――桜――
家から出た俺は適当に歩いていると、その後ろを白子がひょこひょこと着いてくる。
ただあてもなく歩くということは、こんなにも苦痛なものか。と感じてしまう。
「なあ、白子。どっか行きたいところねーの?」
「ふぇ?! え、あっ…………」
歩みをやめ、俺は振り向いてから質問すると、白子は驚いたような表情で俺を見た。
「きっ、きき、決めてない……の?」
「ああ、決めてねぇ」
「……そ、そっか」
白子は残念そうな表情と、困惑した表情が混ざったような微妙な顔でこちらを見る。
「で、どこかないの?」
面倒臭そうに言うと、また白子はぎょっとした目で俺を見てきた。
……なんだよ、その目は。
「え、それ、私に聞くことなのっ?」
「お前の行きたいところに連れてってやるよ」
こう言っておけば、聞こえはいいかもしれない。だが、正直な話を言えば、そう聞く方がが簡単だったからそう言ったのだ。
そんな俺の浅はかな考えとは裏腹に、白子はその言葉を聞くと嬉しそうな顔をする。
「えっ? ほ、本当? じゃ、じゃあ、あそこ……行きたいなー」
「あそこって?」
「あのね、その。鷹飛城址公園の桜……」
頬が赤く染まる白子を見て、俺は「ああ」と声を出す。
俺達の通う鷹飛高校のすぐ近くに、大きな公園がある。それこそが白子の言う『鷹飛城址公園』だ。
そこは戦国時代頃に大きな城があったが、時代と共にその城は取り壊され、荒れ地になってしまったそうだ。
だが、それを見かねたお偉いさんが、荒れ果てた土地を整理し、コヒガンザクラを植えて観光できるようにしたんだとか。
「そういや、あそこって桜が名所だったっけな。普通の桜より、濃いピンクの色が珍しいって聞いたな」
「うん、そうなんだって! まりもさんが『とってもいい場所だから、一緒に行こうね』って言ってたのっ」
「でも、あそこ……すっげー混むけどな。俺、昼までに帰んなきゃなんだけど」
俺がそう言うと、白子はまたしょんぼりとしてから肩を落とす。
「あ……ごめんね。それじゃ、無理だよ……ね」
そんな白子を見ていると、小さな体格が余計に小さく見える。
……なんだよ、すっげぇ俺が悪いみたいじゃん。
俺は白子のぎこちない笑顔を見ているのが嫌で、頭を掻き回してからなげやりに言った。
「……ああっ! わぁったよ。少しぐらい遅れたって大丈夫だろ。……ほら、駅に行くぞ」
しぶしぶ、俺は近くにある電車の駅へと歩く。
「あ、待ってよー」
俺の面倒臭そうな表情に気付いていないのか、白子は楽しそうな声をあげて俺にくっついてくるのであった。
***
俺達は鷹飛公園へと向かうため、約一時間の電車に揺られていた。
特にこれといって話すこともなく、俺達は無言のまま目的の伊出那駅へと到着する。
もう二週間ほどこの駅に通っているので、手慣れたように俺達は電車を降りた。
改札口を通り、駅の外へと足を踏み出す。
「あ、白子。ちょっと電話させて」
「うん、いいよー」
母さんに現状を報告しなければいけなかったのに、俺としたことがすっかり忘れていた。
俺は慌ててスマートフォンを取り出すと、母さんに電話を掛ける。
呼び出し音を長く鳴らしても出る気配がない。
俺は諦めて電話を切ろうとしたその時。慌てたような声がスマートフォンから漏れてきた。
『唯人っ! 丁度良かったわぁ!』
「慌ててどうしたんだよ」
『いやいや、大事件なんだって! いや、 ビックニュースと言うべきかな。大変な事態なのですよ、隊長っ!』
母さんのテンションは相変わらず高く、スマートフォンから漏れてくる声は大きかった。
このままでは内容がバレてしまうと思った俺は、白子から少し離れると、スマートフォンの音量を少し下げてから母さんに言う。
「声がでけぇよ。白子に聞こえるだろっ」
『おおお、めんごめんごー』
俺は改めて、母親ながら絡みにくいことを痛感する。
「んで、なにが大変な事態なんだ?」
『おおおお、そうだった。えっとね、美凪ちゃんのことなんだけどさ』
母さんはそう言うと、少し間を置いてからゆっくりと喋りだす。
『美凪ちゃんて、ほんっと可愛いわ! 容姿端麗、頭脳明晰とは美凪ちゃんのこと言うのかしらってほど! おばちゃん食べちゃいたいっ!』
「……それを言いたかっただけか?」
『あはー、違う違う。そこじゃないのよ。それでね、ここからが本題なんだけど』
「おう」
『美凪ちゃんと打合せしているときに、手際よく料理の案を出してくれてたし、今日もエプロン持ってきてくれてたから、なんでもできる子なんだなーって思ったわけですよ』
「それで?」
『それが美凪ちゃんの萌え萌えポイントだったのですよ! 美凪ちゃん……見るとやるとじゃ違うってタイプだったみたいなのっ!』
それを聞いて、白子の様子を伺いながら話を聞いていた俺は首をかしげた。
「どういうことだ?」
『だーかーらーっ! 用意した材料がね、料理に変わるどころが、ものの見事に消し炭なんだって!』
母さんの言葉に、俺は耳を疑う。
美凪が……なんだって?
