を積み重ねてきていた。昭乃の監視からは逃れられないと知り、残してきた仲間への憂いを意識の地底に溜めこんでいたのだ。

 煮えたぎった地底の湖水は洞穴を埋め尽くし、ついに地上へ噴き上げた。

 バクは無断で壁のタラップを降りていった。

「待て!」

 弓兵たちは狙いをバクに変えた。

 昭乃はそれを片手で制す。

「私が行く」

 谷底に降り立ったバクがミーヤと互いに駆け寄ろうとしたとき、二人の間に昭乃が立ちはだかった。

 バクは今降りてきたばかりの壁を呆然と見上げた。

 わずかな取っかかりしかない三十メートルの絶壁を、あいつは足一つで駆け下りたっていうのか?

 バクは気を取り直し、短剣の柄に手をかけた。

「また、と言ったな。どういうことだ」 

 昭乃はそれに答えず、ミーヤに言った。

「何度来ても無駄と言ったはずだ。バクはもう富谷の人間なのだからな」

 ミーヤは昭乃を睨め上げた。

「本気でそう思ってるの?」

「本気かどうかは問題ではない。我々の機密を知った者が誰の許しもなく村を出ることは、人生の終わりを意味する」

「なら、許可をくれ」バクは短剣を抜くと、切っ先を昭乃に向けた。「恩を忘れたわけじゃない。ただ、俺は……やっぱり……家族同然の仲間を見捨てることはできない。ここで暮らすあんたなら、俺の気持ちがわかるはずだ」

「今すぐ私とともに帰るなら、今日のことは不問にしよう。だが、掟に背くというのなら、私はおまえを裁かねばならない」

 昭乃は短剣を抜いた。

 闘神の化身のような女と、まともにやりあうのはバカげている。

 バクは剣を下ろすと、頭をたれた。

「わかったよ。俺はここに残ってもいい」

「バク!」

 ミーヤの叫び。

「その代わり、ほんの少しだけでいい。アジトの仲間に食料を分けてやってくれないか」

 昭乃は言った。

「私にそのような権限などない。仮に私が富谷の長だったとしても、賊になにかを施してやる理由など一つもない」

「助けてくれたっていいだろ? 同じ人間じゃないか!」

「都合のいいときだけ同族意識を持ち出すな。地上の市民を動物並に見なしていた、おまえの言えたことか!」

「クッ……」

 悔しいが反論できない。そうなのだ。カラスが鷹を説得しようとしても無駄なのだ。これで腹は決まった。

バクは昭乃が目を離した隙に、そっと目配せした。

 ミーヤは前髪の先にすっと手をやる。

 バクは持っていた剣をしばらく見つめ、やがて昭乃の足もとへ放り投げた。

「それでいい」

 昭乃が目もとの険を解き、刃を収めようとしたそのとき。

「む!?」

 昭乃は剣を取り落とし、力無く片膝を地につけると、その体勢のまま動かなくなった。

「クスリ、効いたみたいだね」

 ミーヤは結んでいた手を開いて種を明かした。

 先端を折った小さな褐色アンプルの底。わずかに残った液体。

 風下にいた昭乃は、揮発性の毒を気づかぬうちに吸ってしまったのだ。手の内を心得ているバクは息を止めていた。

 もともとは医者の百草が開発した『薬』なのだが、濃度が高いと『毒』になる。彼には内緒で外部の者に作らせた、二人の切り札だった。

 バクは剣を拾うと、苦悶する昭乃を見下ろした。

「もしもこの世界が、富谷だけだったらよかったのにな。世話になった」

 バクとミーヤは川沿いの雑草道を駆けていった。



 2月12日


「追っ手の気配がなくなった。諦めたか?」

 バクはブルーシートのすき間を塞いだ。口にしていた干し肉を引きちぎり、切れ端をミーヤに差し出す。

「……」

 床で膝を抱えるミーヤは、首を小さく横にふった。

 バクたちは三日間の逃避行の末、ある捨てられた町の廃工場に忍びこむと、崩落した屋根の下にできたわずかな空間に身をすべらせて一夜を明かした。この食肉工場はずいぶん前に略奪に遭ったようだが、運よく二人の腹を数回満たすだけの干物が残っていた。

