プロローグ:シュリル
『これはある少女が魔女王の娘になる以前の話』
彼女はただひたすらに、自分を認めてくれる人を求めていた。
『東條紗凪』それが彼女の名前だった。
紗凪は小学生の頃から勉学に励み、友人もたくさんいたわけではないが人並み以上に作った。
紗凪の母親は紗凪が学校のテストでいい成績をとったり、家事の手伝いをするとよく彼女の髪を撫でた。
紗凪の母親の腕は細く、繊細だったし色が白く美しかった。
彼女の母親は病弱というほどではなかったが、体調を崩す事はよくあった。
温かくて優しさで満ちたその手を求めて、彼女は努力した。紗凪はそのおかげで成績は優秀、友達が困っていればすぐに手を差し伸べるほど優しく、面倒見のいい少女だった。
前からどこか少し抜けているところがあった彼女だが、そんなドジなところも母親は快く受け入れた。
紗凪の父親は世間から見れば富裕層の位に位置する資産家と呼ばれる人たちの一人で、長年自分の家族の生活を支え、家族に生活に不自由さを一切与えなかった。
でもその分多忙で、紗凪との思い出はあまり多くない。
母親は父親と結婚し、紗凪が生まれてからは父親と一緒にいる時間はめっきり少なくなった。だからこそ、母親こそ彼女の最も近くにいる存在だった。
あの日までは。
紗凪が中学三年の頃、ある日小学校の頃からの幼馴染と彼女の部屋で勉強していた。
その休憩中、談笑していた彼らの耳へ救急車のサイレンの音が届いた。
彼女は最初、遠くの家の人だろうなんて軽い気持ちで考えていたが、その音がだんだん近づいていることが分かった。
その音はだんだんと近づき、とうとう彼女の家のすぐ近くでサイレンが鳴り響いた。
嫌な予感をぬぐいきれなかった彼女は、すぐに自分の家の玄関を出て様子を見に行った。
もしかしたら自分の母親の身に何かあったのではないかと。
なぜならちょうどその時間、彼女の母親が買い出しに行っていたからだ。
すると案の定、家から出てすぐ近くにある十字路の前に人混みができていた。
後から追いついた彼女の友達と人混みの奥へ足を踏み入れると、まず見えたのは血まみれの軽自動車。
加えて自動車に乗っていた高齢者の男性、そして散乱した買い物袋とその中身。
紗凪はなんとか人混みから顔を出して横の救急車を見ると、だれかがその中に運び込まれているようだった。その時、一瞬だけ顔が見えた。
紗凪の母親だった。
それを見た紗凪は声も出なかった。
母親に呼びかけることもできず、彼女は衝撃の大きさからか口を開けたままその場に立ち尽くした。
その後、友達は帰り、すぐに家に病院から電話があった。
ちょうどの時、仕事場から駆けつけた彼女の父親と病院に向かった。
父親の車の中で彼女はただ俯き、意識のはっきりとしない中でとりとめもないことを考えて現実逃避していた。
父親はただひたすら彼女に
「母さんなら大丈夫だから、きっと大丈夫だから」
と告げ続けるばかりだった。
彼らはまず病院に着くと手術室の前へ向かった。
車内ではお互い沈黙していたが、そこで父親に説明を求められた紗凪は朦朧とした意識の中で当時の状況を説明した。
その後、医者が手術室から出てきて彼女たちに告げたのは、彼女の母親はもう助からないという言葉だった。
その時初めて、紗凪の目から涙が溢れた。
その涙は止まることはなく、彼女は父親に顔をうずめ号泣した。
彼女の父親も目に涙を浮かべながら
「これからは二人でも頑張ろう」
そんな言葉を紗凪にかけ続けた。
だがその言葉もその後の彼女の虚ろな心に届くことはなくなった。
事故の後、紗凪は警察署で事故状況の説明と当時の母親の様子について説明した。
