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海の見える街 (6)


「時が止まってる、か。なるほどね。」

杏香さんから聞いた話をすると、茜さんは苦笑いを浮かべて、でも何だか納得したように腕を組んで頷いた。

話をする中で、曽田さんが、曽田さんの、と言っていると、

「さっき言ったじゃん!私のこと苗字で呼ぶ覇気のない奴に似てる!ヤダ!」

と言うので、僕は彼女のことを茜さんと呼ぶことにした。

「さん、を付けるあたりが、やっぱり教室の一番後ろの席でメガネかけてる感じの奴だな…」

とか何とか言っていたけれど、それでいいと言ってもらえた。

僕のことはハルと呼び捨てにしたいらしいので、快く承諾した。敬語も止めろと言われたので努力義務としてもらった。

彼女は、何だか女王様みたいだ。

だけどその横暴さが、僕は嫌いではなかった。 むしろ好きなだけ、好きにすればいいと、両手を広げたくなる。 もしかしたら、あの頃の妹に似ているのかもしれない。 いろんな意味で。

「落としてしまった時間を埋める、っていうのは少し違うかな。」

茜さんは腰掛けていた壇上からよっ、と飛び降りて、体育館の真ん中に大の字になって寝転んだ。

「私は、普通を探してる。普通になりたくて、普通を偽っている。ハルはさ、朝、ガラスが割れたの、何だったって聞いてるの?」

「ただ、ガラスが割れただけで、大したことじゃなかったって、杏香さん言ってたけど。」

「あれ、私が雑巾掛けする棒で、窓ガラス叩き割ったんだよ。」

茜さんは天井を見上げたまま言った。

「…怒ってたの?」

「いいや。どうしたらいいかわからないくらい、不安だった。」

僕はこの際だから、気になってることを全部茜さんに聞いてみる事にする。

「隠れて車に乗ってたのはどうして?」

「おばあちゃんが行くなって言うと思って隠れてた。裕くんは知ってたよ。降ろさないで、お願いって言って、そのまま車出してもらった。」

「杏香さんが行くなって言うと思った理由は?」

「私がヤキモチこじらせると思われてるから。思われてるっていうか、実際それで窓叩き割ってんだから、言い返す言葉ないけどね。」

天井を見上げたまま、茜さんはまたニカッと笑う。


「私、…捨てられちゃったんだ。7歳の時。ある日、突然。また明日ね。ぐらいのテンションで、お別れされちゃったんだ。」

誰からも聞いてない話が、茜さんの口から溢れた。

「そこにいたおばさんが、茜ちゃんようこそ。って迎えいれてくれた。養護施設ね。みんな、教室の隅でメガネかけてるような奴ばっかだった。私は自分の状況を全くわかっていなくて、ずっとその内私を迎えに来てくれるんだって思ってた。だから、みんなと仲良くして待ってようと思って、仲良くしてね、って話しかけたら、近寄んな。って言われた。他のみんなは、自分がどういう状況なのかわかってたんだろうね。だから、能天気な私がすごいうざかったんだと思う。」

話しながら、自分で笑い飛ばしてみせる。 無理をするのは、彼女の無意識の癖なんだろう。 僕が、人の言動、顔色をいちいち伺って考えてしまうように。

「十歳になった日に、何個か年上の男の子に言われたの。おまえ、捨てられたんだよ。って。誰も迎えになんて来ねぇよ。って。それから私は、どうしたらいいかわからなくなった時に、パニックになって、物を投げたり、何かを壊したりするようになった。」

破壊衝動を抑えられなくなるのか。

「隠れて車に乗ったのは、私の見てないところで、ハルが裕くんと仲良くなってしまったら嫌だから。それが不安過ぎたから。私がもう二十三のくせに、子供みたいな振る舞いしてるのは、みんなに年下だって思われたいから。可愛がられたいから。私がおばあちゃんのことが嫌いなのは、あなたはそれではダメ。って現実に引き戻そうとしてくるから。そして、」

