展望への歩み
投稿頻度が少なめですいません。
結構 世界観とか気合い入れて書きました。より多くの人に見てもらえると嬉しいです。
〈Oculus〉それがこの世界に与えられた名だった。
あらゆる未知の可能性を秘めた大陸〈フローラ大陸〉をその起点とし、緑豊かな森林や豊穣が栄える草原。
渇望をその地に宿す乾いた荒野。
季節を問わず、清らかな純白で稜線を染める雪原や雪山。
怒りと情熱の神々を讃えた火山地帯。
扇形を逆さにしたような特殊な形状をもつその大陸には、さまざまな地形や気候、植物あるいは〈モンスター〉が存在する。
己が領地を広げんとする者はモンスターと戦い、恒常の恵みを求める者は農耕や牧畜でその生活を潤し、あるものは自然との調和を目指す。
そんな世界に訪れた一人の人間もまた、この世界の美しさに心打たれていた。
彼が初めてこの世界に足を踏み入れた時の感動は今でも忘れられないものだった。
もしこの世界に生まれ変われるのなら、この地に生まれ、最期を迎えたい。
そう思えるほどにこの世界は壮大で、完成されていた。
これまで聞いたことのないような鳥のさえずりや、草木の揺れる音に耳を澄ませる。
広大な平原を駆ける涼風は顔に当たる度に心地よい。
それらの光景や音の感触一つをとっても、彼に多くの刺激や自由を与え、無限の可能性を示した。
均等な大きさの石で舗装された大通りを、バイタリティーに満ちた多くの人々が踏みしめ行き交っていた。
彼らの歩く歩幅は多種多様で、まるでそれぞれの人間が有する個性そのものを表しているかのようだ。
思い思いの装束に身を包んでいる彼らの精彩な容姿は、見ていて飽きない程度には派手に感じられる。
マジシャンを思わせる円柱型のハットを頭に乗せ、繊細な手でステッキを片手に歩く少女。
狂戦士を思わせる巨大な戦斧を背に構え、彫刻を想起させる見事な腹筋を持つ女性。
頭部から足先までをピンクのフリルで飾り付けたドレスに身を包む美女。
その美女が腰に携えている白銀の剣は、一メートルをゆうに越す刀身の長さから察するに、おそらくエストックの類だろう。
陽光に照らされ、直視できないほど磨き上げられたその刀身は、レイピア並みの鋭利さを際立たせている。
本来のエストックがもつ機能的な無骨さも相まって、美女の華奢な身体をより力あるものに変えている。
そんな女性ばかりに視線を向けるともなく大通りを歩くテイマー職の青年〈ハイド〉は、ある光景を目にしてその足を止めた。
「マジかよ…」
ハイドは現在、三日前に発売された〈Another Lives Fantasy〉というタイトルのMMORPGゲームをプレイしている。
その人気はマニアックな部類に留まる事はなく、むしろ発売前の事前予約の段階でもかなりの盛況を誇っていた。
だからこそハイド自身、このゲームの製品版を手に入れるのに惜しみない努力を費やしたし、こうしてプレイできていることの幸福を実感している。
そんな世界の住人の一人として、ハイドは〈フローラ大陸〉西南に位置する大都市〈ノスタルジア〉に内包された商店区の一角にいた。
ゲームが始まって最初の街である〈ノスタルジア〉は大陸西南にある大きな街だ。
広大な自然の中に城郭を構えたこの円形の街は、古くからゴブリンやオーク、狼や虫系モンスターなどの攻撃による被害から人々を守るために作られた長い歴史を持つ要塞都市だ。
現在では長い時を経たことによる生態系の変化により安全が保たれたおかげか、防衛設備のほとんどが取り除かれている。
ノスタルジアはいくつかの区域から構成されており、主に〈居住区〉〈教会区〉〈商店区〉の三つから成っている。
街の東側にある〈移住区〉は主に木材と石材を主とした家屋が多く立ち並び、この街に住む多くの住民が家を構えている。
同じく街の中心にある〈教会区〉ではこの街を統括する大教会である〈Church of Requiem〉があり、この街の圏外で死亡したプレイヤーは大教会の中にある「再起の祠」で蘇生する。
