――幸――
「ごめんね、唯人くん。忙しいのに付き合ってもらって」
あと数メートルで家に着くと言うところで、急に白子がそんなことを言ってきた。
……どちらかと言えば、俺が白子に付き合ってもらっていたのだが。
「いやいや、俺が無計画に誘ったから……」
そんなことを自分で言うのは恥ずかしい。
俺は無計画なんじゃない。ただ、そういうことが慣れていなく、苦手なだけであって。
「どっちにしても、私のしたいことに付き合ってもらってたよ。……ありがとう」
本当に幸せそうに笑う白子の表情を見て、嬉しくなったと同時に白子に申し訳なくなった。
……もし次があるとしたら、サプライズとか、そういうことが出来る男になりたい。なんて思った。
一歩一歩家に近付くにつれ、俺の緊張は高まっていく。
――上手くいくだろうか? 喜んで貰えるのだろうか?
期待と不安を胸に、俺の足は早まった。
一足先に家の前についた俺はドアノブに手を掛ける。そして、すぐ扉を開くと二人に聞こえるように「ただいま!」と大声を張った。
後からゆっくり白子が入ってくると、いつもの声で「ただいまー」と言う。
ここまでは順調に計画通り。
緊張していることを悟られないよう、俺は何事もないように靴を脱いだ。すると、リビングの方から母さんの声が聞こえていた。
「白子ちゃーんっ! 丁度よかったぁー! ちょっとぉー、手伝ってぇー!!」
母さんはこれでも迫真の演技だと思っているのだろうか。俺からしたら、わざとらしい声で白子を呼んでいるのだ。だが、等の白子は別段気にしているわけでもなく、「はいー! 今すぐ行きます!」と大慌てで靴を脱ぎ、リビングの方へと走っていった。
俺はその後ろでリビングのドアノブに手を掛ける白子を見ながらごくり、と息を呑んだ。
白子がドアを開けた刹那の時、クラッカーの弾ける音が響く。何があったのか理解できなかったのか、白子は扉を手に掛けたまま室内を眺めている。
「ハッピーバースデー、白子っ!」「ハッピーバースデー、白子ちゃんっ!」
二人の声が響くと、俺もその後に続いて「ハッピーバースデー、白子!」と言った。
「えっ、えっ……?」
それでも白子はまだ状況が理解できていないのか、あたふたと辺りを見回していた。
それを見かねた美凪は白子の手を取り、そのままリビングへと連れ込んだ。その後に続いて俺もリビングの中に入る。
俺と白子が出かける前は生活感あふれるリビングだったのに、パーティー会場さながらの装飾をされ、机の上には沢山の料理が置かれていた。
「ほらっ! なんか反応してよ-。白子のための誕生日会なんだよ?」
「えっ、でも。私の誕生日、とっくに過ぎてるよ?」
「私がお祝いしたかったから。だから、無理言ってまりもさんと好間くんに手伝ってもらったんだ。……ね、好間くん?」
美凪は満面の笑みで俺にそう言う。俺はその笑顔にどきり、としながらも、「あ……うん」と返事をする。
それでも固まってしまう白子を見て、美凪は少し悲しそうな顔をした。
「迷惑だった……かな?」
「ううん――」
リビングを見回しながら白子は首を振る。そして、見回し終わると強張っていた表情が見る見る柔らかくなると、涙ぐみながら美凪を見て嬉しそうにこう言ったのだ。
「――すっっっごく、嬉しいっ!」
白子のその満面の笑みは、俺達まで笑顔に変えてくれる魔法の笑顔だった。
誕生日会を始めてからすぐ、俺達は料理のことで話が持ち切りになる。殆どの料理を手作りするとか言っていたはずなのに、料理の大半が買ってきたオードブルだったのだ。多分、この話は好間家に後生語り継がれていくことだろう。
美凪はその話題になる度に顔を赤面させ、「私にだって、出来ないことの一つや二つあるよ」と頬を膨らませていた。
「好間くん、もう料理の話はそのくらいにしておいて。……ほら、あれ渡そう?」
散々弄くり回されたせいか、嫌そうな表情ではぐらかすように美凪は言った。
「あれって……」
「好間くん、あれと言ったらあれだよ」
俺は美凪の言ってることがまったく理解できず、首をかしげてから悩んだ。すると、痺れを切らしたのか美凪が顔を近付けてきてこう言った。
「プレゼント」
耳元で囁く美凪の声にどきりと心臓が跳ね上がる。そして、美凪の吐息が耳にかかり、ぞわぞわとした感覚が体全体を駆け巡った。
俺は顔が熱くなる感覚がして、咄嗟に美凪から離る。すると、その行動を見た美凪は目を細くしてから口を開く。
「そんなに私のことが嫌?」