「……は? どういうこと?」
『美凪ちゃんにも穴があったのよ! 料理がね……その。てんで駄目って言うのかな』
「ま、まさか」
『だから大事件なんだって! まだ料理が用意出来てないのよっ』
それで、あのマイペースな母さんが珍しく慌てているのか。と納得してしまう。
それ以上に意外だったのが、美凪のことだった。
あの「なんでもできちゃいます」と言わんばかりの秀才オーラを放っている美凪にも、できないことがあったのかと思うと、なんだか微笑ましく思えてくる。
確かに、母さんが「萌えポイント」だと騒ぐのも頷けた。
『それで、私の話は以上なんだけどさ。唯人はなんか話があって電話してきたんじゃないの?』
母さんにそう言われて、俺は忘れかけていた本題を思い出す。
「ああ、そうだった。支度がかかるなら都合がいい。伊出那駅に居るんだけどさ、これから鷹飛城址公園に行こうと思うんだ」
『あらん、今年は少しだけ遅いみたいだから、今行くと三部咲きとかじゃないの? 来週の方が見頃なんじゃないかしら』
「いや、俺調べてねぇからわかんね。白子が行きたいって行ってたからさ」
『唯人、まさか……』
母さんの声色が変わる。多分、この次の台詞は「あんたはっ、女心をわかってないのよっ!」とか騒ぎ始めるんだろう。
それを見越した俺は、「じゃあ、バスが来たから切るわ。また帰る頃には連絡するからっ!」と言ってから素早くその電話を切った。
母さんとの会話に少し疲れた俺は、ふうと溜め息を吐いてから、白子のところへと急いだ。
白子は下を向きながら、駅の壁に寄りかかって俺を待っていた。
俺は距離が縮むと、ゆっくりと歩きながら白子に話しかける。
「おまたせ」
「ううん、大丈夫だよ」
ここ一帯では大きな駅であるため、色々な人が行き交っていた。そんな中に交ざっていると、白子が余計に小さく見える。
そんな小さな体格の白子は、ふるふると首を横に振ると、嬉しそうに言う。
白子を改めてよく見ると、華奢な体つきで肌も真っ白。なのに赤茶色の瞳が印象的で、その白い髪の毛を合わせて見ていると日本人には見えない。
美人と言うより可愛いい印象の白子が、満面に笑うと心が温まるような錯覚がした。
「あの声、まりもさんでしょ? 大事件だとか、大ニュースだとか聞こえたけど、何かあったの?」
俺はその問いを聞いた瞬間、とっさに頭を抱えてしまう。
あのバカ。あんな大声を出すから……。
これでバレて、美凪に怒られでもしたら、祟ってやるからな。
慌てた俺は、平常を装いながらもとっさに適当な話を作る。
「なんか、仕事で大きなミスがあったんだと。それが、どうにもこうにも厄介らしくて。それで、俺に愚痴をぶちまけてきたんだよ。まったく、どんな親なんだか」
「そっか……。大変なんだね、まりもさんも」
心配そうな顔をして白子はそう言う。だが、別に大したことではないので、「まあ、母さんならどうにかするさ……」と、適当な返事をしてから話題を変える。
このままこの話を続けていけば、ぼろが出るに違いないからな。
「それより、白子。バスは何時に来るんだ?」
「あっ。えっと……、もうすぐ来ると思うよ」
白子は左手首に身に付けている腕時計を見ると、俺の顔を見てからぎこちなく微笑む。
「五分遅れてるけどね」
「……みたいだな」
俺もバス停の時刻表を確かめ、スマートフォンの時間と照らし合わせてから苦笑した。
だが、このまま会話を終わらすと、また今さっきの話に戻ってしまうのではないか? と恐れた俺は、母さんと話した桜開花状況を話すことにした。