三つ目の〈商店区〉は街の南側を占め、大通りの端々に鍛冶屋や商店、雑貨店に酒場など多種多様な店を構えることで街に住む民衆の生活を支えている。
そしてハイドが大通りを歩く足を止めたのは、目前の道が波のような人だかりで覆われていたからだ。
それはまるで、人で作られた壁だった。
これ、下手したらサービス開始日の三日前より人が増えてないか。
現在、〈商店区〉にはこのゲームの人気を象徴するかの如く、多くの新規プレイヤーが集まっていた。
行き交う人の数は次第に増え、今では至る所に人の群れが出来ている。
サーバーの処理に追われた運営側で過労死する人間が出なければいいが、とハイドは今もその作業に追われ続けているだろう運営サイドへ同情せずにはいられなかった。
これだけの数のプレイヤーがいれば、パーティーメンバー探しには困らないんだろうな。
ハイドは通行するグループや店の前で談笑し合うプレイヤーたちを見て、思わず侘しさを感じた。
それにしても、昨日の自分はいくらか判断力を失っていたかもしれない。
それは昨日の出来事だった。
ハイドはこのゲームの初心者用エリアの一つである〈後追いの森〉を攻略後、すぐに次のエリアに挑んでいた。
彼がそこへ初めて訪れたとき、マップデータを開くとこう記されていた。
『還魂墓地』
地下に作られたそのダンジョンの雰囲気は薄暗く、陰鬱としていた。
ネクロポリスを思わせるかのような空間と構造は訪れるものすべてを拒んでいるようだった。
中は意外にも広く、十分とは言えないまでも松明やろうそくなどの光源がある程度は確保されていたので探索には苦労しなかった。
ハイドは使役モンスターであるブラッドを連れて攻略、探索をしているうちに彼らはダンジョン内の最深部にまで到達した。
さて、どうしたものか。
ハイドはとりあえず、モンスターのいない安全な場所を見つけた。
道の脇の壁にぽっかりと空いた壁龕があったので、ひとまずそこまで移動した。
ハイドはそこで息をついてから、空中で人差し指を前に突き出す動作をした。
すると空中に浮かぶ紙のように薄い緑色のモニターが表示された。
指を下に払うと、画面もそれに合わせて切り替わり、地図のようなものが表示された。
これまでの道のりを示すマップデータだった。
ハイドはそこに映ったものを見て唸ると、顎に手を当てた。
つい先ほどマッピングされたデータを眺める。
その情報によれば、自分は気づかぬうちにダンジョンの約七割りを踏破していた。
ハイドは所持アイテムの画面に切り替えると、そこには多くの素材やドロップ品、装備品の各名称が記されていた。
道中にあった宝箱やレアモンスターに目を輝かせ、自然と時間の感覚を失っていたので七割もマップを踏破しているという事実には納得した。
ハイドはこれからの行動を考えるため、アイテムポーチ内のレアアイテムやらドロップ品がずらりと並んだその画面を指でスクロールしながら眺めた。
そうしていくつかのアイテムにある詳細テキストを読んでいたハイドに、ふと一つの考えが浮かんだ。
ただ、この考えに従うべきか迷った。
まだ装備の耐久度や回復ポーションには余裕がある。
再び指を動かして眼前の画面を切り替えると、そこにはステータス画面が表示されていた。
「レベル13か、微妙だな」
ハイドは腕を組んだまま、気難しい顔をして言った。
この〈還魂墓地〉のダンジョンを攻略する中でレベルはいくらか上がっている。
だがこれ以上、深入りして良いものかどうか。
「うーん、迷うな。一旦帰る?」
ハイドは自分の肩に乗って一緒に画面を覗き込んでいるブラッドを見て言った。
「ピィ?」
ブラッドは小さく鳴くと、首を横に傾げた。
ハイドはこの先にあるだろうボスエリアに入るかどうか迷っていた。
このダンジョンの敵は、ソロプレイヤーである自身からしてもそれほど苦労を要するものではなかった。
一旦帰ってもいいが、できることなら最深部の敵がどんなものか見ておくのも一興に思われた。
