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(9)

 「ついてないな」とカイは内心で舌打ちをする。


 カイの目の前にはカイよりも年嵩の、明らかに酔っぱらった男がひとり、頼りなさげな脚で立っている。


 ギルドホール内にある、受付カウンターの向こう側から向けられる他の職員たちの心配そうな目。


 それから当然、ホール内にいる、依頼を求めて《六本指》を訪れた冒険者たちの好奇の目がカイに向けられる。


 どちらもカイにとっては鬱陶しいことに間違いはなかった。


 だが目下、最大の案件は――。


「お綺麗な服着やがってよう。ずいぶんと出世したじゃねえか、ええ?」


 頬に鼻先まで真っ赤にした酔っ払いの男は、濁った眼でカイを見下ろす。


 この距離なので、アルコール臭と共に鼻が曲がりそうな体臭までただよってきて、カイは自然と目を細めた。


 そんな男とはかかわり合いになりたくなかったし、触れたくもなかったが、そうは言ってはいられない事情もカイにはあった。


 端的に説明すると、この突然《六本指》のギルドホールに入ってきた酔っ払いの男は、カイの昔馴染みだ。


 いや、昔馴染み「だった」と言うべきだろう。


 疎遠になって久しい時間が経っている上に、カイは特段この男の行く末を気にかけたことなんて、一度としてなかったのだから。


 それにいい思い出もひとつとしてない。


 同じスラム育ちという共通点だけがカイと男を結びつけていた。


 男はカイにスリの方法などを教える代わりに、カイの仕事の「上がり」の一部を持って行った。


 男はそうして、カイのような、男よりも年下の子供たちを顎で使って、スラム街では多少大きな顔をしていたのだ。


 当時から酒浸りで、気に入らないことがあれば、子供たちを殴る蹴るして鬱憤を晴らしていた。


 カイたちスラム街で暮らす子供にとって、それはありふれた日常の景色だった。


 だがカイは《六本指》の現ギルドマスターであるボスの気まぐれもあり、スラム街に別れを告げた。


 ボスに拾われてからこっち、一度もあのスラム街に足を踏み入れたことはなかった。


 カイは、あの忌々しいスラム街とは完全に縁が切れたものだと思っていたが――。


「……他の冒険者の方がいらっしゃいますので、お話があるのでしたら外でお聞きします」


 カイは至極冷静な、事務的な口調で男の言葉に返す。


 だが取り澄ましたカイの態度が気に障ったのだろう、男は出し抜けにカイの胸を殴った。


 その一発はカイにとってはあまり痛いものではなかった。


 それでも一瞬、息が詰まったようになって、目を細める。


 さすがに暴力沙汰に慣れた冒険者たちのあいだから悲鳴が上がることはなかったが、みなカイと男に注視している様子が嫌でも伝わってくる。


()()ききやがって、だれのお陰でおめえが今生きてると思ってる」


 男は今度はカイの肩に向かって拳を突き出した。


 カイは男の手首を捉える。


 カイにとっては、男の動きはあまりにも遅く感じられた。


 スラム街にいたころとは違い、カイの体は成長し、鍛え上げられていたし、一方男はアルコールを摂取していることもあって、そもそも足取りがおぼつかない。


 カイが男を制圧するのは容易なことであった。


 こんな男に従っていた過去の自分を、カイは馬鹿馬鹿しく思った。


「――間違ってもテメエのお陰じゃねえよ」


 カイが男のみぞおちに一発拳を入れれば、男は背を丸めてその場で嘔吐した。


 床に広がった吐瀉物から、酸っぱい胃液のにおいがカイの鼻をつく。


「とっとと失せろジジイ。それとももう一発欲しいか?」


 冷ややかな、侮蔑の目でカイは男を見下ろした。


 男は情けない声を出し、よろよろと立ち上がるや、捨て台詞を吐く余裕もないのか、へっぴり腰でギルドホールをあとにする。


「……お騒がせして申し訳ございません」


 カイが頭を下げると、野次馬をしていた冒険者たちは興味を失ったらしく、ひとの波がそれぞれの目的地へと移動して行く。


 カイは憂鬱な気持ちになった。


 まず今回の一件は、カイ自らギルドマスターであるボスに報告を上げなければならないだろう。


 するとボスは小言をいうに違いなかった。


 きっとカイが他人に暴力を振るったこと自体については咎め立てはしないだろう。


 問題は場所だ。《六本指》のギルドホール内で暴力沙汰を起こしたことについて、十中八九ボスは文句を言ってくる。


 だから当初、カイは男をギルドホールの外へ誘導しようとしたのだが、結局上手く行かなかった。


 加えて、あの男が一度カイに恥をかかされたくらいで、二度と顔を見せずにいるほど慎み深いはずもない。


 むしろこの一件でカイを恨んで、これから嫌がらせをしてくる可能性も高かった。


 頭が痛いのは、カイだけではなくカイが所属する《六本指》に対して行ってくる可能性についてだ。


 カイは気疲れを覚えて、冒険者の群れを見ながら、いつの間にやらため息を吐いていた。


「カイ、大丈夫?」


 そう声をかけてきたのはソガリだった。


 そのうしろから、バケツとモップを持った先輩職員もやってくる。


「――ここは私が片づけておくから、ソガリさんはカイくんの手当てをしてあげて」

「手当てするほどじゃ――」


 職員の言葉に反駁しようとしたカイだったが、その裏に「一度職員エリアに引っ込め」という意図を感じ取り、途中で黙った。


 ギルドホール内には未だ、カイに対しちらちらと好奇の視線を送ってくる冒険者も少数ながらいる。


 カイは小さなため息をついて、「わかった」とだけ言った。

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