0話・生き証人は語る。
北米大陸・自由連邦北東部・マティアス記念公会堂
北暦三五四四年 八月 二日
弁士 エレオノラ・フォン・アベンド ―レイモンド大学名誉教授(史学)―
『あー、あー、少し上げてください、はい。ありがとう。エレオノラ・アベンドです。皆様私の講演にお集まり頂きありがとうございます』
軍服姿のエレオノラが口を開くと同時に、拍手と歓声―おおよそヒトのものではない重い音から金切声まで―が響く。
『改めて私の専攻は史学です。この世界が生まれてから今まで、歴史というものは動き続けてきました。その動きを遡って研究するのが私たちの役割です。時には自分の目で見たことも』
彼女は整えられた長髪をかき上げ、半分ほど見えていた尖った耳を露出させる―更に歓声―と、再び聴衆へ向き合った。
『史学と括っても、内包される学問の幅は大きいです。その中で私が直近千年にかけて取り組んできたのは、「魔王時代」と呼ばれる頃です。皆様がご存知の通り、今から千五百年以上前、北暦二〇二六年にランローパの北方、スカナヴィア半島北部を焦土と化した魔人らの上に君臨した魔王ギスカールは、二〇二九年より対外侵略を開始し、まずスカナヴィア半島を統一し、凍土帝国への侵攻を開始しました。瞬く間にスカナヴィアや凍土帝国は蹂躙され、東ランローパへ陸と海から魔王軍が押し寄せました。前線にあったランローパ随一の勢力を擁していた東方連合は、二〇六〇年に構成国の離反による内紛が発生し、これと同時に魔王軍はランローパへの本格的な侵攻を始めます。世界最強の魔導騎兵の敗北もあり、ランローパ全域にその脅威が広く知れ渡ることとなります。時を同じくして、連合王国の国王の呼びかけにより、“光の同盟”が結成され、中近東から新大陸まで、種族・民族を越えた国際的な協調を見せました』
ここで彼女は一息つく。背後の壁には当時のランローパ地図が映し出され、北方で生まれた黒い点が徐々に地図を埋めて行く様子を流していった。
『神聖帝国では西羅王国を中心とした同盟軍が集結し、多少の言語トラブルは伴ったものの、西ランローパへの魔王軍侵入は阻止しました。しかし東側、凍土帯では魔王が直接前線に立ったこともあり多くが服属し、残された光の勢力は南へと追い詰められ、廻教諸国の介入を招きました。情報の伝達ですら時間のかかった当時、戦局の悪化に伴い、精霊の森に住む純血派が独占していた音信魔法が、魔王軍の接近を恐れた彼らにより大々的に普及されたことも有名な話でしょう。彼らも死を覚悟して戦っていたのです―――かの暴力によりどれほどの生物が魔王に味方し、或いは対峙したのか。現存する歴史書の限りでは説明できません。同盟軍も魔王軍も、あの時代を生きた者たちは揃って口を閉ざしました。分かってることは、あの暗黒の時代は海や山脈を越え、多くの者が死に、更に多くの者が家を失い難民となったということ。ここ自由連邦の人口が増えたのも、中央ランローパが制圧され、光の民が西へ南へと追い詰められた頃からでした。当時の航海技術は魔導操船の導入で大きく改善されましたが、それでも長距離の航海は命懸けです。新大陸にお住まいの皆様は今も東海岸に乱立する石碑について、一度は耳にしたことがあるでしょう。私が現在自由連邦に住居を置くのもその研究のためです…』
聴衆は一言も発さずに彼女の説明に耳を傾ける。彼らの中にも彼の頃を思い泣く者がいたが、それに気付く者は皆無だった。
『私が話すのは、魔王の討伐、魔王軍の分断と戦争の終結を担った勇者三代の話。ランローパの西端の国、牙国に生まれた“選ばれし者”マティアスが二〇九三年に魔王を討伐し、マティアスの孫、“賢者”ルーカスと、大将軍筆頭の“女帝”アリシアが、二一八三年に「ステンバルク協定」の締結によって“平和の境界”を制定するまで、約百年に及ぶ物語です―――