偵察を兼ねて挑んでみる価値はありそうだ。
そう思ったハイドは悩んだ末、このまま進むことにした。
悠々とした気持ちで残りのダンジョンを攻略していたハイドの前に、大きな鉄の扉が現れた。
倒せるかどうかは、やってみなければわからないだろう。
「行きますか」
ハイドは期待と緊張を胸にその大扉を両手で押し開けた。
その際、この時まで自分を満たしていた探究心が薄れていくのを感じた。
代わりに心に入り込んできたのは、幽霊に胸を突かれたような不吉さだった。
今思えば、あの判断は間違っていたのかもしれない。
商店区にある大通りの脇に設置された木製のベンチに腰掛けながらハイドは考えた。
あの後、ボス部屋の先に進んだハイドを待ち受けていたのは、紛れもないあのボス〈エンド・オブ・ソーサラー〉とその取り巻きである〈ガーディアン・オブ・スケルトン〉たちであった。
初見にもかかわず健闘できたことは確かだが、最後にはソーサラーによる強力な攻撃で、見るも無残な結果に終わってしまった。
その後ハイドは今の現在地であるこの街の〈教会区〉、その内部にある〈再起の祠〉で蘇生され、〈商店区〉に訪れたのだった。
流石に教会区からここまで歩いてくるのは苦労を要するのでこのゲームの一機能、〈転移〉を用いて商店区まで移動した。
転移はこの街の主に三つある区域内、あるいはこの街の東西南北にそびえ立つ四つの門の前へなら、好きに移動できる。
ハイドは通りを縦横無尽に行き来するプレイヤーから目線を外すべく、上空に漂う雲を眺めていた。
先ほど見た大通りの光景に驚愕したせいか、急な疲労感を感じて休憩していた。
長時間人混みの中にいると、疲れてしまうたちなのだ。
しばらく黄昏た後、腰を起こして立ち上がった。
ハイドはこれから〈還魂墓地〉で共に葬られた、自分の使役モンスターであるブラッドを蘇生させるべく、ある場所へ向かっていた。
それは南にある行きつけの商店だった。
この街〈ノスタルジア〉は中世の町並みをイメージしているらしく、石材一つとってもレンガ造りや大理石を使っている建物はたくさんある。
それらの建築資材は一般的なRPGタイトルをプレイする上で、最もポピュラーなものだと言えるかもしれない。
だがこの街〈ノスタルジア〉はこのゲームの冒険を始めるうえで初めに訪れる場所でもあるから、むしろ王道のRPG的イメージを表現するのには適していると言えるだろう。
ハイドがこれから向かう店で買うのはブラッドの蘇生アイテム〈涙の結晶〉だ。
〈涙の結晶〉とは、街の圏外で死亡した使役モンスターを蘇生することができるテイマー用蘇生アイテムだ。
つまりこの街の圏外で死亡し、〈再起の祠〉で蘇生できるのはプレイヤーのみだということだ。
そしてこのアイテムの効果である蘇生、といってもその使用には制限がある。
例えば街の外、つまり〈ノスタルジア〉の圏外では使用できない。
だからダンジョン内などでモンスターのみが死亡してしまったりすると、プレイヤー本人だけで街に戻らなくてはいけないのだから、かなりの苦労を強いられることになる。
ハイドは思った。
どうせ死亡するのなら、プレイヤーと一緒に教会でリスポーンできればいいのに、と。
だがテイマーにとって、使役モンスターとは命も同然なのだから、そのぐらいのデメリットは受け入れるべきなのかもしれない。
ちなみにこの〈涙の結晶〉には上位互換のアイテムがあるという噂がある。
と言っても、まだこのゲームが始まって三日しか経っていないのだから、その真偽はかなり危ういものだろう。
ハイドがそんなことを考えながら通りを歩いていると、突然遠くから一際大きな足音が響いた。
ハイドは立ち止まってその音に耳を傾けた。
すると、その音はだんだんと自分のいる方へと近づいていた。
距離が狭まるにつれにつれ、前方にある人の壁が徐々に崩れていく。
モーセの如く人の波を両断して突き進むその足音は、全速力でこちらに向かってくる。