「ちちちち、違うっ!」
「ふーん…………、まあいいや。で、どこにある?」
「ももも持ってくる!」
俺は恥ずかしさのあまり、大慌てでリビングから外に出ていた。
美凪の吐息がかかった右耳を抑えながら、高鳴る心臓を落ち着かせる。少しだけ落ち着くと、俺の部屋に隠しておいた白子のプレゼントを取りに行った。
「えっっと、ここに置いておいたはず。……あった!」
俺は一つのビニール袋を取り出す。ビニール袋を覗き込むと、可愛らしく包装された包みと、小さな二つの紙袋が入っている。
「よし、ちゃんとあるな」
俺は中身を確認すると、大慌てで階段を降りていく。途中、慣れたはずの階段を踏み外しそうになったが、なんとか持ちこたえてリビングの中へと入った。
「おー、息子よ。何しに行ってたの? トイレ?」
「ちげーよっ!」
母さんのことは流すことにして、俺はそのビニール袋を美凪に見せる。
美凪と一緒に買ったものだから、美凪はそれを見てすぐに白子へのプレゼントだということを把握した。
「白子。ちょっと来て」
美凪は白子を手招きする。俺も白子が呼ばれてすぐに美凪の元へ向かった。
「どうしたの? 美凪ちゃん」
「白子にプレゼントを用意したんだ」
にんまりと笑う美凪の顔。白子はまたきょとんとしていると、美凪は俺の顔を見る。
「好間くんと選んで買ったの。気に入ってもらえるか、だけど」
そう美凪が言うと、俺はその袋から綺麗に包装された包みを取り出して白子に手渡す。
「開けてみろよ」
白子の反応が気になって俺はそう言ってみた。すると、白子は「うん」と言ってその包装紙を綺麗に開けていく。
「わあ……!」
白子の表情がぱっと明るくなる。
その包みから出てきたのは、可愛らしいテディベアのストラップであった。
「ちなみに、私達とお揃いだから」
そう言うと、美凪と俺は同じビニール袋の中に入っていた紙袋を取り出し、それぞれ袋から中身を取り出す。すると、そこからは多少表情の違う、だけど同じ種類のテディベアのストラップが出てきたのだ。
俺はこんな可愛らしいストラップを付けるのは反対だったんだが、「どうしても」と美凪に上目遣いでお願いされたから渋々承諾してしまった。
俺達がストラップを見せた瞬間、白子は目をキラキラさせて喜んだ。
「本当だっ! ……本当に嬉しいっ」
白子はそのストラップを手に持ち、くるくると回って喜んでくれる。そんな白子を見て、俺と美凪は「プレゼントを買って良かった」と心から思えたのだ。
そんな楽しい時間の中、時折、美凪と目が合うと意識のし過ぎか目を逸らしてしまう。
原因はわかっている。……白子が昼間に言っていた「美凪は俺のことが好き」と言う話のせいなのだ。意識すればするほど、どう接したらいいのかわからなくなる。そうすると、どんな顔で美凪を見ていいかもわからなかった。
楽しい時間というのは刻一刻と過ぎていくものだと痛感した。
こんな日々が続けば良いのに、と思っていることほど、時間が過ぎるのがあっという間なのだ。
結局、意識しすぎてからというもの、美凪とろくな会話が出来なかった。
そんなことをしている間に、美凪が「時間だから」と帰る支度をし始めたのだ。
気が付けばもう六時で日も暮れてしまっている。
話すきっかけを探せば探すほど、どうすればいいのかわからなかったのだ。
「ごめんなさい。片付けとかろくにしなくて」
「いーのいーのっ! また来てね、美凪ちゃん」
そんなことをしている間に、美凪は支度を済ませて玄関へと向かっていた。
「美凪ちゃん。……今日はありがとう」
「ううん、私がしたかっただけだし。白子が喜んでくれたから、それだけで私は嬉しいよ」
美凪と白子はお互いの顔を見て、嬉しそうに笑った。
「じゃあ私は帰ります。今日は色々とありがとうございました。……白子、好間くん、また明日ね」
美凪は丁寧に一礼してから俺と白子に手を振り、玄関を後にする。俺はただ、彼女の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「……で唯人」
俺はぼーっと玄関の扉を眺めていると、母さんが話しかけてくる。「お?」と情けない声を出して振り向くと、母さんは足踏みをしながら俺を睨んでいるのだ。
「あんた……、女の子を夜道一人で歩かせる気?」
「そうだよ、唯人くん。……美凪ちゃんを送ってあげてきなよ。きっと待ってるよ?」
白子はニヤニヤと笑いながらそう言う。俺はその白子の顔を見ると、急に顔が熱くなる。
