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プロローグ

 2016年10月1日

 

『優先席付近では電源をお切りください』

 車内放送がむなしく響いた。

 席がなかば埋まり、ほどよく人が散った電車の三両目。優先席のど真ん中。

 なに食わぬ顔でケータイと向きあう女子高生がいた。

 橋本ルウ子、十六歳。

 ルウ子は残像が見えるほどの勢いで親指を動かしていた。

『せっかくの日曜だってのに、なんであたしらだけガッコ行かなきゃなんないの?』 

 ルウ子は同志に短いメールを送る。

 窓の外はとっくに日が落ち、今は帰りの電車だ。

 今日は文化祭の重要な打ちあわせがあるとかで、しかたなく登校したのだった。日頃の夜更かしが祟ったのか、行きの電車では爆睡。よだれをふきふき終点で折り返してくるとすでに一時間の遅刻。降りた駅の改札をボーリング玉のごとく駆け抜け、道ゆく人々を三連続ストライク(ターキー)で跳ね飛ばし、近寄ってくる校門番にガン飛ばし、教室のドアを突き飛ばし、男子二名を保健室送りにした。で、煮つまることのない会議が終わるまでそこに缶詰。ケータイにさわる時間などなかった。まったくもって今さらなのだが、それだけは言わせて欲しかった。

 数日前のホームルーム。開始早々、重い沈黙が漂っていた。文化祭の実行委員をクラスで一名以上選出しなければならない。この面倒極まりない役目をきっと自分以外の誰かがやってくれるだろう。そんな顔、顔、顔。いつまでたってもお見あいが続いた。責任ある委員を選ぶときはいつもこうだ。

 それが我慢ならなかった。

 挙手。教室のざわめき。黒板にルウ子の名前。黄色いまなざし。「どうよ!」と言わんばかりの得意顔。

 そのときはそれでよかった。そのときは。

 同志から返信があった。

『だったら立候補なんかするんじゃねーよ!』

 予想通りのキレ気味回答。

『ところでさ、決まったばかりのイインチョ(委員長)がいきなり長期病欠ってなんか怪しくない?』

 ルウ子が送信すると、すぐに返事がきた。

『先輩が言ってたけど毎年のことらしいよ。お次は副委員長だろうね』

 ルウ子は指先に力をこめた。

『ったく、どいつもこいつも! じゃあ、あたしがイインチョやるよ』

『どうぞご勝手に〜』

 ルウ子は勢いよくケータイを閉じた。

 ため息をつき、ふと車内を見まわす。

 向かいあうロングシートの面々は、ちょっとした見世物だった。

 くたびれたカバンを携えたメタボ腹。全身偽物ブランドで固めた似非セレブ。イケメンカップル。イケナイカップル。ギャルゲーの紙袋を抱えるチョンマゲ。貧乏揺すり上等のヤンキー等々。

 皆、ちがう顔をしている。ちがう服を着ている。ちがうことを考えている。ちがう人生を歩んでいる。でも……彼らはなぜか、同一のプログラムをインストールした汎用ロボットのように共通の作業にいそしんでいた。首を前に突き出し、眉間にしわを寄せ、寄り目で画面を見つめ、ときに口を尖らせ、ときに半笑いで、あわただしく親指を動かしている。

 ルウ子は正面の窓に映った自分を見つめた。

 ソフトクリームを逆さにしたような天然くせ毛が、顔の左右にぶらさがっている。

 うん、可愛い。

 いや、そうじゃなくて。

 自分も彼らのような愚かしい姿でケータイに食いついてるんだろうか? そうだとしたらなんか嫌。どんなに粧しても、その小さな物体に関わっているとき、人々はあまりに無防備だ。せいぜい気をつけねば。

 不要な着信履歴を消そうとしたとき、突如、画面が暗転した。

 予告もなしに電池切れ? ま、いっか。家に帰って充電すれば。

 ルウ子はケータイを閉じてカバンにしまい、退屈しのぎに中刷り広告に目をやろうとした。天井の蛍光灯がやけにまぶしい。

 床下のモーターがうなりをあげた。原油価格が高騰しているというのに、無駄に速い電車。

 中刷りは料理雑誌のものだった。手作りプリンの写真。

 う、よだれが……。

 ルウ子はそれで一つ思い出した。三日前、自宅の冷蔵庫が故障した。奥に隠したまま忘れていたかぼちゃプリンは諦めるしかなさそうだ。

 別のことも思い出した。

 しまった、ドラマの留守録忘れた! ケータイは電池切れで遠隔操作できない。両親の機転が利いたとしても、二人は機械音痴だし。チイッ、最終回だってのに! 