ハイドは突然の事態に驚愕していると、いつの間にか自分の周囲にいた人々が道の端まで寄っていることに気づいた。
「え?」
どこへ逃げて良いか迷っていると、瞬く間にその人影はハイドに衝突した。
「っ⁉︎」
「きゃっ」
自転車にでもはねられたのではないかと思ったほど、その衝撃は耐え難く、ハイドはその場に尻餅をついた。
ハイドは軽い目眩を覚えながら相手を見ようとする。
揺れる視界の中、なんとか焦点を合わせて見えたのは少し日に焼けた、肉つきのいいふっくらとした脚だった。
機動性を重視したその脚は、光沢を帯びた革製の靴から上に向かって緩やかな曲線を描き、流れるようにデニムのショートパンツに続いていた。
さらに片方の太腿には、美しい脚を飾り付けるように質のいい革製のベルトが巻かれている。
そのあまりに端正な脚に見とれたハイドは思わず呆然としてしまった。
「いたた〜、ごめんなさいね。急いでたの」
ハイドはその声を聞いてようやく我に返り、すぐに相手を見た。
ぶつかったのは同年代くらいの赤髪の女の子だった。
どうやら相手の方はそれほどの衝撃を受けていなかったらしく、苦もなく立ち上がると服についた土埃を落とすかのようにデニムの上から手で軽く払った。
それを見ていたハイドは自分が女性にぶつかった事を思い出し、咄嗟に謝ろうとした。
「あ、えと、す、すみません…」
情けなくも必死に声を出したつもりだったが、相手はその言葉を聞き終えることなく再び走り出した。
「ごめんね〜、今急いでるからー。どいたどいた〜!」
そんな風のように去っていく彼女を見送ったハイドの視線は、動くたびに揺れる長めのポニーテールに向けられていた。
背面しか確認することができなかったが、そのいかにも化石掘りでもしていそうな容姿から〈トレジャーハンター〉を連想した。
このゲームの住人はハイドを含め、皆が多種多様なデザインの格好をしているので、その見た目にとりわけ不自然さはなかった。
ハイドはその場に座り込んだまま、縮小していく彼女の後ろ姿をしばらく見つめた。
いつの間にか周囲の人間は静寂に包まれていたらしく、彼女が去るや否や再び喧騒と人の波がハイドを取り囲んだ。
ここにいては通行人の邪魔になってしまう。
そう思ったハイドは立ち上がると、すぐに道の端に寄った。
するとまたもや大きな足音が聞こえた。
音の大きさと数からして複数人のようで、群れようとしていた羊が牧羊犬に追われるが如く人々の壁が開いた。
今度はぶつかるまいと思ったハイドは、道の端に寄ってこれから迫るだろう人影に目を凝らした。
現れたのは三人のパーティーだった。
武装した中年の男たちが鬼のような形相で荒い吐息を吐きながら現れた。
彼らは先ほどハイドと彼女が接触した場所に立ち止まると息をついた。
「ちくしょう!あの野郎、覚えてやがれ!」
「はあ、はあ。どうやら、撒かれちまったみたいだな…」
「絶対ただじゃすまねえからな…ひい」
息も絶え絶えになりながら、粗末な装束をした三人は思い思いに毒づいていた。
何が起こってるんだ全く。
周りにいる人々も本日二回目の出来事とあってか、呆然としているものはほとんどいなかった。
ハイドは目の前の異質な状況に当惑しながらその光景を眺めていると、通りを挟んだ向かい側にいる男に目が止まった。
鍛冶屋の前にいた男の背はハイドよりもいくらか高く、歳は自分と同年代に見える。
ハイドは息を飲んだ。
なんとその男は先ほど走ってきた三人組に近づいているのだ。
「どうかされたんですか」
「ぜえ、ぜえ…ああん?」
男は近づくと、いまだ呼吸の整っていない中年男性の一人に声をかけた。
三人組の一人である男は何者かが通ったであろう通りの先を見つめながら苦渋の顔で返事を返した。
「先ほど走り去っていった女性を追っているようでしたが」
「ああ、そうだよ。その通りだ」
中年男はしばらく通りを見つめると、男のいる方に向き直った。
彼らは確かに誰かを追っているようだったが、もしかして先ほど走り去っていった彼女を追っているのだろうか。
