始発「出逢いの交差店」
夜の坂道を自転車で下る。
コンクリートで固められた壁とガードレールで守られている一本道のこの坂道は、昼間はそれなりに車が通る車道なのだが、夜になるとめっきり減ってほとんど通らなくなる。
下は崖で、町の明かりが水平線まで広がっている。
落ちたらひとたまりもない。
そんな坂道をスピードを落とさず真ん中を走る。
体に当たる風が夏の夜を涼しくさせ、自転車で走る爽快感を醸し出す。
それがしばらく続き、坂道が終わると街の方に出る。
街は早く終わってる店の所はシャッターを閉め、遅くまでやってる所は明るい。
深夜にやる店は看板をこれから出したり一通りの少ない裏通りでなど裏の顔を見せる。
目的地は本屋だから、全然関係のないことだけど。
夜は大人が行き交う雰囲気があるが、1人裏通りに向かう女子校生やグループで固まる不良らしき学生など、同じ年代と思われる人達は夜という大人な雰囲気を独自に満喫しているようだ。
僕には関係ないことだけど。
目的地が見え、自転車から降りて近くに止める。歩道だからジャマにならないように隅に置いて。
鍵を掛けポケットに突っ込み、二階建ての本屋へと入る。
目的地には探し物がある。
場所が本屋なら、もちろん本だ。
僕は最近出たばかりの新刊を求めここまで来たのだ。
それは世間でいう『ラノベ』で、一般から見たらオタクとか言われてしまう類いの物だが、そんなことは知らない。好きな物くらい好きにさせてくれって話だ。
第一、オタクというのはその好きな物とか、純粋に求める人のことじゃないのか?良く知らないけど。
物知りでもなんでもない、知ったかぶりをしてしまう僕の悪い癖だな。
だけど知らないものは知らない。
なんだけど、知らないことをそのまま素直に知らないって言ってばかりもなんかカッコ悪い。だからつい、知ったようなことを言って相手に合わせてしまうんだよな。
それも、僕がアニメや漫画、ラノベ(ライトノベルの略称)とかの小説ばかりを趣味にしてるからで、それを悪いとは思わないし楽しいからいいんだけど、どうも周りと話が合わないってのもなんだかなーって思いもするわけで。
いろいろと複雑なわけで。
「おっと、あったあった」
変なとこまで気にしてしまう自分に辟易してしまうが、そんなことは今はどうでもいい。
お目当ての新刊を見つけた。
手を伸ばしてそれを取ろうとする。
「──あった」
──ピタ
っと手が触れ合う。
「きゃっ、ごめんなさい!」
「あ、すみません……っ」
小さな悲鳴が聞こえたのと同時に、謝られた。
僕もつい反射的に謝ってしまった。
触れた部分が熱い。
引っ込めた手、同じ物を求めていた人の手とぶつかってしまい、初めてのことで少しキョドってしまう。
新刊はラストだ。この機会を逃せば次に出逢えるかはわからない。
注文するのは、なんだか恥ずかしいし、僕はこの機会を逃したくない。
……けど、
「あ、えと……これ」
僕は手に取ったそれを、帽子で目元を深く隠した彼(彼女?)に渡そうと差し出す。
「あ、いえ、どうぞっ。私のことは気にしないでくださいっ」
一人称は私、か。女の子なのかな?
けど短パンに動きやすそうなスニーカーだし、帽子で顔はわからないから少年に見えなくもない。声は女の子っぽいけど。
「いや、でも……」
「ホントにいいんですっ!」
否が応でも受け取らない。
頑固なのかな?
見知らぬ人に、待ちに待った新刊を譲る自分もお人好しだけどさ。
「そ、そう…… 」
「……はい。いいんです」
チラッと見えた口元は、悔しそうに固く結ばれていた。
そんなにも読みたいのかな?
