第3話 月兎人族
兎、『レイ』の名前を決めた後、彼女達が部屋に持ってきたシチューを全員で食べようという話になり、レイが下に皿を取りに行った。
二人きりになると、アンジェリカがこちらにきて、俺の入るベッドに座る。
「貴方の右腕、見せて?」
言われるままに右腕を差し出す。
彼女は其の右腕を見ると、愛しそうに撫でながら、紋様をなぞり始めた。
「これは私と貴方、世界で二人きりしか持たない悪魔の力を示す紋様。今までの貴方は世界に存在を認められない存在だったけれど、これからの貴方は世界に存在する事を否定される存在なのよ」
彼女は妖艶に微笑んで、俺のことを覗き込む。その表情は、今までの俺を値踏みするようなものではなく、愛しい者をみるような、慈愛に満ち溢れたもので、少し気恥ずかしい。
彼女は、俺の胸元に体を預けて、甘えるように言ってくる。
「私と貴方、世界でたった二人の存在。もうお互いが唯一無二の味方」
彼女のそれは、信頼であり、愛情であり、友愛であり、依存だ。俺たちは互いが互いを求め合い、補い合う片翼の鳥なのだ。一人では飛べないが、二人ならば何処までも飛べる。
ここで彼女の肩を抱けたならば、どれほど幸せだっただろうか、その無償の愛を全て受け止めて、互いに堕ちてゆけたら、どれほど良かっただろうか。
けれど、俺は彼女を抱けない。その腕は、フィオナを抱き寄せるためにあるから。
だから俺は、彼女の肩を掴んで体を引き離す。
彼女は一瞬、驚いてからわかってるとばかりに笑った。
「はいはい、貴方はフィオナちゃんを助けるために戦ってるんだもんね」
「悪いな、その、り・・・」
彼女は俺の口を手で塞ぎ、コインを弾いていた時の得意げな表情をした。
「最後は私をえらばせてみせるから」
その表情は先程までの消え入りそうな儚いものではなく、自信に溢れた彼女らしい笑顔で、不覚にも見惚れてしまう。
俺が何か言おうと口を開いた瞬間、勢いよく扉が開けられて、レイが入ってきた。
「さあ!ご飯食べよー!」
俺とアンジェリカは、思わず顔を見合わせてから笑い出してしまう。
「そうだな」
「今度、ノックという概念を教えてあげる。貴方は、覚えることが多そう」
「むー、ノックって何?ていうか、何の話してたの?私も入れてー」
レイの質問を軽く受け流しつつ、シチューの準備を始める。
その後、レイが何回か何を話していたのか聞いてきたが、シチューを何回かおかわりした後は、満足したのか眠ってしまった。
アンジェリカが眠るレイの髪を透かしながら、慈しむ視線を向ける。
「可愛い、まるで子供のよう」
「子供だろ、実際の年齢はどうあれ、人間界での生活は今日が初めてなんだから」
「そういえばそうね・・・だとしたら、私達の子供、とか?」
「また、笑えない冗談を」
こうしてゆっくりと時間が過ぎる中、彼女と話している時間は余りにも幸福で、一生このぬるま湯に浸かっていたいとすら思う。
けれど、幸福の時間は長くは続かない。俺たちはランタンの火が消えるのを合図にお互いのベッドへと戻ることにした。
× × × ×
半分に欠けた月が夜の街を照らす。
時刻が深夜の2時を回った頃、ゼロ達が眠る部屋の片隅でそれは起こった。
「んん・・・」
レイが寝返りをうつと、その腕がベッドから投げ出される。
ダランと垂れた腕に引っ張られてベッドの上から落ちてしまい、彼女は目を覚ました。
「いてて、ベッドから落ちちゃった・・・」
一度起きると、再び眠るというのは難しく、水を探す事にする。
ランタンが消えているため、暗闇の中、手探りで水を探していると、とある光景がレイの視界に入る。
それは、カーテンの隙間から漏れる白い光。唯の光であれば、水を探す方が重要な為、無視しただろう。けれど、その光には抗えない。興味なんて無いはずなのに、どうしてもその光を見たい。一体何が光の発生源なのか知りたい・・・いや、光が何から来てるのかは知っている。
気づいたらレイはカーテンに触れていた。彼女自身にもなんで、この布を開けたいのかわからない。けれど、彼女の中にある何かが、この光を浴びたいと叫んでいる。
そして、本能のままにそのカーテンを開けると同時、彼女の意識は暗転して無くなった。
直後、それは起こる。
それは、絶望であり恐怖、人々から太古の昔より、恐れてきた現象であった。
『月兎人族』とは、人の形をしてはいるものの、その実、人とは全く違う生物である。全身の筋繊維は、人の様なバランスのいい筋肉では無く、ライオンやチーターなどと殆ど変わらない、瞬発力を極めた物であり、内臓の位置や、形も大きく異なる。
そして、極め付けは頭頂部にある小さな耳である。この種族の聴覚自体は、人間と同じく側頭部辺りにある耳にあるが、ある一定条件の下、普段は髪の下に隠れてしまう様な小さな耳が大きくなって、そっちの方に聴覚が移り変わる。
その条件が、月の光を目の中に写すこと。