その後、結果的に言えば犯人である高齢者の男性は捕まったが、老化による判断能力の低下を理由にすぐに釈放された。
だから原因はもちろん高齢による不慮の事故になった。
それから紗凪はもともと交流の少なかった彼女の父親とますます距離が遠のいたように感じた。
実際は、紗凪が無気力になっていたせいで、父親は彼女に気を使って話しかけなかったのかもしれないと後に彼女は思う。
その頃から紗凪は次第に人と交流が少なくなり、前より大人しくなり、その明るさを人前で出す事はほとんどなくなった。
次第に人の視線を気にして生きることが多くなり、外で笑顔を見せることが少なくなり高校に入ってからは愛想笑いも多くなった。
加えてそれと同時期くらいから紗凪はいじめを受けるようになった。
といっても周りに露見するほどの被害ではない。
高校二年になった今だと、たまに運動靴や筆箱を隠されたり、嫌味を聞こえるようにいったり、陰湿なものが多かった。
世間一般のいじめがどれほどのものなのか彼女は分からない。
紗凪は自分より酷いいじめを受けている人は世間に大勢居ると分かっていた。
だがそれでも彼女は心が繊細なのかその傷は深く、学校はたまに休む日ができた。
そんな紗凪だが唯一、以前のように笑顔になれる場所があった。
それはオンラインゲームだった。
その頃、傷心を抱えた彼女の幼馴染が彼女を元気付けようとした。
買い物や映画、旅行など多くの場所に行き、彼女の失われた心の空洞を埋めようと尽力したが、どれにも紗凪はあまり関心を示さず、暗い雰囲気をその身に纏ったままだった。
そんなとき、同じ学校に進学した幼馴染みがなんとなく紗凪に勧めた趣味の一つがPCのオンラインゲームだった。
その幼馴染みがやっていたPCゲームを紗凪もやらせてもらったことがあり、その日だけのプレイで彼女はハマってしまった。
彼女は友達のRPGゲームをプレイしていたとき、ぎこちないながらも笑顔を見せた。
オンラインゲーム独特の現実と隔絶された閉鎖的空間とやりがい。
分け隔てなく接してくれるプレイヤーたちと彼らの適度な距離感に愛着と安心感を感じた。
彼女は成果が認められると周りが心から喜んでくれている気がして、なんとも言えない充実感に浸ることができた。それから父親に頼んで購入してもらった最新型の高性能ゲーミンングPCと大型ディスプレイで設備を揃え、紗凪自身も自腹でゲーミングチェアを購入した。
彼女は学校でのいじめや辛い現実から解放されるたび、それで色々なゲームを楽しみ、ついにこの前あるゲームに出会った。
そのタイトル名は〈Another Lives Fantasy〉略して〈ALF〉、そのbeta版だった。
ジャンルはMMORPGなのだが、beta版でも人気は十分すぎるほどあったそのゲームに彼女は期待を募らせた。
紗凪はそこで〈サナギ〉としてパーティーの回復担当である〈僧侶〉で活躍していた。
というのも戦闘職はあまり好きになれなかったので、パーティーメンバーの傷を癒すのが楽しく、それが自分に合っていると思ったのだ。
そのパーティーでは皆がが彼女を頼りにし、友情と呼ばれるものさえ芽生えていたのかもしれない。
〈ALF〉のbeta版でプレイできるのは〈始まりの街:ノスタルジア〉から南に広がる〈ミド平原〉、そして南東にある地下墓地〈キューザック家:墓地〉のみだったが、それでも彼女は十分に楽しめた。
ゲームを始めて最初のキャラメイクを済ませた紗凪は〈ALF〉の圧倒的なグラフィックとクオリティ、ゲームの自由度を実感しながら街を歩いていた。