ハイドが思案していると、その中年男性が話しだした。
「あのアマ、俺らに偽の情報もたせやがってよ。こっちの金持ったまま逃げやがったんだ」
「それはどういう…」
話を聞いている男が困惑顔になると、ハイドも同じ反応をした。
今の話だけでは趣旨がよくわからなかったので、もう少し詳しく話してくれと男が言うと、三人組の中の一人が話し始めた。
感情が高ぶっていたせいか、その話はハイドのいるところまで聞こえていたのでそれに耳を傾けた。
彼らの話によると、どうやら三人組は先ほどハイドとぶつかった彼女に騙されたらしい。
三人はパーテイーとしてクエストを受けにいったらしいのだが、そのクエストの内容はある特定のアイテムをNPCに届けるという、RPGゲームにおいては典型的なものだった。
そのアイテムはモンスターからドロップする素材系のアイテムで、三人は協力してそれを手に入れようと奮闘した。
しかし意外にも目的のアイテムはドロップ率が低く、時間を浪費するだけの結果に終わってしまった。
三人はこれ以上続けるのも無駄骨だと思ったのか、ついにはクエストを断念せざるおえないと考えた。
そんなとき、彼らに手を貸そうと名乗り出た者がいた。
その人物こそ、彼らが先ほど追っていた女性だった。
彼女はクエストを破棄するかどうかを話し合っていた三人に近づくと、声をかけた。
「ねえ、私そのアイテムの効率のいい出し方知ってるよ」
「それ本当か?」
彼らの受けたクエストの報酬は、最初の街で受けられるものにしては価値の高いものだったので彼らは藁にもすがる思いで彼女の助言を求めた。
すると彼女はその話の条件として代金を求めた。
急な要求に三人は唖然とした。
それから彼らは話し合いの末、その話の真偽を裏付けるものはあるかと彼女に聞いた。
すると彼女はその要求とも思える質問に快く受け入れ、話が本当だと言う証明にそのアイテムの現物を彼らに見せた。
三人は興奮を抑えきれぬまま、彼女の要求に応じた。
求められた代金は、彼らの受けたクエストの報酬の価値と比較しても差し障りない金額だったため、三人は当然その要求を受け入れた。
彼女の話を聞いた後、礼を言って別れるとすぐにその方法を試した。
ある程度試してみても目的のものがドロップしないため、その方法を実践した三人は次第に不安に駆られていった。
結局、三人は目的のアイテムを見つけることができなかった。
クエストを受けた当初の感情とは比べ物にならないほど落ち込んだ。
だがそれ以上に、彼らに取り入って虚言を吹き込んだ彼女に対する猛烈な怒りが沸き起こった。
それからというもの、彼らはことあるたびに彼女を探した。
ある日、街で宿を探していた所、偶然にも彼女を見つけた。
彼らは憤然とした面持ちで彼女に近づいた。
すると彼女は自身に近づく不穏な気配に気づいたのか振り返ると、三人を見るや否や駆け出した。
当然、彼らは彼女を追いかけた。
そうして行き着いたのがこの場所だったと言うわけだ。
話を終えた三人の気持ちは、もはや怒りを通り越して落胆していた。
「そう言う訳だったんですか…」
話を聞き終えた男はしばらく考え込むように腕を組んだ。
すると男は彼らの方を向くと言葉をかけた。
「そう言うことでしたら、おそらく力になれると思います」
それを聞いた三人の表情が変わった。
だが彼らの表情は期待半分、疑心が半分といった所だった。
「そのアイテムのドロップ条件ですが…」
その男はその緊張を和らげるかのように、爽やかな笑みを浮かべながら話した。
話を聞いた彼らは怪訝な表情を向けながらも男の話を聞くと、ひとまずは納得した。
男は彼らの物足りない感情を察したのか、さらに話した。
「あと何でしたらそのアイテム、今手持ちにあると思うので、よければあなた方に差し上げますよ」
その言葉を聞いた三人は途端に目を輝かせた。
男は自分のアイテムポーチからそのアイテムを取り出すと、彼らにすっと差し出した。
