決意
ここでいう〈決意〉とは、何を示しているのか。普通に読めば文末あたりでわかることですが、わたし的には最初の方でハイドが固めた決意の方が本気な気がしました(^^)
「かはっ、はぁ、はぁ……」
もう何度目か分からない。
目の前の敵に集中しすぎて息が止まりそうだ。
苦しげに吐息を吐き出すハイド。
身につけている装備は所々に破損した箇所がある。
まるで今にも音を上げそうな自身の心のようだ。
視界左上に瓶の形をした濃紺のアイコンが映っている。
さらにその下には、心臓を象ったような形のアイコンも映っている。
初めこそ鮮やかな赤色に染まっていたはずが、今では大半を黒く濁らせている状態だ。
ハイドは息も絶え絶えになりながら、茫然自失の状態でそれらを見つめていた。
二つのアイコン、特に心臓のアイコンが黒く染まり切ることは、すなわちこの戦闘での死を意味する。
視界も中央を除いた周縁部分が暗くなってきている気がする。
最初にこの場所で戦いはじめてからどれだけ時が経っただろうか。
ハイドははっきりとしない意識の中、荒い息を吐くと左を一瞥する。
一つの虚無と化した空間を見つめる。
いつもはそこにいるはずの姿は、すでにもう消えていた。
「ブラッド…」
心が折れそうになるのをこらえながら、目の前に集中する。
「俺の責任だな。それに…」
視線だけは前から外さず、自身の後方にあるであろうぼんやりと光る『白い十字架』を想う。
もっと早くに対策できれば、彼女をここで失うことはなかったはずだ。
すまない、バニラ。
〈還魂墓地〉のボスである〈エンド・オブ・ソーサラー〉に打ちのめされた回数など既に忘れていた。
実際は十回程度だろうが、度重なる焦燥と緊張が記憶を曖昧にしてしまった。
だがそれでもと、ハイドは決然とした面持ちを浮かべた。
バニラの奮戦を無駄にはしない。
すでに決めたことだ、今回こそ必ず倒してみせると。
ハイド眼を見開き、眼前にそびえ立つ巨大なローブを纏う骸骨に目を向ける。
ソーサラーが左手に持つ大杖の上部、アメジスト色に輝く水晶の放つ淡い光が、ひびの入った頭蓋骨に反射して異様な陰影を作り出している。
その骸骨の化け物はただ無機質に、冷徹な眼光でハイドの目を覗き込んでいる。
ハイドはカートンと別れた後、いつもの行きつけの商店に立ち寄りテイマー用蘇生アイテム〈涙の結晶〉を購入した。
「お買い上げ、ありがとうございます!」
「いつもありがとう、助かってます」
リアルでは当然こんな言葉をかけられるほど心に余裕などない。
ハイドは皮肉にも、この世界で本音を言える嬉しさを噛みしめた。
店員の女性は艶やかなブラウンのロングヘアーを揺らしながら完璧なお辞儀をした。
頭を下げた際に見せる女性の背中は、遠方から見た稜線の穏やかな山々を思わせる。
クリーム色のシャツの上にオリーブ色のエプロンをつけたその若年女性の雰囲気はとても穏やかだ。
ハイドがこのアイテム販売店〈アルド商店〉に来たのは、この女性を一目見ようと思ったからだった。
品揃え自体は一般的な商店と変わらないが、個人的な調査では〈ノスタルジア〉で随一、美しい女性NPCがいる商店だった。
「またのご来店、お待ちしていますね」
ハイドはその女性が浮かべる笑顔が好きだった。
NPC特有の変化のない表情には、相手に自らの心内を伺わせない安心感がある。
「はい、また来ます。すぐにでも」
店員の美しさも相まって足を運ぶ理由の一つだが、他にもこの店はアイテムの買い取り価格が他の店に比べて少し高額なのが特徴だ。
そんなこんなで店から出ると早速、ハイドは街頭に照らされた店の前のベンチに座った。
夜風に吹かれながら手元を確認し、画面から〈涙の結晶〉を使用する。
オブジェクト化してハイドの目の前に浮かんだそれは、澄んだ蒼さを感じさせる小さな結晶だった。