ある程度、観光をすませると紗凪はノスタルジアの商店区で武具店の売り物を眺めていた。
バスターソードやブロードソード、鉄製の弓などオーソドックスな武器を眺めていると、不意に誰かが彼女の肩を叩いた。
「やあやあ、そこなお嬢さん!よければあたしらのパーティーこない?今ならイケメンもいるよ?」
「ぁ、ぃや…えーと」
「俺のことっすか?あははは〜」
「はぁ?冗談も度が過ぎると笑えないわね」
「ちょ、ひどくないすかミラさん!」
「まあまあ、俺はカートン。よろしくね、君は?」
「しゅ、シュリルです。はぃ…」
「もしよければ、これから一緒にエリア攻略しないか?」
「…」
どうやら彼らはこれから〈キューザック家:墓地〉を探索するということで、パーティメンバーを探しているらしいという事だった。
彼らのパーティーは全部で四人。
一人はファイター職で大剣を背に構えた短髪の男で「ギュラリ」というらしい。一言だけ自分の名前を名乗るために声を出した貫禄があり見た目は四十代前半ほどだろうか。
先程からほとんど声を発さず腕組みして目を閉じているが、どうやら彼がこのパーティーのリーダーらしい。
次にシュリルに話しかけた、たくましい筋肉を持つ中年女性は拳闘士の「ミラ」そのミラの横で騒いでいる盗賊の小柄な青年「ヤマト」そして大楯を背に構え、腰にメイスを携えた爽やかな雰囲気を漂わせる守護騎士「カートン」の四人で構成されたパーティーだった。
彼らもそれぞれがネットゲーム好きらしく、紗凪もすぐにその場で打ち解けた。
〈キューザック家:墓地〉はノスタルジア南東にある墓地の地下に広がる大規模ダンジョンで、かなり手強い敵がたくさんいるらしい。
だからまずはレベルを上げることになり、シュリルは〈ミド平原〉で皆と一緒に経験を積んだ。パーティーで一度に攻略する量は多くなく、日毎に計画を立ててゆっくり時間をかけて楽しんだ。
なんだかんだで連携も取れるようになり、スキルもいくつか覚えたシュリル。
パーティーはだいたい夕方になると街に戻り、ある夜に全員で街の南門前へ行った。
何かのイベントということで多くの人が集まった噴水広場には、オーケストラの楽団による演奏会が開かれていた。中世ヨーロッパ風の街並みにあった彼らの演奏は彼女たちだけでなく、聴くものすべての心を躍らせた。
パーティーのメンバーたちが和やかに聞いていると曲の途中でおもむろにミラが
「あたし、あんまりこういう雰囲気の曲って普段聴くことないけど、案外いいわね」
「そうっすね。特にさっきの音とか」
ヤマトが真面目な顔でそう呟くと、ミラが驚いたのか目を見開いている。
「へえ〜、あんたなんかに分かるの?この曲の良さが」
「あったりまえじゃないっすか。伊達にいいヘッドホン買ってないっすよ!」
「あら、音質の問題?」
クスッとシュリルは小さく笑うと
「なんでも、週三回この街で演奏の披露している楽団らしくて、リアルでは本物の演奏家の方々らしいですよ」
「道理で上手いわけだ」
紗凪の解説にさっきまで沈黙していたギュラリがいかにもという納得顔で頷く。
するとヤマトが
「でもあの楽器はどこから持ってきたんすかね。
たまにNPCの吟遊詩人が歩いてたり、酒場で演奏してるのを見るけど、そいつらから盗んできたのかも?」
訝しげにヤマトがその楽団を見つめると、サナギが「ALF」がSNSで宣伝していた公式の情報をもとに先ほどの情報に補足する。
「いえ、あの楽団の方々は『ALF』の公式楽団らしいです。
今日の演奏会のためにシステム側が一時的にこのゲームに楽器を生成して貸し出してるとか。その楽器の演奏がリアルタイムでBGMとして流してるみたいです」
