参 子離れ
秋もいよいよ終わりに近づいた妖怪の山。
紅葉は鮮やかな紅色も黒くなり、もう時期散って行く運命であろう。そんな紅葉を憐れみながら見るのもこれが六度目となる。
「相変わらず、早苗はこの紅葉達を良く見ているね。そんなに好きなの?この時期の紅葉」
ふと自分への問いかけに、東風谷早苗は驚く事も無く、目を細めて答えた。
「好き、とは少し違うと思います。愛おしさや何とも言えない寂しさとも言うような...そんな感じです。諏訪子様はお嫌いですか?」
早苗の隣で、その小さな体に似合わぬ大きな帽子の後ろに手を組みながら紅葉を見る諏訪子は、早苗の問いには答えなかった。
「早苗には、あの紅葉達が霊夢に見えるんだね。あの紅葉達のように生命を全うする事ができなかった霊夢に。ふーん、なかなかいい表現だと思うよ」
早苗はその言葉を褒め言葉とは受け取らず、謝る訳でもなく、ただ「はい」とだけ答えた。
「早季は博麗神社?」
「はい」
「ただ飯なら守矢神社でもいいのにね」
「...そうですね」
「神奈子がそろそろ冬支度をしないかって言ってたよ。私はそういうのは早苗と神奈子に任せてるからね。後で話し合っておいで」
「はい」
「巣立ちは寂しいもんだろう?」
目の前の御柱・八坂神奈子は、早苗にそう言った。いつものような豪傑な笑みで、早苗をじっと見据えている。
「そうですね。とても寂しいです。でも安心してください。私はいつまでも神奈子様と諏訪子様のお傍に居ますから」
笑みが微笑と変わった。
「私達ももちろんそうするつもりだよ。早苗が嫌だと言っても、私達は手放さないだろうね。神様っていうのは強欲だから、欲しいものはどんな手段であっても手に入れるのが生き甲斐なんだよ。かつては、私と諏訪子もそうだった。欲しい物を取り合って争った」
「私にもそうしろと仰られるのですか?」
早苗は静かに問うた。すると、神奈子は顔を引き締め、そして豪快に笑った。
「そんなわけないじゃないか。早苗は早苗らしく考えればいいのさ。何かあれば私達や、他の者を頼ったっていいんだ。それにあんなやり方は、早苗には合わない」
「私は...」
早苗はそう口走って、そして唇を強く噛み締めた。神奈子は、目線を目の前の朱塗りの杯に注がれた酒に向けた。
「私は、霊夢さんにはなれません。なりたいと思った事は何度もあります。私にとって彼女は憧れの『人』ですから。残された僅かな時間を、精一杯千ちゃんへの愛情に注いだあの姿は、早季ちゃんを通じて今でも瞼の裏にくっきり残っているんです。あの頃の幸せそうな顔も、今まで通りはしゃぎ回る姿も何もかも。今から思えば、あれは全て、あの人の本心の裏返しだったんじゃないかって...」
どうして、気づいてあげられなかったのだろう。どう見てもおかしかったはずなのだ。霊夢が突然跡継ぎを探し出した事も。そして、跡継ぎとなった巫女にこれまで早苗が見た事の無い、母性溢れた姿を見せた事もー。そして、早苗はそんな霊夢に憧れた。羨ましかった。自分と早季もあんな仲睦まじい関係になりたいと思った。そういえば魔理沙が、早苗に「霊夢が嘘をついていたらどうする?」と尋ねた事があった。私は何と答えただろうか。きっと的はずれな事を言ったに違いない。魔理沙は、ずっと疑っていたのかもしれない。彼女は自分よりももっと長い時間を霊夢と共に過ごしてきたのだから。
自分は、浅はかだったー。
きっと霊夢は千夢が愛おしくて堪らなかったのだろう。そして、胸が張り裂けるほど悔しかった事だろう。彼女は無理矢理、まだ右も左も分からない愛娘を自ら突き放さなければならなかったのだから。霊夢が母娘最期の機会に渡した愛娘への贈り物は、そういう思いだったのではないかー。
早苗は懺悔の涙を流した。神奈子は早苗を片腕で引き寄せ、背中を摩った。
「残酷なものだねぇ…。人間っていうのは。真実を知るには2人とも幼過ぎた...。早季は普通に接したくても、ついあの娘を気遣ってしまう。早苗が霊夢に心酔するように、早季もあの娘が大切なんだろうね。...あの娘は、きっと色んな事をあの小さい頭で考えている。考える事に夢中で、誰にも気持ちを向けられないでいる。そんな幼い少女には皆の期待が一心に降り注いでいる。早苗はそんな2人を見ているのが、つらいんだろう?」
早苗はこくっと頷く。
「よく歳を取った老婆がこう言うんだよ。『我が子が生きた年月が、親が親として生きている年月』だとね...。よく出来た話じゃないか。子が成長すれば、また親も成長する。早苗達、親が頑張った分がちゃんとあの子達に反映されているじゃないか。なら、早苗があの子達を愛したいのであれば思う存分愛してあげなさい。愛し方は一つとは限らないからね」
神奈子が背中をリズム良く叩くと、次第に早苗の心も穏やかになっていった。丁度その時、外から早季の元気な声がした。神奈子がそっと早苗から離れると、早苗は深く一礼をして、涙を拭きながら愛する娘を出迎えるべく走り去った。
神奈子は、くいっと杯の中の酒を飲み干した。あんなに話すのは、山の人間と話し合う時以来だから、喉が乾いて仕方なかった。秋が終われば、冬が来て、やがて春が来る。春が過ぎたかと思えば長い夏が訪れる。そしてまた、秋が還ってくる。そうしてまた人間は歳を取る。
後ろから足音がした。
「神奈子〜、あれで良かったの?」
「良くは無いな。でも子離れしたくないのは諏訪子も同じだろう?」
神奈子はニカッと笑った。諏訪子はクスリと笑って、言った。
「あーぁ、つまんないの〜。私、蛙達の所に行ってくる〜」
諏訪子は手をひらひらと靡かせて、神社の外へ出ていってしまった。それを見送った神奈子はふっと笑みを零し、囁いた。
「そろそろ私達も子離れしないとね、諏訪子」
哀愁漂う声音は、乾いた神社に消えた。