第9話 朝露の誓い
すいません!めっちゃ遅くなりました!
翌日、雪も止んで眩いばかりの陽射しが降り注ぐ中、アンジェリカが少年に質問して来た。
「ねえ、貴方の名前はなんていうの?」
「俺の名前?そういえば・・・えっと、なんだったっけな?」
「名前忘れるってどういうことよ」
「まあ、色々とな」
言われてみれば、もう5年は名前を呼ばれていない。それとかあれとか、これと言われれば、大体伝わっていたから、名前なんて忘れてしまった。
すると、アンジェリカが自信満々に提案して来た。
「なら、『ゼロ』なんてどう?これから貴方の人生が始まる的な意味で、最初のゼロ!どう?」
「普通、イチとか、ファーストとか、そういうのじゃねえの?始まりっていうなら」
「ふふーん、このゼロっていうのは、今の貴方には何も無いって事を意味したダブルミーニングって奴よ!」
どうだとばかりに胸を張る。そんなアンジェリカを見ていると、少し笑えて来て、少年もまた楽しそうに笑った。
「いいね、それ。なら今から俺の名は『ゼロ』だ。何もなくて、ここから始めるただの『ゼロ』、間違えんなよ?」
「間違えるわけないでしょ?私が名付けの親なんだから」
「母さんとでも呼ぼうか?」
「冗談はやめて?吐き気がする」
「寒気じゃないあたり、本気で嫌がってんのが伝わるな」
青空の下、二人で軽口を叩きあう。その後、二人は勇者の手が及んでおらず、殆ど損傷のない地下の厨房で、朝ご飯を作ることにした。
朝ご飯、と言いつつも昨日から何も食べていない二人はそれなりにボリュームのある物を作る。そして、スープを煮込んでる間に、ふとゼロが質問する。
「そういや、アンジェリカって、どれくらいの周期で俺の血を吸うんだ?」
「ん?いや、別に強い魔力を使う場合は、血を吸わせてもらうけど、普段はいらないわよ?」
「あ、栄養は普通に取れるのか」
「そう、まあ、私の種族のいいところよね。ていうか、それよりも昨日はなんであんなところにいたの?」
今度は逆に、アンジェリカの方から質問される。それに対して、ゼロはそれまでの経緯を伝えた。自分の生まれ、加護のこと、少女のこと、勇者のこと、それらの全てを話し終える頃には、二人の料理はとっくに出来上がっており、二人は一度、料理を運ぶことにする。
崩れた屋根から日光が降り注ぐ中、小さなテーブルを囲んで食事をする。テーブル上が大方片付いたところで、アンジェリカが話し始めた。
「私は、勇者と直接出会ったことはないわ」
「それは・・・」
自分の話に対して返事が返ってくると思っていたゼロは、不意を突かれて、返事をうまく返せない。
「でも、近くの農村に隠れていた私は、見つけ出されて、追われた。どういうことかわかる?」
「魔王があんたのことを話したっていうのか?」
「うん、でもお父さんは絶対に私のことを話したりなんかしない。だから・・・きっと・・・」
「拷問された・・・と?」
「ッ・・・」
彼女が俯き、煌めく涙が落ちる。肩を震わせながら、彼女はポツリポツリと言の葉を呟いた。
「私は・・・私も、勇者の事を許せない・・許したくない!だから・・・私と・・・私に・・!」
そこまで言われて、ゼロは彼女に手を差し出していた。彼女は、涙でグシャグシャでもなお美しいその顔を上げる。
「俺は、勇者もくそったれな王様も、こんなゴミみたいな世界も絶対に許すことはない。こんな俺でよければ、お前の復讐を手伝わせてくれ」
彼女は差し出されたゼロの手を掴んで、手繰り寄せて囁くように呟いた。
「私と一緒に堕ちてくれる?」
「あの勇者を殺せるのならば」
それは、二人の間で交わされた悪魔の契約。他の誰にも肩代わりは出来ない。
魔術的な繋がりは愚か、第三者による保証もない口約束は、お互いを縛る鎖となり、これから先、二人を結び続ける。
× × × ×
俺の知る限り、彼女が堪えきれずに涙を流したのは、あの時だけだ。次の瞬間から彼女はいつもの自信に満ち溢れた笑みを見せて、その後は一度も涙を見せない。
だから、俺は驚いていた。彼女が俺の命にここまで比重を置いていた事に。
「落ち着いたか?」
出来るだけ優しく、彼女の背中を撫でながら話しかけてやる。
「うん、ごめん。取り乱した・・・」
アンジェリカは少し篭ったような鼻声で返事をしてくる。
「そっか」
俺が彼女の肩に手を置き、体を離そうとするとより強い力でグイと身体をくっつけられる。
「もう少しだけ・・・」
「泣きながら言うなよ・・・ずるいだろ」
「女の子はみんな、狡猾なの・・・」
震える彼女の声は、俺の力を抜いてしまう。成る程、確かに狡い。女の子の涙はいつだって男にとって何よりも優先してしまうものだ。
きっと、俺はこの先何度も、何度も何度も、彼女が泣いてしまう度に、フィオナに悪いと思いながらも、彼女を慰めてしまうだろう。
ずっと先の事を夢想しながら、俺は彼女の髪を撫でる。
足元で眠るレイ、腕の中で眠るアンジェリカ、それらはまるでかつて思い描いた家族のようで、俺は少しだけこの情景の中に浸る事にした。