それなら嬉しい。好きなものが一緒の相手が居るっていうのは。
よし、それなら。
「えっと、ちょっとここで待ってて。会計済ましてくるから」
「え?あ、はい……?」
「うん」
僕はレジに小走りで向かった。
会計を済ませて戻ると、ちゃんと彼は居た。
「はい、これ」
「……え」
「貸すよ」
「……」
驚いた様にして僕を見る彼。
帽子の影で目元から上が隠れ、それでも店内の明かりで顔が見える。
色白で綺麗な肌だった。
「読みたいんだよね?」
「……はい」
「なら、貸してあげる。はい」
見惚れてしまったことを誤魔化すようにして彼の手に新刊の本が入った袋を握らせる。
「……」
「あと、これ」
「えと」
ついでに走り書きしたメモを握らせる。
「僕の携帯のメアド。読み終わったら教えて」
「……はいっ」
「うん」
「ありがとうございます」
深々とお辞儀を返された。
なんていい子だろう。
──ふぁさぁぁあっ
その際、帽子が取れて長い髪が波を描いた。
綺麗な色の、銀色をしていた。
ハーフか外人かな?でも普通に日本語だ。
いや、あまり気にしない方がいいかな。けど気になる。
というか、やっぱり女の子なんだな……。
綺麗な子だな……整っている顔かわいいし……。
って、ジロジロ見たら失礼だよな。
「──っ!?」
彼女はそれに気付いて、慌てて帽子を拾うと、すかさず被り直した。
髪が短かったのは、帽子の下に入れていたのか。それも上手く隠してたな……。
恥ずかしがり屋なのか、それとも変装のつもりなのかはわからないけど、あまり触れない方がいいかな。
「とりあえず、店、出ようか」
「……はい」
店から出ると、生暖かい風が頬をなでる。
夏の夜の風は嫌いじゃないけど、心地良いとは言えないな。
「家、どこ?送って行くよ」
「あ、いえ……大丈夫です」
素顔を曝してから、元気がないみたいだ。
素顔を見せるのは嫌なのかな。
「うーん……ここら辺は物騒だから。夜だし、少しでも安全なとこまで送ってく」
「……はい」
少し強引だったかな?
だけど、女の子だし、危ないのは間違いない。
女の子だとわかった瞬間に甘くなる自分。切なくなる。
男はなんて虚しい生き物なんだろうか。
自転車を押しながら、彼女を歩道側に歩かせて形を並べて歩く。
一歩分だけ彼女は後ろだけど。
なんだか距離置かれてるよね。
仕方ないけど、仕方ないことなんだけど、ちょっと空気が重くてつらいかな。
「あ、えと……訊いてもいいかな?」
──びくっ
「……は、はい」
「あー、やっぱいいや。あはは」
変な奴って思われたかな。
それでいいけどね。深く傷付けるよりかは。
「夏の夜ってなんでこんなに生暖かいのかね。昼間よりは涼しいけど、あまり好めないんだよねー……なんて」
「……」
「あー……あはは」
やっべ、話題ミスった?
あまり人と話さないから、何話していいかわかんないぞ。
趣味の話すればそれなりに語れるとは思うけど、キモいって思われそうだしな……困ったな。
「…………んです」
「え?」
「……恥ずかしいんです」
「えっと、素顔を見せるのが?」
「いえ、そうではなく……いえ、それもあるんですが、私、周りとは違う趣味を持ってまして……」
ラノベを読んでることかな。
なんかシリアスムードだし、自分から話そうとしてるから黙っとこ。
「それを知られるのが恥ずかしいというか……怖いんです。避けられるかもって、思ってしまって……」
なるほど。
こういう所謂アキバ系?って偏見とかされやすいからなー。
一番オタクとか言われて嫌がらせ受けそうだし、確かに怖いわ。
女の子、それも銀色の髪だなんて目立つだろうし、矢面にされたら苦労するだろうなー。
なんて、他人事じゃないわ、これ。
「そっか」
親近感を涌いてることは内緒にして、とりあえず相槌を打っておく。
何か変なこと言ったらアレだしな。
アレってなんだろうな。言葉に乏しいから、うまく言い表せないや。
「……ごめんなさい、こんなこと。知らない人に言うことではないですよね、忘れてください」
「別に気にしなくてもな……」
「え?」
「あ、いやっ」
ヤバっ、本音をつい漏らしてしまった!
とりあえず何か言い訳を!
