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エピローグ

 2057年5月6日

 

 ルウ子と蛍が、バクたちのもとを去って六年と半年。

 バクは二十九、ミーヤは二十七となった。

 田之崎村の周囲にそびえる高い石垣。のどかな山村の風景はすっかり殺伐とした要塞に変わっていた。

 孫と和藤の死後、大黒柱を失ったNEXAは一年もたたずに解体となった。NEXAとの癒着を深めていた新政府の権威も完全に失墜。中央政府に見切りをつけた地方はそれぞれ独自に政治を行うようになり、事実上、日本は四十七にも及ぶ小さな国々に分かれてしまった。

 年を追うごとに偏りが増す天候。豊作凶作の年差や地域差は広がる一方だった。飢えが生じた地域の周辺には、必ずといっていいほど争いがあった。

 国境に近い田之崎村は狙われるほうの立場だった。


 その日もバクとミーヤは矢倉に立ち、石垣の周囲を監視していた。

 山賊なのか隣国の斥候なのか、怪しい人影が森の木陰にちらほらと見える。

 東北の龍虎将軍と恐れられている、熊楠夫妻の目の黒いうちはまだいい。だがこの先、田之崎がいつまで持ちこたえられるか、わかったものではない。

 バクは双眼鏡から目を離すと、言った。

「まるで戦国時代だな」

 半年に一度くらいは同じことを口にしている。わかりきったことなのだが、言わずにいられないのだ。 

 ミーヤは言った。

「それでも、ニコと契約しなかったのは正解だったと思う」

「そりゃあ、そうだけどさ……」

 大きな力を扱うにはそれに釣りあう抑制が必要だが、人の心の進化は科学の発展ほど早くはない。ミーヤの言葉が道理なのはわかるが、それでもバクは浅はかな望みを捨てきれなかった。人々が努力を惜しまなければ、人が飢えず破壊もない社会だって作れないはずはないと、心の底では信じていた。

 それはそうとルウ子だ。六年以上も音沙汰なしとは、彼女にしてはあまりに大人しすぎる。手紙にあった『死に満ちた世界』とはいったいどこを指しているのか。孫の最後のメッセージを解読してそこへ渡ったのだろうが……。

 矢倉の下から昭乃の声がしたので、バクは地面を見下ろした。

 昭乃はリハビリを半年前に終え、有事に備えて日々武芸に励んでいた。もう一つの大事なことにも励んだらどうかと、昭乃は村人によく冷やかされるのだが、「子供に武器を持たせたくはない」の一点張りだった。

「タチから便りがあった。『チーム地球』の協力を得て、このたび統京に新たな政府が立つそうだ。先週、日本の四十七国の代表が集まり、国家統一を宣言した。戦国の世は終わりだ。首相も内閣もすでに決まっている」  

「政府ったって、どうせまた綱渡りの半軍事政権だろ?」

「いや、今度のは案外しっかりしているようだ」

「ふーん」バクは一応は信じてやるという顔をした。「で、チーム地球ってなんだ?」

「さあな」

「さあな……って、どんな組織かくらい書いてあったんだろ?」

 なにを思い出したのか、昭乃は額にびきっと青筋を立てると、いきなり怒鳴りだした。

「ともかく、百聞は一見にしかずだ! 来月、統京で世界同時中継による重大発表がある。おまえたち二人には、村を代表してそれを見てきてもらう」

「は? 中継? 発表?」

「たしかに伝えたからな!」

 昭乃はどすどすと地響きをたてながら去っていった。

 喜ばしい一報だというのに、いったいなにが気に入らないというのか。

 わからずじまいのまま、月日は流れた。



 6月3日


「ナントカビジョンっていうのは……あれか?」

 バクは新統京タワーの中腹、大展望台の壁面を独占する大きな平板を指した。

「東西南北に同じものが一つずつあるよ」

 ミーヤは『統一政府』が発行したパンフレットを見ていた。

 日はすっかり西に傾き、コンクリートの林を琥珀色に染めていた。

 集合時間は日没後とあり、バクたちはそれにあわせてタワー下へやってきたのだった。

 タワー以外の旧NEXA施設群はすべて解体撤去され、そのスペースは広々とした公園になっていた。そこにはバクたちと同様、緊急中継の知らせを受けた地域の代表者たちが続々と集まってきていた。公園はタワーを中心としてすり鉢状の階段が広がる、太古の劇場を平たくしたような造りだった。

「この辺にすわろっか?」

 ミーヤが言うと、二人は段差の上に腰を下ろした。

 日が沈み、辺りが暗くなってくると、そこらじゅうにかがり火が灯った。

『あ、あー、きこえますかぁ?』

 突然、耳をつんざく大音量が響き渡った。女の声だ。

 割れと残響が著しいその音は、明らかに生声ではなかった。

『えー、皆さま。誠に恐れ入りますが、カウントダウンをお願いします』

「なんだって?」

 バクは思わず聞き返した。

『さん、にぃ、いちぃ……』

 脳天気な独りカウントはそこで途切れた。

 沈黙。

「?」

 バクとミーヤは顔を見あわせた。

『えっ? ご挨拶が抜けてる? は、ひゃ、ごめんなさい!』

 女はそばにいた男と台本の確認をはじめた。本人は声をひそめているつもりなのだろうが、その音は増幅されて、数万の耳もとにすっかり届いていた。

『えー、失礼しました。わたくし、チーム地球の報道官を務めさせていただいております、松下蛍と申します。さて、今日という日を迎えるにあたって私たちは、紆余曲折、意匠惨憺、粒々辛苦つぶつぶしんく……ん? つぶつぶ?』