結晶が浮かんで間も無く瞬時に砕けると、雫になって地面に一粒落ちる。
そこから水色に煌めくエフェクトが円を描いて波状に広がった。
すると無数のポリゴンがエフェクトに合わせて集合し、瞬く間に形を成していく。
赤黒い翼とともに現れたのはブラッドだった。
「ピィ!」
ブラッドはハイドに向かってピィと小さく鳴いた。
「悪いな、死なせちゃって。今度はそう簡単には全滅しないからさ」
ハイドはおもむろにブラッドを自分の腕の上に移らせると、申し訳なくなって下に向ける。
ブラッドは圏外と比べて小さくなっている。このゲームではシステム上、圏内においてテイマーのモンスターは街の交通機能を妨害しないようある程度、縮小化する。
まあブラッドは見た目が一回り小さくなっただけで済んだが。
大型モンスターのドラゴンや大蛇、グリフォンなんかは人間サイズまで縮小するらしい。
ドラゴンなんていつ無闇に火を吐くか心配だ。
でもかっこいいことは間違いないんだよなあ、とハイドは想像する。
だが実際にそんな規格外なサイズのモンスターを手に入れるのは、一体いつの日になるか分からない。
カートンと別れてからすっかり夜になってしまった。
ハイドは澄んだ上空に広がる煌びやかな無数の星々を見上げる。
現実の天体を模しているためか、光の大小や星の動きなど一つとっても精緻に作られていることがわかる。
しばらく夜空を見た後、ハイドは自分のアイテムを確認した。
この店以外で必要なアイテムはここに来る途中、商店区等で済ませてきたので準備はできている。
「さて、用は済んだしもうひと頑張りしますか」
ゲーマーの夜は長い。
ハイドは重い腰をあげ、再びダンジョンを攻略すべく門を目指した。
三日後
負けた、負けた、また負けた。
このゲームがリリースされてから早六日、カートンに初めて会ったのが三日前。
ハイドはあれから何度も例のダンジョンに挑んでいるが、一向に攻略できる気がしなかった。
その名も〈還魂墓地〉。
以前からハイドはそのダンジョンが挑んでいるが、挑むたび完膚無きまでに叩きのめされている。
モンスター自体は、レベルの割に行動が単調で次の動作が読みやすく、対処もできる。
ブラッドとの連携さえ十分に取れれば敵の大半はそれほど苦労する相手ではない。
しかし問題はボスモンスターだった。
還魂墓地のボスモンスターは二種類いる。
〈エンド・オブ・ソーサラー〉と〈ガーディアン・オブ・スケルトン〉。
ハイドはそのボスたちに挑んで以来、索敵スキルの一種である〈解名〉を習得した。
そのためほとんどの攻撃スキルの情報を得ることに成功したが、一つだけ情報が得られなかったスキルがあった。
それは〈エンド・オブ・ソーサラー〉が用いるスキルだった。
ソーサラーが用いる魔法は主に、自身の持つ杖から発する高熱のレーザー攻撃である火属性魔法〈ラピッド・ストーム〉だ。
その魔法の発動時間は最初こそランダムだが、自身の周りにいる〈ガーディアン・オブ・スケルトン〉の数に応じて発動時間が短縮されるという機能が施されていた。
二体なら約九秒、一体なら約五、六秒程度になる。
そんな弾幕ゲーすら彷彿とさせる鬼畜さを持つスキルだが、問題はもう一つのスキルだった。
黒い粒子の奔流。
初めてそれを受けた時、ブラッドは一瞬にしてその身を滅ぼした。
なぜかそのスキルの名前のみが未だに判明せず、さらにそのスキルが発動するまでの早さからハイドの対処を困難にしていた。
だが確実に言えるのは、一度でもそのスキルを受ければ自身のHPはたちまちゼロになることだった。
そんなわけでハイドは南門前の噴水近くにある広場で、一人ベンチに座り頭を抱えていた。
「先が思いやられるな。せめてあのスキルにさえ対処できればいいんだが」
すでに太陽は傾き、夕刻を告げようとしている。
吟遊詩人が近くの噴水の縁に座って、心安らぐメロディーを奏でている。