三人は喜んでそれを受けとった。
感激した三人は男に感謝の意を述べると、神々しいものでも見るようにそれを見つめていた。
しばらくすると、三人の中の一人が男にいかにも気まずそうな表情を浮かべながら聞いた。
「ありがたいけどよ、ただ貰うのは悪いしなあ。何か礼になる品があったかな…」
男は穏やかな表情を保ったまま、彼らにかぶりを振って答えた。
「いえ、お礼は結構ですよ。そのクエストなら何度か過去に経験したので」
三人は男の紳士的な対応に驚愕すると、今までで一番の笑顔を浮かべた。
「悪いなあ、ありがとよ兄ちゃん。この恩は忘れねえからな」
男は遠慮がちに笑顔を向けると、会釈して三人と別れた。
なんという粋なはからいをする男だろうか。
男は彼らを見送ると、その端正な顔を空に向けた。
こういう人間を見ると心がほんのり温まるな。
そう思ったハイドはふとあることに気づいた。
男の顔に、以前どこかでみたことがあるような面影を感じたからだ。
しかし、このゲームで見知りの顔なんてあっただろうか。
ハイドはリアルでもゲームでもソロプレイをしているので、一層その既視感が不思議に思えた。
そこでハイドは鍛冶屋の前にいる男を伏し目がちに見てみた。
男が万が一にも自身の顔見知りのあった場合を避けるためだ。
その男の髪は金髪をオールバックにしたように前髪がかきあげられている。
装備は重装備のプレートアーマーに赤いマントを下げていた。
背には頭部まで迫るほど巨大な大楯を携えている。
装備から察するに男のジョブは守護騎士、いわゆるタンクの職だろう。
髪型や服装こそ見覚えはなかったが、やはりその男が漂わせる雰囲気には覚えがあるような気がしてならない。
ゲーム内で見たプレイヤーとしては初めてだった。
ならリアル世界のどこかで見たのだろうか。
「誰だったかな、多分顔と雰囲気だけなら知ってるはずなんだけど」
ハイドは小さく呟いた。
その時、ハイドはあることを思いついた。
そうか、男の上を見れば何か分かるかもしれない。
この考えに至ったのにはある理由があった。
その方法はこのゲームにおいて、最も簡単に相手の情報を得られる方法だった。
簡単なことだ。
キャラクターの頭上に表示されているプレイヤー情報を見ればいいのだ。
なぜならそこにはプレイヤーの詳細が記載されているからだった。
早速ハイドはその男の頭上を見つめる。
プレイヤーの頭上に表示される情報は他のプレイヤーでも視認することができる。
それは多くのプレイヤーがいる街中であったり、森林などの木々が生い茂る場面などでも味方の情報を判別しやすくするために、多くのMMO関連ゲームで開発側が施したゲームの仕様だった。
ちなみにこのゲームではプレイヤーの設定から、その情報が表示されるかの有無を変更することも可能だ。
「ギルドは…『無所属』みたいだな」
さらにその下にある情報を見た。
次に下段に視線をずらす。
「ユーザーネームは…〈カートン〉か」
ハイドが情報を確認して程なくすると、その男は空から視線を外した。
男は満足気な顔で正面を向き、そのまま鍛冶屋の方に振り向いた。
なおもその顔に思い当たる節がないか記憶を辿っていると、いまさっき鍛冶屋の方に振り返ったはずの男が急に振り返った。
ハイドは反射的に目を逸らした。
自分の直感が相手に顔を見られてはいけないと告げている気がしたのだ。
何か嫌な予感がする。
そう思ったハイドは顔を下に向けたまま体の向きを変えようと努めるが、それを済ませるより早く頭上で声がした。
「そこの君!」
相手に見つかる前にこの場を去るべきだったと後悔するハイド。
なぜならその人物の素性を自分は知っていて当然だったからだった。
その顔どこかで、と男は呟いた。
大通りを行き交う人混みを挟んでお互いが一瞬の沈黙に包まれた。
男はそれまでの訝しげな表情から一変、何か閃いたかのように目を見開いた。
「もしかして、灰九か?そうだよな!あれ、でも名前はハイドみたいだ」
