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孤独な王の夢

作者: 紫木

 ――春が待ち遠しいという言葉を、私は何千回聞かされれば良いのだろうか


「ここは……何処じゃ?」

 冬の女王は、いつの間にか知らない場所へとたどり着いていました。

 見渡す限り何もなく、地面はふわふわの白い塊で出来ています。

 冬の女王が恐る恐る地面に手を触れると、それはふわふわの綿菓子のように、お姫様の手を受け入れていくのです。

「ようこそ、お姫様」

 突然掛けられた声に、お姫様は慌てて綿菓子の地面から手を引っこ抜きました。  

 仮にも女王ともあろうものが、地面に手をついている様を見せるわけにはいきません。

「そなたは誰じゃ?」

 毅然とした態度でお姫様は問いかけます。

 男は黒ずくめのスーツに黒ずくめのコート、さらには丈の長いシルクハットを被っていました。

 どこからどう見ても、まともな人間には見えません。

 冬の女王の体に緊張が走ります。

「そう警戒しなくても大丈夫ですよ。私は夢の番人。あなたの望む夢を与えるものです」

 男はそう述べると、うやうやしく頭を下げます。

 まるで従者のようじゃな――と冬の女王が頭の中で考えていると、黒い紳士は楽しそうに笑い始めました。

「ええ、仰るとおり。私はあなた様の願いを叶えるだけのしがない従者でございます」

 紳士はまるで少年のような笑顔を浮かべています。

 でも、冬の女王は逆にびっくりした顔を浮かべざるを得ません。

 だって、頭の中で考えただけのことが、彼には筒抜けになってしまっているようなのですから。

「この無礼者が……」

 冬の女王様は怒り心頭で男に詰め寄ります。

 誰だって自分の頭の中を覗かれでもしたら、良い気はしませんものね。

 でも、どれだけ詰めよろうとも男は笑顔を浮かべるだけです。

 それに、どうしたことでしょうか。

 女王様もどれだけ詰め寄ろうと、一切その男には手を触れないのです。

「あなたはお優しい方だ」

「なに?」

 男が一歩近づくと、女王様は一歩下がります。


 ――触れるものが皆、凍りついていくさまを、私はもう見たくありません


「あなた様がその気になれば、私などとうに氷の彫像と化しているでしょうに」

 男はゆっくりと女王様の肩に手を置きます。

「!? 触るな無礼者が!」

 男の手はみるみるうちに凍りついていきました。

 冬の女王様は必死に男の手を払い除けます。

 それでも、男は何事もなかったかのように笑うのです。 

「やはり、あなた様はお優しい姫様だ」と。

 男は凍りついた手をゆっくりと背中に回すと、またしてもうやうやしく頭を下げます。

「失礼を承知でこのような無粋を働きました。どうか寛大な処置を」

「何を戯けが! そなたは私が冬の女王だと知っていながらこのような蛮行に及んだと言うのか!」

 冬の女王は激高します。

 それもそのはず、冬の女王がいた国では、彼女に触れることなど、何人足りとも許されない大罪だとされていたのですから。

 しかし、男の顔にはまたしても笑顔が浮かんでいました。

 そして、こう口にしたのです。


 ようこそお姫様。

 ここはあなた様の夢の世界。

 どうか、心ゆくまでお楽しみください。

 私は夢の案内人。

 どうか執事とお呼びくださいませ。 

 願わくばあなた様がこの夢に囚われませんよう、満喫頂ければ幸いです。



  

 


 作りたてのシャーベットを頬張りながら、冬の女王は夢の世界を歩きます。

 ふわふわの綿菓子を束ねた雲の上を歩き、何処へともなく歩くのです。

「ずいぶんご機嫌ですね」

「放っておけ。そなたはいつも一言多い」

 浮き足立った冬の女王は振り返りながら執事を睨みつけます。

 冬の女王が夢の世界へと足を踏み入れて、果たしてどれだけの時が過ぎたのでしょうか。

 二人の関係性も、ずいぶんと柔和なものへとなりました。

 時には二人で詩を読み合い、時には二人で茶会を開き、時には二人で一日中寝そべるなんて毎日を過ごしていたのです。

「それでお姫様、本日はどのようにお過ごしで?」

「ふんっ、そんなものは決めておらぬ。そもそも、何をしようにも何もないではないか」

 冬の女王は頬を膨らませて、そう口にします。

 この世界に建造物はなく、時間の概念も曖昧なものです。

 朝が来るわけでもなければ、夜が訪れる訳でもない。

 全ては夢の産物。

 何をどうして過ごそうが、所詮は夢の中でのお話なのです。

 それでも冬の女王はこの世界から出ていこうとは一度もしませんでした。

 ただあるがままに日々を過ごし、ただあるがままに受け入れていたのです。


 ――こんな日々が、このまま続けば良いのに――と


 とはいえ、冬の女王は冬の女王であるがゆえに、いずれはこの世界を去らねばなりません。

 それは冬の女王も分かっていたことですし、世界の摂理ともいうべきものです。

 国のことを考える度に、心が締め付けられるようでした。

 何故なら、冬の女王が住んでいた国では、いまごろ大騒ぎになっているに違いないと考えたからです。

 なにしろ、春が訪れるためには、冬の女王が玉座から退かなければならないのです。

 その冬の女王が夢の中を彷徨っているようでは、いくら待てども春など訪れはしません。


 ――でも、たとえ皆がそう望んでいたとしても、私は……

 