膝の上に乗った弦楽器は、緩やかな音色で聴く者の心を癒すようだ。
さらに男の個性的な詩も相まって、ハイドの塞ぎ込んだ心にゆとりを与えた。
ふと思い出したようにハイドは自分のステータス画面を表示させた。
やはりあの時からレベルもいくらか上がっている。
初めてあのダンジョンに入った時のレベルが9、今のレベルが14だから5レベルも上がっている。
ブラッドに至っては16レベルだ。
同じ量の経験値が入ってきているはずだが、ハイド自身よりブラッドの方が強いらしい。
もともとブラッドはノスタルジアの南に位置する〈後追いの森〉でテイムしたモンスターだった。
その時のレベルは12だった。
通常、これほど強いモンスターはあのエリアにはポップしない。
なにせ後追いの森のフロアボス〈血染め熊〉でさえ10レベルなのだ。
なぜハイドが〈ブラッド・ホーク〉ほどの強さを持つモンスターをテイムできたか。
理由はハイド自身にも分らなかった。
おそらく『運』が良かったのだろう。
普段、リアルの世界でも運という不確定な面においてハイドは不運と言っても差し支えなかった。
このゲームのbeta版には不慮の事故で全治二週間の怪我を負い参加できず、ほとんどのRPGゲームでのドロップ率は基本的にレアモンスターを除くとドロップ品は最低限の量と質だった。
たとえレアモンスターが出ても、ハイドにとって本当に価値のあるものはほとんど出なかった。
言ってしまえばあたりの中でも外れ。
そんな幸運とはほど遠い存在のハイドだったがある晩、今後の攻略のために新たなモンスターをテイムするべく〈後追いの森〉に来ていた。
このゲームが始まって最初のエリア探索ということもあり、期待を胸に未だ見ぬモンスターを求めて森の中を歩いていた。
しかし結果はこれといって収穫を得られず、かなり夜も更けていたこともあり諦めて帰路を進んでいた。
その道の半ばでハイドは自分が道に迷ってしまったことに気づいた。
途方に暮れていると、そばにいたカエルらしきモンスターがゲコッという声を出した。
当時、ハイドの手持ちのモンスターは鋭い歯の生えたカエル(〈バイトフロッグ〉と呼ばれる)というさして珍しくもない低級モンスターだった。
カエルの緊張感のない鳴き声を聞いていたら、ハイドは体の節々に疲労を感じた。
まずは現在位置を調べなくては、と思い大まか位置をマップで確認してみた。
そこに写っていたのはエリアの全体を表す枠線と、その中に自分の位置を表す丸い点がポツリと写っていた。
マッピングスキルのレベルが低いためか現在位置から離れすぎてしまうと、先ほどまでいたマップが次第に薄くぼやけていってしまうのだ。
ハイドは道に迷い途方に暮れていた不安からか、その場に留まっている事が恐ろしくなった。
しばらく獣道を歩くと、森が途中で途切れているのに気がついた。
その先にあったのは小さな湖だった。
湖に歩き寄っていくと、水面に月明かりが反射して小さな光があちこちに散らばっていた。
ハイドがその景色に息を呑んだ。
ふいに手持ちのカエルが不気味な声で鳴き出した。
その声は肺に異物が詰まったような不快さを感じさせた。
するとカエルは何か思い出したように、のそのそと湖に向かって移動し始めた。
ハイドは自分のモンスターの行動にさしたる執着もなかったので、ただその様子を茫然と眺めていたが、やがて音を立てて池に飛び込んでしまった。
「ちょ、ゲテモノ!戻ってこーい!」
ゲテモノ、それはハイドが自分のモンスターにつけた名前だった。
流石にまずいと思ったハイドはすぐに戻るよう命令したが、ついにその姿を水上にあらわすことはなかった。
全く、勝手なやつだ。
釈然としないまま水面を覗き込んでいると、急に水中の一点が赤黒い絵の具を垂らしたような色に染まった。