「ちょ、お前っ……!」
「あーっ! もう、馬鹿息子! 早く行けぇえぇ!!」
俺がもたもたしていると、母さんは俺を押して玄関の扉へと向かわせる。
俺はそのままの勢いでいつものスニーカーを履き、そのまま家を追い出された。
「……美凪っ!」
きっと、そんなに遠くまで行ってないはず。多分、電車に乗るから駅の方だろう。
俺はそう思うと、全速力で走った。
そうすると、すぐに美凪の後ろ姿が見えてくる。
「美凪っ!」
俺は叫ぶと、前を歩いていた美凪がくるりと振り向く。
「ほえ? …………好間くんに『美凪』って呼ばれるの、初めてだな。いつもなら、『結城』なのに」
美凪は頬を赤らめて、可愛らしく笑った。その笑顔を見て、また心臓が飛び出しそうになる。
「で、どうしたの? 唯人くん」
「え、あ…………。いや! 俺は、えっと、その」
急に美凪は俺の名前を呼ぶから、どう反応していいのか迷ってしまう。そんな俺を見てか、美凪はくすくすと口元に手を当てながら笑っていた。
「名前で呼んじゃ変かな?」
「え、え……変じゃない! いや、どちらかと言えば呼んで欲しいっていうか、なんて言うか……」
「じゃあ今度からそう呼ぶね。だから、私のことも今度から『美凪』って呼んで欲しい…………な」
そう上目遣いで言われたら、断ることなんて出来ない。……いや、断るつもりもさらさら無いんだけど。
俺はそれを聞いて「わかった」と返事をする。すると、美凪は「ありがとう」と言って満面の笑みを浮かべた。
まるでスポットライトを浴びるように、街灯に照らされた美凪の笑顔に心を奪われる。
時折、胸が締め付けられるような感覚に襲われるのだが、これはきっと“恋”なんだろうと感じた。
「それで、唯人くん。慌ててどうしたの? 私、何か忘れ物してた?」
「あ、いや、そうじゃないんだ。……その、家まで送ろうと思って」
俺は照れ臭くなり、目を泳がせながら言う。だけど、それを聞くなり美凪はくすくすと笑いだす。
「何で笑うんだよ」
「だって、 女の子を送ってくれようとしてくれてるのはわかるんだけど……。唯人くんの目が泳ぎすぎてて、頼りないよ」
「ご、ごめん。で、でも、女の子が一人で夜道なんて危ないから」
俺は勇気を振り絞り、美凪の目を見て言った。すると、美凪の頬がほんのり桜色に染まったような気がしたのだ。
「…………ありがとう、嬉しいよ。でも、ごめんね? 私、なるべく一人で帰りたいんだ」
その言葉を聞いた瞬間、肩がずんと重くなる。
「でも、勘違いしないでね? 唯人くんに送ってもらいたいのは本当だよ。でも、お母さんがちょっと…………」
肩を落とした俺をフォローしてくれたのだろうが、そう話すと、美凪まで肩を落とす。
「美凪のお母さんがどうしたんだ?」
「ストイック、なんだ。…………まあ、私一人っ子だし、子供がなかなか出来なかったってのもあるから。そんな子供がいきなり男の子を連れて行ったら、ヒステリーにもなっちゃうなぁ。……ってね」
笑って誤魔化しているが、美凪の瞳はどこか寂しそうだった。
そんな美凪を見て、俺は無性に心配になる。
「美凪…………」
「お母さんが悪い訳じゃないんだ。今日も『友達のお家に行ってくる』としか言わなかったから。……だから、今度はちゃんと説明して、わかってもらった上で来るから。…………だから――」
そう言うと、美凪はとびきりの笑顔を俺に向けてこう言った。
「――だから、また遊びに来たときは…………送ってくれる、かな?」
「…………ああ、わかった」
俺も美凪に負けじと笑顔でそう答えてしまう。
――だが、そう言ったことを後に悔やむなんて知らすに。もう、この笑顔に会えないと言うことも知らずに。無知で無力で馬鹿な俺は、何も知らすにそう答えたのだ。
「じゃあ、また月曜日に」
「ああ、またな」
美凪は俺に手を振る。普段から手を振るなんてあまりしないのだが、照れくささを隠しながら軽く手を振った。
俺のその仕草を見ると、美凪は軽く微笑む。そして、俺に背を向けて歩き出した。
彼女の後ろ姿を見送ると、俺は家路を辿る。
今週、美凪に告白しよう。と、思いながら歩いていると、なんだか足取りが軽く思えた。
そうこう考えているうちに、すぐ家へと着いてしまう。
案の定、母さんと白子からはブーイングの嵐だったが、その時の俺は胸がいっぱいだった。
――幸せで。幸せすぎて、怖いくらい胸がいっぱいだったんだ。
…………あの日が来るまでは。
次回
鬱展開です。