「じゃあ、あらかじめ録った曲を流してるんじゃなく、生演奏ってこと?」
「はい、すごいですよね。演奏はもちろんですけど、運営の方々も気合いが違うというか」
その説明を聞いて、説明した当人である紗凪を含めた全員がその演奏に驚嘆し、耳を澄ます。
するとしばらくしてギュラリがおもむろに言った。
「そう言えば、カートンのやつはどこいった?」
「んー。確かさっき俺と移動式武器屋の前で一緒に武器見てたら、何人かの女性に声かけられたんすよ」
「へえ、リアルでもモテるんだねえカートンは」
「俺もそう思って見てたんすけど、そしたらカートンさんがいきなり笑顔になったと思ったら後ろ向いて『ごめんなさい。俺ロリ以外NGなんでーーー‼︎』て言いながら走り去ってったんすよね」
「「「はあ……?」」」
カートンと一緒にいたヤマト以外のその場にいた全員が沈黙する他なかった。
その二日後にシュリルたちはようやく〈還魂墓地〉のボス部屋にたどり着いた。
彼らはボス部屋の前の広場に集まり、ボス戦の準備を済ませる。
その後、これまで彼らのパーティーでリーダーを務めたギュラリがフロアボスとの戦いの前にそのほかのメンバーを激励した。
「このボスを倒すため俺たちは切磋琢磨しあった。ここのボスを倒せば、名残惜しいが解散になる。だが倒さないと俺たちの目標は果たされない」
普段、あまりその表情を変えることのないギュラリだが、その時に限っては少し物悲しげに言った。だが彼のそんな哀愁漂う表情の中にも力強さが感じられるとシュリルは思った。
その様子から彼女までも自分も悲しんでばかりはいられないという気持ちになり、涙目になっていた自分の目元を服の裾で拭う。
すると彼女の表情を見ていたミラは
「まあ、製品版もあるんだしまたどっかで会えるでしょ、ね?サナギちゃん」
「はいっ、もちろんです!」
シュリルは満面の笑みでそう答えると自然と全員が笑顔になった。
「でも確か、もともとこの集まりを作ったのはカートンさんっすよね」
「あれ、そうだっけ?あはは。忘れてた」
頭をかきながら照れ臭そうに答えるカートンは笑うのをやめると、まっすぐにボス部屋を見つめる。
「んじゃ、皆さん行きますか。そしてサナギちゃん」
「一言余計だよ」
そうミラにツッコまれ薄く微笑むとカートンは大扉を開け、中へ足を踏み入れる。
彼らはそれこそ日の浅いパーティーであり、厳しい戦闘になるのは間違いなかったが、その分連携ができていたおかげで予想に反して順調に進んだ。
チームプレイで次々と敵を倒し、残すは〈エンド・オブ・ソーサラー〉のみとなった。
その〈エンド・オブ・ソーサラー〉も今となってはすでに虫の息と思われるほどの損傷だった。
「カートン、先行してソーサラーのタゲを受けてくれ」
「了解です」
「こっちも片付いたよ、サナギちゃん、ヤマトの回復が済んだらヤマトの後ろについて接近して」
敵が片付いたらしくミラは自身の腕を振り、スケルトンの骨粉を払うと言った。
「はい!わかりました!!」
回復が済んだらしいサナギは走り出したヤマトの後について走り出すが、緊張のせいか操作がぎこちなくなる。
先行したカートンがソーサラーに衝撃波のある大盾で猛突進する。
守護騎士のスキル〈ウォール・ストライク〉だ。その衝撃を受けたソーサラーは一瞬ひるむと、即座に大杖から放出された火属性のレーザー攻撃でで応戦する。
「こっちの相手もして頂戴な!!」
そういい終わるや否や側面から大きな赤いオーラのエフェクトを纏った剛拳を浴びせるミラ。拳闘士のスキル〈赤弾拳〉だ。