最初は驚いたが、見ていくうちにその血を思わせる液体の広がりに意識が吸い込まれそうになった。
夢の中に入り込んだ気分でぼんやり眺めていると、頭上から鳥類のような鋭い鳴き声が聞こえた。
「うわっ、なんだあ⁉︎」
ハイドは青天の霹靂を味わった。
森中に響き渡るような壮大さと威厳を持ち合わせたその鳴き声は森中にこだまして、生き物が一斉に逃げ出すような音がした。
ハイドは首を振って声の主を探すと、自身の後ろの方に何かの気配を感じて振り返った。
その気配を追うように蔦のかかった大木を見上げると、太い枝の上に赤みがかった黒い羽を持つ鷹が見えた。
それがハイドとブラッドの初めての出会いだった。
ハイドは初めこそブラッドが放つ攻撃的な見た目に恐怖したが、動かず見つめているうちにその鋭い目の中に穏やかな流れのようなものを感じた。
このエリアでは初めて見るモンスターだった。
現在、自分の身を守ってくれるモンスターはいない。
自身の直感が次の一手で全てが決まると告げていた。
なぜこの鷹は現れたのか。
ハイドは目の前の赤黒い鷹が現れるまでに起きたことを逆再生して思い出した。
鳴き声、赤く染まる湖、確かその前は。
そういえば、手持ちのカエルの挙動が変だった。
ハイドは五秒ほど目の前の鷹と見つめあったまま考えた。
一か八かだ。
ハイドは慎重に自身の手を持ち上げ、システムウィンドウを開いた。
この時、何の確証もないまま手持ちのアイテムから先ほど湖に飛び込んだカエル〈バイトフロッグ〉の肉を取り出すと、静かに前方へ放った。
鷹はギョロリと目を動かし、その肉を見つめた。
やがて時間が経つと、ハイドの目の前に緑色のモニターが現れた。
『〈ブラッド・ホーク〉レベル12 好感度0% 』
テイミングアクションの画面だった。
この画面が表示されたとき、テイマーは対象のモンスターの好感度を数値化して確認でき、その数値を上昇させた割合に応じてそのモンスターをテイムできるかが決まるというものだった。
ハイドは自身の実力から、レベル12の〈ブラッド・ホーク〉をテイムするのはどう考えても無謀だと思った。
しかしここで逃げられる保証はなく、何もせずに死に戻るくらいならとやけくそに近い思いだった。
前方で肉を食らう〈ブラッド・ホーク〉にハイドはゆっくりと慎重に近づいていく。
視線こそ向けないが、一歩近づくたびに身を焼くような殺意が強まっていくのを感じた。
冷や汗を地面に滴らせながら、ハイドはようやく目の前にまで迫った。
あとには引けぬ想いで恐る恐る手を伸ばし、ついに〈ブラッド・ホーク〉にその手が触れる。
何十分にも感じられる時間の悠久を経たような心地がした。
あとは祈るのみだった。
数秒後、運よく捕獲成功のウィンドウが表示され、ハイドはその場に倒れ込んだ。
その後、自身のテイムした〈ブラッド・ホーク〉の性能に感激しながら道を進み、ようやく森を脱出した。
隠しモンスターの特殊イベントにも考えうるその出来事に遭遇できたハイドは、それはもう嬉々として喜んだ。
ブラッドほどの戦力を手に入れてからは、エリアボスもそれほど苦労せずに倒すことができた。
そして思えばあの日、ブラッドをテイムした日を除いて幸運なことは一度もなかったように思える。
意識の外側から帰還したハイドの耳に届いたのは、吟遊詩人が演奏を止めた静寂の音だった。
ブラッドは何やら近くの地面を見つめてはくちばしでつついていた。
その様子を見て自然と笑みが浮かんだ。
ふうっと大きなため息をつくとハイドは一気に立ち上がった。
「行くか、ブラッド!」
「ピィ?」
ハイドは何かを決心したように両手を腰に置く。
「パーティメンバー、探してみるか」
何かに納得したように微笑みを浮かべて言った。
今まで多くのオンラインゲームを経験してきたハイドにとって、この決断を下すまでの過程は容易なものではなかった。