「そういや、母さんが言ってたけど、桜満開じゃねぇみたいだぞ?」
「えっ? そうなの?」
「確か、三部咲き、だとか」
それを聞いたとたん、白子は残念そうな顔をした。
こいつのこの表情は、見ているだけで罪悪感に駆り立てられる。
「うーん、そっか。じゃあ、来週が見頃かな。ちょっと残念だな……」
悲しそうに笑うの、やめてくれ。
「また来年があるよ。わがまま言えない立場だもんね。今度は美凪ちゃんとまりもさん、唯人くんと来たいな」
白子は独り言のようにぶつぶつ言っている。
と言うより、完璧な独り言だと思う。
こいつは遠慮がちな性格だ。最近馴染んできたと言っても、やはり俺と母さんとは他人。一応、白子なりに気を使っているんだろう。
ただ、少しだけ天然だから、心の声がつい口から出てきてしまうので、わかりやすい。
俺はそれを聞くと、一息吐いてから笑顔を作りこう言った。
「まだ桜のシーズン終わってねぇんだから、満開の時に四人で行こーぜ」
それを聞いた白子はその言葉の意味を理解できなかったのか、目を真ん丸くしているだけであった。だが、頭でその意味を理解出来たとき、その表情は見る見る笑顔になる。
「――うんっ!」
そのときの白子が見せた笑顔は、俺が知る中で一番輝いていた。
そんな話をしている最中、ゆっくりと中型のバスがやって来る。
「あっ、バス来たよーっ」
バスの姿を発見した白子は、子供のようにはしゃぎながら言う。
少しばかり古めかしいバスは、停留所までやって来るとゆっくり止まった。そして、ブザーのような音が鳴ると、前――出口――の扉が開くとそこから老夫婦が降りてくる。ここで降りる客は彼らだけだったのか、またブザーのような音が鳴ると、今度は後ろ――入口――の扉が開く。
「ほら、乗るぞ」
「うんっ!」
白子に声をかけ、慣れた手つきで入り口に設置されている整理券を受け取ると、空いてる席に座った。
いつもの通り、一人で座ろうと思っていたが、隣に白子がやってくる。
「隣に座らせてね」
「……なんで」
「なんでって、外見てみてよ。多分、観光しに来た人だよ」
白子に言われた通りに外を見ると、俺達が待っていたときにはいなかった人達がわんさかと乗り込んでくる。
確かに、白子の言う通り観光客だろう。ここら辺ではなさそうなオーラを出しながら、バスに乗りこんでくるのだ。
乗るときにはあんなにも空いていたと言うのに、ここまでの人が入り込んでくると、俺にとっては窮屈で仕方がなかった。
俺は人混みや、沢山人の集まる場所が好きではない。
人に酔うに、目が回る。一番は目が疲れるのだ。
止めどなく人が入りこんでくるのを見た俺は、つい本音を小声で漏らしてしまう。
「……やっぱり混むなぁ、めんどくせぇ」
「嫌だった? ごめんね、無理矢理つれてきちゃって」
その言葉に過剰反応したのは、紛れもない白子であった。
白子は申し訳なさそうに俯くと、今さっきまでの笑顔とは対称的な暗い顔をする。
めんどくさいことになった。白子はこの反応をしだすと、ずっと自虐的なんだよな。
「俺、人混みが得意じゃねぇからさ」
「うん、ごめんね」
俺は白子を直視するも、白い髪で表情が伺えない。
……やりずらい。
「その……ごめん」
「ううん、唯人くんのせいじゃないよ」
俺達がいるところにだけ、微妙な空気が流れる。
いたたまれなくなった俺は、窓の外を眺めてから目を閉じた。
現地に着けば、この空気も打破できるだろう。
そうして俺は自分自身にそう言い聞かせ、一時間ものバスの中を寝て過ごすことにした。