そこまで言って、茜さんは大きく息を吸った。

「私が、裕くんを好きなのは、そのままでいいんだって、言ってくれるから。」

茜さんの言った「好き」が、単純なそれじゃない事は、茜さんの声色ですぐ判断出来た。

「友瀬さんは、茜さんの気持ち、知ってるの?」

茜さんは、返事をしなかった。僕は質問を変える。彼女には酷かも知れないと思いつつも、これを聞かないことには、さっき目にした、不機嫌の元凶を知れない気がした。

「ここには、茜さん以外の人も、以前暮らしていた?」

茜さんはしばらく返事をしなかったが、

「あんた、全部知っててわざと言ってない?」と言って来た。

僕はそう思った理由を述べる。

「茜さんが朝、裏庭から帰って来た頃に、友瀬さんに言われたんだ。僕らは、ここに来た人達みんな、下の名前で呼んでいるから、僕にもそうしていいかって。文章的に、それが茜さん一人を指しているとは思えなかった。友瀬さんにそれを尋ねたら、その話を濁したんだ。」

茜さんは静かに話を聞いてくれている。が、しかし、彼女から先ほどと同じ不機嫌さが漂って来ていることに僕は気づいていた。

「さっき、僕が、身近で人が死んだことがあるかと尋ねたときに、茜さんは、すごい不機嫌そうにあるって言ったね。」

寝転がっていた茜さんが急に立ち上がる。立ち上がってさっき、ベッドの上でしたように仁王立ちして、今度は壇上に腰掛けている僕を見上げた。

「いたよ。裕くんの彼女が。」

僕は彼女の不機嫌の理由にたどり着いた。


「私が殺したんだ。」


茜さんは、僕が予想していなかった事を言った。僕は動揺する。

「手にかけたわけじゃないよ。」

もちろん、そうだろうと思っていたけれど、僕は安心して脱力する。自力で座る力を失って、壇上を下りて背を寄りかからせた。

「私は、自分で勝手にここに来たんだ。ネットでここの事を見て、自分で勝手にここに来た。その時すでにここにいたのがあの女。」

「彼女が亡くなったのはどのくらい前の話?」

「三月だよ。私が来たのは去年の年末。」

今からちょうど三ヶ月くらい前の話だった。

「あの女は突然消えたの。自分は裕くんを縛り付けてしまうから、裕くんに自由になって欲しいって言って消えたの。見つかったのは、本土との間の海の上。」

「どうして、茜さんが彼女を殺したことになるの?」

茜さんの握る拳が、震えているのが見えた。

あぁ、もしかしたら、どうしたらいいのか、またわからなくなっているのかもしれない。

「そんなことを聞く、僕を殴りたいかい?」

茜さんはハッとした顔で僕を見た。

「無理に聞こうとはしてない。でも、確信を突こうと意図して言ったのは事実だ。殴りたければ、殴っていいよ。」

そう言うと、そうじゃない、そうじゃない、と言って茜さんは泣き始めてしまった。

「私が来たからだ。私が来て、誰にも嫌われないように、すごい、無理して、いい子を演じていたから、 咲生が私をいい子だと勘違いして、裕くんには、茜ちゃんみたいな子がお似合いだよって。そう言って、居なくなったんだ。私が裕くんの大事な人を奪ったんだ…!」

彼女の無理はここまで繋がっていた。 昔の時間を回収している、というのはあまりにも表面的な事だけで、彼女も僕と同じように、一ミリも間違った線を書かないように、そこに意識を集中させて生きて来たんだなと僕は思った。 とても不器用で、とても臆病で、大きく開いた穴から何もこれ以上零さないように、丁寧にすればする程、零れ落ちていく矛盾に耐えきれなくなった小さな手で、彼女はずっと助けを待っていたんだ。

見えない水の中から、自分を引き上げてくれる人の手を。

「茜さん、僕は茜さんのせいだと思わない。」

茜さんはぐしゃぐしゃに泣いた顔を上げて、本当に?と言うように少し首を傾げた。

「そう思わない理由を伝えたいんだけど、聞いてくれる?」

彼女は大きく頷く。反動でいくつもの涙の粒が床に散らばった。

「茜さんの部屋にまたお邪魔してもいいかな。茜さんがいつ疲れて眠ってもいいように。」

彼女の手をそっと取ると、力なく僕の手を握り返した。

杏香さんの言うように、本当にまだ小さい子供の感覚なんだ。当時出せなかった甘えや、わがままを 今、放出させているんだ。

僕は茜さんの手を引いて、元校舎の二階まで歩いた。

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