 助かったという確信はあるにはあるのだが、バクにはどうしても腑に落ちないことがあった。逃げ切った、というより、逃がしてくれた、という気がしてならないのだ。掟や規律に厳格な連中にしては執念が足りない。

 と、ここである一つの可能性を思い描いた。

「フフ……まさかな」

 バクは尻の古傷をさすった。

 それはともかく、ミーヤには感謝するしかない。

 バクの右腕として常に傍らにいたミーヤ。彼女と離ればなれになったのは、知りあって以来、まったくはじめてのことだった。再会したばかりのときは必死でなにもわからなかったが、こうして落ち着きを取りもどしてみると、どういうわけか気恥ずかくてしかたがない。

「その……久々の割にはいい連携だったな」

「うん」

 ミーヤはそう答えたものの、目は虚ろだ。

「あ、あの、なんていうか、その……」

 バクは顔を赤らめ、口ごもった。

「うん?」

 ミーヤはバクを見上げた。

「迷惑かけちまったな」

「ううん」ミーヤは微笑んだ。「生きててくれて……ほんとによかった」

 生きててくれて……その物言いが妙に引っかかった。

「アジトでなんかあったのか?」

「……」

 ミーヤは激しくかぶりをふるだけだ。

「ミーヤ……」

 バクはミーヤの傍らにすわると、そっと肩を抱いた。

 するとミーヤは堰を切ったようにわっと泣き出し、バクの胸に顔をうずめた。

 バクはおさげ髪をなでながら、ひたすら待つだけだった。

 言葉は要らない。ミーヤもそれをわかっている。仲間が死んだときはいつもこうしていた。

 しばらくしてミーヤはふと顔を上げ、ときおり鼻汁をすすりながら、ショックで混乱した記憶を一つ一つ整理するように語っていった。

 それは去年の暮れのことだった。

「新政府がね、治安対策として武警に地下賊掃討作戦を指示したの。武警は見せしめとして、まずあたしたちのアジトを選んだ。血に飢えた狂犬どもは、ここぞとばかりにアジトの入口に大挙してきた。あたしたちは明かりをぜんぶ消して地底に立て籠もった。武警は暗闇からの反撃に為す術なく、早々に撤退していった。あたしたちは勝利の美酒に酔いしれた。でも……」

 ミーヤはうつむいた。

「でも?」

「それから数日もしないうちに、アジトの仲間は全滅してしまった」

「な……」

 バクはそれしか言えなかった。

「武警が送りこんだスパイが地底で火をおこしたの。煙でいぶり出された仲間たちは一人また一人と矢の雨を浴びていった。せっかく元気になったニッキの背中にも……」

 ミーヤは両手で顔を覆った。

 バクはミーヤの昂ぶりが引くのを待ってから訊いた。

「ミーヤは……なんで助かった?」

 ミーヤは顔を上げた。

「あたしはその日、武器と食料を交換するために、別のアジトに出かけていた。帰ってきたときはもう、武警の奴らがみんなの遺体をどこかへ運び出そうとしているところだった。それを見つけたあたしは逆上して、一番近くの男に斬りつけようとした」

「……」

 バクは生唾を飲んだ。

 相手はプロだ。叶うはずがない。

「それを、百草先生が引きとめてくれた」

「先生が?」

「先生は無医アジトへ往診に行ってて、あたしより一足早く帰ってきたところだったの。先生は興奮するあたしを粘り強く説得して、一緒にそこから逃げ出した。逃亡の途中、あたしがどうしてもって催促すると、先生は目撃した虐殺の一部始終を語ってくれた。なかでも黒ずくめの男の話は……」

