(19)
「ダメだよ」
怒りにしびれたカイの頭に、その声は――ソガリの声は、クリアに響いた。
「殺したらダメだよ」
ソガリはカイの肩に手をかけたわけでも、ましてその腕を引っ張ったわけでもなかった。
それでもソガリは、その声だけでカイを押しとどめた。
いや、カイが踏みとどまることができた――と言ったほうが正確だろうか。
カイは、やはりソガリの顔を見ずに、ただ大きなため息をついた。
それでもカイには、背後にいるソガリの顔が見えるようだった。
怒りを爆発させたカイに、ソガリは怯えた顔をしない――きっと、心配そうな顔をしてこちらを見ている。
ソガリのことなんて、カイにはなにもかもわからなくなっていたはずだった。
けれどもこのときばかりは、ソガリを背にしていても、その顔が見えるようだった。
カイはためらわず、確認するようにソガリを振り返る。
ソガリはやはり、少々やぼったい眉を下げて、心配そうにカイを見ていた。
「……殺さねえよ」
カイはソガリから視線をそらし、ひとりごとのようにそう答えた。
迷宮に潜る冒険者にはろくでなしも多い。腕っぷしさえ強ければ、冒険者としてはあるていどまでは成功できるからだ。
カイはこれまで、ゴミみたいな冒険者を掃いて捨てるほど見てきた。
カイは聖人などではなく、善人でもないため、そんな冒険者の悪行を見れば「死ねばいいのに」と思うことだってあった。
けれどもこれまで、怒りの奔流に飲まれることなんてなかったし――「殺してやりたい」と思ったことなんて、なかった。
「こんなカスども、殺す価値もねえ」
いつだったかとほとんど同じセリフを口にする。
あのときは心の底からそう思って言ったのだが、今は違った。
カイは己の激情に言い聞かせるように、言った。
……薄暗い路地と言えども、そこから轟音がすれば表通りを行き交うひとびとも、なにごとかと集まってくる。
カイの頭から、沸騰した湯のような熱が徐々に抜け始めたところで、ふたり組の警吏も駆けつけてきた。
そのあいだカイとソガリを襲おうと画策して、返り討ちに遭った冒険者は石畳の地面に転がしたままだ。
カイとしては見世物にするくらいではまだ罰が足りないと感じたが、今はそれよりも、この状況にいたるまでの経緯を説明する未来に頭を抱えたくなった。
ボスなどは、絶対にカイに「お小言」を言ってくるだろう。
そしてカイのその予想は半ば当たったが――もう半分ほどは、外れた。
「――今回の一件は正当防衛ですが、貴方の行いは過剰防衛に問われかねません。存分に反省してください」
ギルドマスターの執務室にある、立派なデスクの前に立たされ、カイはボスから妙な圧迫感のある笑顔を向けられる。
そんな脅しはカイには効かないどころかへっちゃらだったが、カイが魔法で飛ばした木箱の弁償費用に話が及ぶと、己の自業自得とは理解しつつも、つくづくと嫌な気持ちにさせられた。
「《六本指》のギルドマスターとして、貴方にはしばらくの謹慎を命じたい……ところですが」
ボスが一度そこで言葉を切ったので、不貞腐れたようにボスから視線をそらしていたカイは、思わず彼の顔をまじまじと見た。
ボスは秀麗かつ完璧な笑顔を作って、言う。
「今回は免除いたします」
「は? ……どういう風の吹き回しだよ」
「無論、相応の事情があっての決定ですよ。反省はしてください」
「……『事情』って、なんだよ」
カイは、ボスが答えるわけがないと思いつつも、問わずにはいられなかった。
「《熊羽織り》の噂はご存じですね?」
「質問に質問で返すなよ。……色々、きな臭え噂ばかり聞くが」
「その《熊羽織り》が我々《六本指》に決闘を吹っかけてきまして」
「はあ?」
カイはボスの話の着地点が見えず、困惑をあらわにする。
しかしボスはそんなカイの様子を気にかけるだなんてことはせず、滔々と話を続けた。
「貴方とソガリさんを襲った冒険者たちが、《熊羽織り》の命令でやったと証言したからです」
「……たしかに、あいつの元同級生とか言ってたパーティは《熊羽織り》の公認パーティだとか言ってたが」
「そして《六本指》が追放したくだんのパーティも《熊羽織り》の所属だと証言したそうです」
「……《熊羽織り》が裏で糸を引いてるって?」
「なんでも《熊羽織り》で法外な借金を吹っかけられて、返済のために今回の計画を実行せざるを得なかったとか」
「どうだか。あいつらは、明確にオレらに復讐する動機があったはずだ」
カイの指摘に、ボスは静かにうなずく。
「仕返しができて借金も返済できる――と、そう考えて実行に移したとしても不思議はありません。借金の話は恐らく同情を引き、減刑を目論んでの証言でもあるでしょう」
「いかにも連中がやりそうなこった」
「けれども困ったことに、《熊羽織り》のギルドマスターの見解は違うようでして」
ボスはまったく困っていない顔をして話を続ける。
「――今回の一件は我々《六本指》こそが裏で糸を引き、《熊羽織り》を追い落とすための仕掛けだと、かのギルドマスターは主張しているわけです」
カイはおどろいてボスを見た。「はあ?」というひとことすら出なかった。
「《熊羽織り》の数々の悪い噂話も、我々が流しているのだとか」
呆気に取られるカイに対し、ボスは優雅に微笑んでいる。
「それでギルド間の決闘を申し込んできたわけです。――カイ、謹慎の代わりに貴方にはこの決闘に出ていただきます。よろしいですね?」
――断りの言葉を受け付ける気なんて、一切ないくせに。
カイはそう思いながら、ボスの言葉に黙ってうなずいた。