ハイドはその場を立ち去るべく後ろに振り返るが、男は躊躇なく近づいてくる。
「ひ、人違いだ!」
ハイドは相手に背を向けながら叫んだ。
まるでそれ以上近づくなとでも言うように。
「へー、リアルとまんま見た目同じじゃん。って俺のこと分かる?頓田だよ。頓田和也」
男は近づき、ハイドの肩にそっと手を置くと言った。
万引き犯が自動ドアに背を向けながら店を出て行った後、咄嗟に追いかけてきた店員に肩を掴まれたらこんな感じだろうな。
ハイドはその手の感触に、背中の上を虫が這うような寒気を感じた。
もう逃げることはできないな、仕方ない。
思い切って振り返った。
そこには先ほどとは少し変わった満面の笑みでハイドを迎える見知りの顔があった。
男はハイドとリアルで同じ高校に通っている、クラスメイトの『頓田和也』だった。
学校では先ほどの紳士的な行動を見ても分かる通り、その性格から多くの人間が彼を慕っている。
彼ほどの人徳があれば人とのコミュニケーションに困る心配など一切ないだろう。
頓田のリアルでの容姿はいかにも体育会系のさっぱりとした短髪に、端正な顔立ち。
加えて学業も優秀なのだから、彼の周囲に人が群れないわけがない。
もし彼が運動場で汗を流す姿を女子が一目見たならば、ローマ教皇を謁見するキリスト教信者たちのように歓声で溢れるかえることだろう。
そんな男に灰九が劣等感を感じない訳もなく、普段は物理的かつ精神的にも距離をおいているのだが、彼は灰九に対して全く異なる印象を抱いているようだ。
なぜなら頓田は時々、灰九に交流を求めてくることがある。
それは休み時間や、昼休憩、放課後など不定期に、かつ唐突に起こるのだ。
彼に対して予防線など意味を成さぬかのように、時として友好的に、狡猾に、自然に灰九の懐に入り込もうとする。
そういうわけで頓田和也という男は、灰九が最も苦手とする人間の一人だった。
まさかこんな場所で会うとは思いもしなかったので、この後どうした切り返すべきかとハイドは考えていた。
するとそれは彼にとっても同じだったようで、頓田は顎に手を添えたまま神妙な顔つきで話し出した。
「まさか灰九とこのゲームで会うなんて思わなかったよ。もう少し話しができればよかったんだけど」
その言葉に対してハイドは無言を決め込んだ。
それはこっちのセリフだ。
なぜこのゲームの中でまでリア充に会わなくちゃいけないんだ。
それに話ができないのは俺がコミュ障で他人との交流を避けているからだ。
ハイドは陰鬱な気分で彼を見つめると、何を察したのか頓田は急に戸惑った様子でかぶりを振った。
「ああ、すまない。別に君が俺と話してくれないことに皮肉を言っているんじゃないよ」
ハイドは良心の呵責を感じた。
気分が凄まじい勢いで沈んでいくのを感じたので話の腰を折るきっかけを探すべく、視線を頓田の装備に移した。
頓田の装備はいかにもタンクが身につけていそうな装備だった。
首から下は光沢のあるプレートアーマーで守られ、無駄な装飾がないそのシンプルなデザインには、あらゆる物理的な攻撃によるダメージを軽減するための機能性が感じられた。
そして、中でも目を引くのは背に構えられた金属製のタワーシールドだった。
その堅実さは低級モンスターの攻撃などでは微動だにしないだろうほどのオーラを放っている。
さらに大盾の中央に彫られた三日月型の装飾は、本来の防御機能を阻害しない必要最低限の優美さがあった。
おそらくあの大盾はレアドロップだな。
ハイドはこの街の武具店にある装備にはあらかた目を通したつもりでいたが、頓田の装備するその大楯には見覚えがなかった。
装備している防具や武器の一つ一つに関心を向けていると、頓田が独り言のように言った。
「それにしてもすごい人気だよな、このゲーム。俺もやってみてその理由がわかったけどね。ハイドもそう思わないか?」
頓田はオンラインゲームというネットの一環境において、自分が灰九を本名で呼んでしまったことへの軽率さに気づいていた。
