第3章 蒼穹の未来航路編 エピソード4『獅子の鼓動』
「なんだ、これ……! 痛い! 熱い、苦しい……ッ!」
猛毒の霧に侵されたライルの体が、生存本能のままに悲鳴を上げる。 嵐と傾斜で荒れ狂う甲板を、エリーが転がるように駆け寄り、何とかその体を抱きかかえた。
「ライル! しっかりして!」
だが、ライルの体はぐったりと力を失い、その黄金色だったオーラも、毒の緑に侵食され、か細く揺らめいている。
「ジャック! ヤバい、ライルが……ライルの、心臓の音が……」
エリーはライルの胸に耳を当てる。 嵐の轟音、船のきしむ音、クルーたちの怒号。 その全ての音を突き抜けて、恐ろしいほどの「無音」が、エリーの鼓膜を叩いた。
「聞こえないよぉ……! 誰か、助けてッ!」
エリーの悲痛な叫びが、嵐の海に木霊する。 まさに、絶体絶命だった。
その時だった。
ライルが手放さず握りしめていた、あのボロボロの刀。 (神剣)獅子吼が、まるでそれ自体が一個の生命であるかのように、淡い光を帯び始めた。
「な……んだ、ありゃ……?」
マストにしがみついていたジャックが、その異様な光景に硬直する。 光は、刀の内側から脈動するように明滅している。
キィィィーーーーーン……!
錆の浮いた刀身から、金属音とも、あるいは高周波の音色ともつかない音が響き始める。 それは、甲板のクルーたちの耳を突き刺すような、甲高い高鳴り。
「ライルーーーッ!!」
エリーが必死に叫ぶ。 その声に応えるかのように、獅子吼の音色はさらに高まり、大気をビリビリと震わせ始めた。
まるで、失われかけたライルの魂を、必死にこの世に呼び戻そうとしているかのようだった。
ドクン。
ライルの意識は、暗く冷たい水底にあった。 だが、その朦朧とした意識の先に、見覚えのある背中が見える。 父であり、英雄アイルの背中。
『ライル。お前の魂は、誰よりも強く、そして優しい』
いつか聞いた声が、獅子吼の甲高い音色と重なる。
「お父さん…?」 ドクン、ドクン。
「……ッ!」 エリーが目を見開く。 腕の中のライルの胸から、確かに、力強い「鼓動」が聞こえ始めた。
「ライル……?」
キィィィィィィーーーーーンン!!
獅子吼が、ついに咆哮のような共鳴音を放つ。 錆が剥がれ落ち、刀身がまばゆい黄金色の輝きを解き放つ。 刀が、その真の姿を現し始めた。
それと同時に、ライルにも異変が起きていた。
ゆらり、と。 ライルが、まるで糸で引かれたかのように立ち上がる。 その瞳は白く濁り、焦点が合っていない。 髪は黄金色のオーラで逆立ち、その全身からは、先ほどとは比べ物にならないほどの膨大な圧が放たれていた。
「……ライル?」
エリーの声は、もう届いていない。 トランス状態のライルは、ふらふらと覚束ない足取りで一歩前に出ると、真の姿を現した獅子吼を、ただ静かに構えた。
そして、天を仰ぎ、叫んだ。
「がおおおおおぉぉぉーーーーーーーッ!!」
それは、人の声ではなかった。 内なる「獅子」が放った、魂の咆哮だった。
瞬間。 世界から「音」が消えた。
あれほど荒れ狂っていた嵐が止み、船を転覆させようとしていた大波が、まるで鏡のように凪いでいく。
ブリッジでその光景を目の当たりにしていたノイマンが、戦慄に目を見開く。 その横で、艦長のシルヴィアが窓の外を凝視し、震える声で呻いた。
「あれは……何だい!?」
百戦錬磨の彼女ですら、見たことのない光景だった。
「嵐が一瞬で止むなんて……あんなもの、神話級の力じゃないか!? まさか、あの子……?」
シルヴィアの驚愕をよそに、艦隊の後方に控える一隻の船上では、一人の老人が静かにつぶやいた。
「……獅子の咆哮。フィールドそのものを鎮圧するか。……いや、これは『魔法無効化』か」
ライルを狙っていたクラーケンの毒霧も、その発生源である魔法的な力が霧散し、消えていく。
「ライル……お前も、とうとう覚醒したんだな」
英雄アイルの師であり、ライルの祖父であるライゼンは、その光景をただ静かに見つめていた。
覚醒したライルは、止まらない。 意識のないまま、獅子吼をクラーケンへと向ける。
天が震えている! 大海が鳴いている!
聖なる獅子王の帰還に、世界そのものが。 まるで、喜び讃えているかのように。
再び、甲高い金属音が響き渡る。 今度は、先ほどまでとは比較にならないほどの莫大なエネルギーが、獅子吼の切っ先一点に収束していく。
ドォン!!
空気が圧縮されたかのような轟音と共に、黄金色の衝撃波が放たれた。 それは音速を超え、凪いだ海面を一直線に滑っていく。
クラーケンが、その巨大な左目で黄金の光を捉えた。
次の瞬間。
キンッ!!
空気を切り裂く、鋭い音が響いた。
斬!
黄金の衝撃波は、クラーケンの巨体に「当たる」のではなく、その全てを「貫通」し、斬り裂いていた。
「グゥオオオオォォォオオオオッッ!!」
嵐の静寂を破り、クラーケンの苦悶に満ちた絶叫が、海上に響き渡った。 その巨大な左目からは、おびただしい量の体液が噴き出していた。