 便利な世の中になったと誰もが言うけれど、配線一つ、電池一つ切れただけで、生活の質は一気に急降下する。

 二年前の夏、ネオ・フランシスコ市大停電のニュース。あれはひどかった。世界をリードするハイテク都市がわずか数日で一転、不衛生な難民キャンプと化した。もし、それが世界同時に起こったとしたらどうなるんだろう?

 ルウ子が想像をめぐらせていると、今度は視界ぜんぶが暗転した。

 床下で吼えていた電動獣は、情けない吐息をもらしながら萎んでいく。

「え? マジ!?」

 ルウ子は思わず座席を立った。

 乗客たちはざわつくものの、パニックまでは至らない。男の舌打ちがいくつか聞こえるだけだ。街灯やビル群の窓からもれる光はいつもと変わらない。どうやら停電したのは電車だけのようだ。

「ったく!」

 ルウ子はどかっと着席。

 こういうときは不安よりも不満のほうが大きくなる。

 夕食を温め直したら味が変わるだの、『小僧の使い』(お笑い番組)まで見逃してしまうだの、とぶつぶつ言っていると、いつしか車内が異様な焦燥感に包まれていることに、ルウ子は気づいた。

 乗客たちはこの状況を家族や知人に伝えようとケータイを握りしめているのだが、しきりに同じキーを押しては、電源が入らない入らないと腹を立てている。

 ルウ子は眉をひそめた。

 これだけの人数がいっせいに電池切れ? ありえねー。

 惰性を失った電車がついに止まった。

 ルウ子は力無くふり向き、電車を追い抜いていく車を恨めしそうに見送……るつもりだったが、線路沿いの幹線道路は写真のように静かだった。渋滞があるわけでも、事故や検問があるわけでもない。信号は煌々と青ランプを灯しているというのに。

 ヘッドライトが消えたのをきっかけに、車の中からドライバーたちが出てきた。ボンネットを開けバッテリーを調べている。

 不思議なことが続くものだと思っていたら、今度は街灯が消えていった。近くから遠くへ、まるで誰かがバースデーケーキのロウソクでも吹いているかのような、およそ電気らしくないふるまいが、地上のスポンジの上に広がっていくのだった。

 ルウ子はさっと立ち上がると、正面のシートに膝立ち、窓にへばりついた。

 こっちもだ! あ、今度は信号もビルの明かりも……。

 ルウ子は自分の目と脳を疑った。まるでこの電車を震源として闇が広がっていくように見えるのだ。しかもそれは震源から遠ざかるほどに加速していくのだった。

 車窓はあっという間に一面の暗黒で塗りつぶされてしまった。

 ルウ子だけではなく、誰もがこう思ったことだろう。

 ……これはただの停電なんかじゃない。

 

 世間がそれを理解したのは、事件からひと月も後のことだった。

 世間が『絶望』という言葉を使いはじめたのも、ちょうどその頃だった。



 2019年X月X日



「ハァハァ……」

 ある廃家の庭先。ルウ子は夕暮れのひつじ雲を呆然と見つめていた。

 右手に血のしたたる包丁。左手には煮豆の缶詰一つ。

 豆缶は庭の物置で見つけたものだ。

 だが、先に見つけたのはルウ子ではなかった。

 左胸を赤く染めた仰向けの死体。

 ルウ子はつぶやいた。

「また……殺しちゃった……」 

 捨てられた倉庫を漁ったのか、それとも誰かから奪ったものか、真新しい白のセーターを着た同い年くらいの少女。

 ルウ子は包丁と缶詰を傍らに置くと、少女の服を脱がしていった。下着までぜんぶ剥ぎ取ると、今度は自分が素っ裸になった。

 古びてどす黒くなった返り血。饐えたような異臭。川で何度洗っても落ちなかった。ずっと着ているつもりだったが、いつかは限界がくる。母校のブレザーともこれでお別れだ。

 血染めのセーターにジーンズ姿となったルウ子は、その場で豆缶を開け、包丁の先を使って中身を一気に口へ流しこんだ。

 たいした塩気もないというのに、胃袋にひどく滲みる。この前、味のあるものを口にしたのはいつだったろう。

 ルウ子は血と汁の入り混じった包丁を見つめた。

 汁は半分残した。ルウ子はその缶を少女の青ざめた口の前にそっと置き、涙を一粒だけこぼした。

「今日のこと、無駄にはしない」

 ルウ子は懐から電源の入らなくなったケータイを取り出し、少女に見せた。

「これが使える世界……絶対、取りもどすから」




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