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赤ばらのブラッディ・メアリー



飛び散ったそれは、大きな赤ばらの花弁のようでした━━




きらめくシャンデリア、大理石の床、ビロードのカーテン。

贅を尽くした調度品に囲まれた宮廷舞踏会ほど、心躍るものはありません。華やかなドレス や礼服に身を包んだ参加者の間を、シャンパングラスの山を皿に乗せてすり抜ける従者の態度も、それは立派なものでした。

極東のダンサーが炎の曲芸と剣舞で場を充分に盛り上げましたし、スパイスの効いたおつまみもたくさん振る舞われていました。夜が更けるにつれ、 参加者の心はあたたかく、浮き足立ってきました。


招待状にそうと明らかには書かれていなかったものの、この会は我らがグリニッジ王国のジョン王子と、アルチェトリ王国のプリンセスの婚約発表が目的であることは、そこにいた皆が承知でした。ジョン王子はご存知の通り、少し......目立ちたがりで子供っぽい所のあるお方でしたから、きわどいジョークなども交えて皆を困らせながら談笑を続けていました。


アルチェトリ王国からの貴賓団ともすっかり打ち解けた空気ができあがってきたころ、従者のひとりが咳払いののち、


「アルチェトリ王国、プリンセス・マリア殿下のお成り」


と高らかに告げ、重厚な扉が開かれると、そこにいる者みなが息をのみました。


ばらの香り━━。誰も嗅いだことのないような、清々しく甘い高貴な香りでした。薫風がホールに雪崩れ込み、ついで彼女の姿が現れました。


まず目を奪うのは豊かなブロンド。頭飾りにはちいさなばらがあしらわれていました。フリルやオーガンジーに満ちた華やかそのもののドレスには、布地と同じ赤色の刺繍が敷きつめられていました。顔を上げれば長いまつ毛に隠されていたのは、星々が宿ったようなきらめくスカイブルーの瞳。


みな、釘付けになっておりました。深い理性と決意がみなぎった瞳には、そうさせる力がありました。彼女は親しみやすくほほえみ、淡いピンクで縁取られた口を開けました。


「ここではマリアでなく、メアリーとお呼びください」


わぁっと、歓声が広がりました。完璧なグリニッジ語の上流階級アクセントで、その内容も外交として完璧なものでした。だれもが異国に嫁ぐ覚悟をその一言に感じました。男女関係なく彼女を取り囲み、我先にと話したがりました。取り入ろうとする下心のあるものもいたのでしょうが、私の目には単に皆が彼女と友人になりたがっているように見えました。そういった不思議なオーラとでも言いましょうか、確かにそういうものがあの方にはあったので

す。


ごほん、と大きな咳払いがホールに響き、全員の意識がそちらに向かいました。ジョン王子はいつもより皮肉っぽい笑みを浮かべて、大袈裟に腕を広げていました。


「メアリー、ようこそ、我がグリニッジ王国へ」

「すてきな夜にお招き感謝申し上げます、ジョン王子」


うやうやしくかしずいて、メアリー様は元の凛とした姿勢に戻りました。即位はまだなのだから我が王国ではないだろうと囁く声がどこからか聞こえると、王子はまた大きく咳払いをしました。


「君は少し......肖像画と違うね?」

「ええ、ジョン様も。なにより動いてらっしゃいますわ」


クスクスと皆が笑いました。


「いや違う、その......君の髪は......少し」

「豊かに輝きすぎている、ですかな?」


公爵が助け舟を出しましたが、王子はあからさまに無視しました。私たち全員が不思議に思っていたのですが、王子はメアリー様の欠点をお探しになっていたような様子だったのです。それにしては非の打ちどころのない姫君で、当てが外れたような、そんなうろたえ方をしていました。メアリー様は小首をかしげられ、


「わたくしと踊ってくださいますわね?」


そう言ってほほえみ、王子に手を差し伸べられました。

グリニッジではダンスの際、女性から男性を誘うことはまずありません。情熱的なアルチェトリ流の振る舞いに、特に女性達がいろめきたちました。


しかし王子は目を軽くそらし、ばつの悪そうに笑って手を取りませんでした。宙に浮いたメアリー様の右手は、静かにおろされました。


「王子様がわたくしと踊ることは、10年前の今日に国王同士がお決めになったことです」

「父上は亡くなった。許嫁などもう無効の取り決めだ」


冷たいざわめきが、その場に広がりました。


「ならば」


メアリー様はもう一度、右手を差し伸べられました。


「今のわたくしと、踊ってくださいませんか? 今のあなた様がお決めになって」

「踊る相手ならもういる」


ジョン王子の背後から、栗色の髪を垂らした女性がひとり歩を進めました。すらりとして洗練されており、ダークグリーンのドレスは品の良いものでしたが、お祝いの場に適した色だとは感じられませんでした。

群衆はどよめいて、一体どういうことかと緊張しながら王子を 見つめていました。王子は注目の的がメアリー様から自分に移ったことに満足している様子 でした。


「ジャクリーンだ。トゥールーズ出身」

「アンシャンテ」


メアリー様の手を堂々と握り返そうとした女性━━ジャクリーンの右手を軽い所作でかわし、メアリー様は自分の国からの一団に目配せをしました。まだ動くな。そういう牽制がこもった眼差しでした。