 ガサガサと紙をめくる音。

「け、蛍? あの蛍なのか?」

 バクは目をこらすが、遠すぎてよくわからない。

 蛍はマイクを手にしたままささやいた。

『これ、なんて読むんでしたっけ? えっ? 時間が押してる? 私のせいですか? ひあぁ……』

 薄い本がパシと閉じる音。

『えっと……と、とりあえずスクリーンをご覧くださいっ』

 ざわつく聴衆。

「ったく、カウントダウンはどうなったんだよ」

 バクが蛍の醜態を嘆いていると、ミーヤがスクリーンを指した。

「な、なんか映ったよ?」

 真っ黒だった平面に、突如として砂漠の景色が広がった。

 人々はの内容よりもスクリーンの明かり自体に驚き、歓声をあげた。

 バクはそれでようやく実感した。

 そう、電気が復活しているのだ!

 茫漠とした鳥瞰だった。どこまで行っても砂しかない。生き物などとても住めそうにない土地だ。日はまだ昇ってまもないようで、灼熱地獄というよりは、夜の間に冷えきった大地を焙っている最中といった感じだ。

 バクは言った。

「あんなの映してどうしようってんだ?」

 ミーヤが画面を指した。

「あれ、なんだろ?」

 一ヶ所だけ極端にコントラストのちがう、黒光りする湖のような広がりがあった。

 そこにカメラが寄っていく。

 正体は太陽に顔を向けた無数のパネルだった。よく見ると、透き通ったドームが敷地をすっぽり囲んでいる。砂防用なのだろう。

 カメラが地上に切り替わる。

 巨大パネルの足もと。画面の右側から金髪の少女が現れた。

「あーっ!」

 バクとミーヤは同時に叫んだ。

 少女は一礼した。

『どうも橋本ルウ子です。一部の人は知らなかったと思いますが、三年前からチーム地球のカントクやってます。えっと……本日をもちまして、すべての国と地域に電気が行き渡りましたので、ここに世界電力の復活を宣言します』

 水を打ったような静寂。

 バクもミーヤも、あまりに唐突の知らせに言葉がない。

 ルウ子はなにも変わっていなかった。顔の左右に黄金の竜巻を装備。紺色のブレザー。挑発的に短いチェックのスカート。瑞々しい太腿に走る傷痕。十二年前、NEXA所長室での屈辱の『初対面』。六年前、泡まみれのジョッキ片手に蛍とじゃれあっていた最後の晩。写真の中から飛び出してきたのかと思えるほど、あのときのままだった。少なくとも見た目は。

 バクはそれがうれしくもあり、少しだけ哀れにも思えた。

 ルウ子は片手を広げた。

『そこにあるのはすべて太陽光発電のパネルです。知っての通り、太陽光は環境負荷が少ないクリーンなエネルギー。なるべく自然を壊さず、それまでどおりに電気を使えるのなら、それに越したことはない』

 聴衆は聞き入っている。

 ルウ子は続けた。

『みんな頭ではそれをわかってる。でも国家とか人種とか宗教とか個人の都合とか、いろんなしがらみが邪魔してる。そこであたしは、何人なにじんだろうと何教だろうと何歳だろうと長者だろうと一文無しだろうと、気持ちさえあれば誰でも参加できる『チーム地球』を設立し、このプロジェクトを取りまとめました』

「取りまとめた? 脅迫したとか強制したのまちがいだろ?」

 バクのツッコミにミーヤが苦笑いした。

『人材や物資は集まった。問題はパネルをどこに展開するかだった。そこで白羽の矢が立ったのが、砂漠。こんな死に満ちた世界に人を生かす種が隠されていたなんて、世の中まだまだ不思議なことだらけよね』

 聴衆は見入っている。

 ルウ子は続けた。

『で、そんなペラペラの板で世界の電気をまかなえるのかって? 驚くなかれ、世界にある砂漠のうちの五パーセント。たったの五パーセントよ。そこにパネルを置くだけでいいの』

 信じられないという聴衆の顔、顔、顔。

 人類史上最大ともいえる大偉業を、クラスの委員長が教室で語るかのように、さらっと口にするルウ子。その陰でいったいどれほどの苦労があったのか、あのすもものような幼顔からはなにも感じ取れない。

 ルウ子は断じて天才ではない。俗にいう学力で測れば(本人には悪いが)見た目どおりだ。それでもたった一人、たった一つの机からNEXAを興し、数々の挫折を乗り越え、ついには地球全体をホームグラウンドにした巨大な『チーム』まで作り上げてしまった。