本来ならばレベリングを徹底的に行い、倒せる見込みのある強さになるまで自分を強化して攻略する。
だが現状、そのスタイルにこだわるだけの余裕がどれだけ残されているだろうか。
ハイドはこのゲームをプレイすることを、これまでのゲーマー人生で最も楽しみにしていた。
だが実際はどうだろう。
〈ALF〉のbeta版には怪我で参加できず、それこそ阿鼻叫喚の思いで煩悶した。
地獄以外の何物でもなかった。
怪我が治ってからやっとの思いでこのゲーム始める際、半ば狂乱していた自分を思うと苦笑せざるおえない。
それに〈還魂墓地〉を初めて挑戦してから経過した時間も考えると、悠長に攻略しているだけの忍耐をハイドは持ち合わせていなかった。
早く進まなければ。
強迫観念にも似たそれは、ゲーマーとしてのハイドの定石を塗り替えるには十分だった。
そんなわけで、ソロプレイヤーとしての恥を承知で協力者を探すことにした。
「なんならこれを機に脱非リアも夢では…まあそれはないか。三人以上のパーティーとか怖いし」
自分の性格から考えればこんな行動はまずあり得ないことだが、今回のボスのみに限るという自分への戒めも加えてこの決断に至った。
ハイドは南門付近にいるなるべく人が良さそうな、かつ一人でいるプレイヤーに協力を申し出ることにした。
一時間後
「っつあああ、ダメだ!俺には無理だ」
全て失敗に終わった。
そう簡単にことが運ぶはずもなく、それらしい相手を見つけては考え込み、どう切り出すかを考えているうち相手を見失ってしまうという失敗の連続だった。
落伍者の気分だった。
いや、何を今更言っているのか。
元から落伍者ではないか、それ以上でも以下でもない。
だが、こうして悔しさとやるせなさを噛み締めている間にも一切は過ぎていく。
苦虫を噛み潰す思いでハイドは最初にいた噴水近くへ向かった。
するとそこには先ほどの吟遊詩人の姿はなく、代わりにいたのはバンダナを頭部に被った海賊風の男だった。
小太りで無精髭を生やしたその男は噴水の縁であぐらをかき、両腕を組みながら目を閉じていた。
武器はストレージに保存しているためか視認できない。
ハイドは相手の正面に立たぬよう、男の側面に移動して男を観察した。
よく見ると、男は今にも眠りに落ちそうな顔でうとうとしていた。
小さな口と丸みを帯びた鼻が、顔の中心に寄っている様はなんとなく熊のように見える。
話しかけても大丈夫だろうか。
ハイドはその男にぎこちなく足を運ばせながら近づいた。
相手に自分の不安や緊張が波及して伝わってしまう気がしてならなかった。
ハイドはなるべく少しでも愛想をよくするため、目を見開いてから声をかけた。
「あ、あのぉ、すみませ〜ん?」
男はその声に目を覚ましたのか、顔を左右に振りながら唸った。
自分がその男の前に立っていることに気づいたのか、太い腕で目をこすりながらハイドに視線を向けた。
「なんだ、ん?君。面白いモンスターを連れてるな」
男が言及しているのはハイドの後ろに佇むブラッドのことだった。
「そ、そうですか?」
「ああ、初めて見たな」
「ははっ、そんなわけ…」
ない、そこまで言いかけて気がついた。
もしかしたら男がブラッドを知らないのもあり得ることかもしれない。
誰が好き好んで森にポツリとある湖に〈バイト・フロッグ〉なんて落とそうと考えるだろうか。
これがブラッドを出現させる条件なのか定かではないが、あの出来事は今考えても不思議なものだった。
「じゃなくて、俺はハイドって言います。テイマー職です。あの、もし良ければなんですが。一時的に俺とパーティーを組んでくれませんか?もちろん報酬は払います。どうにかして倒したいエリアボスがいるんです」
相変わらずブラッドを見ている海賊風の男は視線を動かすことなく唸り声をあげた。
