お狐さまと絵空ちゃん
登場人物:九尾の狐と女子中学生
目路が紫に薄明るい彼は誰時。早朝も早朝の時分に、私は神社の石段に座っていた。
肺に吸い込む空気は凛と冷たく、乾燥しきっている。
(お狐さまもまだ寝てる、かな)
訪れるにも非常識な時間帯だと、落ち着いて考えればわかりそうなものであったが。そこまで頭が回らなかったのだから仕方ない。
とにかく少し待って、反応がなかったら帰ろう。
そう決めて持ってきた文庫本を開いた。
数分後。
短編を読み終えて顔を上げると、少し離れたところにお狐さまが座っていた。
「おはよう。ごめんなさい、全然気付かなかった。声、かけてくれればよかったのに」
「おはよう。こんな朝早くから来ていたわりに、随分と夢中で読んでいるものだと思ってね。せっかくだから離れて見ていたのさ」
悪趣味な人だ。でもここは、気付かなかった私の負けか。
「それで、何の用かな?」
「うん、いや、別になんでもない。ただちょっと、急に会いたくなったから」
「そうか。ところで、そんなに夢中になるほどその本は面白いのか?」
四足歩行でこっちに来て、私の膝の上の本を覗き込むお狐さま。
「ホラー短編集だよ。季節外れだけど、本棚整理してたら読み返したくなっちゃって」
教えると、お狐さまは驚いたと言わんばかりの顔で私を見た。
「お前、怪談は平気なのか」
うん? ……ああ、そういうことね。
九尾狐を映す私の目は、幽霊のたぐいも見えてしまう。だから、普段から怪談さながらのものを見ているのに、小説でも怪談を読んでいて怖くないのかということだろう。
「平気。ここ数年は怖い体験もしてないし、小説は面白いからね」
要は自分と重ねなければいいだけのことだし。
「ふうん。意外だな。てっきりお前、色恋話と怪談は読まないものだと」
「面白いものなら何でも読むよ。恋愛モノも怪談も、詩も随筆も」
「お前も色恋話でときめいたりするのか」
「なによ、意外?」
「別に。想像すると可笑しいと思って」
「ひっどーい。言っとくけど、そこまでベタベタしたのじゃないよ、私が読むヤツ。恋愛一色じゃ一冊読むのはきついから」
かといって戦一筋・政治一筋でも面白くないけどね。そのへんはよくわからないのが正直ってところだし。
「戦争か。お前が生まれる遥か昔に終わったが、あれももう絵空事に近い感覚になっているのだろうなぁ」
お狐さまは、どこか遠くを見てそんなことを言う。
その瞳を見て、胸を衝かれたような感覚がした。
(――この人は、戦争を知ってるんだ)
焼夷弾の雨も、戦闘機が埋める黒い空も、焼け野原の町も、ぜんぶ。
人が焼ける様を、それが止まぬ日々を、これは知っている。
「ねえ、お狐さま。戦争が終わって、嬉しい?」
何気なくそんなことを尋ねた。お狐さまはそれに、こう答えた。
「そう、だなあ。静かになったのは嬉しいな」
――俺はね、うるさいのは、大嫌いなんだ。
鳥居の向こう、はるかな水平線が金に色づいている。日が昇ると、町に朝が来るのがわかるから好きだ。
畑と田んぼと山と海と。自然ばっかりの、あまり賑やかではない、田舎町。
私の町。
「お狐さま、私もね、うるさいのは嫌いだな」
できればずっと静かに。決して子供が銃を持たぬように。
私が残すなら、そういうのがいい。
「この町は、静かだから好きだ」
「私も」
町はまだ音もなく、朝焼けに染まっている。