体勢を崩し横向きに下を向いたソーサラーだがそれでも杖からはレーザー攻撃が放出され続け、ミラの腕に当たってしまった。だがその間に怯んだ相手にギュラリが大剣で追い打ちをかける。
「ウオラアアァァッ」
〈エンド・オブ・ソーサラー〉の下顎に緑色の炎を纏った〈かち上げ斬り:炎〉がヒットすると、ソーサラーは大きく飛びのく。
距離が開いてしまうのを阻止するかのようにヤマトがダガーを投げる。
すると頭部に上手く当たり、その瞬間
「アアアアアアァァ」
という男性の低い声が混ざったような断末魔とともに〈エンド・オブ・ソーサラー〉がドス黒い骨粉のような雨を降らせながらその巨体を崩していく。
「やりましたね!みなさん!って、ごめんなさい。私全然活躍してないのに…」
「よくやった。いい働きだったぞシュリル」
気迫のある表情で息荒げにそう答えるギュラリ。
彼の見た目から察するに相当なダメージを受けながら戦っていたことがうかがえる。
シュリルは自分の回復が追いついていなかったことを反省する。
「良かったわ。誰もダウンしなくて」
片腕を消失させ全身ボロボロのミラがそう告げる。
「なんとかなったな」
「…っすね」
ミラのそばにいるヤマトも同様に多大なダメージを負っていたと思われる。
すると呼吸の落ち着いたヤマトがふと奇妙なことをいう。
「にしても俺らがあいつを倒す寸前、ギュリルさんの下から黒い粉みたいのが出てたっすよ」
「それは本当か、どうなんだカートン」
「え、ええ。俺にも見えました」
しばらくの沈黙の後、結局答えは出ず、とりあえずその話は保留ということになった。
「まあ、倒せたからいいじゃないの、ね?サナギちゃん」
「そう、ですね…」
腑に落ちない部分はあるが、それでも倒せたことは事実なのだ。
あの黒い粒子がなんなのかはわからないが、きっとゲームのテクスチャバグか何かだろう。
そうみんな納得して、満足げに部屋を出た。
ボス部屋前の広間で各々がお互いをいたわり、持ち物整理兼今回のボスで得た報酬を確認していた。
「おお、これは」
ヤマトが声を上げると、順々にみんな感嘆の声を上げる。
「形見の指輪だってさ」
「装備時に魔法攻撃耐性アップか。悪くないな」
「えー、製品版にデータ移行もないのにこんな実用的な指輪もらってもよ〜」
「いいじゃないか、記念だよ記念」
「そうですね、私たちが倒した証!」
サナギは大きな祠の前でそう告げると想う。
『私は満足だよ?だってこんないい思い出を作れたんだから。またこんな風にパーティ組んだり、必死に敵を倒す楽しさが味わえるなら。だけど現実はいつだって残酷で希望の兆しすら見えなくて、お母さんさえ奪っていく。そんな世界はここにはない。私は生まれ変わるならこんな世界に生まれ直したい。それぞれの役割が決まってて、こんなドジな私でも認めてもらえる仲間がいる世界に』
サナギは祠の前で濃藍を下ろしながらそんなことを考え、ウィンドウ上でアイテム整理をしている。
パーティメンバーとの思い出をたどりながら、その証である〈形見の指輪〉を見つめる。
そしてそれを装備しておこうと思った紗凪は『装備』を選択しようとする。だが、紗凪はそこでカーソル操作を誤り、あろうことか『捨てる』を選んでしまった。
「あっ⁉︎ そんな…」
とっさの事態に頭の処理が追いつかなくなる。自分が何をしたのかわからなくなり、体が緊張で熱くなる。
「どうしたの、何かあった?」
紗凪が心配そうな顔をしていると、カートンが怪訝な目を向けて訊いた。
「い、いえ。なんでもありません…」
『言えるわけないよ、いくらドジにもほどがある』
顔がみるみる青白くなる紗凪は周りに悟られまいと、取り繕った笑顔でみんなに問う。