ハイドはこの時、要件を受ける認否よりも相手に自分の口調が訥々としすぎて話が伝わっていないのではないかと心配していた。
男はゆっくりと視線をあげると、小さな口を開いた。
「それは構わんが、戦力は足りてるのか?」
「え?」
ハイドは困惑した。
「場所にもよるが、まさか二人だけでボスモンスターを倒すわけじゃないよな」
「ええと…」
二人で倒すつもりだ、ハイドはそう言いたかった。
場所にもよると言っているが、還魂墓地のエリアボスは自分を含めて二人で引き受けてくれる範疇に入るだろうか。
「還魂墓地なんですが…」
男は口をしかめ面をした。
「あー悪いが、そりゃ無理だ」
「はい」
「まず第一に敵の数が多い。俺はパワー型でな。個の戦力は足りてるんだが、あの数を相手に互いをカバーし合うのはなかなか難しい」
「そうですか」
「悪いなあ、俺も一昨日倒したばかりでな。かなり苦労した」
本当に悪いと思っているらしいその海賊風の装備の中年男は、顔を渋らせた。
三十秒ほどお互い沈黙していると、男はおもむろに再び口を開いた。
「なんだったらうちのギルドにでも入らんか?俺は『黒ひげ危機一髪』っていうギルドのカシラ張っててな。契約金も安くしとこう」
相手の好意を無下にするようで、罪悪感が心を蝕む。
「あの、すみません。ギルドはどうも自分には荷が重いというか…」
自分の行為がどれだけ無駄なプライドを張ったものかは理解している。
だが、それでも最低限の妥協の範囲内で最大限このゲームを楽しみたいのだ。
それがただの自己満足であり、所詮は理非をわきまえていない未熟者だと言われようとも。
「お気持ちだけ受け取らせて頂きます。ほんとすいません」
ハイドは深く頭を下げた。
今の自分にできるのは、精一杯の謝罪で返すことだけだ。
「そうかあ。それなら仕方あるまい。気にするな」
「はい」
ハイドは男の納得した顔をみて、さらに罪の意識を感じた。
だがこれだけは、どうしても譲れないのだ。
しっかりと謝罪してから踵を返し、ハイドは足早に立ち去った。
その様子を見ていた海賊風の男は背を向けるハイドの傍にいるブラッドを見つめていた。
「にしてもあのモンスター、見た事ねえな。まさかアレが最近噂になってる特殊条件を満たしたらどうたらってやつか?」
男は小さく呟いた。
還魂墓地を攻略していないということは、それ以前のどこかでテイムしたということになる。
男は現在、このゲームの数あるプレイヤーの中で、最前線で攻略を進めていた。
これまで男はいくつかのエリアを攻略したが、ハイドというテイマーが使役していたモンスターを見たのは初めてだった。
かなり低確率で遭遇できるレアモンスターか、あるいは最近噂になっている『特殊条件』とやらが関係しているのか。
男がその噂を知ったのは攻略サイトのニュースに載せられている記事の一つだった。
見出しは『怪奇現象⁉︎特殊条件とそのシステムの謎』という題でサイトの大部分を占めていた。
内容の一部には『〈ALF〉内でとある〈特殊条件〉を満たすと、不思議な現象が起こり…』というもので、記事を見た人間の誰しもが目を止めるようなものだった。
この不思議な現象は詳細が記されており、『図鑑にないアイテムを入手できる』など『同じダンジョンでも通常、現れることのないモンスターが出現する』など多彩なものばかりだ。
しかしこの記事が載せられた際、その証拠や出どころは明かされていなかったため、読者の大半はこの記事の信憑性が低いと考えている。
ハイドは宿屋の一室にあるベッドの上にいた。
内装はとても質素で、部屋の壁には意味不明な図形や絵文字が落書きがある。
木材の家具は小さい円形のテーブルにクローゼット、丸イスと劣化の激しい机という最低限のものだった。
部屋の明かりは現実世界の電気を用いたライトではなく、天井にはオイル式のランプが吊るされている。