 ミーヤはそこで言葉を切り、牛の生き血をはじめて口にする人のような顔をした。

「……」

「たしか、先生はこう言ってた。あの男の行動は常軌を逸していた。武装した者には目もくれず、無抵抗の子供ばかりを狙っていた。子供をしとめたときの男の顔は狂喜に歪んでいた。冷酷非情な武警の連中もさすがにそれには引いていた。気に入った子供は生かして奴隷にすることも妾にすることもできたはずだ。なにも皆殺しにすることはないだろう、と」

 人権のない賊は国民の頭数に入っていない。武警が賊を退治してくれるなら、市民は願ったり叶ったりなのだ。だが、武警も人の子。幼い子供を無差別に虐殺することには、さすがに抵抗があるようだった。

「その後は?」

「あたしと先生は、それから蒸気船に乗って木更塚まで逃れた。栄養不足が足に祟った先生は、これ以上遠くへは行けないと言って、橋の下のバラック街に入っていった。医者を続けるって。あたしは年越しを機にそこで先生と別れ、一人で富谷を訪ねることにした」

 復興著しい都市の裏では悲惨な現実があった。木更塚の郊外には、二十年以上も前の台風や震災ですべてを失ったまま、未だにまともな住居を得られない不幸な人々が大勢いたのだ。新政府は配給問題の対応に手一杯で、この事実を看過していた。

 ミーヤは微笑んだ。

「十回目から先はもうわからなくなっちゃったけど、諦めなくてほんとによかった」

 ミーヤがその間どうやって飢えをしのいだのか、バクはあえて訊かなかった。微妙な年頃の女の子に、冬眠する獣や樹皮や草の根……毒でないものならなんでも口にした、などとは言わせたくなかった。

 ミーヤの話を聞き終えたバクは、かける言葉を探せないでいた。

 生きていてくれて本当によかった。そう言いたいのはこっちのほうだ。一人ぼっちの野宿でどれほど寂しい思いをしてきたのか、想像しただけで目頭が熱くなった。とにかく再会できてよかったと、ここは笑顔を見せてやるべきなのだが……。

 バクが固い顔を崩せずにいると、ミーヤはいつにない笑顔を見せた。

「あたしはもう大丈夫だよ」

 たまらなくなった。

「ミーヤ!」

 バクはミーヤをがばと抱きしめた。

「バク?」

 ミーヤはバクのなすがままだ。

「はじめて会った日のこと、覚えてるか?」

「うん」

 バクとミーヤともに孤児だった。バクは生まれながらの地下人だが、ミーヤは地上の生まれだ。

 数年前のある日、バクはビルの崩落事故で瓦礫の下敷きとなっていた少女を助け出した。少女は奇跡的にかすり傷だけですんだが、ショックで記憶のほうを失っていた。少女は事故より前のことをほとんど覚えていなかった。両親が自らを犠牲にして守ってくれたことさえ、彼女は知らない。

「絶対おまえを一人にはさせない。俺はたしかそう言った」

「……」

「俺は……嘘つきだ」

「バクのせいじゃないよ」

 ミーヤはバクの背中に腕をまわした。

「ミーヤ……」

 バクはミーヤを放すと、うつむいた。

「うん?」

「なぜこんなことになっちまった」

「……」

「なにがいけない! 誰のせいだ!」

「世の中は複雑すぎて……誰か一人だけを責めることなんてできないよ」

「いや……ちょっと待てよ」

「?」

 神々の裁きか悪戯か、それとも何者かの陰謀か、それはわからないが、かつて人々を決定的に支配していた『なにか』が失われたせいではなかったか? ある日を境に、それは突然なくなったというが、手品じゃあるまいし、たしかにそこに在ったものが突然無に帰すなんてバカげている。正解はどこかにある。それを覆う布を、今までの知恵では取り除けないだけだ。正解には至らないまでも、努力を続けている者はいるはずだ。そんな奴に一度どこかで会ったような気が……。

 悶々と考えているバクを見かねたのか、ミーヤが声をかけた。

「どうしたの?」

「NEXAだ!」

 バクはバッと立ち上がると、ミーヤの手を引っつかんで外へ駆け出した。

「え? あ、ちょっと! バク!?」

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