「趣味って人それぞれだしっ、好きならそれでいいんじゃないかなって!確かにそれで人と噛み合わなくて嫌な思いとかしちゃうかもだけど、それで趣味を否定するのもなんだかなーって!あはは、ごめん、変なこと言ったねっ」
「……」
「……あ、あはは」
これ、嫌われたかな。
……なんか目からしょっぱい水が垂れてきた。
「そんなこと、ないですよ」
「んへ?」
「ありがとうございます。私、髪の色の事もあって、少しナイーブになっていたかもしれません。ちょっとだけ元気になりました。ありがとうございます」
最初と最後、言葉の端にお礼の言葉を混ぜて、彼女は帽子を取った。
「……」
「逃げてばかりもダメですよね。趣味がバレるのが怖くて、変装してました。さっきバレてしまいましたけど」
チロっと下を出して茶目っ気を出す。
かわいい……。チョロいな、僕。
「あなたになら、見せてもいいかも思います。趣味も、さっきのでバレてしまったと思いますし……えへへ」
アニメだとあざとく思えるちょっとした仕草で、ドキっとしてしまう。
あまり女の子との接点がリアルではないからかな。
今日はなんだか、非現実的だな……まるでアニメや漫画の世界に紛れ込んだ感じだ。
「髪、綺麗だと、思う。僕は嫌いじゃない」
そんなことを恥ずかしさを紛らわすために、誤魔化す為に言う。
本音ではあるけど。
「ありがとうございますっ。嬉しいです」
……え、笑顔が眩しい!
ナニコレナニコレ、ヤバい!
ヤバいよヤバいよー……!
胸の高鳴りが、自分でもわかるくらいに大きくなってる……中学生かよ、僕。
「ど、どういたしまして?」
「はい」
夜闇に照らす街灯の光が彼女を神秘的に映し出す。
それは一瞬で、永遠に感じる程に印象的だった。
そして気付く、
「あ、家はこの近くです」
「そっか」
「ありがとうございました。読んだらご連絡致しますね」
「あ、うん」
「ばいばい」
小さく手を軽く振って去って行く彼女がかわいくて、聞き逃した。
「……名前、聞いてないや」
──ばいばい
脳内に反芻される、別れの挨拶。
「……ばいばい」
しばらくその場で余韻に浸っていた。
× × × × ×
さて、初夏の暑さを際だたせる6月の最期、僕は朝っぱらから教室で机に突っ伏していた。
見知らぬ美少女と書店で出逢い、数日まるで連絡もなし。
ずっと気になっておちおち読書も出来ないままに過ぎた日々は、今までと違って落ち着かないでいた。
僕から連絡しようにも、彼女の携帯の番号もメアドも知らないまま。
彼女に渡した僕のメアドを書き込んだメモ紙だけが唯一の頼りだった。
「……昨日買った奴でも読むか」
また会えるかと思って、同じ本屋に向かったが、結局出会わず、とりあえず気になっていた新人の本を買って帰ったのだが。
そわそわして半分しか読めないでいたから、続きは気になるしだけど彼女のことも気になる……うじうじして男らしくないな。
いつものことか。
カバーはしてあるし、周りにどんな本かはバレないだろう。
まぁ、バレた所で趣味は周知の事だし問題は特にないけどね。
ヒエラルキーで最下層っぽいし。
ちょっとえっちぃ奴だから知られたら冷やかされそうだ。
──キーンコーンカーンコーン
予鈴のチャイムが鳴る。
それと同時に担任が教室に入ってきた。
あれ、早いな。
気付いたらこんな時間か。それに、まだ予鈴だから時間はまだあるはずなんだけど。
「はーい、みんな席に着いて。今日は業務連絡の前に、お知らせが一つあります」
担任の諏訪原先生はニコニコとした表情をしているが、腹の中は黒く、『腹黒スワちゃん』という徒名があるくらいにはクラスに知れ渡っている。
そんな腹黒スワちゃんは貼り付けたような笑顔のまま扉を見る。
「旋城さん、入ってらっしゃい」
先生が知らない名を呼ぶと、扉が開いて誰かが入ってくる。
──……ざわ
その瞬間、僕は運命を感じた。
アニメや漫画であるような、そんな展開がリアルで起こるなんて、そんなことはありえないって思ってた。
現実は非情で、理不尽で、決して誰にでも優しいわけではない。
そんな中、僕は運命を感じたんだ。
「旋城ユリナと申します。宜しくお願いします」
そう、連絡を待っていた、彼女が転校して来たことに。