「そうだな」
対してハイドは目を逸らしたまま、素っ気ない返事を返した。
すると頓田はハイドの反応に驚愕したのか一瞬目を見開くと、すぐに落ち着いた表情に戻った。
「やっぱり灰九だったか」
「は?」
これまでの会話の内容がハイドの中で音を立てて崩れた。
「ごめんごめん、からかうつもりはないよ。実は本人かどうか自信なかったんだ。本当に」
ハイドは予期せぬ言葉に一瞬の苛立ちを覚えたが、相手のこれ以上ないほど申し訳なさそうな表情がそれを抑えた。
「いや、気にするな。少し驚いただけだから。」
頓田はその答えを穏やかな表情で受け止めた。
そして早々にこの場から去りたいというハイドの気持ちを察したのか、無駄に引き止めることを避けるために言った。
「おっと、仲間を待たせているんだった。それじゃ、また学校でな」
「ん?ああ、そうか。またな」
ハイドは頓田に対して最後まで無愛想なのもそうかと思ったので、できる限りで口もとに笑みを浮かべた。
いわゆる苦笑というやつだった。
頓田は小さくうなづくと、ハイドが歩いて来た方面へ歩き出した。
ハイドは頓田を見届け、彼とは逆の方向に歩き出した。
すると不意に後ろから声をかけられた。
「ハイド、ちょっと待ってくれ。ここで会ったのも何かの縁だろ。良ければフレンド登録しないか」
少し迷ったが、とりわけその提案を断る理由もなかったので受け入れることにした。
「ああ、いいよ。カートン、だっけ?」
「そうだ、改めてよろしくな」
ハイドは眼前に表示されたカートンのフレンド申請に対して承認した。
カートンは再びうなづくと、別れの言葉を述べてからまたそれぞれの方向へ歩き出した。
ハイドは普段、自分の個人的な空間に拒む間も与えずに入り込んでくる頓田を避けていた。
しかしそんな彼でも、きちんと相手の気持ちを推し量ることができるだけの器量は備えていた。
頓田は時にその紳士的な振る舞いで知性を感じさせ、時に豪快なほどの情熱を感じさせる。
そんな完璧に等しい彼をハイドは徹底して遠ざけてきたが、それでも時折、彼の見せるうっすらとした孤独さは嫌いになれなかった。
周りから見れば彼は傷一つない宝石のように見えるかもしれないが、ハイドにはその哀愁漂う孤独さが自分にのみ見ることができる小さな亀裂のように思える気がした。
だからというわけではないが、リアルでは交流を避けている分、ゲームの中でくらいは彼の言葉に耳を傾けてもいい気がした。
歩いていると、背後で誰かが呼んでいる声がした。
ハイドは立ち止まると、首だけ動かして後ろを見た。
「カートンさん、遅いっすよ〜」
「すみません」
「ヤマトったらそんなに急かすことないじゃない。何か用があるなら先に南門に向かってるわね」
「いえ!大丈夫です」
少し遠くで小柄な盗賊らしき男と、筋肉質で露出の多い服装の拳闘士らしき女性が見える。
カートンはこっちの世界でも王子は人気者のようだ。
これだからリア充ってやつは。
ハイドは大きく息を吸うと吐きだし、歩き出した。
いつの間にかあたりの街頭にはほんのりと優しい橙色の光が灯され、街は夜の姿に変わるための準備を着々と始めているようだ。
すると遠方から大きな金属音が響いた。
おそらく〈教会区〉の中心にある鐘の音がここまで届いているのだろう。
ゆったりと鳴り響くその鐘の音は重く、あたかも質量を持っているかのようだ。
なんとなくブラッドの甲高い鳴き声を思い出した。
「待ってろブラッド、今いくからな」
ハイドを待っているパーティーメンバーはいない。
だが共に戦い、進むべき道を照らしてくれる仲間はいる。
テイマーという職はある意味、人とのつながりを受け入れられず、遠ざけてしまいがちな自分のような人間にこそ与えられているのかもしれないとハイドは思った。
1話に収まる内容で書くように心がけたんですが、少し多いですかね?
一応、2話、3話への展開について計画は立ててるつもりなんですが…。