 そんな、ささやかで罪深い願いを叶えてくれたのは、なにを隠そう、隣にいる執事でした。

 男は国の現状を知らされながらも、いまのいままで冬の女王を諌めることは一切しなかったのです。

 ただ傍につきそい、女王の戯れに付き合ってくれたのです。

「のう、そなたはどうしてここまで私に付き合う」

 冬の女王は思い切って執事に訪ねました。

 これまではうやむやのうちに済ませてきたものを、ここに来てはっきりとさせたかったのです。

「報奨が欲しければここにいても叶わんじゃろう。いや、むしろ報奨が目当てなら、ここから私を追い出したほうがよっぽど……」

 しかし、執事は困ったように微笑み、冬の女王の言葉を遮りました。

「私は夢の番人ですよ。その私がここからお客様を追い出しては、私の存在意義が問われてしまいます」

 丁寧に聞こえる言葉ですが、冬の女王はお気に召してくれません。

「そなたは自分の運命を呪うたことはないのか? 例えばこの場所、何もなければ誰もいやしない。このような場所で一生を過ごすことが、そなたの本望だと言えるというのか?」

 冬の女王は詰問するように執事へと詰め寄ります。

   

 ――私は自分の運命を呪いました


「そなたが望めばいまよりもっと贅沢な毎日が送れるかもしれない。そなたが望むだけで世界は一変するかもしれない。それでもそなたが此処にとどまる理由とはなんなのだ」


 ――私は逃げだした。自分の責務を放棄した


 執事は恐ろしい程の剣幕で詰め寄ってくる冬の女王を見つめながら、「やはりお優し人だ」と小さく呟きました。

「確かに、私にも自身の生き方には疑問がつきまとっています。何もない場所でひたすらと夢の中へと彷徨いこんでくるお客様をもてなす。さて、私自身の幸せとは何処にあるのでしょうね」

 冬の女王が夢の世界へ来て以来、いつも笑っていたあの執事が苦い表情を浮かべているのです。

 反対に、冬の女王は喜んでいました。

 自分の運命と境遇を呪い、抗いたいと考えていたのは、自分だけではなかったのだと。

「それなら! それならそなたも逃げ出せば……」

 勢い余った冬の女王はついにその言葉を口にしようとしましたが、それを止めたのもまた、執事の言葉だったのです。


「しかし、私がこの場所から逃げ出してしまえば、あなた様がひとりになってしまう」


 冬の女王は、おもわずその場でぐらつきました。

 この男は自分の運命を呪いながらもなお、他人のためにその運命を受け入れるというのです。

    

 ――それでは、そなたはどうすれば救われるのだろうか


 冬の女王は何も口にすることが出来ませんでした。

 そして同時に気付いてしまったのです。

 執事は自分の職務を果たそうと、必死にもがいているのだということに。

 たとえその先に、個人としての幸せが無かったとしても――

 このような姿を見せられてしまっては――知ってしまったからにはもう此処にはいられない。


 ――もう十分に夢は見させてもらえました

 ――本当に、本当に耽美で甘い夢だった


「のう執事、そろそろ頃合のようじゃ」

 冬の女王はうつ向きながら、そう口にします。

 するとどうしたことでしょうか、冬の女王の体が光の粒子となり、景色に溶け込んでいくのです。    

「それは……寂しくなりますね」 

 執事はそれ以上を口にしようとはしません。

 ただ黙って、客人の去り際を見送ろうとしていました。

「数奇なものよな。そして何と惨たらしい運命なのか」

 それは誰に向けられた言葉だったのでしょうか。

 夢の世界でなお、冬の女王は嘆いていたのです。

「礼を言うぞ、執事よ。そなたのおかげで覚悟は出来た」


 ――この束縛から解放されぬなら、いっそ滅びを待っても良かったというのに

 ――そなたという執事に出会えたことで、私はこのまま生きていく道を選びます


「願わくば、願わくば私はそなたと共に……」


 ――あまりにも甘美な毎日でした

 ――充実とは程遠くも、幸せな毎日だったのですから


 執事はそれが当然のように、人差し指を冬の女王の口に添えます。

「あなた様と過ごせたこの奇跡。私にとっても代え難い日々でした」

 だから、それ以上は口に出さない方が良いと、執事は客人を諌めるのです。

「ふふっ、最初から最後まで無礼な奴じゃ」

 ではまたな――という言葉すら告げず、冬の女王は夢の世界から去っていきます。

 きっと分かっていたのでしょう。

 もう二度と、この世界を訪れることは出来ないということを。


 ――ありがとう。夢の世界だからこそ、私は素直に甘えることが出来ました




 国へと戻った冬の女王は、急ぎ城から飛び出し、春の女王に頭を下げました。

 国民全員に頭を下げました。

 そうして、王国に春が訪れます。

 幾年幾星霜の時が流れても、冬の女王は自分の責務を果たそうと頑張りました。

 忌み嫌われる言葉を聞かされながらも、必死で自分の運命を受け入れ続けたのです。


 そうしてどれだけの年月が過ぎたのでしょうか。

 また、幾万年目かの冬が訪れます。

 冬の女王はいつも通り玉座に座りながら、目を閉じます。

 想うはいつかの夢の世界。


「のう、私はしっかりとやれているじゃろうか? そなたはどうじゃ?」

 寂しいな――もう一度、夢を見れたら――と、ひとり静かに眠るのです。

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