 闇に埋もれた世の中に、まばゆい陽光を投じることができたその根底にあるもの。それは優れた論理でも山のような札束でもない。太陽さえ火傷しそうな『熱い心』だったのだ。

 不意にルウ子は視線を落とした。

『ここで一つ、非常に残念なニュースがあります』

 聴衆のざわめき。

『先日行った、史上最高性能の地球シミュレート実験で、あたしらが一番恐れていたことが確定的になった。今やそれを疑う学者はいない。どんな楽観主義者も、どんなへそ曲がりもよ。今後の発展を禁じ、現状の文明活動を維持したとしても、人間が遺した数え切れないほどの破壊分子の影響で、人類は……』

 ルウ子はうつむき、声を沈ませた。

『あと三百年と保たないの。次のミレニアムは迎えられないのよ』

 ざわめきがぴたりと止んだ。

 ルウ子は顔を上げた。

『だけど絶望するのはまだ早いわ。人間には知恵がある。科学がある。科学の力で乱れた自然を良いほうへ変えていくことはできる。でもその前に一つ、変わるべきことがあるの。

 科学はこれまで、人を生かすためだけに在るものだった。だから自然とは真っ向対立するハメになった。環境に良かれと思ってやっていることでも、その環境っていうのは、めぐりめぐってみればみんな自分のため、人間の都合のため、種族保存のため。それは獣がやっていることと一緒。人間も獣だってことの証拠。

 これまで、おおらかなるこの惑星は、人間がまだ獣であることを免じてくれていた。だけど、免許の有効期限はもう残り少ないらしいわ。しかも更新できないときてる。あたしたちは、これから一つ上級の免許を取るしかないのよ。

 上級だからって怯むことはないわ。まずは、そうね……近くの山や塔のてっぺんから、自分の住んでいるところを見下ろしてごらんなさい。ただ、ぼーっと突っ立ってるだけじゃダメよ? あたしがさっき報告したこと、人類はあと三百年しか保たないってこと、目の前の景色と重ねてみるの。きっと、あなたの中でなにかが変わると思う。でも、それだけじゃあ間にあわないし、それどころじゃない人たちもいる。というわけで……』

 ルウ子は満面の笑みを見せつつ、さりげなく片手を背中にまわした。

 突如、すべての画面が暗転した。かがり火の仄かな揺らめきだけが残った。

 バクは声をあげた。

「な、なんだ? また停電か?」 

 ミーヤがくすっと笑う。

「ちがうよ。ルウ子さんがアレを……」

「ああ、アレね」

 この放送は世界中に流れている。今この瞬間、各地で戦慄が走ったにちがいない。

 画面は再び、砂漠とパネルとルウ子を映した。

『今後、世界電力の半分は、『地球のための』環境修復と『人間のための』飢餓救済に使うことにします。今日の話を踏まえてもなお不服があるなら、カントクのあたしに直接電話しなさい。ただし、その前に一つ言っておくわ』

 ルウ子は腰にぶらさげていた水筒の水を口に含むと、続けた。

『テレビ見たい。エアコンつけたい。部屋を明るくしたい。指先一つ荒れない楽な暮らしをしたい。その気持ちはわかる。でもね、それは住むところがあってこそなのよ。生かしてもらえる大地があってこそなの。地球は人類の大家だってこと、忘れて欲しくないの。それでも、どうしても贅沢を我慢できないっていうのなら……』

 ルウ子はびしとカメラを指して叫んだ。

『それに見あう家賃を地球に払いなさい!』

 続けて低く言った。

『あたしの言いたいことは、それだけよ』

 聴衆から疎らな拍手があった。それは徐々に会場全体に広がっていき、一人また一人と立ち上がり、最後にはその場の全員が立って大きな歓声をあげた。

 バクは拍手を続けながら言った。

「まったく、たいした人だよ」

 ミーヤはうなずいた。

「かなわないよね」

『ゴホン。えー、最後に私事で恐縮ですが……』

「うん?」「え?」

 二人は改めて画面を見つめ直した。

 ルウ子はカメラめがけて突進すると、両手でがしっとフレームを押さえつけた。

『バク! ミーヤ! 戦いは終わったんだから、さっさと子供作ってこっちに一度連れてきなさい。砂の海ばかり見てたって退屈でしょうがないわ! 以上。ルウ子でした』

 ルウ子の特大の笑顔を残し、画面は暗転した。

「あんのバカ!」

 バクは額に手をやり、ぐったりとうなだれた。

「……」

 ミーヤはバクの背中の裾をツツと引っ張った。

「うん?」

 バクは顔を上げ、ふり返る。

「……」

 ミーヤは潤んだ瞳でバクを見上げるだけだ。

 二人はしばし無言で見つめあった。

「わかったから、そんな目で見るなって」

 バクは笑いながら片手を差し出した。

 ミーヤは笑いながらその手を握った。


 そして、二人は家路についた。



 おわり

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