しかし光源が少ないせいか、ハイドの姿がすぐ横にある壁面に大きな影を作り出していた。
「一人、たった一人仲間がいればそれで十分なんだ」
ハイドは自分の腕の上にいるブラッドに呟いた。
どうやらブラッドは羽繕いをしているらしく、自身の翼をくちばしで撫でている。
結局、ハイドは海賊風の男を最後に協力者の勧誘を辞めてしまった。
やはり自分にはソロプレイしかないのだろうか。
ハイドは釈然としないこの状況に悩んでいた。
しばらくブラッドを眺めていると、目が霞んできたことに気づいた。
ブラッドの横にある板材を組み合わせた天井で、照明の光と木の木目によって不吉な笑みを浮かべている。
ハイドは幼い頃から相手の反応に一つ一つが恐ろしく感じていた。
周りにの空気を読み、相手が求めるままに姿を変えてきた。
そうして相手に恐怖を悟られまいと調子に合わせて生きていくうち、他者と関わることで自分自身が削られていくのを感じた。
世間的に言えば、自分はおそらく社会不適合者という部類に入るだろう。
長い人付き合いができず、決められた一つの場所に馴染めない人間。
そういう事情もあってか、成長して思春期を迎えると共にゲームの世界に入り込んだ。
誰にも気を使うことなく、己が恐れを悟られないために。
その結果、現実世界だけでなく、ゲームの中でも人間関係を避け続けた末にあったのが『ソロプレイヤー』としてのハイドだった。
だが、今回のボスはそんな自分を罰するかのように一人であることが不利になる。
まだ序盤だっていうのに、これじゃまるで詰んでいるみたいだ。
ハイドは血流が滞って重くなった瞼を腕で拭った。
ブラッドはオーク材の貧相なテーブルの上でくつろいでいる。
部屋の中は外にいる鳥のさえずりさえ聞こえないほど静謐が保たれ、現在が真夜中であることを告げていた。
ハイドは頭に靄がかかったような感覚に耐えかねたのか、システムウィンドウを呼び出した。
今考えても解決できる問題じゃない。
次に〈還魂墓地〉へ向かう際、誰か手が空いていそうな人がいれば誘ってみよう。
ログアウトする前に、ハイドはブラッドの方を向いた。
ブラッドは閉じていた眼を開くと、泰然とした様子でこちらの目を覗き込む。
「ブラッド、お疲れさん。今日はダメだったけど、次こそ俺らで攻略しような」
自分は猫派だが、ブラッドが時折見せる動物らしい仕草には、普段の攻撃性を感じさせる獰猛な姿を忘れてしまうほどのギャップがある。
鳥派もありかな、とハイドは考えた。
口から薄く茎を吸い込み、ウィンドウからログアウトボタンを探して押した。
視界の中央から目の前の景色が闇に吸い込まれるように遠のくと、やがて完全な暗闇になった。
直後の暗い画面には、左下に表示されるロード中の表示とともに自分の疲れ切った自分の顔が映る。
部屋のLED照明がやけに眩しい。
灰九は今まで座っていたゲーミングチェアに体重をかけると、大きく伸びをした。
「かなり俺的には頑張った気がする」
考えてみれば、ハイドはこのゲームを始めてから他のプレイヤーと話したのは初めてだった。
コミュ障という自身の性格を克服できたとまではいかないが、それなりの進歩はあったのではないだろうか。
男性と話すならまだしも、女性と話すときはより一層緊張して目が泳いでしまうから困る。
ハイドは立ち上がり、燦々と部屋を照らす人工の光を浴びながら隅まで歩くと、目の前のベッドに倒れこんだ。
瞼が石のように重くのしかかってくる。
それと同時に、何かを考えるだけの余裕など与えぬかのように凄まじい眠気の波がハイドを襲った。
次こそは、次こそは必ず攻略する。
次に何かを考えようとしたところで、ハイドはすでに寝息を立てていた。
先程まで使用されていたデスクトップ型のゲーミングPCは未だ唸り声をあげている。
PC本体の排気口から、機械的に熱が排出されていた。
プロローグ:???