「私はもう済みましたよ、そろそろ戻って町の酒場にでも行きませんか?」
「んー。そうねー」
「そうだな」
そう口々に言いながらみんなウィンドウを閉じていく。
紗凪は焦ってはいけないと思いつつもどうにかして隠さなければと決心する。
彼らは広場から出ると、帰りはそれほど敵に接敵することもなく彼らはノスタルジアに帰った。
帰った後、ヤマトが全員でフロアボス攻略を祝って酒場で祝杯をあげようという事で、パーティー一行は街の居住区にある彼らの行きつけの酒場へ向かった。
その酒場に入ると、中はいつものようにその日も人々で賑わっていた。
ヤマトが適当に飲み物をNPCに注文し、それぞれの飲み物が届く。
するとヤマトが全員に向けてかけ声をあげる。
「また製品版で会えることを願って!」
「「乾杯」」
乾杯のアクションと共に皆が宣言する。
その後、何度か祝杯をあげてから皆それぞれがこのメンバー最後の夜を楽しんだ。
オフ会で会おうという話も出たが、それは製品版で再開してから詳しいことを決めようということになった。
しばらくするとギュラリがリアルで仕事ができたという事で、その日の彼らの祝宴会はそれでお開きとなった。
それぞれ別れの挨拶を済ませ、自分もそろそろとログアウトする。
PCの電源を落とすと、部屋に静寂が宿る。
「はあー。私って…ほんとバカだなあ」
現実に戻ると、ため息をつき紗凪はゲーミングチェアの上で女の子座りをしながら俯いてしまう。
今はなきアイテムのことを思いつつ、それを失くしたことをメンバーに言えなかった後悔の念が浮かぶ。
しばらく考えた後、いつまでもこんなに暗い考えだから自分はいけないのだと無理に自分に言い聞かせ、顔をあげる。
「また製品版で手に入れればいいよね」
そんなことを考えながら明日の学校に向けて寝る支度を始める。
部屋を出て洗面所へ行く途中、父親の部屋のドアが少し開いていた。
気になった紗凪はそのドアの隙間から中の様子を覗いた。
すると椅子の上に座る父親がいた。
PCの画面は点いているが寝ているのだろうか、ピクリとも動かない。
キーボードを叩く音は聞こえないので、寝ているのかと紗凪は思った。
紗凪はそのまま部屋に入りゆっくりと、正面へ恐る恐る近づいた。
父親の顔を横から覗き込むと腕は案の定キーボードではなく膝の上にだらりと垂れ、父は椅子に座ったまま熟睡していた。紗凪はその部屋を足音をなるべく立てないよう出ていった。
しばらくすると、紗凪は薄手の毛布を持って戻ってきた。
それを慎重に父に掛け、再び静かに部屋を出る。
その際、彼女は先ほど椅子に長時間座ってゲームをしていたため、足が痺れて上手く歩けなかったのか足を捻ってしまう。そのまま尻餅をついて座り込んでしまうと
「いててて」
その音に反応したのか父親が少し動く。
紗凪は父親が起きてしまったかと心配したが、どうやらまだ眠っているようだ。
ふうと安堵した彼女は立ち上がり、クスリと笑う。そして彼女が部屋から出る寸前、声が聞こえた。
「母さん…」
一瞬驚いた紗凪だが、その声の主が父の声だと気づくと落ち着いた。
しかし紗凪はその内容に俯いてしまう。
「寂しいのは私だけじゃない。分かってるよ、それくらい」
そう、あの事故以来、自分の母親を失った悲しみを背負っているのは彼女だけではなかったのだ。
にもかかわらずいつまでたっても立ち直れず、本当の笑顔を出せない紗凪は自己嫌悪にさらされた。
そんな彼女はどこか寂しげな様子で、今度は音を立てまいと慎重に部屋を出る。
部屋の照明が一瞬、切れたように暗くなった。