「なにかわたくしの思い違いならばよいのですが」


メアリー様はそう前置きされました。


「つまり、わたくしとの婚約は」

「破棄だ! 私はジャクリーンと結婚する!」


高らかにそう宣告した王子の両目は興奮で爛々と輝き、ジャクリーンの肩を抱き寄せるとふたりは見つめ合い、勝ち誇ったように微笑みました。


「父上の決めた古い決まり事などもううんざりだ、私はここに宣言する! 私の国政は全てを新しく、全てを自由に行うということを!」

「自由と身勝手は違います」


メアリー様の声は今や冷ややかでした。


「自国の貴族達の前で、他国の姫の顔に泥を塗ることが、どういうことを意味するのかおわかりにならないのでしょうか」


王子は鼻を鳴らして答えました。


「私の国は今やそちらの国よりも富んでいる、力関係は明白だ!」

「お父様とここにいる者たち、そしてここにいない民たちの功績です」

「今や私のものだ! 貧しい没落国家など蹴散らしてくれる!」


王子はもはやメアリー様に怒っているようにさえ見えました。幼少の頃から手のかかると評判の王子でしたが、ここまでとは。貴族たちの心が冷えていく音さえ聞こえてくるようでした。

先代の王の急死で彼の肩の荷に降りかかった権力は、いまや彼の身に毒をもたらしていたのでしょう。ジャクリーンの腰に回した手は彼女を強く掴んでいました。 爪が食い込んで痛かったのか、彼女は少し顔を歪めました。


「お前はこの場には必要ない!」

「おいたわしいジョン王子」

「出ていけ!」


王子の口角には唾が溜まっていました。興奮で白目は充血し、生え際から眉間にかけて青筋が立っていました。一方メアリー様は冷静そのもので、両目は氷のように光っていました。


「わたくしのダンスの誘いを、二度断りましたね」

「それがどうした」


メアリー様は一歩、足を踏み出されました。


「わたくしの国を、侮辱されましたね」

「それは......」


ジョン王子が一歩、後ずさりました。

群衆は息を殺し見守るばかり。あの場で、一体誰が何をできたというのでしょう。


「お前にはわかるまい!」

「もう充分です、ジョン王子」


メアリー様はくるっと体の向きを変えられ、そのまま窓際に駆け出しました。そこにいた誰もが、メアリー様はショックのあまりその場から逃げ出そうとなさったのだと思いました。 体が動いていた従者もいたかと思います。ただ、ドレスなど着ていないようなあまりにも軽い身のこなしに、王子も含め誰もついていけなかったのです。


そのまま外に飛び出すかと思われたメアリー様は、踵を返すとまっすぐ、部屋の中央へと突進なさいました。



飛び散ったそれは、大きな赤ばらの花弁のようでした。



王子の胸は袈裟斬りに裂かれ、血飛沫が舞っていました。何が起こったのかわからないといった顔つきのまま、王子は膝から崩れ落ちました。

メアリー様の手には、踊り子が使っていた異国の剣が握られていました。そのまま向きを変えた先、ジャクリーンが悲鳴をあげようと顔を歪ませた瞬間、みぞおちに剣が突き立てられました。王子の体の上にジャクリーンが重なって倒れ、どさっという鈍く重い音がホールに響きました。


メアリー様は鋭く短く息を吸われ、


「わたくしの尊厳は、あなたがたの命よりも重い!」


そう、叫ばれました。

赤色だったドレスは返り血で紅色にまで染まり、汚れひとつついていなかった顔と髪にも鮮血がこびりついていました。


全てがほんの、ほんの一瞬のできごとでした。


女たちの悲鳴が上がり、堰を切ったように両国のガードがプリンセスに飛び掛かりました。

片方は取り押さえるため、もう片方は彼女を守るため。メアリー様は両手を前で組まれ、瞳を閉じられ、抵抗の意志がないことを示しておられました。


ゲストの中には気絶する者さえおりました。会場は混乱の坩堝と化しました。怒声と嘆きの声が響き渡り、戦場のようになりました。私といえば今さっき起こったことのあまりの恐ろしさに身がすくみ、メアリー様を見つめることしかできませんでした。


ふと、メアリー様が目を開き視線を傍に走らせると、私と目が合いました。美しいスカイブルーの瞳は凛々しさをたたえ、あわれみに満ちていました。それを見た私には、先ほどの行いが一過性の怒りによるものだったとは、どうしても思えなかったのです。メアリー様は後ろ手に縛られると、荒々しく連行されていきました。


捜査官さま、メアリー様の処遇に温情はあり得るのでしょうか。なぜって、あの場でのジョン王子の申し出は、目に余るものでした。もし立場が逆で、アルチェトリに招かれたジョン王子が婚約破棄の憂き目に遭ったならば、あんなことでは済まされなかったのではありませんか?


それに......。ジョン王子は愚王の資質こそあれど、お父上のような賢政はとても望めません でした。ええ、不敬な発言であることはわかっております。それでも申し上げたいのです。 婚約破棄が裁判なしの死罪に当たるとは私も申しません。ただ、メアリー様のおっしゃった尊厳が、あの日あの時、不当に著しく傷つけられたことは事実なのです。



1625年11月25日付

ガスター公爵夫人へのインタヴュー

(内容は他聴取と一致する)

(彼女はアルチェトリにルーツがあり、被告に同情的である可能性に留意)


グリニッジ警察捜査官 署名

本部長 署名


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― 新着の感想 ―
燐としたイタリア(スペイン?)の女性が、イギリス王子・フランス女からの屈辱を鮮やかに処断する情景が目に浮かびました。 面白かったです! (いつも艦これ作品を楽しませて頂いております)
「舐められたら殺す」その無礼者を斬り捨てた後は潔く縛につく所、まさに誉れ高きもののふですね。素晴らしいです!
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