『ある部屋での出来事』
「うっ…ひっ、ぐすん…うう…」
どこからか少女のすすり泣く声が聞こえる。
部屋は薄暗く、天井には円盤型のLEDライトが橙色の光を灯していた。
その光の色が与えるイメージとは対照的に、この空間のみが外界から隔絶されたしまったような雰囲気を漂わせている。
北西の端にはドアがあるが、そこから外に出た先には途方も無い真っ白な虚無の世界に繋がっているようだ。
そんな中、耳を澄ませなければ聞こえなほど弱く、消え入ってしまいそうな声が響いている。
どうやら嗚咽を漏らしく、声質には幼さが感じられる。
空間の静寂が、そんな悲しみを含んだ透き通るような声を際立たせていた。
現代的なデザインのその部屋は清潔感が感じられ、シンプルだが箇所的にピンクや水色の装飾があるところから成人には達していないようだ。
壁にかけられたカレンダーには『退院日』、と蛍光ペンで記された日付が丸で囲まれている。
その横にある木製の棚には写真立てがあり、幼い少女とその家族らしき人物の写真が入っている。
本棚には漫画やファッション雑誌などがあり、いかにも今時の少女を思わせる様子が窺える。
それらの家具の中でも、机の上には異質な印象を受けるものがあった。
そこには最新式モニターと箱型をしたデスクトップ型のゲーミングPCが配されていた。
ゲーミングPCの電源ボタンは赤く点灯しており、その活動を止めている。
「うう…」
再び少女の声が響く。
どうやら嗚咽は治ったらしい。
少女の声は部屋の東側から聞こえるらしく、スカイブルーのカーテンの下にはシングルベットがあった。
ベッドの上にかかった羽毛布団は山のような膨らみを持ち、規則的に上下していた。
そこには一人の少女がいた。
少女は小さく体育座りをしながら顔を膝にうずめている。
青みがかった髪色のロングヘアーは艶やかで、若年特有の瑞々しさを感じさせる。
前髪の下にある目は涙に濡れ、潤ませた茶色の瞳からは絶えることなく水の雫が膝に落ちている。
濡れたピンクのパジャマには、まばらに振りまかれたヒヨコの柄が少女をより幼く見せていた。
しばらくすると少女は泣くのをやめ、両手に抱えた猫を模した抱き枕を強く抱きしめるとベットに横になる。
今日でもう六日か。
ずっと泣いてても仕方ないし、今日はこの前ベータ版で遊んだゲームでもやろうかな。
でも私ドジだから、みんなのパーティーに入れないかも。
小動物を思わせる少女は小さくかぶりを振った。
大丈夫、私ゲームには自信あるし、きっとみんなの役に立てるよ。
それどころかみんなに足を引っ張られちゃうかも、なんてね。
少女は期待を胸を膨らませた。
自然と部屋の隅にある、その存在を隠すように置いてあった段ボールに目が転じる。
その上にはおもむろに置かれたPCゲームのパッケージがあった。
表面には〈Another Lives Fantasy〉と書かれている。
またギュラリさんたちとみんなで冒険できるかな。
そんなことを考えた少女は、新作のゲームで自身がその世界の中で遊ぶことを想像した。
わだかまりが晴れたのか、自然と笑顔になった。
少女はクスリと小さく声に出して笑った後にその目を閉じた。
しばらくすると部屋には静寂が訪れ、再び規則的な寝息が聞こえ始めた。
久しぶりに執筆しました。まだどれくらいの文の量で収めるかの調整が効かない未熟者ですがよろしくお願いします。