そして、頭頂部に存在する小さな耳、兎と全く同じそれが大きくなった瞬間、『月兎人族』はその姿を変える。
その姿は『先祖返り』と呼ばれる、その種族の真の姿、その姿になった『月兎人族』は2000年ほど前に、人々よりある名で呼ばれていた。
その名は・・・・『魔王』
× × × ×
プレッシャーを感じると同時に、ベッドから身を起こすと、視界が白に染まった。
ホワイトアウトした視界が、戻ると俺の目の前に、アンジェリカが立っていた。
「敵か?」
「それはここですべき話じゃ無いわね」
彼女が答えると同時に、指を鳴らす。乾いた音がすると同時に、臀部に衝撃が走る。
「いって・・・え、なにこれ、夜逃げでもする気?」
周りを見回すと、宿屋があった街の外にある草原にいることがわかる。
どうやら、アンジェリカが転移の魔法を使ったらしい。しかも、自分のみじゃなく、周りのものまで転移させる『古代級』の魔法だ。先程、俺の臀部に衝撃走ったのは、転移した際にベッドの高さから落ちてしまったからだ。
呆然とする俺にアンジェリカが背中を向けたまま答えを返してきた。
「その話は後で、まずはあれを抑えることから始めましょう」
彼女の視線の先にいるのは、全身に白い雷のような物を纏った何か。よく見ると、髪は腰まで伸びて、大きな兎耳まで生えているが、その顔つきはレイであることがわかる。
「え、あれレイなの?」
「だから話は後でするから、とりあえずあの子を抑えましょ」
「おーけー、後で絶対話してもらうからな」
立ち上がって、彼女の隣に並び立つ。悪魔達から加護を貰って以来、初戦闘だ。
まさか、その力を振るうのが仲間になるとは思いもしなかったが。
加護の使い方なんて、教えてもらった事はない。だが、わかる。これが加護の感覚・・・これこそが、俺が求め続けた物。
「我が名、『ゼロ』の名において契約を執行する。七つの大罪が一柱『暴食のグラ』、汝の力を貸し与え給へ」
腕に刻まれた刺青の内、二の腕辺りのそれに鈍痛が走り、黒い輝きを放つ。
同時に全身を何かが這いずり回るような感覚に襲われたかと思うと、まるで凍てつくかのような寒さに纏わり付かれる。
「ぐぅ・・・」
噛み締めた歯の隙間から苦悶の声が漏れた。全身が寒くて、痛くて、のたうちまわりたくなる。
これが悪魔との契約、人間が悪魔の加護を受け取るということなわけだ。
だが、体の奥底からは今までとは比べ物にならないほどの力が湧き上がってくる。
「さて、気分はどう?」
「ああ、最高だ」
「なら良し、私が魔法で牽制するから、何とか、彼女の動きを封じて?」
「りょーかい」
俺が答えると同時に、彼女が7つの氷を空間に作り出して、レイに飛ばした。
「ガァ!」
レイが獣のような咆哮を飛ばしてくる。同時に、氷が全て砕け散り、アンジェリカが吹き飛ばされた。
「んな!咆哮による衝撃だと!?」
「想定以上に化け物ね。ま、想像以内だけど・・・ね!」
彼女が立ち上がって、手を叩く。
すると、砕け散った筈の氷が白い霧のように変化して、レイの周りを取り囲んだ。
次の瞬間、その全てが細い氷の柱になり、レイの動きを封じ込める。
「氷牢の霧、さ、行きなさい」
「任せとけ」
全力で地面を蹴る。すると、地面が砕け散り、一瞬でレイの遥か後方の岩に激突した。
激突した岩が放射状にひび割れ、背中に鈍い痛みが走る。
「痛ってぇ・・・そりゃそうだよな、今までとは全く感覚が違うもんな」
「ちょっと、ゼロ?大丈夫?」
「悪い!ちょっと力の加減が・・・」
そんな事を言っていると、レイが氷を砕いて、こちらへと歩いてきた。
その目はまるで獣のようで、理性が残ってる気配は無い。
「ガァ!」
「くっ」
咄嗟に横っ飛びして、レイの咆哮を避ける。すると、ひびの入った岩が砕け散ってその後ろの地面が抉れる。
「いやぁ、やべえやべえ」
上手く体を動かせない、いや体が動きすぎる。お陰で攻撃はおろか、回避すらもままならない。だが、今までのようなどうしようもないピンチではない。これ以上のピンチなんぞ、幾らでも経験してきた。
果物ナイフしかなく、足の骨が見えてるような状態で全長2メートルの狼、『ウェアエッジウルフ』に追いかけられたことに比べたら、こんなピンチはピンチですらない。
まあ、咆哮だけで相手を吹き飛ばすような相手なんて終ぞ、戦ったことはなかったが。
そんな相手に対し、ここまで余裕のある戦闘をしている事に気づくと、思わず笑みが溢れてくる。
「随分と余裕そうね、ゼロ?さっきの私の作ったチャンスを無駄にしたくせに」
「そ、それは悪かったよ」
「なら、貴方の体の調整も含めて、その子は貴方一人で相手取りなさい?その子を抑え込んで、25秒動きを止めれば、何とかしてあげる」
「2回目になっちまうが・・・任せとけ」
再び、ゆっくりと歩み寄ってくるレイを見据えて、構えを取る。
さあ、第2ラウンドといこうか。